81-(1) 賢者の書斎
「……書斎?」
金山羊と銀山羊の守護者を破った先にあったのは、予想の反して窓一つないこじんまりと
した部屋だった。
一体何が待ち構えているのか? 目一杯に警戒しながら扉を開けたダン達は、ついガクッ
と力が抜けたようになった。それでもそれぞれが室内を見渡しながら、ゆっくりと足を踏み
入れていく。
「ここって、やっぱり……」
「ああ。リュノーの隠し部屋ってとこだろうな」
内部は緩やかな曲線を描いた楕円形で、その両壁にはびっしりと書物の詰まった本棚が並
べられている。どうやら換気は天井から複数覗くパイプ穴を経由しているようだ。そして中
央には年季の入った書き物机と、サイドテーブルの上に置かれ、分厚い鎖で固定された小さ
めの宝箱がある。
「これ見よがしだな」
「気を付けろ。前の部屋がああだったんだ。どんな罠が仕込んであるか分かりゃしねえ」
「でも、開けない訳にはいかないんじゃない? 他に行けそうな所も見当たらないし……」
故に一行は、自然とこの宝箱の周りに集まっていた。ただ、手を伸ばせばすぐに届くとは
いえ、先の戦闘もあって迂闊には触れない。
「この鍵穴……まさか……」
だがそんな中、最初に動いたのはアルノーだった。じっと矯めつすがめつ宝箱を観ていた
彼は、はたと何かに気付くと、懐からじゃらりと大きな鍵束を一つ取り出した。そしてその
中からこの鍵穴と同じ装飾が施された鍵を選ぶと、ゆっくりと差し込み始める。
「若さん。それはまさか」
「ええ。この屋敷と、領内にある主だった設備の鍵です。代々領主が受け継ぎ、管理してき
ました。幾つか使ったことのない鍵もあるので、もしかしてと思い……」
ダン達が気付き、問う。アルノーはやや緊張気味に、真剣な面持ちのままちらとこちらを
見遣ると頷き、言った。鍵は彼が予測した通り、するりと鍵穴に入ってく。そしてカチリと
小気味良い音がした瞬間、一同は呑んでいた息をほっと吐き出す。
「……開きました」
「お、おう」
「一体、何が入っているんでしょう?」
「大方予想はつくけどな。リュノーの書斎ということは、多分……」
そうして蓋に手を掛け、用心深く箱を開ける。そこには厚手の赤布をクッションにして、
一個の宝珠が納められていた。
大きさは掌に収まるほど。それでも志士の鍵よりは大きく、一回りほどといった所か。
何より目を惹いたのは、その球内で満ちる白い靄のような色彩だった。じっと見つめてい
ればいるほど、その靄は静かに蠢いているらしく、不思議と気持ちを深く深く引き摺り込ん
でくるかのようだ。
「これは……」
「はい。間違いありません。天瞳珠ゼクスフィア──ご先祖様の使った聖浄器です」
思わずじっと目を見張るダン達。そんな中で、アルノーは唇を結んで深く首肯した。
これが“賢者”の……。最初、一同は誰が手に取るか迷っていた。誰からともなく互いに
顔を見合わせ、窺う。ジークの六華然り、聖教典然り。下手に触れてはならぬ畏れ多さとい
うものが知らずの内に定着していたのかもしれない。
「……ここは、魔導に造詣深い者が手にすべきだろう。私やステラは触らぬ方がいい。ある
意味天敵なのだから」
「そ、そうだね。触った瞬間発動してバーンってなっちゃったら怖いし」
『……』
それでもクロムが助け舟を出したことで、この遠慮合戦も程なくして終わった。聖浄器と
いう名の対魔獣用武器は、魔人たる二人にとって毒薬だ。改めてそんな事を口にされ、ステ
ラが顔を引き攣らせている。
魔導──。誰からともなく皆の視線はリュカに向いた。彼女もまた、意を決したように皆
に頷き返して進み出ると、ゼクスフィアを手に取る。
「これが、天瞳珠。何だか、不思議な感じ……」
掌に収まった白靄の小珠。リュカは暫しこれにしげしげと目を落としていた。
「ねえ。この蓋の内側、何か彫ってある」
「うん? ああ、本当だ」
「これって……うわあ。爆発の術式だね。多分、無理やり開けようとすると発動するように
