二人逃げることにした
屋敷全体に眠りの魔法をかければ帝国の魔法使いに即見つかる。逃げる間時間は稼ぎたい。となると……と考えながらクレオンをジルと一緒にベッドに寝かせたレインリリーは、クレオンの寝顔をまじまじと眺めた。幼いクレオンとほんの数日暮らした時もこうやって寝顔を眺めた。幼子の寝顔は可愛いとあの時は頭を撫でてやった。今は……今も頭を撫でていた。クレオンの寝顔は幼い時の面影が残っている。本人なのだから似ていて当然で。だが、別人と思ってもおかしくない態度にはやはり笑うしかない。
「そうやって子供の時の公爵様の頭を撫でていたのですか?」
「ええ。一人ぼっちでとても心細そうにしていたから、ついね」
「お嬢様は優しい人です。この屋敷で碌な目に遭っていないのに、公爵様を優しく撫でるんですから」
「クレオン様の子供の頃を知っているから、どうしても見捨てられないのよ」
かと言って、クレオンやノーバート家の使用人達から受けた仕打ちは忘れない。
クレオンの頭を撫でながら、穏便に逃げる方法はないかジルに相談した。こうやって頭を撫でていると幼い頃のように安心しきった寝顔になるクレオンを見ていると手が止められない。
「そうですねえ……あの、魔法が駄目なら薬で眠らせるのは?」
「その薬は何処にあるのかしら?」
「……ですよね」
「ただ、良い方法ではある。問題は薬の入手だけど……」
ふむ、と空いている手で頬を触る。あ、と発したジルは大商人マーサから購入した黄金で縁取られた鏡を持ってきた。
「これって、お嬢様のご友人の魔女から購入した鏡ですよね? これで連絡は取れませんか?」
「そうねえ……」
鏡を受け取り、魔力を当ててみた。反応はなく、これがただの鏡だと証明した。魔法の鏡なら今ので反応してくれるのだ。鏡は使えないと判断し、次に何かないかと二人考えた。魔法使いを気にしないなら今頃逃げている。魔法使いを気にするのは、生まれながらに魔女である存在を神の如く崇拝する傾向があり、一度鉢合わせすると凄まじい執着心を見せる。メデイアだった時は幸運か、魔法使いには遭遇していない。付き合いのある魔女が何処かの国の魔法使いと会い、世界の果てまで追い掛けて来る執着心に戦慄し、体力切れを狙って捕らわれた。その後の魔女の行方はメデイアやアーラスすら不明だ。
「生きているといいけど……」
「絶対にお嬢様を魔法使いに見つけさせないようにします……!」
「ありがとう、ジル」
魔法使いに捕まった魔女の末路を聞いたジルが顔面を蒼白とさせるのは無理もない。話を聞いたメデイアでさえ、絶対に会いたくないと心に誓ったくらいだ。
逃げる方法……逃げる方法……
「仕方ないわね……」
「お嬢様?」
元々、まどろっこしい事は苦手。考えても魔法を使って逃げない以外効率的な方法が浮かばなかった。丁度扉がノックをされた。返事をして扉に近付き、開いた直後訪問者を眠らせた。
訪問者は最初世話係を命じられたアリサで、何をしに来たか知らないが直ぐに眠らせたので知る術はない。アリサを室内に入れ、ジルに目配せをした。意味を悟ったジルは大きく頷き、レインリリーに続いて部屋を出た。
誰かと出会う度に睡眠魔法を掛けて眠らせ、玄関ホールへ到着してそのまま外へ出た。外にも何人かいて、即座に眠らせた。正門へ向かい、門番も眠らせるとジルの手を掴み空へ飛んだ。
夕焼けに染まった空には魔法使いが巡回している恐れがあり、門を飛び越えただけに終わらせた。
「お嬢様、俺の実家に行きましょう。今の姿のままだと目立つので」
「貴方のご家族に迷惑じゃない?」
「大丈夫ですよ、あまり細かい事は気にしませんから」
「そう……? じゃあ、お邪魔するわ」
「ええ」
今度はジルに手を繋がれ彼の実家へと向かう為足を向けた。誰かに……それも異性にこうして手を繋がれたのはとても久しぶりで。迷いない足取りで前を歩くジルの背中を頼もしく思うレインリリーだった。
魔法使いに見つからない少量の魔力で使用する魔法を纏い、姿を隠してジルの実家に辿り着いた。ノーバート公爵家から追手はまだ来ていない。クレオンが眠らされ、レインリリーの姿がないとバレるのは時間の問題。商店の裏口からジルの実家に入った。鍵は裏口で育てている鉢植えの下に隠しているらしく、不用心ではと口にすると「案外、見つからないですよ」と悪戯っ子な笑みで言われるとレインリリーは苦笑した。
