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 都会の家電量販店は大きかった。

 史郎は上京する前にいくつかの店をネットで調べたことがあったから、見上げるほどのビルがまるごとひとつの店舗だと知ってはいた。知ってはいたけれど、実際に目にするとその迫力に圧倒されてしまう。

「でかい……」

「史郎もはじめて来るとこ?」

 王子に聞かれて史郎はこくこくと何度も頷く。

「ネットで見たことはあるけど、来るのははじめて」

「上江のはじめてをいっしょに体験できるなんて……!」

「楓花ちゃん、俺もいるからね?」

 王子のことばは宙を向いて神に感謝をささげている猿渡には届かない。肩をすくめた王子は史郎を連れてさっさと店内に足を踏み入れた。

 店舗の大きさにくわえて駅から近いこともあるのだろう、多くの客が行き来するなか恐る恐る入店した史郎はさっそく驚く。

「七階建て! え、地下まである……!」

 史郎の肩越しに案内図に目をやった王子は「ほんとだ、広いね~」と動じることなく目的のフロアを見つけて「エスカレーターとエレベーター、どっちがいいかな」などと歩き出した。

 背中を押されるままに歩く史郎は、はじめて目にする店のにぎわいに目を奪われる。一階はスマートフォンや周辺機器などが並んでいるようで、史郎も持っている物のはずなのに広い店内で美しくディスプレイされると別物のように輝いて見えた。

 史郎の部屋の壁ほどもありそうなテレビ、学校のグラウンドで使うより大きいだろうオーディオ機材、史郎には到底使い道のわからない謎の機器もあれこれあって、移動するたびに史郎の目が輝く。

「あれは美顔器だねー。顔をマッサージしたり毛穴の汚れを落としたりするの」

「その隣の黒い、面頬みたいなのは?」

「めん、ぽう? えっと、鼻から顎にかけて覆う黒いマスクみたいなやつ? あれも美顔器の一種だと思うけど、口元の筋肉をシェイプアップするやつだったはず」

「すごい……なんか、わからないけどすごいな……」

 美容コーナーで史郎にわかるものは、ドライヤーとヘアアイロンくらい。ヘアアイロンに関しては妹が使っていたから見たことがある程度のもので実質、未知の道具が詰まった空間だ。

(世の中には不思議な道具がいっぱいあるんだな……)

 はじめての物だらけの空間に感動している暇は史郎にはなかった。

 店内をにぎわせているのは日本人客ばかりではないらしく、そこここで大量の家電を買い漁るひとの姿がある。

 炊飯器をカートに乗せられる以上に積んで歩く者もあれば、カートなど生ぬるいとばかりに業務用の運搬車に家電を積む者もいる。

「あれが爆買い……!」

 テレビでしか見たことのない光景に、史郎は謎の高揚感を抱く。隣では猿渡が「お上りさんな上江かわいい」とつぶやき、王子はあちこちですぐに立ち止まる史郎の背をさりげなく押して「はいはい、次行くよー」と先へ促す。

 その甲斐あって、入店からしばらく。ようやく三人は目的のエリアに辿りついた。

 おもちゃやゲームの並ぶその一画にパソコンが何台か設置されている。パソコンの前には大小さまざまな黒い板や白い板がコードでつながれており、軸の太いペンも添えられている。

「ペンタブだ! じ、自由にお試しください!? なんて太っ腹な……」

 史郎の地元である田舎の家電量販店では取り扱いこそゼロではなかったものの、試供品など設置されていなかった。買う者の限られた商品だから仕方がないと思う気持ちはあったけれど、安いものではないからやはり実際に触れて確かめてみたいと思っていた史郎は、目の前に並べられたペンタブレットの試供品の数々に心を躍らせる。

「ペンタブって、タブレットにペンで描くってこと? 宅配のサインなんかでたまにタブレットにペンで書くけど、すっごい書きづらいよね」

「わかる。なんか異様にカクカクした文字になっちゃうから、あれ俺がサインする意味ある? って思う」

 共通の話題で盛り上がるふたりをよそに、史郎はふらりとペンタブに近づく。

「ペンタブはタブレットって名前だけど使い方はマウスに近くて。ペン型のマウスだと思ってもらうとわかりやすいかもしれない」

 言いながら、黒いタブレットのうえに置かれていたペンを手にした史郎はパソコン画面を見つめる。その手がタブレットのうえをスライドするのに合わせて画面上のペン型カーソルが動くのを確認すると、そうっとペン先をタブレットの表面に触れさせた。

