食事
前世魔女だった時は、友人の結婚式や仲良くなった人間の結婚式によく参列した。稀に相手はいないのかと酒の席で揶揄われるも、一人でいたり親友と馬鹿をした方が楽しかったので永遠に誰かと過ごしたいと思う気持ちはなかった。人間になった今も、である。最愛の母は亡くなり、残ったのは自分を忌み嫌う唯一の肉親とそれに追随する女二人。噂を鵜呑みにし、碌に調べず自分を嫌う婚約者の男。人間の世界に未練はない。亡き母が眠る墓には、既に別人の遺骨を入れ本物はレインリリーが回収している。
政略結婚の妻だからと、母の生家が墓は此方で作ると言ったのに父は認めず、クリスティ領の隅に母の墓を建てた。が、墓参りは一度もなく、手入れもされていないから今頃荒れ放題。定期的に掃除をしていると母の生家には偽りの報告をしている。バレようがバレまいがレインリリーにはどうでもいい。
ノーバート公爵家への嫁入りは五日後。必要な荷物は全て鞄一つに纏まった。母から贈られたドレスや装飾品はほぼニコルが持って行ってしまったものの、本当に大事な物は魔法できちんと保管しており、決して他人の手には触れない。
その後は、どうせ戻って来る事はないのだからと不要な物を全て処分した。鞄もニコルが荒らさないよう空間に収納。部屋に残ったのは質素なベッドに丸テーブル、椅子、本一冊のみ。
「伯爵家の令嬢の部屋とは、とても思えないわね」
生活する上で必要最低限の家具しかない部屋なのは母が亡くなるとニコル主導で全て奪われたか、捨てられたかのどちらか。家具に思い入れは無かったのでどうこうしなかった。
世話をする侍女も使用人もおらず、何でも一人でやっていたレインリリー。時折、食事を抜かれるも外へ出て食堂で食べていた。金を入手する方法等幾らでもあり、連中に気付かれず外へ出る等簡単過ぎる。
窓に近付いて外を見下ろし、見知った後姿を見つけたレインリリーは部屋を出て庭に向かった。花壇の前にしゃがみ、熱心に土を弄る男性を「ジル」と呼んだ。
「レインリリーお嬢様」
「精が出るわね。何をしているの?」
「土の健康状態を確認していました」
彼はジル。クリスティ家に庭師として働く青年だ。母が生きていた頃からの庭師で、彼も最初は解雇される予定だったが、先代伯爵の時代から仕える家令が止めたのだ。先代庭師が太鼓判を押す優秀な庭師だからと。他にも数人家令のお陰で解雇を免れた者はいる。
その者達だけがレインリリーに親切にしてくれる。但し、表面上は無関心を装う。親身になって目を付けられたら解雇されてしまうから。
グレイの髪を耳に掛け、熱心に土の健康状態を確認するジルの横にしゃがんだ。
「どうかしら?」
「肥料を調整して与えていたので良い土になりました」
「貴方が育てる花をまた見たかったわ」
「お嬢様が婚約者に嫁入りすると聞きました」
「ええ、準備期間が五日しかない結婚よ」
「えっ」
顔を引き攣らせ、ドン引きしているジルに苦笑する。長い期間を使って準備するものをたったの五日でしないといけないのだ。誰であろうと同じ反応をした。
「ジルの花を見られないのは残念ね」
「だったら、ノーバート公爵家へ毎日お嬢様へ花を贈ります」
「駄目よ。私を気に掛けたら、ジルは解雇されてしまうわ」
「でも」
「私は大丈夫。クレオン様はとても優しい方なの。きっと幸せになるから」
実際にはとても嫌われているが……。嫌われていようがレインリリーも彼を好きになる予定は月と蟻がひっくり返るないくらいに有り得ない。
「お嬢様……」
心配げに名前を呼ぶジルにまた苦笑しながらも、彼の気遣いに感謝した。
「さて、そろそろ行くわ。長居して誰かに見られたらジルに迷惑が掛かるから」
「迷惑だなんて、俺は思いません」
「ジルがそうでも周りは絶好の獲物を見つけたとばかりに、必ず利用する。そういう人間しかいないのがクリスティ伯爵家よ」
じゃあね、とジルと別れたレインリリーは邸内に戻った。
立ち上がり、レインリリーに頭を下げたジルはたった一人でも凛と歩き続けるレインリリーの後姿が見えなくなるまで見送った。
「お嬢様……」
次に紡がれた声色には、隠せない切なさが滲んでいた。
