夕刻
――――――部屋には真っ赤な夕陽が差し込んでいた。
時刻は午後6時。ショウを家に帰らせ明日の仕込みをしている最中だ。
高校生とはいえまだ子供だ。家まで送っていこうとしたが平気の一点張りで一人で帰ってしまった。これ以上迷惑はかけられないと思ったのだろう。出来た子だ。
しかし彼は貴重な存在だ。ヴァンパイアの結界を無視しで行動できる特殊体質なぞ、そうそう見つからない。大半の場合気づかず結界に侵入しそのまま捕食されてしまうからだ。
今後も彼の同行を監視・・・いや友好な関係を築きたいとは思っているが。
そう考えているとポケットのスマホが着信音を発した。
画面を見ると今朝のあの男の名前が映っている。
また仕事の話か。そう思い電話に出る。
「俺だ。」
『こんばんはネオ。今時間はいいかね?』
「明日の仕込み中だ。作業しながらでいいなら続けてくれ。」
スピーカーフォンにして音量を上げ、スマホをテーブルに置く。
『了解した。昼間の討伐報酬に関してはいつもの口座に振り込んである。確認してくれたまえ。』
「手早いな。助かる。」
『あと被害者の捕食されかけていた女性だが意識が回復した。ショックの影響かヴァンパイアの事は憶えていないようだ。切断されていた腕も教会の処置で元通りだ。私の判断で病院への移動となった。』
「そいつは良かった。あのレベルは俺じゃあどうにもならないからな。」
『君の迅速な討伐で救われた命だ。誇るといい。』
とりあえず一安心だ。
ヴァンパイア関係の事件では死体すら残らず、行方不明扱いとなるものも多い。
一刻も早く完治して普段の生活に戻ってほしい所だ。
『で、君の保護した例の少年はどうだった。ヴァンパイアの結界内でもピンピンしていたと聞いたが。』
「ピンピンはしちゃいない。結界に踏み入って思いっきり腹を蹴られてあざ程度済んでるのは普通じゃないってだけだ。」
『間違いなく何らかの特殊体質かヴァンパイアかのどちらかだ。君にはどう見えた?』
どう見えたか、か。
俺からは普通の高校生にしか見えない。しっかりした体格と、目つきは悪いが最後まで敬語が抜けない口調。それに俺の飯をあんなに上手そうに食う奴は信用に足る男だ。
・・・と思う。
「俺からみりゃ人間だなあれは。奴らには特有の殺気というか空気を発しているが、彼にはそれが無い。それにヴァンパイアの事をいままで知らなかったって顔だった。アレで演技なら俳優にでもなったほうがいい。」
『フフフ、君がそこまで言うならそうなのだろうな。一度直接話をしたいものだよ。』
「アンタみたいな聖人君子の神父サマなら顔見ただけで判るだろうよ。」
ここで俺の唯一の懸念点を聞き出す。
「で、このことをO.E.R.Vには?」
『報告していない。する予定もないさ。したら間違いなくその少年は彼らの実験モルモットにされる。私としても好ましくないね。』
「ああ、安心した。アンタを信用していないわけじゃないが聞かずにはいられなくてな。」
O.E.R.V
Organization that Eradicates and Researches Vampires
教会の同系列の組織であり、俺たちヴァンパイアハンターはここから報酬を受け取る。
太古より人間と共に存在するヴァンパイアを研究しており世界各地に支部が存在し、世間でヴァンパイアの存在がフィクションとして語られているのはO.E.R.Vの情報操作によるところが大きい。
ヴァンパイアの結界にノーリスクで侵入できる特殊体質者なんてO.E.R.Vからしてみれば喉から手が出るほど欲しい研究材料だ。
彼らにショウを引き渡せばヴァンパイアの研究を大きく前進させることになるだろう。
だが、
『O.E.R.V日本支部長としてはその少年を研究資料として引き渡すよう命令するべきだろう。だが彼らは研究となると過激すぎる。』
「ああ、身を持って知っている。あんなのは二度と御免だ。」
俺もショウと似たような体質でO.E.R.Vの研究部門に資料として一時在籍していたことがある。研究の内容は様々だったが主に俺が担当していたのは"結界発生のメカニズム"についてだ。
内容は伏せるが、正直言って地獄の日々だった。
ただその成果もあってか昨今のヴァンパイア絡みの事件は解決スピードが大幅に上がったとか。
『下手すれば君の時より酷いかもな。故に私からは報告しない。だがいつ情報局が嗅ぎつけるかわからん。早いうちにハンターとして彼を引き入れてくれ。そうしたら私の権限で彼を守ることができる。』
本当にこういう時にこの神父様は頼りになる。友好な関係を築いていて良かったと心の底から思う。
だがそれ故に痛いところを突かれた。
少し言いづらいが神父サマならお許しになられるだろう。
「そのことなんだがな。」
『どうした?』
「保護した少年・・・ああ、名前はショウというんだが・・・」
「ハンターには、ならない、と。」
――数時間前
「承。俺と共にヴァンパイアと戦って欲しい。君の力は俺にとって必要なものだ。」
彼のような特殊体質者はまた知らぬうちに結界に侵入し奴らの餌食となるかわからない。
ならばこちら側に引き入れて共に戦うか、戦わないにしても自衛の手段を持たねば短命は免れないだろう。
いずれにしても、いままでヴァンパイアの事を知らなかった一般人にハッキリと姿を見られてしまったならば彼らを保護するのは俺たちハンターの責務でもある。
ショウはゆっくりと口を開く。
「それって、またあの男みたいな連中と命を懸けて戦うってことですよね。」