 ぽつん、と白いキャンバス上に黒い点が生まれる。

 ずっと憧れていたペンタブレットを操作している喜びが史郎の顔に溢れる。

 史郎は教室でほとんど表情を変えない。そんな白のぱあっと明るくなった横顔を見ていたクラスメイトふたりの反応はそれぞれだった。

「上江が喜びに顔を赤くして目を潤ませてる! そのかわいさ殺人級! 滅多に見られないからこそのありがたみ! 拝んどこう、いや目を閉じて見逃すのはもったいない! ありがたやありがたや」

 猿渡は早口につぶやいて手を合わせる。瞬きを忘れたかのように見開かれた目に史郎の横顔を映し、焼き付けようとしているかのようだ。

「史郎は好きな物のことになると一直線だねえ。でも、手元で操作して動くのは画面のなかって、やりにくくないの。俺、マウスでも思うとおりに動かなくて困るときあるんだけど」

 王子はほほえまし気に見守りながらも、史郎が操作する画面を眺めて首をかしげる。

「すこし、やりづらい。手元と画面のなかの感覚のずれもあるし、硬いタブレットのうえでペン先がすべるな。ペン先を変えたりタブレットのうえに紙を置くことで描き心地はかなり変わるらしいし、慣れれば気にならなくなるのかもしれないけど」

「へえ。やっぱり描き心地って大切なんだねえ。にしても、けっこういいお値段」

 ディスプレイされたタブレットを見て回る王子は、手に取るつもりはないのだろう。値札を見て感心したような声をもらす。

 つられたように視線を向けた史郎は、王子のそばにあるタブレットの値札を見て頷いた。

「値段は大きさや性能でピンからキリまであるし、パソコンにつなぐだけじゃなくてスマホに連動させられるものもある。安くて作業スペースも狭いものなら三千円台から扱ってて、デジタルイラスト作成ツールのなかでは手を出しやすい物、らしい」

 すべて検索したサイトの受け売りでしかない史郎は、これまで見聞きしてきた情報と目の前にある品物の使い心地を自分のなかですり合わせていた。

(ペンタブの描画領域はパソコンのモニタ全体に対応してるわけだから、描画領域の大きさとモニタの大きさに差がないほうがずれも少なくなるわけだよな。いやでもタブレットが大きいほうがモニタ上での細かい位置把握ができていい、のかな? でも大きいと高いし、俺の場合スマホで描くからスマホと連動もできるやつってなると持ち運びできるほうがいい気もするし、そうなると小ぶりなほうが……?)

 憧れに触れられた喜びでついつい購入するほうへ流れていた史郎の意識に、王子の声が飛び込んできた。

「なにこれめっちゃ高い! 三十万超えてる! あれ、でもこれってタブレットに直接描くようになってる?」

「液タブ!」

 勢いよく顔をあげた史郎は、王子の前にあるものを目にして手にしていたタブレット用のペンをそっと元に戻して、吸い寄せられるように足を踏みだす。

「史郎?」

 呼びかける王子の声も聞こえない様子で進んだ史郎は、震える手を口元にやってつぶやく。

「これ……液タブ……! しかも、ホンモノ……!」

 抑えきれない感動に声を震わせながら史郎の手が伸びる。

 そこに置かれていたのは液晶タブレット。通称、液タブ。

 一見するとやや大きめのタブレット端末のようにしか見えないそれに史郎はそうっと手を伸ばした。まるで古の宝物を前にしたかのように恭しい手つきだ。

「液タブ……液晶タブレット。タッチペンを使って液晶画面に直接描画可能なため、ペンタブでよく言われる手元と画面上のずれを気にせずまるで紙のうえに描いているかのようにデジタルイラストを描けるという絵師憧れの神器……。筆圧感知機能の優れたペンを用いればそれこそ思いのままの線を引けるという……!」

 早口で商品説明のような文言をくちにする史郎に、王子は「はあ~いろいろあるんだねえ」と感心し、猿渡は「早口な上江、レア! しかもめっちゃ喋るし! 好きなものに一直線でキュンキュンするぅ~」と身もだえている。

「史郎、これもご自由にお試しくださいって書いてあるよ。使ってみたら?」

 さわやかな笑顔とともに王子が差し出したペンを前にして、史郎は雷に打たれたような衝撃を受けていた。

「お、お試し? 液タブが? お試しできる? え、いくらですか」

 声を震わせていたかと思うと真顔で財布を取りだす史郎に、王子が苦笑する。

「無料でしょ。だってお店側がここに展示して『ご自由に』って書いてあるんだよ。実際に触って試してみてね、ってことでしょ」

 さらりと言った王子は史郎の手のなかにタッチペンを押し付ける。

 慌てて受け取った史郎は、自身の手の中にあるペンに目をやって震えた。

「なんてスタイリッシュな……これが機能美。ああ、握り心地もほどよいグリップが指を受け止めてくれて、太すぎず軽すぎないボディはいつまででも触れていたい心地よさ……」

