我慢我慢
五日前の夕食の事件を理由に、ノーバート公爵家での食事は改善された。ように見えるのは離れた席で食べるクレオンだけで実際は腐った食材を使われなくなっただけ。固くなるまで焼かれた肉、ドレッシングもないサラダ、味がするのかしないのか微妙な具無しのスープ等。腐っていないだけマシか、と吐きたい溜め息を我慢し、クレオンが気付かないのを良い事に使用人達は粗末な食事を食べるレインリリーをこっそりと嘲笑う。
ジルには一応他の使用人と同じ食事を与えていると聞いて安堵した。自分はどうにでもなってもジルは普通の人間。食事を疎かにしては何時か体に限界がくる。
今日でノーバート公爵家に嫁いで五日目。する事といえば何もない。クレオンは宣言通り、レインリリーをお飾りの公爵夫人としている。
美味しくもない食事を完食し、早々に席を立とうするレインリリーは呼び止められた。
「明日、ノーバート家と懇意にしている商人を呼ぶ。買い物は許すが限度は考えろ」
「分かりました」
遂に待っていた大商人の来訪が来た。大商人が来るのをずっと待っていた。
冷たく言い放ったクレオンに会釈をし、食堂を出る間際ニヤニヤと嗤う使用人達の側で足を止めた。クレオンへ振り向き、明日の朝食は席を近くして食べたいと笑顔で申した。
「毎日素晴らしいお食事を頂けるので是非クレオン様に食事の場でお礼を申したいのです」
明らかに顔色を変え、慌てだした使用人達に気付いていないのか、鼻で嗤ったクレオンに却下をされた。分かり切っていたがこの男はレインリリーにならどんな態度を取っても良いと思っている節がある。クレオンが受け入れなかった事に大層安堵した使用人達をじっと見、目が合うと含みのある笑みを向ければ今度は違う意味で顔色を変えた。
後の用事はなく、背後から何やら声が届くも関係のないレインリリーは客室へと戻った。
部屋にはジルがいた。手に箒と雑巾があるのを見ると掃除をしていたのだと分かる。一応付いている世話係はどうしたと頭を抱えたくなった。
「庭師の貴方にこんな事をさせて悪いわね……」
「気にしないでください。お嬢様が少しでも快適に過ごせるお手伝いが出来ているなら嬉しいです」
「私が魔女だと知ってもお嬢様と呼ぶのね」
「俺にとってはレインリリーお嬢様で変わりありませんから」
ジルが接する態度が魔女と知っても何も変わらないのはとても有難く、何が何でも彼だけは守らねばと意思を固くする。
「明日、ノーバート公爵家お抱えの大商人が来るの。私がのこのこと嫁いで来たのは大商人が持つ豊富な品揃えが目的よ」
「鏡を探しているのですよね?」
「ええ」
何度か買い物と称してジルは実家に戻り、常連の商人達に変わった鏡の話を聞くもどれもレインリリーの希望に沿った鏡の情報はなかった。
何度も申し訳なさそうにするジルに気にしないでと首を振った。
「明日は大事な日よ。買い物をする時はジルも同席してちょうだい。欲しい物があったら遠慮なく言ってね」
「俺が欲しい物なんて街に行けば買えますよ。それよりもお嬢様の探し物が優先です。俺もお手伝いします」
「ありがとう」
鏡を見つけ、ノーバート公爵家を出て行く時、ジルに何かお礼をしたい。
人の好い青年へ祝福を授けよう。
彼が死ぬまで幸福となる飛び切りの祝福にしなければメデイアとしての自分の気が済まない。
――翌日、大きな馬車を何台も引き連れたノーバート公爵家お抱えの大商人がやって来た。名をマーサ。名前からして女性かと思ったが男性だった。玄関ホールでクレオンと共に迎えた。
人の良さそうな笑みを浮かべ、下げていた頭を上げたマーサと目が合った時内心小首を傾げた。
どこかで見た事のある顔だ……と思ったのも束の間、脳内に直接声が届けられた。
『おお~! やっと見つけたぞ!』
この声は……
ハッとなったレインリリーがマーサを凝視した。
魔法で大変上手く化けているがマーサの正体は親友のアーラスだった。
レインリリーが自分に気付いたと知ったマーサは再び脳内に語り掛けた。
