再燃
音のない暗闇に居る。
立っているのか座っているのか。
目が開いているのか閉じているのか。
どうしてここにいるのか。ここはどこなのか。
それすらも分からない光の無い世界。
しかし不思議な事に恐怖はなかった。
むしろ安心感さえ感じる。
足元に小さな火が灯った。
次第にその火は大きくなり、膝に届くほどの焚き火になった。
そうしてこの光景を見ることで、ここが夢の中だと気付くことができた。
いつも昔から俺の夢の中にあるこの景色。
しかし今までの夢とは違うことが一つあった。
人がいる。
火の明かりのそばに胡坐がいて座る男がいる。
顔はまだ暗くてよく見えない。
だがこれもまた不思議と恐怖を感じなかった。
「よお。こうして会うのは初めてだな。」
周囲を見渡すが視界の限りでは俺以外の姿は見えない。
いや、いるのかもしれないが暗闇の中では確認できない。
もう一度向き直り男の方を見る。
すると男の顔は俺に向いているように見える。
男は俺に向かって話しかけていた。
「ここは夢と現実の境界線。俺とお前しかいない。怖がるなよ。」
声には聞き覚えがあった。ずっと昔から聞いたことのある声だ。
・・・なんだか直近で似たような経験をした気がする。
そう思っていると徐々に大きくなる焚き火が男の顔を照らした。
男は俺の顔をしていた。
いや顔だけじゃない。
髪型に背格好、来ている服も俺の持っている物と同じだ。
静かに驚いて、言葉が口からこぼれる。
「お前は・・・一体・・・?」
「怖がるなって。別に取って食ったりはしない。少なくともお前の味方だ。」
味方だって?
冗談にしては質が悪くないか。この手の場面ではどちらかが死ぬ。
少なくとも俺が今まで読んできた漫画ではそうだ。
例えばコイツは俺を殺して俺に成り代わろうとしているとか、そういう。
俺は反抗の意思を持って返事をする。
「俺が・・・火上承だ。」
俺の発言を聞き目の前の俺は吹き出して笑い始めた。
地面を手でバンバン叩きながら笑いがやむことは無い。
・・・非常に恥ずかしくなってきた。早くこの場を去りたい。
彼は一頻り笑いこけた後に返事をした。
「なんだその自己紹介はよ。アッハッハ!!まあそれでいい。座んな。俺ん家じゃないし何もない所だけど。」
そう言われ自分の緊張が少しほぐれたのを感じた。
言われた通りに焚火を挟んで対面に座る。
すると彼は話し始めた。
「改めて自己紹介するよ。俺は火上承の中に居るもう一人の火上承。お前のもう一つの人格ってとこかな。」
「もう一人の・・・俺?」
「俺は昔からお前の中に居た。見聞きしたこと、感じたこと、考えたこと。どれも俺は知ってるよ。だけど俺は火上承の身体を動かすことはできないし、こうやって話すこともできない。干渉することはできないからずっと見ていたんだ。」
一呼吸おいて
「昨日までは、ね。」
続けて彼は説明する。
「さっきの出来事だよ。ヴァンパイアに首を絞められていた時。もう駄目だと思ったその時俺はお前に話しかけたんだ。覚えてないか?」
「さっき?なんのこと・・・」
思い出す。
脳裏についさっきまでの光景が鮮明に映し出される。
「そうだ!俺は屋上で倒れて・・・どうなった・・・?」
「落ち着けよ。最初に言ったろう。ここは夢と現実の境目だ。もし俺達が死んでいるならここには存在できない。死人は現実に居場所がないし、夢を見ることもないからだ。」
確かに俺はあの時諦めた。諦めようとした。
直後俺は俺の声を聴いた。
気が付いたらヴァンパイアにナイフを突き刺し逃走していた。
あの時の俺の声の正体は彼だったのだ。
「そこで初めて俺はお前と会話することができた。いままでは出来なかった事だ。お前が死ぬと俺も死んじまう。だから生存本能だとかそういう類の何かが働きかけて可能にさせたんだと思う。」
彼は続ける。
「そして呼びかけに応じたお前と入れ替わるように俺は火上承の身体を動かせるようになった。その後はお前も知っての通りだ。」
確かにあの時、自分の身体が自分ではないように感じた。
自分の意思では行動していなかった・・・と思う。
しかし何故だ。どうして奴の腕から逃れることができた?それをどうして疑問に思わなかった?
その疑問を彼に投げかける。
「あの時俺は首を絞められていた。まともに呼吸も出来なかったんだ。あの状況から動けたとは思えない。どうやったんだ?」
「そうだな。見せたほうがはや・・・」
そう言って彼は言い淀んだ。
彼はどこかを見つめて舌打ちをした。
「もう時間かよ。」
「時間?どういう事?」
「そろそろ体の方が目覚めるみたいだ。だからこの空間も消える。」
「消える?大丈夫なの?」
「問題ない。そういうもんなんだ。初めに言ったようにここは夢と現実の境目にある。夢から覚めれば消滅する。」
徐々に目の前の光景がぼやけていく。
意識が身体から離れていく感覚があった。
どうやらここが消えるというのは本当のようだ。
「ちょっと待って!まだ聞きたいことが!」
「承。俺はいつもお前の中に居る。また簡単に命を捨てる真似するなよ?」
そうして視界は歪んでいき、意識は現実へと浮上する。
◇
目を覚ますとそこは病室だった。
ゆっくり体を起こし周囲を見渡す。
窓からは見える外の景色は夕日に照らされており、部屋に他の病人は居なかった。
一人きりの部屋で自身の最後の記憶を手繰り寄せる。
ヴァンパイア、そしてそれを狩るハンター。
様々な記憶が掘り起こされ、同時に脳裏に体験が蘇った。
ふと自分の腕を見る。
あれほど血まみれになっていた腕は傷一つ無い。
痕すら見当たらない新品のような腕だった。
・・・いや。果たして実体験なのか?
