81-(5) 貴方の言葉で
半ば無理やり叩き起こされたアルス(とエトナ)は、それからシンシアにむんずと手を取
られ、梟響の街の市内に舞い戻っていた。
昼下がりからまた少し経った、されど相応に活気ある市場の只中。
アルスはシンシアに手を引かれたまま、何故かあちこちの店をたらい回しにさせられた。
「あ、あの。シンシアさ」
「ほら。前言ってた専門誌の新刊。うんうん、お金ならいいわよ。私が予約しておいたもの
なんだから」
「あ、あの……」
「そもそも、貴方は王族だっていうのに服装がなってないのよねえ。いつも似たようなだぼ
だぼローブだし、髪もぼさぼさだし。いい機会だから、私がコーディネートしてあげる」
「し、シンシアさん。一体何を」
「んふー!? これ美味しい! ねえ、貴方もどう? たまにはがっつり肉も摂って大きく
ならなきゃ」
……一体、何が目的なのか分からない。
アルスは次々と、連れ回される通りの店が変わる度に訊ねようとしたが、シンシアはまる
でその言葉を阻むように声を掛けてくる。書店や服屋、屋台など回った種類は多岐に渡る。
結局彼女の強引さに押されたまま、アルスは専門誌を脇に抱え、着慣れない高級ガウンを羽
織り、手には紙コップに差し込まれた肉厚の唐揚げを持たされるという格好になっていた。
もきゅもきゅ。
何となく勢いに呑まれてしまったが、うん、確かにこれは美味しい。
(ねぇエトナ。シンシアさんは、一体何をしたいんだろう?)
(わ、私に訊かないでよお。でもこれって、やっぱり……)
(……?)
「うっわー……。いくら何でも強引過ぎだろ。お嬢、完全にテンパってるし」
「顔、真っ赤ですもんね。まぁアルス君は例の如く気付いてないみたいですけど」
「いいんですかね? このまま見ているだけで……」
そんな二人の後ろ姿に、物陰からコソコソとついて回っている者達がいた。
ゲドとキースのお目付役コンビ。フィデロとルイスの親友コンビ。そしてリンファとイヨ
がルフグラン号での会議に出ていて不在の中、代理としてアルスの護衛に陰ながら当たって
いたアスレイ隊の面々である。
市場の人ごみに紛れて──いや、流石に紛れ切れず、道ゆく人々に訝しげに横目を遣られ
ながら、一行はアルスとシンシアの様子を先刻からずっと覗いていた。一方でエトナは途中
からこちらに気付き、苦笑いを零しながらふよふよと宙に浮かんでいたが、意を汲んでくれ
ているのかまだネタばらしはしないでくれているらしい。
『アルス皇子を励ましながら、ついでに二人の距離も近づけちゃおう大作戦!』
そもそも事の発端は、先日の吐露からすっかり自己嫌悪に陥ってしまったアルスに元気に
なって貰おうと、フィデロやゲドが持ち込んできた計画である。
尤も如何せん、そこには要らぬお節介も含まれているようであったが……。それでも二人
や、反応が面白そうだと加わったルイスの口車に乗せられ、シンシアは今日こうしてアルス
を気分転換──デートに誘ったのだった。
だからこそ、彼女の頬は初っ端から真っ赤になっている。ただ哀しいかな、強引なのも相
まって、鈍感なアルスにはまるで伝わっていないようだったが。
「事情は分かりました。皇子が笑顔を取り戻してくれるなら協力は惜しみませんが、はたし
て悩みの渦中にあるままで効果はあるんでしょうか?」
「ああ。平気平気。大概のことは気持ちの問題なんだ。一旦スパッと離れちまえば何とかな
るって」
「然様。アルス殿は今、思考の袋小路におる筈だ。なまじ頭の良い方だからこそ、ネガティ
ブな言葉ばかりを自身の中で繰り返してしまう。それでは身に毒を溜めるばかりだ。多少無
理やりでも構わん。何か他のことに身を浸し、身体を動かしていればその狭窄も緩んでくる
だろう」
「……そんなものですかね?」
「まぁ、全く間違ってるって訳じゃねえけど……」
遠巻きの物陰から二人(と一人)の様子を窺い、そうひそひそと言い合う面々。
経験豊富なのか無駄にポジティブなのか、フィデロやゲドはそう言い切り、妙に自信あり
と言った様子で答えていた。訊ねたアスレイもぽりぽりと頬を掻き、ルイスやキースもそれ
ぞれに呆れながらも、これといった反論材料を持たない。
そうしていた最中だった。流石にメディアを躍らせた一国の皇子と貴族の令嬢が二人で歩
