回答
ミラから告げられた事実を飲み込んでから俺はゆっくり息を吐いた。
「・・・ふむ。」
「う~ん。意外と驚かないんだねぇ。」
ミラの目には俺がそう映ったらしい。
驚かないわけがない。俺は心境を口にする。
「いや驚いているさ。少なくとも俺が人間かヴァンパイアかを見分けられなかったことに関してはな。」
「彼の放つ"イデア"は通常のヴァンパイアの半分にも満たないほんの微量だ。君が感知できないのも無理はない。」
ミラは続けて言った。
「これは私の推測なんだけど。彼は多分、ヴァンパイアと血縁関係にある。それも結構近い。」
「そんなことあり得るのか?」
ヴァンパイアは人間を捕食対象としてしか見ない。
ヴァンパイアの男が人の女性を強姦したという例は多いが、人と子を成したという例を、少なくとも俺は聞いたことが無い。
「種として可能かという話なら可能だよ。ほぼゼロに近い確率だけどね。だからそういう意味で言えばこの子が生を受けたのは奇跡だろう。」
奇跡。
その言葉は俺が本来取るべき決断を鈍らせていた。
「彼の血縁に関しては神父様が調べてる。で、どうするのその子。」
俺の思考を読み取るかのようにミラが尋ねる。
"どうする"か。通常ヴァンパイアの被害にあった一般人は検査の上監視対象となる。
しかしミラが聞きたいのはそういう事じゃない。
分かっている。
それを分かったうえで俺は外れた回答をした。
「とりあえず怪我が治っているなら理由をつけて一般病院へ移送。それから・・・」
間髪入れずミラが発言する。
「違うよ。処理するのかどうかって事。」
「・・・・・・。」
"処理"とは即ち殺すかどうかという話に他ならない。
あえて濁した返事も彼女にはわずかな時間稼ぎにすらならなかった。
彼を生かせば俺はO.E.R.Vの理念に反したと見做されるだろう。
当然だ。ヴァンパイアを駆逐する事こそが俺達の理念であり使命である。
しかし、自らの手で救った命をまた自分の手で奪う傲慢さを俺は持ち合わせていない。
それこそ人としての理念から逸脱しているだろう。
明確な答えを口に出すことができず押し黙る俺を見てミラが口を開く。
「迷う事かい?君ならノータイムで殺しそうなものだけど。」
俺が長年ハンターとして生活する中で出会ってきたヴァンパイアは本能に対して忠実だった。
人を襲い、喰らい、力を誇示するかのようにまた人を襲う。
獣との違いを聞かれれば回答に困るほどだ。
しかし、あの目を見て確信できる。
"火上承"には確かに人の感情があった。
データ上でヴァンパイアであったとしても、彼の精神性は疑いようもなく人間のものだったと断言できる。
だからこそ、彼を殺す判断を俺は下すことができなかった。
「・・・ヴァンパイアとはいえだ。恐らくコイツは自分がそうであると知らなかった。俺にはそう見えた。自分は友人や家族と同じ生物だと思い込んで今日まで生きてきた。それをある日突然否定され殺されるってのは・・・そんなの・・・」
「あんまりだ。って?ああその通りだね。でも彼は人間じゃない。人類に仇名す外敵だよ。」
「だが・・・!」
「分かっていながらどうして躊躇う。それに私達と関わってしまった以上、遅かれ早かれ自分の正体に気づく。その時彼のイデアが暴走したら・・・」
彼女が言い切る前に俺の言葉で遮る。
「その時は、俺が始末をつける。」
「・・・へぇ。」
彼女の目は俺の目を真っすぐ見据えている。
時が止まったようにも思えた僅かな時間だった。
「ふぅ~ん?」
その目は信用と懐疑が同居していた。
俺の立場を用いてこの件を有耶無耶にしようとしているのは彼女からしても明らかなのだ。
しばらくすると椅子の背にもたれかかりため息を付いた。
「ま、君がそう言うなら彼の処遇は神父様と決めてくれ。データはまとめておくから後で目を通しておいてよ。」
「助かる。」
「私としては君の気持ちもわかるんだ。ただ君の主観的意見に賛同する者はここにはあまりいないだろうね。」
ミラは意外と人間らしい感情も持っているのだなと思った。
気持ちの切り替えが早いというべきか。
「・・・引き続き治療を頼む。といってもほぼ治っているか。」
「私は手を出してないよ。なんたって彼はヴァンパイアだからね。」
「・・・再生能力か。」
「担ぎ込まれて30分足らずで傷跡すらキレイさっぱりさ。さっき言った右手以外はね。」
「わかった。この件をパトリック以外に報告は?」
「してないよ。君と殴り合っても勝てる見込みがないしね。」
「・・・それはどういう意味だ?」
「さあね。」
彼女の言いたいことは想像つくが、ここにこれ以上居ても仕方がない。
そうして俺は部屋を後にした。
◇
ロビーで缶コーヒーを飲みながら考えていた。
自分で言った「始末をつける。」という言葉の重さを。
有事の際、俺は彼を殺すことができるだろうか。
ミラが懸念しているのはイデアの暴走。感情が昂れば容易に周囲へと影響を及ぼすだろう。
彼に話すべきだろうか。自身が人間ではないことを。そうして早めにイデアの制御を身に着ける訓練を行う必要がある。
しかしそれは彼を死なせたくないという俺の都合でもある。
考えを巡らせているとこちらに走り寄る人影が見えた。
「あっ、いたいた。お~い。」
その少女は俺の見つけるなり走って来る。
