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パーティーに参加して1時間ほどが経過した。
恋人ごっこはおしまいだと言ったはずなのに、あれからもずっと、烏丸さんは表面上の優しさを崩さず周囲の誤解は深まるばかり。
女性からの羨ましそうな視線を感じるたびに心の中で頭を下げた。
(ごめんなさい。違うんです……ほんっとすみません……!)
烏丸さんの素敵さは推しである私が一番知っている。
お近づきになりたいという、乙女の願いも自分が似た立場だっただけに痛いほどわかるのだ。
それだけに、勘違いさせてしまうのが申し訳なくてたまらない。
本当ならあるはずの可能性を、次々に摘み取る悪人のように思えて自己嫌悪が半端ない。
そんな私に気がついたのか、烏丸さんは小声で囁きかけてきた。
「おいこら、さっきから何を死にそうな顔してるんだ」
「えっ。私のことですか?」
「瀕死の鳥を連れ回してるようで気分が萎える。君のは罪を犯してる人間の顔だ」
「ううっ。そ、そんな。せっかくシンデレラにしていただいたのに」
私は両手で顔をはさみこむ。
「恋人ごっこはやめたと言ったろ? ったく、嘘をついてるわけでもないのに……遂行していたら最悪だったな」
どうしよう。
失望されてしまった。
ところが、烏丸さんはむしろ歩み寄ってくれた。
「……まあ、俺が壊れているのかもしれんな。俺は注目されるのに慣れすぎてる。勘違いされるのもしょっちゅうだ。今では大体人の心の動きが読める。どうせ勘違いされるのなら利用させてもらおうと思っただけだよ。昨日の今日、うちに来た女性に頼むものではなかった」
私はマジマジと烏丸さんを見た。
女除けのアイデアは、私からすると論外だが、烏丸さんにはそれなりの理由があったのだろう。
(ちょっと申し訳なかったかな)
さっきから私は自分の事ばかり考えて、彼の都合にフォーカスしなかった。
合わせるのは無理だとしても、うまくかわせば良かったと思う。
「初めての経験で疲れただろう。休んで来い」
そんな中、烏丸さんは私を気遣ってくれて……となると、反省してしまうのが私の性格。本当に情けない。
私の自分軸はどこにあるんだろう。
「すみません。お言葉に甘えます」
とぼとぼと洗面所を探して歩き出した私に、
「慣れないことをさせて悪かったな」
背後から声が投げかけられる。
振りむくと、労うような眼差しと目があった。
落ち込んでいる時に、ふと見せる魔王の優しさ。普段厳しい人だからこそ、ぐっと来てしまった。
洗面所で鏡に向かう。
かなり疲れた顔を覚悟していたのに、鏡の中の私は元気溌剌、ピカピカだった。
改めてドレスを選んでくれた烏丸さんとヘアメイクの朝陽さんに感謝する。
素敵な装いは心と体に元気をくれる。
「よし、もうひと頑張り!」と気合を入れて再び華やかなフロアへと出ていく。
すれ違った誰かが、立ち止まった。
「あれ……? もしかして倉田さん?」
人より少しだけ良い私の耳が、不穏な響きの声をキャッチする。
目線を向け赤いワンピースに同じ色のルージュを引いた、シャープな顔の女性が目に入った。
短大時代のクラスメイト、菊池さんだ。
「やっぱり倉田さんだ」
菊池さんは立ち止まると私の全身を舐めるように見回した。
あざけるような目と話し方は相変わらず。
(面倒な人に会っちゃった)
私は心の中でため息をつきながらも「お久しぶり」と頭を下げる。
彼女はしょっちゅう私に突っかかってくる人だった。
「何その格好……一般人のくせに……浮きまくりじゃない? みっともない」
早速、不躾な問いが投げかけられる。
思わぬ切り口に私は驚く。
「嘘。こんなに素敵なのに?!?!」
菊池さんの表情がサッと変わる。
「私が嫉妬していちゃもんつけてるって言いたいわけ?! 他人を悪者にするのが相変わらず得意ねえ」
