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嫁入り



 レインリリー=クリスティ。


 亜麻色の真っ直ぐな髪と藤色の瞳の女が姿見に映る。菫色のドレスは亡き母がレインリリーの為に残してくれた数少ない遺品。価値ある宝石や他のドレスは一年前やって来た異母妹に持って行かれた。


 前世メデイアは親友のアーラスが仕掛けた渾身のドッキリにより、展開した転生魔法をうっかり自分の足元に発動させてしまい、必要無かったのに人間に転生してしまった。次に目覚めた時、メデイアが見たのはベビーベッドに眠る自分を慈愛に満ちた青い瞳で見つめてくる優しそうな女性だった。


 何気なく伸ばした自分の手が随分と可愛らしい椛だったのがビックリだった。自分をレインリリーと呼ぶ女性はきっと母親なのだ。


 ——お母さん、か


 遠い昔にとっくに亡くなってしまったメデイアの母は大雑把で魔女としては致命的なまでに片付けが出来ない人だった。だがとても愛情深い人だった。子供の頃は何をしても駄目なメデイアを見捨てず、沢山の愛情を注いでくれた。メデイアが三百を超えると眠るように亡くなった。母のお墓に最後に行ったのは半世紀も前。こんな事になるのなら墓参りへ行くべきだった。と後悔。

 レインリリーとなったメデイアの新しい母は儚くも優し気な人だ。名前を呼ぶ声には多分の愛情が含まれている。


『あら』


 母の手を握ると破顔され、そっと握り返してくれた。久しく感じていなかった母親の温もりに浸った。


「そろそろ来るね」


 過去の思い出に浸っていたが意識を現実に戻し、姿見から離れ丸椅子に座ったレインリリーは近付く足音に溜め息を吐いた。ノックもなしに扉が開かれた。


「おはようございますお姉様。今日も辛気臭いですわね」


 やって来たのは真っ赤な髪をツインテールにした可憐な美少女。動く度に揺れるツインテールは青いリボンで結ばれており、嘗てレインリリーの母が彼女に贈ったリボンを異母妹が強引に奪い取った。形ある物はいずれ消える。どの様な理由にせよ。


「おはようニコル。マナーの欠片もない登場ありがとう」

「っ」


 前妻である母が亡くなるまで平民として暮らしていたニコルがクリスティ家に引き取られたのは一年前。それまで貴族の世界と無縁だったニコルがクリスティ伯爵令嬢となり、淑女の教育から貴族社会の授業を受けるようになった。自分の名前すら書けなかったニコルは呑み込みが早い方だったらしく、半年で日常生活に必要な文字の読み書きや数字の計算、ある程度のマナーを覚えた。

 が、父に黒虫の如く嫌われる異母姉には何をしてもいいという認識であるせいか、折角身に着けたマナーが台無しとなる。部屋に来る時は必ずノックをし、了解を得てから入れと何十回も口にしてきたが守られた事はない。

 何を言おうがしようが全てニコルが都合よく話を捏造し、悪者になったレインリリーは父や後妻、周囲からニコルを虐げる異母姉として糾弾される。


「ひ、酷いわお姉様っ、お姉様がもうすぐお屋敷を離れるからって聞いてわたくし寂しくてっ」

「ニコルお嬢様!」


 大粒の涙をいくつも流し、大きな泣き声でレインリリーの仕打ちを叫ぶニコルの声を聞き付け、彼女の専属侍女が駆け付けた。レインリリーにはいない。母が亡くなったと同時に、母やレインリリーと親しい者達は皆解雇された。専属侍女もいたが彼女も同様に解雇された。

 風の便りで彼女が実家に戻り、家の手伝いをしていると知った。既に婚約しているとも聞いた。噂を聞いた振りをしてお祝いを届けたいがまだまだ機会はある、焦らず、ゆっくり、最高の祝い品はないかと探そう。

 泣くニコルを抱き締め、親の仇かと言いたくなる眼光で睨んでくる侍女……名前はクララ。椅子から降りたレインリリーは二人に近付いた。大袈裟に身を縮こませるニコルとそんなニコルを守ろうと抱き締めるクララ。


 相手をする気もないレインリリーは遠くから自分を呼ぶ怒声に内心辟易しつつ、二人を無視して向かった。

 背後から何か声がするが、うるさいのでそっと詠唱を唱えた。

 声は止まったものの、今度は別の声色が聞こえた。


「クララ!? どうしたの、急に咳き込んだりして!」


 約五分間、止まらない咳を体験してもらおうと地味だが非常に苦しい嫌がらせの魔法を掛けた。人間に転生しても前世の記憶と力を引き継ぐよう魔法陣を展開したのはメデイア本人。そのメデイアが転生したレインリリーは前世と同じ能力を持つ。

 が、亡き母以外に自分が魔女だと話すつもりはない。


 レインリリーは父のいる執務室に入った。

 室内には神経質そうな額の広さが特徴な赤髪の中年男と長い新緑色の髪を耳の下から肩に垂らす若い男性がいた。


「いつまでお客様を待たせる気だ。ノーバート公爵はさっきからずっとお前を待っていたのだぞ」


 風の報せでクレオンが約二十分も前に到着していたのも、呼びに来るよう頼まれたクララがニコルと結託して態と来なかった事も知っている。


「レインリリー」


 そして、自分の前に立ったクレオンにかなり嫌われている事も知っている。嫌そうな顔を隠そうともせず見下ろしてくるクレオンを睨み返した。眉間に皺が寄るもクレオンは特に何も言わず、五日後ノーバート家への嫁入りが決まったと紡いだ。