 ペンを握って幸せに浸る史郎の姿に、猿渡がもだえる。

「上江がペンに見惚れてる……あんなに強く握りしめて、うっとり眺めてるなんて。なんてうらやましいペン……あたし、あたしペンになりたい!」

「そこでペンに嫉妬するのが楓花ちゃんだねえ。でもペンになっちゃったら史郎とランチデートできなくない?」

 王子のことばで猿渡は「んんんあ~! ランチデートもしたい! 上江にみつめられたい! じゃあ、あたしは何になればいいのー!」と頭を抱えてのたうつ。

 そんな騒ぎなど耳に入らないのか、史郎はタッチペンを見つめて動かないまま。

「史郎」

 見かねた王子が声をかける。

「試してみたら? 触ってみたかったんでしょ?」

「ん」

 うなずく史郎だが、自分なんかが貴重な液タブの体験スペースを占拠して良いものか、と気になってしまって画面に集中できない。

 きょろきょろとあたりを見回しながらも、ペンを握る手は離す気がない史郎に王子が苦笑する。

「いまのとこ誰もいないよ。俺も楓花ちゃんも扱い方がわかんないから、史郎の好きにしなよ。誰か来たら教えるからさ」

「そーだよ上江。あたしペンで描いてるとこ見てみたいな」

 不審な挙動を抑えた猿渡にも促されて、史郎は恐る恐るタブレットにペン先を置いた。

 史郎がペンを進めたとおりに液晶画面に線が生まれる。

「え……動かした通りに線が引ける……!」

 ネット上の情報では知っていた。けれど実際に触ってみたのははじめてで、思い描いていた以上の喜びが史郎の胸をいっぱいにする。

 うれしい気持ちのまま史郎は一本、もう一本と線を描く。

「すっごくなめらか。指より描きやすい……」

 スマホ画面に指で描いてきた史郎は、すっかり指描きに慣れたと思っていた。スマホに使えるタッチペンを買って使ってみたこともあったけれど、やっぱり指の方が使い勝手が良いと使わなくなってしまったこともある。

 そのため都会に出てきたにも関わらず今日まで家電量販店に足を運ぶことがなかったのだ。値段の問題も史郎がためらう要因になっていた。

 だというのに。

(実際に操作してみるとすごく良い。描き心地のなめらかさはペン先が高いせいもあるだろうけど)

 描いてみたいという衝動が止まらない。

 目の前にある値札が、いまの史郎に買える値段ではないと告げているのがわかっているのに。描き心地を知ってしまったら欲しい気持ちが大きく育ってしまうことがわかっているのに。

(このペンで描くのはどんなにか楽しいだろう)

 そう思ってしまえば、もうだめだった。

 史郎に周囲を気にする余裕はなくなり、意識が目の前のディスプレイだけに吸い寄せられていく。

(何を描こうか)

 考えるよりもはやく、史郎の手は動いていた。

 画面端にあるツールバーにペン先を持っていき、数あるアイコンのなかから選択するのは鉛筆を模したもの。

「うわー、なんか選ぶのがいっぱいあるね。虫眼鏡は拡大かな。そのしたの手のひらはなんだろ、スタンプじゃないよね」

「ほんとだねえ。いろいろあって何がなんだか……」

 邪魔にならないように小声で話すふたりの声は史郎の耳に届いていた。

「虫眼鏡は拡大縮小ツールで、手のひらは選択した画像を移動させられます」

 説明しながら史郎の手は画面に線を引き始めている。

「聞こえてるんだね」

「っていうかめっちゃ手、はやくない? なんかもうひとっぽくなってきてるんだけど」

 ざかざかと手を動かして史郎は描きたい絵の輪郭をとっていく。鉛筆で描いているかのようにややかすれた線が形を成していくのを目にして猿渡が声を弾ませる。

 その声が聞こえているのかいないのか史郎の手は線を増やしていき、ひとらしき輪郭がだんだんとはっきり姿をみせる。

「ひとの横顔?」

「んー、横顔っていうより斜め後ろから見た感じじゃない? なんかどっか遠くを見てるひとって感じ」

「ああ。だねだね」

 ふたりがささやく通り、タブレット画面に描きだされているのは遠くを見つめるひとの姿だった。すると、輪郭が見えて来た絵を史郎がいじり、描きだされつつあった線が一気に薄くなる。