私は焦る。そんなつもりは当然ない。
「ナチュラル傲慢と時々言われるから……変なこと言ってたらごめんね。じゃ、私はこれで」
彼女と一緒にいると、いつもモヤモヤしてしまうから、考える前に距離を置くのがベスト。
去ろうとしたが呼び止められた。
「待ってよ。ねえねえ、ピアノ教室倒産したんでしょ?」
「なんで知ってるの?」
私は心底驚いてしまった。
「みんな知ってるわよ。今時ピアノの先生になるなんて、やっぱりバカな選択だったよね、って笑ってるもの」
みんななんて……きっと嘘だ。きっと菊池さんが、私の動向を調べていたのだろう。
意外にも私の事が結構好き? アンチは一番のファンとも言うし。
しみじみナチュラル傲慢だと自覚する。突っかかってくる相手にすら、多少の好意があるのではと勘繰ってしまうのは昔から。
でないと……彼女の行動が意味不明すぎる。
全くメリットがない気がして。
「私、ピアノの先生なんてやめときなさいって言ったよね? 人の意見を聞かないからそんな目に遭うのよ。自業自得だわ」
菊池さんはウキウキした口ぶりで言う。
(ああ、やっぱり面倒だなあ)
彼女からアドバイスを受けた記憶は一切ない。
でも……覚えてないだけで、あったのかも。お互いろくに覚えてもいない過去を紐解くのは無意味だ。
私はまっすぐ彼女に向き合った。
「私、自分の選択を後悔してないの。そんなの、無駄な事だから。確かに残念な結果になったけど得るものはあったわ」
そう。
例えば今、烏丸さんという最推しのそばにいられて、人生の勉強ができているのも、教室が倒産したからだ。
自分の運命を嘆いた事、会社説明会でバカなやらかしをした事、それで目立ってしまった事……。
それらの偶然が私を彼に結びつけた。
「それに、今、たとえ路頭に迷っていたとしても、それはそれでいい経験よ。苦境から這い上がる間に学ぶ事は多いと思うわ」
この辺りは、烏丸YouTubeからの受け売りで、実際の私はそこまでの苦労なんてしていないと思う。
むしろトントン拍子に就職が決まった。
でも、そうじゃなかったとしても、過去を憂いても仕方ない。
誰がなんと言おうと、私は選んだ選択を悔やんだりしないと決めたのだ。
ナメクジみたいにグダグダうねうねと悩みまくった1ヶ月を経験して得た教訓である。
悩むのは無駄。ほんの一歩でも前に進むべき、と。
「せっかく忠告してあげてるのに、また蹴るのね。あなたっていつもそう。自分が全部正しいって思ってるでしょ」
菊池さんの目がつり上がる。
「そんな事ないわ」
「どっちにしても勝ったのは私。あなたは負け犬って事、自覚しなさい。あなたに残された道は婚活でもして養ってくれる男を探すくらい……あ」
菊池さんはふふっと笑った。
「なーるほど、そのファッション、そういうこと? 立ち直り早いじゃない。さすがは自称ポジティブさんね。邪魔はしないから存分に狩ってきなさいな」
彼女が去った後、私はほうっと息を整えた。
なんと緊張感のある数分だったろう。
世間知らずなところのある私だから、知らずに迷惑をかけているのかもしれないが、理由がよくわからないから、距離を取るくらいしか対応できない。
それに肌感覚では、向こう側から距離を縮めてくる印象なのだ。
(学生時代は辛かったなあ……ピアノの先生時代は天国だった)
そんな事を思いながら歩き出す。
と、誰かの胸に頭をぶつけてしまった。
「す、すみません」
慌てて顔を上げると、烏丸さんが仁王立ちになっていた。
「烏丸さん! いつからそこに……?」
「少し前から」
「じゃあ」
「ああ。話ならあらかた聞いた」
そして烏丸さんは語気を強めた。
「おいこら、この無駄のテンプレート。何だあのざまは」
「えっ?」
私は両目を見開いた。
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