小さい体で頭のポニーテールが揺らしながら駆け寄るそれに俺は簡単に労いの言葉をかけた。
「輝夜、手間をかけたな。」
「ほんとだよも~!学校の帰りに火上って人の家の周りに吸血鬼除けの術をかけておいてほしいって言うからホームルーム終わってダッシュで行ったのにさ~。今度は教会に来いなんて。」
彼女の名前は月島輝夜。
諸々の事情により俺のハンター稼業を手伝ってもらっている。
勝手に俺の右腕を名乗っているお調子者だが腕は信用している。
「悪かったよ。今度なんか飯作ってやる。」
「えっ!?ホント!じゃあハンバーグがいい!」
輝夜は目をキラキラさせながら踊り始めた。
「ハ・ン・バー・グ♪ハ・ン・バー・グ♪」
「・・・」
コイツは本当に今年高校生なのかと思う。
つい頭を抱えてしまうが、まぁ彼女の出自を考えれば仕方ないのかもしれない。
「アレ?今日はノリ悪いね?」
ちょっと説教が必要かもしれない。
「あのなぁ。」
「うん?」
「お前今年高校生だろう。ガキじゃないんだ、もう少し落ち着いたらどうだ。」
「あぅ・・・ハイ・・・すみません・・・。」
「あと、今日は数学の小テストって言ってたよな?結果は?」
「ええと・・・その・・・あの・・・。」
ウキウキだった輝夜の表情は曇っていき姿形もどんどん小さくなっていく。いや、元々身長は小さいか。
俺は承に昼食を振る舞った後、彼女に連絡して彼の家に吸血鬼除けをするように頼んでいた。
しかし結果はこの通りだ。なんとか間一髪彼を救うことはできたが。
「まぁいい。仕事の話だ。承を襲ったヴァンパイアの報復があまりに早すぎる。尋問したら背後に"情報屋"がいることが分かった。襲撃は早くとも翌日以降だろうと踏んでいた俺の判断ミスだ。お前に責は無い。」
「"承"って今回の被害者?」
いつもの調子で聞き返してくる。切り替えは早いなコイツ。
「ああ、お前の高校の上級生だ。」
「え~っ。学校にもいるの?ヴァンパイア。」
「それは分からん。」
「まぁいたとしても簡単に尻尾は出さないか。」
「そういうことだ。引き続き彼の家族に害が及ばないよう尽力する。いいな?」
「りょーかい!」
輝夜は敬礼のポーズを取る。
こんな軽い性格だが課された仕事はきっちりこなす。
だが右腕として認めるとすぐ調子に乗るので言わないことにしている。
そうしているとまたこちらの方へ歩いてくる足音が聞こえた。
音のする方へ振り向くとパトリックの姿があった。
「あ!パトリックさん!こんにちは。」
輝夜が手をパタパタさせながら挨拶する。
「こんにちはカグヤ・・・おっと、ネオと取り込み中だったかね。」
輝夜が俺の方を見る。
「いや、終わったところだ。」
「なら丁度いい。君に頼み事だ。本部直々の命令でもある。」
「・・・へぇ。」
タイミング的には承の処遇についてだろう。
柄にもなく緊張で息を呑んだ。
「つい今まで火上承君の処遇についての会議をO.E.R.V上層部と行っていた。」
「結果は?」
「結論から言おう。ネオ。君が監視役になるという条件でなら上は火上承の解放を許可した。」
「・・・監視役?」
「並びに君に当地域の監督権限を付与。私の副官として正式にO.E.R.V独立機動部隊へ入隊するものとする。」
とんでもないことを言い始めたぞこの神父。
「おい流石に虫が良すぎる。彼はヴァンパイアだ。このまま放っておいてどんな被害が出るか・・・」
「だから、君が監視するのだろう。それほどまでに君は信用されているという事だよ。ネオ。」
「だとしても腑に落ちない。ヴァンパイアの殲滅がO.E.R.Vの使命だろ。どうして生かしておく?」
「実は私も承君とは遠い縁があってね。上にはその無理を聞いてもらう代わりに・・・」
「俺が副官に昇格する・・・か。」
なんとも納得はしがたい。
パトリックにそれほどの発言力があるとは思わなかったが、事は俺の都合のいい方に進んでいる。
「う~んと、つまりネオが昇格してお偉いさんになったって事?よかったじゃん!」
無邪気な顔で俺に笑いかける輝夜。
だがそんなに喜ばしいことばかりではない。
「簡単な話でもない。面倒事が増えるから今まで打診されても断ってきた。」
「上も君ほどの男を放し飼いにするわけにはいかないという事だ。まぁ私と同等の権限とは言ったが今までとやることは変わらない。君に与えられた単独捜査権が剥奪された訳じゃないからね。君の言う面倒事も可能な限り私が引き受ける予定だ。」
「そいつはまた、アンタ自分の負担は考えないのか?」
「考えているさ。だからこそだよ。この程度の負担で一人でも多くの命が救えるならば。」
神父は拳を握りしめ、噛みしめるように言った。
「ご立派な事だ。」
「フフッ。まぁね。」
そんな話の横で首をかしげながらうなり始める輝夜。
「う~んと・・・ってことはネオが保護した人がヴァンパイアだったって事?」
「そういうことだ。」
「え~っ!?ヴァンパイアなのに殺さないって事!?」
「ああそうだ。」
「なんでよ!?」
「それはあとで話す。とりあえず用は済んだ。帰るぞ。」
踵を返して出入口へ向かう。
「えぇ~!?あ~っもう!パトリックさんまたね!」
「ああ、さようなら。気を付けて。」
承の件は教会に任せておけばいいだろう。
しかしまた監視役か。
何とかしなければならない。次の手を考えながら俺は帰路に着いた。