いているさまは人々の目を惹き、ご婦人などが「あらあら」「まあまあ」と生温かい眼差し
を送り始めていた。アルスとシンシアも次第にそんな向けられる視線に気付き──特にシン
シアは一層顔を真っ赤にし、何やらアルスに捲くし立てたかと思うと、ずんずん彼を引っ張
って人ごみの中から抜け出してゆく。
「あっ……。二人が行っちまうぜ?」
「うむ。では追おう」
「……はあ。こりゃもう、実質羞恥プレイだな……」
街外れから中心部へと場所を移し、今度はその中心部からまた人気の少ない公園に出た。
少し急いて歩いた為、喉が渇いてしまった。シンシアはアルス(とエトナ)を近くのベン
チに待たせると、一人また駆け足で飲み物を買ってくる。
「──はい。お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
「いやー、参った参った。やっぱり街中じゃあ人の眼が多過ぎるねえ」
最寄の露店から調達してきたアイスコーヒーを二つ。シンシアは自分と、アルスにそれぞ
れ渡し、一先ず喉を潤した。流石に息の荒くなった二人に、宙に浮かぶエトナがそうあから
さまにニヤニヤとして話を振る。
「仕方ないじゃありませんの。昨日の今日で言われて、プランを練る時間だって……」
「? プラン?」
「っ! な、何でもありません!」
カァァッと頬の赤みが濃くなり、シンシアは撥ね退けるように叫ぶと、ストローからちゅ
うちゅうとコーヒーを飲んだ。アルスはきょとんとし、エトナはすっかり面白い玩具を見つ
けたと言わんばかりに嗤っている。
「……それで。その、落ち着きました?」
「えっ?」
「えっ、じゃありませんわよ。この前の相談から、貴方ずっとため息ばかりついて悩んでま
したでしょう?」
「……まさか、その為に?」
「他に何があるというんです? 本当、私達がどれだけ心配したかと……」
「……」
ぶつぶつと、照れ臭く呟くシンシア。
だが当のアルスにはその心遣い・友愛はしっかり伝わっていたようだ。陽だまりに交じっ
て僅かに白ばむ息をゆっくりと吐きながら、彼はそっと静かにコーヒーを口にしている。
「すみません。ありがとうございました。そう、ですよね。まだ僕には、見守ってくれる人
がいるんだ」
「……」
しかし、この日の怒涛はまだこれで終わらなかったのである。一人フッと目を細めて呟い
ているアルスを見つめながら、シンシアは黙して眉間に皺を寄せていた。それは明らかに彼
に対する安堵というよりは、苛立ちに近い感情であった。
「何故、なんです?」
「え?」
「何故なんです? その、上手くは言えませんけど、何故そういつも自分のせいだ自分のせ
いだとばかり思うんですの? 他人を操るなんて無理なのですよ? 彼らの悪意に一々反応
していては身が持ちません。捨て置きなさいな」
「……。でも……」
故にそれが引き金となった。突っ込んだ問いにも尚“自罰”に縋る彼を見て、今度はシン
シアがその感情を大きく吐き出したのである。
「昔、ある魔導師の卵がおりましたわ」
「……?」
「その人物は代々魔導師を輩出している家柄で、自身も立派な魔導師にならねばならないん
だと長らく気負っていましたの。そのせいで、魔導学司校に入学を果たした頃にはとてもピリ
ピリしていましたわ。……視野が、狭くなっていたのです」
誰だとは明確には言わない。だがそれは間違いなく彼女自身の過去だった。
アルスが、そしてエトナが目を丸くし、瞬いて不意に始まったこの物語を聞いている。当
の本人はそんな二人の顔を見ることもせず、ただ眉間に皺を寄せ、やや俯き加減で話し続け
ていた。
「だから最初、彼女は許せなかった。必死になって辿り着いたスタート地点、そのトップに
自分ではない誰かが立っていた。プライドが傷付けられた以上に、自身が目指す道のりに邪
魔者が立っている。その事実自体が許せなかったのですわ」
「……」
「でもそれは、彼女の大きな間違いでした。その彼も、大きな大きな目標を胸に抱いて努力
してきたのですから。……皆を守る魔導師になりたい。その為に自分は生きてきた。何度も
理不尽な嫉妬に遭い、要らぬ争いに巻き込まれながらも、彼はただ真っ直ぐにその願いを打