「そういうことだ。」
ヴァンパイアとの戦いで命を落とすことは珍しいことではない。
ただでさえ素の力で人間をはるかに凌駕している存在に支援付きとはいえ立ち向かうのは困難を極める。
「確かに、ヴァンパイアは裏で人を襲って、命を奪って、邪悪な存在だとは思います。でも。」
「でも?」
「俺は、自分の命を懸けてまで人々を守りたい なんていうような立派な人間じゃないです。」
ショウは続けた。
「助けてもらったことは感謝しています。ご飯もすごくおいしかった。言葉では言い切れないほど貴方には感謝しています。だけど、俺は貴方程出来た人間じゃないんです。見ず知らずの人間に手を差し伸べることができるほど優しく正しい人間じゃない。だから、ハンターにはなれません。」
「別に優しく正しい奴だからハンターになれと言っている訳じゃない。君のような体質はまた知らずのうちに結界に入りヴァンパイアに襲われるかもしれない。だから自衛の手段程度は持っておかないと、また俺みたいなハンターが助けてくれるとも限らないんだ。」
「そのときはそのときです。俺が死ぬだけですから。」
呆れた。自分の命には執着がないのか、馬鹿なのか。何とも冷めた奴だと思った。
「・・・ハァ~。お前なぁ・・・いや、やめておこう。わかった。君の意思を尊重する。」
「ありがとうございます。」
「それと、また敬語になってる。やめろって言ったろ?それ。」
「あっ・・・ご、ごめん。」
「プッ!ハハハッハ!!」
思わず吹き出してしまった。真剣な顔から突然しょぼくれた顔になった。
その落差と正直さは少なくとも馬鹿ではないと理解した途端笑いが込み上げてきた。
「まぁいいさ。君の事は極力守るようにする。間に合わなければ死ぬだけ。それでいいんだな。」
「構いませ・・・それでいいよ。」
「分かった。何かあれば連絡してくれ。店の番号はググったら出る。それなりに繁盛してるからな。それと・・・」
「??」
倉庫から"お守り"を持ってきてショウに渡した。
"お守り"とは銀製のステーキナイフとフォークのセット。筒状のケースに入っている。教会からの土産で悪霊を退ける効力があり、ヴァンパイアにも有効だそうだ。
ショウは不思議そうな顔で俺に聞いた。
「これは?」
「"お守り"だ。家の玄関にでも飾っておくといい。あんな風に。」
俺は店の出入り口にあるショーケースを指さした。
ウチは食器の販売もやっている。教会製の食器でナイフの他にもスプーンやフォーク、皿などもある。いずれも"お守り"としては同等の効力があるらしい。
ショーケースに近づき値札を見えたのだろう。
「結構いい値段・・・払うよ。」
財布を取り出すショウを制止する。
「いやいい、ただの土産だ。またウチに飯を食いに来てくれ。それで構わない。」
「なら、遠慮なく。ごちそうさまでした。」
ショウは"お守り"をポケットにしまいながら俺にお辞儀をした。
「ああ、まっすぐ帰れよ。バリバリ銃刀法違反だ。それにまた結界に入ったとありゃシャレにならないからな。」
「分かった。また来るよ。」
ショウが手をこちらに振りながらチリンチリンとドアのベルが鳴り、彼は家に帰っていった。
これが数時間前に起こった出来事だ。
―――暫しの沈黙の後に慈悲深い神父様は口を開く。
『・・・そういう事もあるだろうな。』
「失望したか?」
『初対面の男に「命を懸けろ」といわれて頷く者がいたら普通じゃないさ。ショウ君の反応は至って正常だよ。それに私は決して君を蔑んだりはしていない。』
「そりゃどうも。久々に仕事でしくじったからヒヤッとしたのさ。」
『しかしそうするとショウ君の監視が必要だな。教会から一人出そう。』
「いや、それは俺の方で手を打ってある。安心していい。」
『そうか、何か物や人手が必要なら言ってくれ。力になろう。』
「ああ、その時は頼らせてもらう。」
『ではまた。・・・そういえばショウ君の苗字はわかるか?』
「確か・・・カガミ。火上 承だ。」
『火上・・・そうか。わかった。また何かあれば連絡する。』
「ああ、それじゃあまた。」
電話が切れる。
最後のあの口ぶりは何か懸念していたのだろうか。
しかし考えても仕方ない。何かあればまた連絡が来るだろう。
明日は営業予定だ。さっさと仕込みを終わらせてゆっくりしたいところだ。
と、思った矢先また電話のベルが店内に鳴り響いた。
今度は携帯ではなく店の固定電話だ。
あの神父・・・新手の嫌がらせか?
いや普通の問い合わせかもしれない。いずれにしても今日は休業日だ。
・・・いや今日は臨時休業だった。ならば出る必要があるか。
何とも不鮮明なライン引きだが、鍋の火を止めてカウンターの受話器を手に取る。
「はい、ラパン・ド・r・・・」
『繋がった!もしもし!ネオ!?』
豪い食い気味で返事があった。受話器の向こうは走りながら電話しているようで風を切る音と電話口の男の喘ぎが聞き取れる。
「その声、ショウか?」
昼間話した声だ、電話越しとはいえ聞き違えはしない。
しかしそんな焦って電話してくるとはどういう要件だろうか。
寄り道せずまっすぐ家に帰るようには伝えた。
ならば結界に踏み入ってしまうこともないだろう。
『いまはなんとか逃げてるけど・・・ともかく助けて!』
「状況説明が先だ。何があった?」
酷く焦っている様子だ。息切れが激しいのが受話器越しでもわかる。
こういう場合の可能性を思案する中で思い当たることが一つある。
そして悲しいことに、経験上こういう時の勘は当たるのだ。
『ヴァンパイアに襲われてる!』