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ランダムなのか選別しているのかわからないけれど、烏丸さんは座席横の階段をのぼりながら数人に声をかけている。
「君はうちが第一志望か?」
「え、は、はい」
「今少し間が空いたな。嘘はだめだ」
「そんな……!」
「俺は瞬発力を見ているんだ。いい加減学習しろ」
その場は盛り上がるどころかお通夜状態。
誰かの囁き声が聞こえてきた。
「すごいな。これが烏丸怜か。空気を全く読まないらしいね」
「怖いよな」
烏丸さんの圧は、知る人ぞ知る状態らしい。
「我こそはという人は挙手を」
ダイヤの原石というフレーズがハードルをグッと上げてしまったのだろう。
行動を起こす人はいなかった。
烏丸さんはゆっくりと階段を歩いてくる。
「なんだ。大人しいな」
烏丸さんが失望したような声で呟く。
私もすくみ上っていた。
もうすぐそこに烏丸さんが来ており、魔王のような眼光で周りをぐるっと見回しているからたまらない。
(こ、怖い)
間近にいるとルックスの良さだけでなく、圧もバンバン感じるから、思わずぶるりと震えてしまう。
目を合わさないように下を向いた。
(リアルで見るのは一度でいいかなあ。もうお腹いっぱいかも)
就活生たちが気後れする気持ちも理解できた。
なんだか一緒にいるととてつもなく疲れそうなタイプだと思う。刺激はモニター越しで十分だ。普段欲しいのは平穏である。
そんな最中……。
ピロリロリロリ~
大音量の通知音が鳴り響いた。
この緊迫した空気の中、最悪のタイミングである。
前の人たちが一斉に振り返る。
私もつられて後ろを見たが、多くの視線と目があって、
(えっ!? 私!?)
慌てて隣に目をやった。ショートカットの女性がすがるような目で私を見ている。
「あっ! す、すみませんっ!」
私は真っ赤になり、バッグをあさった。
真面目な場面を明らかに台無しにしてしまい、焦りに焦る。
バッグの奥のスマホを手に取り、電源をオフにしようとした時、変なタイミングで音がとまった。
「え」
隣の女性がこそっとスマホをポケットに戻すのがわかった。
慌てて自分のスマホを見る。
電源は落ちていた。
(私じゃなかったんだ……!)
ホッとした。そう言えば着席してすぐ切ってたっけ。
「切り忘れか?」
鼓膜に声が届く。
顔をあげると烏丸さんが間近に来ており、私に視線を向けていた。
「あ、あの……」
間近で見ると、圧がすごいどころじゃない。地獄で魔王に吟味されている使い魔の気分になってしまう。
違いますという言葉がなかなか出てこない。
椅子が震えてハッとする。隣の女性が震えておりその振動が伝わっているのだった。見ると額に汗が浮いていた。
(この人には……ここで働く未来がある……私みたいにミーハー気分じゃなくて本気でここに来たいと思ってるんだ……)
そう思った瞬間、私は立ち上がって大きく頭を下げていた。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでしたっ!」
烏丸さんへの謝罪を終えると、あたりを見回しながら
「ほんっとうに失礼しました!!」
まんべんなく頭を下げる。なぜこんなことをしたのかわからない……。
でも震えている女性が倒産を言い渡された時の自分に見えて……つい体が動いてしまった。
ぷっ、と誰かが噴き出し、 さざなみのように客席全体へと広がっていく。
さっきまでの暗く重い空気が一変する。
烏丸さんは何か珍獣を見るような目に変わっていた。
(やってしまった……)
私の背中に冷たい汗が流れ落ちる。
昔から「天然」と呼ばれる私。
わけもわからず笑われがちなのはいつものことだ。
全くの無自覚なだけに、恥ずかしくてたまらない。
「失礼しました……」
背中を丸めて席につく。
「君、名前は?」
烏丸さんがなぜか興味津々な目で尋ねてきた。
「私ですか!!!?」
緊張のあまり場違いな大声をあげてしまった。またクスクス笑いが起きる。
「ああ。君の名前だ」
烏丸さんは魔王の目で私を見る。
「倉田ひかりです……」
蚊の泣くような声でそう答えた。まさかの叱責?!
どうしよう。隣の女性はきっとハラハラしているだろう。彼女のためにもやめてほしい。
「白いワンピースにウェーブヘア。就職説明会に来るには珍しいファッションだな。目立ってた」
め、め、目立ってた????
これはTPOにあってないというご注意でしょうか?