ち明けたのですわ。そしてこの彼女は気付きましたの──目が覚めたのですわ。今まで自分
は家の為、自分の為ばかりに魔導を修めてきたけれど、誰かの為という意識は大きく欠けて
いましたの。大事なのは魔導師であることではなく、その技術で何をするか、でしたのに。
だからいつしか、彼女はこの人物に憧れるようになりましたわ。自分の目を覚まさせてくれ
た、真に進むべき道を指し示してくれた彼と肩を並べたいと願うようになりましたの。そし
てそれからの日々はとても充実したものとなりました。学びの全てが、彼と、この先の無数
の人々の未来に繋がっていると感じられたから」
「……。シンシアさん……」
でもっ。しかし朗々と語るその姿に、アルスが思わず声を掛けようとしたその時、他なら
ぬシンシア本人が強い口調でこれを阻んだ。キッと咎めるような眼差しで彼を見つめ直し、
一呼吸を置いてから言う。
「……今の貴方は、寧ろその“志に絞め殺されている”ようにすら見えますわ。皆を守らな
ければいけない、皆の為に生きなければいけない──同じですのよ。以前の私と全く。エイ
ルフィード家の跡継ぎとして恥じぬ魔導師になる。その一点にばかり目が行って他のことが
見えなくなってしまっていた、あの頃の私のように」
アルスはハッとなった。ぐらりと大きく瞳の奥が揺らいでいた。
エトナもきゅっと唇を結んで押し黙った。だがそこには、彼女へ対する敵意の類はない。
ぐうの音も出ないと、ただ真っ直ぐ耳を傾けるように。
「目を覚ましなさい! 他人の為という“自分の為の言葉”に囚われていては駄目。他人を
守りたいのなら、想いたいのなら、先ずは他ならぬ自分自身を大切にしなさい。自分をかな
ぐり捨ててグチャグチャになって、そのことで心配する人達のことを想いなさい! ……確
かに人は楽に逃げたがる生き物ですわ。一度作った言葉に、安住してしまうことだってそう
珍しくはないのかもしれない。でも、そんな安易に逃げないで。そんな有り様で、この私の
ライバルが務まるだなんて思わないで!」
「……。シンシアさ──」
「ほら。レディにここまで言わせておいて、まだしがみ付こうっていうの? 貴方に昔何が
あったかまでは知りませんわ。でもそれは、今の貴方を決める全てじゃないことぐらい、覚
えておいて」
思わず、今度は別の意味で感情が暴れようとしていた。アルスはぐっとそれを抑え、今目
の前で必死に訴えかけてくれた盟友に一歩近付こうとする。
だが対する彼女はついっと視線を逸らし、しかしながらスッと手を差し出していた。握手
という事だろう。その横顔は先刻街中をたらい回しにしていた頃よりもずっと赤く、今にも
燃え上がりそうだった。
「……ありがとう、ございます」
ぽむっと、アルスはその手を取った。優しく柔らかく、もう険は剥ぎ取られていた。
そうだ。何を一人で堂々巡りしていたんだ。自分には彼女達がいるじゃないか、支えてく
れる他人がいるじゃないか。……学んだ筈だ。清峰の町でも、自分一人で出来ることは限ら
れているのだと、手を取り合うから無限なのだと。
そうだ。すっかり狭くなっていた。過去──あの日、マーロウさん達を助けられなかった
記憶。自分のせいで彼らを亡くしてしまった罪。それを自分は、贖わなければならないと思
い続けてきた。その為に、誰かを助けなければと思い続けてきた。
……でも、それは結局は“自分の為”なんだね。救われたくて、誰かに十字架を下ろして
貰いたかったんだ。でも、そもそもそんな必要はなかった。生きることとはそうしたものを
背負ってゆくこと。だけど苦しいばかりじゃない。皆が皆で、それぞれの荷物を支え合う。
それが仲間というものなんだから。
「~~ッ?! ~~!? ~~!?」
はらりと涙を零してはにかんだ、アルスの笑顔。
内心、シンシアは彼のそんな表情を直視することなんてできなかった。今度は自分からぶ
ちまけたとはいえ、まさかこんなにも晴れ晴れとして救われたような笑顔を見せてくれると
は思わなかったから。
『──』
ニヤニヤ。
二人について来ていたフィデロ達も、公園内の物陰からこの一部始終をしっかりと目撃し
ていた。予想以上にいい雰囲気になったこの場とアルスの回復に、友人達はそっと、心から
安堵の笑みを零すのだった。




