第1話 俺と魔法とワイバーン
「ど、どうなってんだ一体……?」
俺はその場に膝をつき、乱れる呼吸を整えようと、必死に胸を押さえた。心臓は胸郭を打ち続け、脳裏に浮かぶ現実をどうにか組み立てようとするが、まるでパズルのピースが噛み合わない。目の前で広がる光景が、いまだに現実感を伴わないままだ。
いつものように学校から帰り、ゲームの世界に没頭していたはずだった。だが、ゲームを終え、ふとホーム画面を見たとき、見覚えのないファイルが表示されていた。好奇心に突き動かされ、そのファイルをクリックした瞬間───、
「ここにいたんだよなぁ……」
言葉に出しても、返答は得られない。夢と現実の境界が曖昧で、目の前のすべてが崩れ去っていく感覚に包まれていた。瞬間移動か?異世界?それとも死後の世界か?思考は幾つもの可能性を探るが、どれも確信には至らない。
「……とりあえず、動くか……」
そう考えた刹那、大地が揺れた。草原に響く低く重い咆哮が、空気を震わせ、遠くまで轟いた。
「う、うわっ!なんだ!?」
反射的に振り向くと、そこには巨大な赤いドラゴンがそびえ立っていた――いや、あれは「ワイバーン」だろうか。何にせよ、その存在感は圧倒的で、常識の枠を軽々と飛び越えていた。
「な、な……な……」
喉に詰まった声を無理に出そうとするが、身体はすでに硬直していた。鋭い爪、広げられた巨大な翼、そして燃えるような赤い鱗。その獰猛な眼光が俺を射抜き、足元から力が抜けていくのを感じた。膝が震え、ついには尻もちをつく。これが現実だと言えるか?あり得ない。だが、五感は異様なまでに研ぎ澄まされ、皮膚に冷や汗がまとわりつく感触が、あまりにも生々しい。
「……ん?な、なんだあれは……?」
ワイバーンの頭上に目を向けると、そこには見覚えのある表示が浮かんでいた。「【ワイバーン:Lv.78】」───ゲームで見慣れたHPバーのような表示だ。だが、こんな世界が現実にあるはずがない。俺はゲームの中に迷い込んだのか?混乱は増すばかりだ。
ワイバーンは再び咆哮を上げた。まるで世界そのものを震わせるような轟音に、俺は耳を覆いたくなった。咆哮のあと、ゆっくりとその視線が俺に向けられる。まるで餌を見定める捕食者の瞳。獰猛な殺意が、肌を貫くように伝わってきた。
「あ、ああ……来るな……来るなよ……」
言葉は虚しく、ワイバーンはじわじわとこちらに迫ってくる。心臓が喉元で跳ね上がり、恐怖が喉を締め付けた。呼吸が浅くなり、思考は完全に麻痺する。足が動かない。立ち上がれない。目の前の死が、濃密に感じられた。
「い、いやだ……死にたくない……」
俺は反射的に両手を前に突き出した。ストップのジェスチャーを取ったところで、何の意味もないことは分かっていた。それでも、恐怖が理性を上回り、思わず身体が動いてしまう。ワイバーンは止まることなく接近し、迫りくる死の影はますます濃くなっていく。
【メニュー・オープン】
突然、視界に浮かび上がったのは、見慣れぬメニュー画面だった。まるでゲームのUIのように「RPG」「ファイター」といった二つのモード選択が並んでいる。
「うわ!?な、なんだこれ!?」
ここから選択しろというのか?半ば無意識のうちに「RPG」の項目をタッチすると、続いて「魔法」というコマンドが現れ、「ファイア」「サンダー」「ウォーター」といったお馴染みの魔法の選択肢が表示された。恐る恐る「ファイア」を選んでみると、俺の右手から突然炎が燃え上がった。
「う、うわぁぁぁっ!?」
パニックに陥り、右手を振り払って炎を消そうとするが、消える気配はない。しかし、驚くべきことに、その炎はまったく熱くなかった。
「あれ?……熱くない……どうすりゃいいんだこれ?」
恐怖の中にも一瞬の冷静が戻り、その炎がただのビジュアルではないことに気づく。メニューに表示されていた「魔法」の意味が、今になってようやく理解できた。これは、使うべき力────。目の前の脅威に対抗するためのものだった。
「と、とにかく……やるしかない!」
覚悟を決め、俺は「ファイア!」と叫びながら、燃え上がる炎の塊をワイバーンに向けて解き放つ。炎は勢い良くワイバーンの体に直撃した。すると、ワイバーンの体力ゲージは瞬時にゼロに達し、轟くような断末魔の声とともに、その巨体はあっさりと地面に崩れ落ちた。
「嘘だろ、一撃で……?や、やったのか……?」
再び目の前にゲームのような表示が浮かび上がる。「【100ポイント獲得】」と書かれている。
「ポイント?なんだそれ?」
俺は倒れたワイバーンに近づき、その冷たくなった巨体を恐る恐る見下ろした。指先で軽くつついてみても、それが死んでいることは明白だった。その信じがたい光景に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「なんなんだよ……これ……」
現実なのか、夢なのか、まるで分からない。この世界はゲームなのか?それにしても、あまりにも現実感が強すぎる。再びメニュー画面に目をやると、まだいくつかの選択肢が残っていた。「パーティー」「装備」「ステータス」「アイテム」。装備の項目には「学生服」と表示され、ステータスを開くと、体力や魔力、攻撃力、防御力の数値が並んでいた。
「アカシ・ミライLv.999?HPが999?魔力が999?攻撃力が999、防御力も999……?」
俺のステータスは、すべてが異常な数値を示していた。この世界ではそれが普通なのか、いや、どう考えてもおかしい。
「なぁキミ、今、ワイバーンを倒したね?」
背後から、突然女性の声が響いた。
俺は驚き、思わず振り返る。
「あのワイバーンを、一撃で……」
そこには、見慣れない服装をした女性が、じっとこちらを見つめていた。