早口で言い訳をする私。
「この間までピアノ講師をしてまして……カルチャースクールではテンプレなスタイルと言いますか……あ、教室が倒産して今はニートなんですけど」
いけない。緊張しすぎて無駄なことを口走ってしまった。
相変わらず私は周囲の注目を浴びている。
無実だけどスマホの電源でやらかしているし、今も烏丸さんに絡まれているし、当然ではあるが苦しかった。
とっとと本題に戻って、と切に願うも、烏山さんは解放してくれなかった。
「ピアノか!」
興味深げにこう続ける。
「幼い頃、1週間だけピアノ教室に通ったことがある。右手と左手がバラバラで意味がわからない。俺にとって唯一の挫折だ。あれを極めるなんて君はよっぽど粘り強いんだな」
「いえいえいえいえいえ、とんでもございません!」
いきなり意味もなく褒められ、私は何の罠なのかと震えあがる。やらかしの後なので余計に不安だ。
「ただ好きだから続いただけでして。音大も出ていないのに、学生時代にバイトしてそのまんま……就職活動もしていない甘ちゃんです」
「ほう。バイトの拾い上げか。生徒からの人気ががないと難しいだろうな」
「いえ、ごくごく普通です……」
衆人環視の中、採用を決めると名言しているCEOと雑談できるほど、私は図太くない。
(これ以上掘り下げないでください……何も出てきませんから……)
私はすがるような目で訴えた。
しかしテレパシーは通じなかった。
「今から未来の話をしよう。君がもし採用されたら弊社にどんな変革を起こす?」
変革????
これは一体どういう尋問なんだろう。
「俺は変革者を求めている。ただの作業従事者ではなく周りを変えられる人物だ。君のつかみはなかなか良かった。一斉に注目を集めたからな」
烏丸さんはそう続ける。
さっきの出来事を思い出し冷や汗をかく。あんなので注目を集めたところで意味がない。
ただのやらかし。
笑わせたのではなく笑われたのだ。
「何も起こせません!」
私はキッパリと言い切った。
一秒でもはやくこの会話を打ち切り、次のターンに移るべき。
私みたいなおっちょこちょいではなく、若い新卒の有望株に関心を向けて欲しかった。
だって。時間は有限と烏丸さんに教えてもらったから。
命より大切な誰かの時間を、私なんぞが奪うのは大罪でしょう。
「ん?」
烏丸さんが不思議そうな顔をしているので私はさらにこう続けた。
「私が御社に就職することは100%ありませんから!」
しーん、と。
その場が静まり返る。
「へえ」
烏丸さんの顔から笑顔が消えた。
その感じで、3度目のやらかしだとはっきりわかった。
多分、無自覚なノンデリカシーを発動してしまったのだろう。
他人の感情を読み取りにくいのは、私の大きな欠点だ。
目の前にある形のいい唇から氷のように冷たい声が漏れた。
「なるほど、君は馬鹿なんだな」
馬鹿?
私は驚いて彼の顔をマジマジと見た。
大人になってその単語を耳にしたのは久しぶりだ。
いや、もしかして聞き間違いかも。
だって今の世の中、ある意味その言葉、死語でしょう?
空耳だと言い聞かせている間に、烏丸さんの目は冷ややかなものへ変わっていく。
「ま、ピアノのような無駄の塊に投資できたのは馬鹿だからだろうな」
また、馬鹿という言葉を使われて、頭の中がクラクラする。
(ど、ど、どうしよう。完璧に怒ってる。烏丸さんの逆鱗に触れたみたい。でも地雷、どこだった?)
烏丸さんは私を睨み、まるで蛇に魅入られた蛙の気分になってしまう。
「俺がもっとも大切にしているものは何か知ってるか? 時間だよ。君は今俺の時間を3分以上無駄にした。まあ当然だろうな。君は無駄のプロフェッショナルだから」
烏丸さんは体を起こして、両手を広げ周囲を見回した。
「ピアノなんて、この世で最も無駄な物だ。毎日地味な修練をこなして、プロになれるのはほんのひと握り。大半が趣味前提でマネタイズの余地なし。あんなものに時間を投資するのは、無駄の極みだ」
声に含まれた鋭い刺が、真っ直ぐに私の胸を貫いた。
頭の中がクラクラし、体から力が抜けていく。
おそらくは、ここにいる全員が唖然としている中、彼は朗々とした声でこう続けた。
「君は幼い頃からピアノの練習を続けてきたんだろう。だが、今路頭に迷っている。俺に言わせれば当たり前だ。楽器に費やす時間は無駄でしかないと、俺はわずか4歳の時に気がついたぞ」
(だから……さっさと別な人に……自分なりの気配りだったんですが……)
言い訳したいけれど恐怖に言葉が出てこない。
「しかし、求職中なのに余裕だな。俺ならもっと必死になる。せっかくのチャンスを逃したりしない」
「あ……」
もしかして暗に出ていけと言われている?
さっきの青年はさっさと退場していった。
私ったら空気が読めないにも程がある。
そそくさと立ち上がり早口で言った。
「そうですね……今から転職サイトに登録してきます……っ! アドバイスありがとうございましたっ」
私はぺこりと頭を下げ、彼の横をすり抜けるとドアまでの数メートルを小走りに走った。
「待て」
鋭い声が私を呼び止める。振り向くと烏丸さんが鋭い視線を向けていた。
何か言いたげだったが、すぐにやれやれと言った表情を浮かべる。
「……いや、いい。これも縁だろう」
どこか寂しげなその顔に私はつい見入ってしまう。
しかしそれもすぐに消え……。
「さようなら。無駄のテンプレートさん」
彼はくるりと背中を向け、別な人に話しかけた。
(む、無断のテンプレート!)
うまい、と褒めている場合ではない。
私は顔を赤くしながら一礼すると再び出口ドアに向かう。
ドアを開けた瞬間、夏の熱風が羞恥心と後悔と自己嫌悪で溶けそうになっていた私にねっとりとまとわりついた。