突然帰って来た息子が黄金の美を纏った女性を連れて戻ったのを目玉が飛び出るのはと心配するくらいに瞠目する両親に謝罪しつつ、嘘を交えて簡単に事情を説明した。
駆け落ちではないが似たようなものになり、クリスティ伯爵家の庭師を解雇されたジルを自分の従者として連れて行きたいと申し出た。
「ジルの給金はきちんと払います。彼の衣食住も安心してください。ただ、魔女である私の従者になるので実家へ帰せるのは年に一度となってしまいます。ご両親には大変申し訳ありませんが……どうかジーー」
「ジル……お前の仕えていたお嬢様は魔女だったのか?」とジルの父。
「俺も知ったのはつい最近だよ。でも、魔女だろうとお嬢様であるのは変わらない。ノーバート公爵に嫁いだままだとお嬢様は幸せにならないし、俺はお嬢様が心配だから一緒に行くと決めたんだ。父さんや母さん達には絶対迷惑を掛けないから」
両親は驚きながらもジルが決めたのなら止める気はない、ただ、手紙くらいは定期的に送ってくれという事で納得してもらった。ジルの母が着なくなった服を借り、髪を隠す為の布を借り頭に被せた。
「ありがとうございます」
「ジル、お嬢様にしっかりお仕えするのよ。こんな美人なお嬢様に仕えるなんて滅多にないんだから!」
「分かってるって」
魔女と言っても魔法使いよりも凄い魔法使いの認識だけで警戒も怖がられることもなく、ジルを頼まれ必ずと頷いた。
ジルの母が手早く作ったサンドイッチを頂くと二人はまた裏口から外へ出た。空を見上げ魔法使いがいないのを確認し、商店に加護の魔法を掛けた。もしもノーバート家や魔法使いがジルの実家である此処を尋ねても危害を加えられないように。魔法使いなら、掛けられた加護の意に反する行動を取れば攻撃されると即座に見抜いてくれる。のを期待する。
「どうやって移動しますか?」
「魔法使いがいないなら、一気に飛んで行くわ」
差し出した手をジルは握った。気恥ずかしい思いはお互いあれど、クレオンや魔法使いから逃げるのはレインリリーが一気に空を飛んで行くしかない。
浮遊しかけると「あ、お嬢様。クリスティ伯爵家はどうしますか?」と聞かれ、飛ぶのを止めた。
「どうするって?」
「散々、お嬢様を馬鹿にしたんですから、仕返しをしたって罰は当たりません!」
「うーん、興味ないのよあの人達に。お母様の形見や遺骨はちゃんと別の場所に移動させてあるし、大事な物は何一つ残してないの」
「でも」
「ジルは気にするみたいね。そうね……私が何もしなくても勝手に落ちていくわよ」
父の利き腕じゃない方の腕を骨折させた魔法は追加要素があり、二度と骨はくっ付かない。ずっと片腕のまま不便な生活を強いられる。ストレスの溜まった父は何れエヴァやニコルにも当たり散らす。今までストレスの発散場所は母やレインリリーだった、それらがいなくなれば愛する妻や娘へ行くのも時間の問題となる。
「クレオン様がやってくれそうかも」
「公爵様が?」
「私がいなくなったと知ったクレオン様は必ずクリスティ伯爵家に突撃するわ。で、お父様達の私への仕打ちを知って勝手に罰してくれそう」
「そうでしょうか……」
「ええ。クレオン様が私にと義務で送っていた支度金は全部ニコルや後妻の遊びで無くなって、贈り物も全部あの二人が使っているか売り払っているかのどちらかよ」
「今まで公爵様は気付いていなかったのでしょうか? お嬢様に贈った品をお嬢様が使用していない事に」
「レインリリーを嫌っていたクレオン様が気付く筈ないでしょう」
きっと、事実を知ったら横領で二人を訴える。
レインリリーが何もしなくてもクリスティ伯爵家は勝手に落ちていき、クレオンは探していた初恋の魔女に二度と会えなくなり一人悲しみを背負って生きていく。彼が他に好きな女性が出来るなら、今度こそはどんな噂があろうとそれが真実か確かめ大切にしてほしい。
ジルの手を握り空に飛ぶ。
振り返らず、真っ直ぐ目的地へ急ぐレインリリーを――メデイアを――見つめ続けるジルであった。