「え、消しちゃうの? やり直し?」

「いや、このままだと不要な線画多いので、ペン入れをします」

 言いながらタッチペンをツールバーに向かわせた史郎が選んだのは、ペンのアイコン。

 続けて史郎はあれこれとツールバーをいじっていく。

「Gペン、ブラシサイズ、不透明度……?」

 史郎がいじる項目を読み上げた王子の語尾があがる。となりでは猿渡がまったくわからん、と言いたげな顔をしていた。

「デジタルイラストの場合、ペン先を自由にいじることができるんです」

 史郎が『Gペン』の項目の横にあるバーをスライドさせる。すると、隠れていた項目が次々と表示された。

「Gペン、丸ペン、カブラペン。このあたりはアナログで漫画のペン入れによく使われるペンだと思ってもらえれば。これ以外にもいろいろあって」

 言いながら史郎は『ざらつきペン』を選択し、画面に線を引いた。その隣にペン先を変えて『Gペン』で引いた線や『丸ペン』で引いた線を並べていく。

「あ、はじめのはなんかふちがぼこぼこしてる気がするよ!」

「おおー。それぞれ描いた感じが変わるんだねえ。便利」

 感心したような王子のことばに史郎が大きくうなずいた。

「そう、デジタルはこうやっていろんな種類のペン先を気軽に使える点がすごく便利。アナログでGペンなんかを使おうと思ったらインクを別で用意しないといけないし、描いてる途中にインクが乾いたらつけ直す必要がある。もしもインクを垂らしてしまったら修正するか、描き直しになるけど」

「デジタルだと描き直さなくていいの?」

「そう!」

 猿渡の問いかけに史郎はその通り、と言わんばかりに頷いた。

「もちろん、まったく描き直しが必要ないわけではないのだけれど。たとえばこう。描いている絵のこの部分だけを直したい、と思ったとき」

 史郎は描きかけていたイラストの線の上にGペンで点を描いた。極太に設定したGペンは繊細な下書きの線を黒く塗りつぶし、淡く描かれていた人物の横顔を消してしまう。

「あっ、上江がせっかく描いた絵が!」

「一見、つぶれてしまったように見える。けど、そうじゃない」

 驚きの声をあげる猿渡とは裏腹に、落ち着いた様子の史郎はタッチペンでツールバーにある消しゴムのアイコンを選択すると、塗りつぶされてしまった絵の上にすべらせた。

 べったりと広がる黒が消えていくにしたがって、だんだんと見えてきたのは淡い下書きの線だ。

「ええ! なんで下書きは消えないの? 後からペンで描いたやつだけ消えちゃったよ」

「デジタルで絵を描くときに一番特徴的なのが、一枚の絵を描くのに何枚ものレイヤー、層を使えるっていうのがあって」

「レイヤー?」

 くちで言ってわかるものではないだろう、と史郎はタブレットの右端に表示されている『レイヤー』という項目にタッチペンを移動させた。

 そこには『100%通常レイヤー2』と書かれた灰色の四角と『50%通常レイヤーその1』と書かれた灰色がかった四角、さらに『用紙』と書かれた白い四角が縦に並んでいる。

 史郎がタッチペンでそのうえにある+マークをクリックすると、並んだレイヤーのうえに『100%通常レイヤー3』が追加された。

「レイヤーっていうのは、一枚一枚の層のことです。アナログだと別々の紙に描いた絵を重ねるには、光を当てて透かしたりしないといけないけど。デジタルの場合はそれぞれ違うレイヤーに描いたものを重ねて、一枚の絵として見ることができます」

 さらにレイヤーを一枚増やした白うは、レイヤーごとにペンの色を変えて線を描いていく。レイヤー1に淡い線画を表示したままレイヤー2には赤、レイヤー3には青、レイヤー4には黄色で線を引くと画面上には三色で構成された三角形ができあがった。

「一見すると一枚の絵なんですが、たとえばレイヤー3を非表示にすると」

「あ、青が消えた!」

 史郎がレイヤー3の横にある目玉のマークをクリックすると、画面に表示されていた三角形のうち青い線が消える。

 もう一度、目玉マークを押せば青い線が現れた。

「こんなふうにパーツごとにわけて作業できるから、修正を入れるのも簡単なのがデジタルのいいところです。あと、濃さの調節もできる」

 青い線が表示された状態でレイヤーのそばにある『不透明度』というバーを左右にスライドさせると、連動して青色の線が淡くなったり元の色に戻ったりをくり返す。

「ああ、それでさっき鉛筆で描いた線が薄くなったんだ」

「そう。任意の濃さに調節することでペン入れもしやすい」

 有言実行、とばかりに史郎はレイヤー2を選択するとカラーチャートから濃い茶色を選んで線を引き始めた。鉛筆で下書きした線のなかから線を選び、流れるようにペンを入れいく。