例えば長い夢を見ていてリアリティのある夢だったんじゃないか?
ヴァンパイアも何もそんなものは存在せずただの俺の妄想なんじゃないか?
けれど周囲に日付を確認できるものは無い。
現時点では真偽を証明できるものは存在しない。
そう考えていると部屋のドアがゆっくり開いた。
入ってきた男を俺は知っていた。
同時に俺の記憶が夢ではないと裏付ける証明になってしまった。
「・・・気が付いたか。」
俺が起きていることを確認するとベッド横の椅子に座った。
「ネオ・・・」
「覚えてくれてよかった。気絶したショックで記憶が飛んでたらどうしようかと。」
そうだ。この男はネオ。
ヴァンパイアに襲われ死にかけた俺を二度も助けた命の恩人。
だが俺は彼の顔を見ることができなかった。
半ば自暴自棄になって死んでもいいとさえ思っていた。
だがいざその瞬間に直面すると恐怖が身体を支配した。
死にたくないと思った。
そして都合がいいように彼に命を救ってもらった。
そんな俺が彼にどうして顔を合わせられるだろうか。
「ネオ、俺は・・・」
俺は俯いたまま謝罪の言葉を口にする。
「謝罪なら必要ない。俺は俺の義務を果たしただけだ。」
俺の言葉を遮ってそう言った。
そして続けた。
「俺の仕事はヴァンパイアを狩る事。そして人類を守ることだ。」
「だけど!」
「平日の昼間に高校生が町をほっつき歩くのは普通じゃない。家の事情か、不登校か。だがそんなものは俺には関係ない。たまたまヴァンパイアと鉢合わせた一般人と知り合いになって、たまたま二回連続で助けた。それ以上でもそれ以下でもない。」
「・・・」
「それでもそう思えないのならば、店にコーヒーでも飲みに来い。奢りはしないがな。」
ネオは少し笑ってそう言った。
彼には人を引き付ける何かがあると思った。
カリスマというものだろうか。
「ありがとう。」
彼は微笑んで返事をした。
「ああ。」
俺は、彼のように強くなれるだろうか。
そう思った。
◇
渡された水を飲んで落ち着いた後ネオが口を開いた
「まず、今の状況を頭に入れておいてくれ。」
「俺が気を失ってからの話だね。」
「そうだ。」
ネオは説明を続ける。
「お前が気を失っている間、俺達の施設で治療を受け大体の怪我は既に治っている。その後この病院に"貧血で倒れて搬送された"ことになっている。」
ふと自分の腕や足に目を向けるが怪我の痕すら見当たらない。
どうやら怪我が治っているというのは本当のようだ。
そしてネオが言った"ことになっている"という言葉。
それはつまり本来の理由を隠すためだ。
「ヴァンパイアの秘匿のため。」
「ああ。」
ネオが頷く。
「俺の店近くで倒れている承を俺がたまたま見つけ救急搬送、店の常連で顔見知りだったから俺も同行。特に外傷もなく、検査も異常なし。点滴で回復って筋書きだな。話を合わせておくんだ。」
「合わせるって・・・誰に?」
「ほぼ全員だ。俺たちの正確な事情を知っている人物は、この病院の理事長だけだ。」
「理事長だけ・・・うん、わかった。」
正直なところ、ネオの所属する組織が何なのかわからない。
だが二時間程度で貫かれた腕を完全に治せるというのはただの組織ではないようだ。
それもそうで、ヴァンパイアなんていう超越した存在に立ち向かうならば、それほどの技術が無ければ命がいくつあっても足りないだろう。
「それともう一人嘘をつかないといけない人物がいる。」
「誰?」
「火上奏。」
「な・・・!!!」
ネオが口にしたのは唯一の家族の名前だった。
「そのくらい調べはついてるさ。巻き込まれた身で癪だと思うが、たった一人の家族なんだろう。心は痛むと思うが理解してくれ。」
「そう・・・だね・・・」
火上奏。
父方の叔母で"母"というより"姉"のように思っている俺の唯一の肉親。
ただでさえ迷惑をかけている姉さんに嘘をつくのは少し・・・
「気が引ける。か?」
俺の心を透かしたようにネオは問いかけた。
「姉さんはさ、優しいんだ。両親の代わりに俺を育てて、毎日遅くまで仕事して、弱音を吐いてるとこなんか見たことない。」
ネオは黙って聞いていた。
俺は続ける。
「でも俺は姉さんには迷惑かけてばっかりだ。それでも姉さんは何も言わない。だから俺もそれに甘えて、好き勝手やって、学校も行かなくなって、噓をついて。それでもきっと姉さんは怒らなくて。けど・・・」
「けど?」
そうだ。俺の望みはなんだ。
このまま腐り朽ちていく事か?
違う。俺の願いは簡単なことじゃないか。
「姉さんには笑っていてほしい。だから噓をつくよ。嘘で姉さんを守れるなら。」
「それでいつか本当に姉さんを守れるようになる。だからもう逃げるのはやめる。」
ネオの目を見据えて俺はそう告げた。
すると彼はフッと笑った。
「昼間より男の目になった。」
「これでも元キャプテンだからね。」
「そうかい。なら安心した。」