『どうじゃ? わしの人間姿は』
『吃驚したわ。何時から?』
『かなり前からじゃよ。商人の振りをして世界を歩くのが楽しくなっての』
『まあ、お陰で手間が省けたわ』
『わしもじゃ』
レインリリーとしての姿を捨てる日は今日になるだろう。
「旦那様にこんな美しい奥方様がいらっしゃったとは。何時、ご結婚を?」
「していない。今後もする予定はない」
「え」
面食らうマーサから滑るようにレインリリーを見やったクレオンの瞳は冷たく蔑む感情が含まれていて、脳内に直接アーラスが語り掛けてきた言葉に辟易として肯定した。脳内ではアーラスとして会話しながら、表はマーサの皮を脱がず新妻に対する態度ではないクレオンに思うところはありつつも、今日の目玉商品を紹介させてほしいと早速邸内に荷物を運ばせた。
続々と商品がサロンへ運ばれていく。そこから、マーサがとっておきの商品をクレオンやレインリリーに紹介するのだ。
サロンに一通りの商品を運び終えた段階で一行は場所を変えた。サロンに並べられた商品はどれも最高級の宝石から衣類、家具、中には貴重な触媒で造られた魔法道具もある。
クレオンが今日の一押しをマーサから聞いている間にレインリリーは目当ての鏡を早速見つけた。マーサ扮するアーラスと再会したので既に鏡の必要性はないものの、ずっと変わった鏡を欲していたレインリリーが黄金に縁取られた珍しい鏡を見て興味を示さない訳にはいかない。
「見てジル! 私、こういう派手な鏡が欲しかったの!」
ジルもレインリリーに会話を合わせた。
「お嬢様にお似合いですよ」
「ありがとう」
年単位の覚悟をしていたのに早々とアーラスと出会えたのは奇跡に近い。小声で今日ノーバート家を出て行くと告げるとジルは小さく頷いた。問題はどう出て行くかだが、特段思い入れもなければ彼等にどう思われようがどうでもいいレインリリーは何も告げず、そのまま消える事にした。
従者と二人で珍しい鏡を見つけて喜ぶレインリリーを嘲る様に見つめるクレオン。側にいるマーサは「旦那様」と意識を変えさせた。
「奥様が気になって仕方のないご様子ですね」
「気になる? 馬鹿を言うな。お前は平民で社交界を知らないからあの女の本性を知らないんだ」
「本性?」
「どうせ、あの従者はあの女のお気に入りだろう。顔の良い男なら誰にでも体を許すふしだらで、平民上がりの後妻や異母妹を虐げる『悪女』だ。気を許すなよ」
「はあ……」
人間に転生した親友へのあんまりな言われように気のない返事をするも、内心は腹を抱えて転げ回りたい衝動に駆られた。
「旦那様はてっきり、初恋の君と結婚するものだとばかり思っていました」
「あの女とは祖父の遺言に従って結婚しただけだ。結婚と言っても書類にサインさせただけだ。挙式はない」
「女性にとって花嫁衣装は夢では?」
「だからなんだ? 公爵夫人として最低限は扱ってやっているんだ。碌な嫁ぎ先がないレインリリーを仮でも妻として娶った僕の寛大さに感謝してほしいな」
「然様ですか」
我慢我慢、と内心何十何百唱えるアーラスはにやけてしまいそうになる顔を必死で抑えていた。クレオンの初恋の君がレインリリーの前世メデイアと知っている。特徴を聞いてすぐにメデイアだと知れた。メデイアからしたら、偶々落ちていたボロボロの子供を拾って、世話をして、元気になったから家に帰したくらいの気持ちしかない。か弱い生き物が好きで人間の子供だけじゃなく、動物だってよく拾っては育て、天寿を全うした動物達を丁寧に埋葬して墓を建てていた。最後に世話をしていたのは一見すると狸に見えるふくよかな猫。怪我をして動けないところをメデイアが見つけ、甲斐甲斐しく世話をした。猫にしてはかなりの長生きだった。確か二十二年は生きていたと記憶している。
こういった人間が真実を知る時の反応は皆同じだが、果たしてクレオンはどんな反応をするのか。
アーラスは楽しみで仕方ないと商人の皮をかぶり続ける。