(すげえ。ペン先の入り抜きがきれいだ。筆圧感知ってすごい、力を入れたところがちゃんと太くなるし力を抜いたところは細くなるんだ)

 慣れない道具のはずなのに思う通りに引かれていく線を見て、史郎は感動していた。

 タッチペンを液晶画面に触れさせた箇所、描き始めは細い線から徐々に太い線になり、描き終わりには太い線がだんだんと細くなる。そうなるように設定されているおかげで、画面上にはまるで紙にペンを走らせたかのような自然な線が描かれる。

(しかもそれが一瞬で行われてるおかげでまったくストレスなく、どんどん手が動かせる。なんて、なんて優秀なんだ……)

 決して史郎が日頃、使っているスマホアプリが劣っているわけではない。けれどペンを使って思うように線が引ける喜びで史郎の手はいつもより格段にスピードをあげていた。

「うわ、なんか説明しながらめちゃめちゃ絵ができてるんですけど!?」

「すごいねー。迷いがない? いや、修正もしてるけど描いて修正してまた描くのがすごく早いんだね。あんなにいろんなアイコンとかいじるとこあるのに、迷わないのすごいねえ」

 ふたりの声をBGMに輪郭をとったらレイヤーを変えて色を置いて、スタンダードな肌の色に赤や青、緑を散らして陰影をつけていく。

(どの色を置こう。どこに置いたら映えるだろうか)

 王子の称賛とちがって、史郎は内心ではあれこれと考え悩みながら色を置いていた。けれど手は止めない。塗ってみて違うと思えば消し、また違う色を置いては考えてをくり返しているだけ。

 修正が容易なデジタルならではの描き方だ。

 人物をひととおり塗り終えた史郎は、選択ツールをペンから消しゴムに替えて画面をすべらせる。

「えっ、そこ消しちゃうの?」

 猿渡が驚くほど大胆に人物の髪の毛に消しゴムを走らせると、塗り重ねられた色が一気に削り取られて白いキャンバスが露わになる。

 けれどすこし勢いよく消しすぎなのでは? とハラハラした様子の猿渡の横で画面を見つめていた王子が首をゆるくふる。

「いや、でも消したあとのところに光が当たってるみたいになってない?」

「ほんとだ、一気に絵に光が入った感じ!」

 言われて気が付いた! とばかりに声をあげた猿渡の言うとおり、暗色を塗り重ねて描かれていた人物に光が入ることで絵に命が吹き込まれるようだった。

 流れるように消しゴムをかけることで一本一本の髪の毛の流れを生み出し、遠くを見つめる暗い瞳に消しゴムを当てることでジワリと光が射す。

 消しゴムをかける前は物思いに沈んで遠くを見やる少女であった絵が、ところどころに光を入れることで意志を感じさせる瞳を持つ少女の横顔へと変化した。

「あれ……この絵、もしかして」

 王子がつぶやきかけたとき。

「すっげ……」

 ふと、低くしゃがれた男の声がこぼれた。

 王子のさわやかな声ではなく、猿渡の高いソプラノボイスでも当然ない。

 聞きなれない声にはっとして振り返った史郎は、王子たちの後ろに立つ男に気が付いた。

 史郎が振り返ったにも関わらず男と視線はぶつからない。男の視線はまっすぐ液タブに向けられており、そのくちが薄くひらいていることから先ほどの声は思わずこぼれたといったところらしい。

「あ……」

 見られていた。そう思った瞬間、史郎はここが自室ではないことを思い出した。

 家電量販店、それも大都会のただなかにある大勢の客が足を運ぶその店で絵を描いていたのだ。いつ誰に見られてもおかしくない場所で絵を描いていたのだ、と自覚した瞬間、史郎は真っ赤になって描画画面を閉じた。

「「「あ」」」

 王子、猿渡そして見知らぬ男の声が重なる。

 そこにこもる「なんで消してしまうんだ」という非難の響きにはまったく気づかず、史郎は素早くかつ丁寧にタッチペンを元あった場所に戻す。

 そして駆け出した。

「あ! 逃げた!」

「あーあー。恥ずかしがり屋だねえ」

「え! なんか……すみません」

 ひ弱だが必死さを感じさせる史郎の後ろ姿はあっという間に見えなくなる。残されたのはあっけにとられて史郎の背中を見送る三人だった。

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