なってたんだと思う」
「マジかよ。じゃあアルノーさんが鍵を使ってくれたのは、何気に正規ルートだった訳か」
そして、知らぬ間に仕掛けられていたトラップも回避し。
ミアがふと気付いた指摘にステラやグノーシュ、面々がぞっとする中、興味関心・探し物
の視線はもう一つのものへと向き始めた。言わずもがな、以前ヨーハンが示唆した「知るべ
きこと」である。聖浄器は無事回収できた。後はこの部屋や大書庫内から、彼が言わんとし
ていたものを見つけ出すのみだ。
「途中の書庫に比べりゃ可愛いもんだが、それでも大分多いなあ」
「そうですね。わざわざこうして別の部屋に置かれているということは、何か明確な意図が
ある筈ですけど……」
くれぐれも気を付けて。一同は改めて室内を探索してみることにした。それほど広くない
筈なのに、妙に謎が詰まってるような気がして落ち着かない。
「……これは」
「? どうかしましたか、先生さん?」
だが変化は程なくして訪れた。アトランダムに本棚へ手を伸ばしていたリュカが、その文
面を流し読みする中であることに気付いたのだ。
「ええ。どうやらここにある書物は、全てソーサリア語で書かれているようなんです」
「ソーサリア語?」
「古代、魔導師達を中心に使われていた言語だ。精霊族の言葉に近い、古式詠唱の原型でも
ある。だが」
「この言語体系はとうに廃れているんです。主に使われていたのは魔導開放より前、長くて
その後の暗黒時代。神竜王朝の頃には“共通言語”が取って代わりましたし、そこから更に
先、帝国時代末期に生きた“賢者”リュノーが使うというのは不自然なんです。少なくとも、
意図的に用いない限り」
「……。要するに、下手に読まれない為に敢えて大昔の言葉で書いたってことか」
「その可能性が高いと思います。先程の守護者といい、ゼクスフィアを納めていた宝箱とい
い、彼が盗掘を警戒していたのは明らかですし」
ふーむ……。リュカ、そして様子を目にして補足してくれたクロムを見遣りつつ、ダンは
口元に手をやって考え込んだ。他の仲間達もこの書物の言葉が分からず苦戦していたり、他
に何か仕掛けがないかとローラー作戦を敢行している。
益々怪しくなってきた。
このリュノーという賢者様は、よっぽどの人間不信か、構ってちゃんだったらしい。
「ダンさーん、皆さーん!」
「ちょっと、来てくれますか?」
そんな時だった。屈み込み、部屋の一角を調べていたマルタとサフレがダン達を呼んだ。
二人が覗き込んでいるのは本棚と本棚の間、ちょうど人一人がやや余裕をもって収まれるく
らいの隙間だ。そこにちょこんと、色彩を失った円陣の痕が刻まれている。
「ここを見てください。未起動の魔法陣があります」
「本当だ……。埃のせいで気付かなかったんだな」
「おいおい。また何かの罠じゃねえだろうな? 下手に弄って部屋ごと吹き飛ばしたら洒落
になんねぇぞ」
「……罠なら、そもそも起動させてあるものだと思うけど」
「うっ。それもそうだが……」
「まぁまぁ。このままじゃ何もないんだし、試しに動かしてみりゃどうだ? それにさっき
の宝箱とは違って、前もって術式も読めるだろ?」
「うん。えっと……これは、空間転移だね。何処に飛ぶかはちょっと分からないけど」
「鬼が出るか、蛇が出るか……。仕方ねぇな。サフレ、頼む」
「はい」
警戒はしたが、調べないことには新しいことは分からない。
ダン達は少し悩んだが、結局動かしてみることにした。サフレが頷いて掌をかざし、魔法
陣に魔力を注ぎ込む。コゥッと光が再び色彩を失った円陣に満ち、静かに藍く明滅し始めた。
「……特に変わった所はないな」
「空間転移だからね。何処かと繋がったんだとは思うけど……」
「渡った瞬間、また魔獣ってことはないですよね……?」
「可能性は否定できないわね。そうやった上で閉じ込める罠とか。使い魔を使いましょう。