 貴族の結婚というのはかなりの期間を要した準備が必要だと聞いていたが、レインリリーが婚約者のクレオンに嫁入りすると決まったのは先週。無論準備等何もしていない。その辺りは父親が何かしらの準備だけはしてくれているだろうと、ひよこ豆くらいに期待はしていいのだろうか。

 目の前に立ったクレオンに取り敢えず挨拶だけはした。心の籠っていない棒読みではあるがしなかったら近くにいる父親がうるさい。案の定、麗しいクレオンの眉間には更なる皺が寄った。若い内から皺を寄せていると癖になって治らない、肌にくっきりと皺が残るぞと言いたい。不老でも外見維持にはアーラスと競って力を入れていた。


「遅れた理由を聞いても?」

「さあ、私がクレオン様が来たと知ったのはこの部屋に入ってからなので」

「何故此処に?」

「お父様にお願いがあって来ただけです」

「お前のお願いなど知るか。クレオン様を待たせおって」

「ですから、私がクレオン様が来たと知ったのはこの部屋に入ってからです。誰も報せに来てはいないですよ」


 本当なのにクレオンも父も信じない。父はいい。嫌っている娘の言葉は一から百まで否定しないと気が済まない人だから。クレオンに至っては、ニコルや後妻エヴァが社交界でばら撒く噂をすっかり信じ込んでおりレインリリーを嫌っている。知らないと言ってもクレオンはまるで信じていない。


「何故その様な嘘を? 確かに侍女が君を呼んで来ると言ったのを僕は見た」

「見た、だけでしょう? その後、確実に私の部屋に来ていた場面までは見ていないでしょう?」

「……」


 黙る、という事はそういう事で。婚約者の家だからと、侍女の後を追う者もいないか。


「もういいレインリリー」


 話を無理矢理終わらせたい父は五日後嫁入りする際に必要な書類にサインしろと迫った。

 ほんの一瞬で詠唱を唱え、書類にサインする文字に魔法を込めた。レインリリーが書き終えると書類はクレオンが持って行った。婚姻届けなのは間違いない。相手の欄にクレオンの名前もあった。

 途中、執事が父に呼びに来る。父が退室するとクレオンは「これもと」声を掛けた。

 次に差し出された書類にも名前を書けとクレオンに言われた。それは離縁状。今度はレインリリーが眉間に皺を寄せた。


「これは?」

「見て分からないか?」

「分かっても意味が分からないので。婚姻届けを書いてすぐ離縁状とは?」

「僕は君と本物の夫婦になるつもりはない。君を愛する事はない。決してな」


 有難い台詞だ。

 レインリリーもクレオンを愛する気は全くない。

 この政略結婚は両者の祖父が友人で、生まれた孫が男女だったら絶対に婚約させるという昔ながらの約束で結ばれたもの。とはいえ、レインリリーがクレオンに会ったのはニコルが来て半年後。初めて会った時は今ほど嫌われてはいなかったとは言え、お前を好きになるかという気持ちだけは伝わった。


「白い結婚をするつもりだ。三年経てば離縁する。三年間で身の振り方を考えるんだな」

「離縁されて帰る家もない貴族の娘を支援もなく外に放り出すのですか? 随分冷たいこと」

「ノーバート公爵夫人である間は好きにしてくれて構わない。買い物も好きな物があれば買えばいい。ただ、限度は守れ」

「分かりました」


 レインリリーが大人しくクリスティ家にいるのも、クレオンと婚約したままでいるのもノーバート家お抱えの大商人が目当てだった。


「ただし、愛人は作るな。子供でも孕まれてもかなわん」

「そんなふしだらな真似はしません」


 はっと鼻で嗤われた。


「君は見目が良ければ誰にでも体を許す女だと社交界では評判なのに?」


 大層悪い評判だ。

 どうせ、言い触らしているのはニコルやエヴァ。他に心当たりは、と言われるとクレオンを慕うご令嬢方くらいか。


「とにかく、三年間は公爵夫人として生活出来るんだ。寛大な僕に感謝してほしいくらいだ」


 態とレインリリーの体にぶつかって出て行ったクレオン。よめろき倒れそうになったレインリリーは寸でのところで倒れずに済んだ。


「はあ」


 君を愛する気はない、か。

 レインリリーからも言いたい台詞だ。

 父親が戻る前に部屋を出たレインリリーは、私室に戻り、未だ咳をして蹲っているクララを見つけた。側にニコルはいない。

 レインリリーが戻るまでの光景を目に映した。止まらない咳をするクララを最初は心配していたニコルも、段々病気なのではと気味悪がり逃げて行った。誰かに医者を呼ぶよう手配する娘じゃない。ニコルは丁度鉢合わせたクレオンに頬を赤らめアピールをしている最中だった。

 部屋に入ろうとクララの横を通り過ぎる間際、ドレスの裾を掴まれた。見下ろすと苦し気に咳をし続けるクララに助けを求められた。


 はあ、と溜息を吐いた。


「ニコルと一緒になって散々馬鹿にしていた女に助けを求めるなんて厚顔無恥ね。邪魔よ」


 クララの手を退け部屋に入った。嗚咽混じりに咳を続けるクララの魔法を解くとびっくりするくらい静かとなった。


「はあ」


 三度目の溜め息を吐いたレインリリーは鞄一つに大事な物だけを詰め込んだ。





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