土蔵と祠堂と切り株
錦鯉の池を過ぎると、そこに雰囲気の漂う、立派な蔵が建っている。正面の扉には、錆色の大きな錠前がつけてあり、残念ながら中へは入れそうにない。
「うーん、推理ドラマとかミステリー小説だったら、こういう蔵で、よく事件が起こるのだけどねえ~」
「いや、僕の家の敷地で、そうそう事件が起こって貰っては困るよ」
「それもそうね。ごめんなさい、光男さん」
「あ、別にいいよ」
オチャコは、蔵の周囲を観察した。趣がある漆喰の壁で、見るからに、建ってから二百年くらい過ぎていそうな、まさに「江戸時代から残っている土蔵」のように感じられるのだった。
「ねえ光男さん、この小路、まだ続いているみたいだけど?」
オチャコは、蔵を正面から見て左側に、雑草が生い茂っているけれど、辛うじて人の横幅くらいある、いわゆる「けもの道」になっている。
「うん、そうだけど、この先は、行き止まりになっているのだよ」
「なにもないの?」
「小さい祠堂と、木の切り株が一つあるけれど」
「行ってみよう!」
「辺りは雑草ばかりで、殺伐としているよ?」
「オーライ! だって隅々まで調べるのが探索だもの」
「よし、分かった」
こうして三人は、より狭くなった小路を進む。その先には、明智くんが話した通りの光景があった。いかにもマムシが出そうである。
「この祠堂と周りは、なかなかに綺麗だわねえ」
「ここには月に一度、お父さんが掃除をしにくるからね。僕も手伝えるなら、一緒にやってきて、草むしりとかしているのだよ」
「へえ~、光男さん、偉いわ!」
「遠いご先祖を祀ってあるのだから、当然のことだよ」
「それでも偉いと思うわ」
心の底から感心しているオチャコである。たとい自宅の敷地に、浅井家のご先祖さまを祀っている、なにかがあったとしても、自分なら、そこまではしないだろうから。
「この木なんの木?」
「これも桜だよ」
オチャコが指差した切り株に向かって、明智くんが答えてくれた。
「どうして伐られたのかしら?」
「そのことについては、なにも伝わっていないね」
「この下に人が埋まっているとか?」
「え、オチャコ、そんな怖いこと言わないで!」
トシヨンが心細い声で訴え掛けた。
その一方で、明智くんは平然と話す。
「定番のネタだね。最初に書いた作品は知っているかな?」
「梶井基次郎の《桜の樹の下には》でしょ」
「あ、よく知っているね」
「うん。あたし、その手の小説は、たいてい読んだもの」
得意気な顔をして答えるオチャコである。その作品は、ミステリー小説ではないけれど、たまたま読んだから、知っていただけなのに。
突如、トシヨンが短く声を発する。
「きゃっ!」
「え、どしたの!?」
「ほら、あそこに」
「あ!」
トシヨンの震える指の示す先に、蛇の頭が見える。同じ場所に留まり、こちらの様子を窺うかのように目を光らせている。閉じた口からは、細長い舌をチロチロと出し入れするのだった。
この突発的な事態に際して、明智くんが低く冷静な声で話す。
「あれはアオダイショウだ。刺激を与えないように、そっと退散しよう」
「そうね」
「うん」
オチャコたちは、通ってきた一本道を引き返す。