自室に戻ろうとしたが夕食の時刻になっていたようで、家令がレインリリーを呼びに部屋の前へ来ていた。表面上はお互い無関心を装う。そっと差し出された紙切れを素早く受け取り、食堂へ先導する家令の後ろを歩いた。紙切れには『嫁入りするにあたって必要な物があれば秘密裏に用意します』と書かれていた。家令の気持ちは有難いが何もない。大事な物は鞄に詰めた。後でこっそりと家令に返事を渡そう。
食堂に着くと各々の席に父と後妻と異母妹が座っていた。
レインリリーの席はニコルの隣。レインリリーが座ると食事が始まった。
仲良く家族三人の団欒を見せ付けられながらの食事は観劇を見ているようだ。理想の仲睦まじい三人家族を観客であるレインリリーは眺めるのだ。
抱く感想としてはどこの世界にもいそうな三人の家族、である。
レインリリーもクリスティ伯爵家の令嬢なのだが彼等にとってレインリリーは虐げても何ら問題のない娘。自分達の気分次第でどうこうしてもいい便利な女。レインリリーが前世メデイアという大魔女ではなく、ただのレインリリーだったら悲惨な境遇にいただろう。
つくづく、転生した先が不運なのか前世メデイアなのが幸運なのかイマイチ不明だ。
「クレオン様って格好いいしお優しいし、お姉様みたいなどんな殿方とも仲良くするはしたない女性と結婚するなんて勿体ない話ですわ」
いつの間にか、話題がニコルやエヴァが勝手に流した悪女で男癖の悪いレインリリーの偽りの噂へと変わっていた。
「ええ、ええ。どこの誰と遊んでいるか知りませんがクリスティ伯爵令嬢として、もっと清らかでいてほしいもの」
エヴァとニコルの言葉に続ける。父親も同じ。
面倒臭いので何も言わず、人の悪口を肴にする観劇を眺める観客に徹する。
五日後の嫁入りはレインリリーのとある願いの為にも嬉しいが、多分ノーバート公爵家での生活も此処とあまり変わらない気がする。向こうの使用人達がレインリリーの話をどう聞かされているか不明だが、絶対に良い印象は持たれない。
サラダの最後の一口を食べ終えるとナプキンで口元を拭った。
「おい! 聞いているのかレインリリー!」
エヴァとニコル達が何を言っても反応せず、黙々と食事を進めるのが父親は気に入らなかったらしく、怒鳴り声を上げた。面倒臭そうに見やると額に血管が浮かんでいた。
「なんだその目は」
「いいえ。私をふしだらだの、はしたないだのと言うくせに、妻のいる男と平然と浮気をするどこかの女性はふしだらではしたなくはないのかと思って」
「な!!」
どこかの女性とは言わずもがなエヴァの事で。屈辱と怒気で顔を赤く染める父親は席から立ち上がり、大股でレインリリーの前に来ると大きく手を振り上げた。
「うあああああああ!!」
素直に叩かれるつもりは毛頭なく、無詠唱で魔法を使用。振り上げた父親の腕が有り得ない方向に折れ曲がった。悲鳴を上げるエヴァとニコル、使用人達に混ざってレインリリーも悲鳴を上げた。
「きゃあああああ! お父様の腕が! 怖いわ、お父様には得体の知れないナニカが憑いているのだわ! 怖い!!」
「ま、待てっ」
「嫌あああああ! 近寄らないで!!」
耳を塞ぎたくなる音を腕から発せられ絶叫を上げる父は、距離を取るレインリリーに迫るも、悲鳴を上げレインリリーが逃げると更に骨の砕ける音が増した。絶えない絶叫と悲鳴が食堂から響く。家令が急ぎ駆け付けると医者の手配を言い付けた後、私室に帰り椅子に座ったレインリリーは噴き出した。
「はは……アーラスが見たら下手くそと罵られる演技だったわ」
愚かな人間はあんな大根演技でも騙されてくれるから助かる。レインリリーの部屋は食堂から遠い。それでも騒ぎの煩さは届く。
「執務が出来るように利き腕を潰さなかったのを感謝してもらいたいわね」
父親の事だ、腕の粉砕骨折をレインリリーのせいだと医者に言いそうだが信じはしない。生まれた時の洗礼で魔女の可能性はゼロと判定されている。赤ん坊の頃から既に自我があった為、人間が生まれて半年後教会で魔力持ちではないかと調べる洗礼の存在を知っていた。バレないよう魔力を隠したのが幸いし、誰もレインリリーが魔法を使えると知らない。
五日後の嫁入りまでクリスティ伯爵家は静かになるのを願おう。