先行させて、向こうに何があるのか確かめるわ」
手の中のゼクスフィアを懐にしまい、リュカが動いた。魔力を纏わせた指先で宙に術式を
書き、そこから数体の白い中身のない甲冑兵──騎士団達を呼び出す。
彼らは命令のままに、次々と魔法陣の光に吸い込まれていった。暫し一同はごくりと息を
呑んで結果を待つ。
一体どんな魔境が……? だが送り込まれた騎士団達がその先で目にしたのは、年季の入
った木目の調度品に絨毯、デスクなどが置かれたクラシックな小部屋だった。振り向けば大
きな古時計が立っており、その前に先程と同じ魔法陣が明滅している。
ギチチッと、騎士団達が互いの顔を見合わせた。その上で再びこれを潜ってリュカ達の下
に戻り、この光景があったことを報告する。
「大きな古時計の……仕事部屋?」
「あ。それって、私の執務室ではないでしょうか? 曽祖父が若い頃に買った物が今も置か
れているんです」
彼らの鳴き声を聞き、リュカが目を瞬いていた。そして傍らでこれを耳にしたアルノーが
はたっと気付き、手を挙げる。
どうやら罠の類ではなかったようだ。念の為ダンとグノーシュが同行し、アルノーを魔法
陣の向こうへと連れて行き──程なくして戻ってきた。そこは間違いなく彼の執務室、即ち
屋敷の地上階へと繋がっていたのだった。
「流石に用心し過ぎたか……。要するにショートカットが繋がったってことだな」
「という事は、やはりこの部屋でどん詰まりだな。ディノグラード公の言っていた場所とい
うのも」
「ああ。此処で間違いないだろう」
もう一度この地下書斎に戻って来、ダン達は改めて壁一面に建て付けられた本棚を、本棚
いっぱいの書物を見上げる。
「この中に爺さんの言ってた答えがあるのか……。先生さん、負担を押し付けて悪いが」
「ええ。解読してみましょう。時間はどうしても掛かってしまうけれど……」
当面の、自分たち南回りチームの方針が固まったようだ。天井に届くほどの本棚の群れを
見上げたまま、ダンはリュカにこれを託すことにする。
「そういう訳で若さん。暫く俺達をここに置いてはくれねえか? もし必要なことがあれば
こっちも人手を出すからよ」
「ええ、構いませんよ。可能な限りご協力すると約束しましたし、何よりヨーハン様からの
指示とあれば無視などできません。……ようやく、この大書庫も役目を果たす時が来たのか
もしれない」
「……」
アルノーからも、滞在の許可を取り付けた。元より協力は惜しまないとの回答を貰ってい
る。彼は何処か安堵しているようだった。ただ漠然と受け継いできた財物と歳月が、やっと
意味を持ち始めるのだと思えて。
「一人では大変だろう。私も手伝おう。尤も貴女ほど、学がある訳ではないが……」
「いえいえ。そう言ってくれるだけでも嬉しいわ。ありがとう」
「そうと決まれば、暫くは先生さんにボディガードが要るな。交代で番をしよう。もうぶっ
倒したとはいえ、またいつあんなデカブツが出てくるかも分からねえ」
そうしてダン達は今後の態勢について、詰めの話し合いを進める。もう最深部まで到達し
てしまった以上、大丈夫だとは思うが、用心するに越したことはないだろう。
「アルノーさん、それともう一つ。この屋敷に俺達の『陣』を敷きたいと思うんだが──」
加えて調査が長期化することを考え、転移用のベースをここにも設けようと考えた。最初
アルノーはそんな技術をダン達が持ち合わせていることに驚いたが、これもまた快く許可し
てくれる。「町の中よりは混乱も少ないでしょうしね」意図したのか否か、その向けてくる
微笑みに、ダン達はただ苦笑いを零すことしかできない。
「……よーし。じゃあ、早速始めるか。船の技師連中を呼んで来てくれ」
「うん」
「あいあいさー!」
コクリと頷いてミアが、元気に片手を挙げてステラが応じる。
かくしてダン達南回りチーム一同は、“賢者”リュノーの残したメッセージを解き明かす
べく動き出した。




