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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔下〕  作者: 長岡壱月
Tale-74.彼女という起源(ルーツ)(後編)
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74-(5) 威信

「レノヴィン達に逃げられただと!?」

「何て事だ……。市街戦を避ける為にこちらから仕掛けたというのに……」

 教団本部。謁見の間にて。

 一旦戻って来たダーレン・ヴェスタからの報告を受け、枢機卿達は悲鳴に近い声を上げて

頭を抱えていた。

 状況は大よそ最悪の部類へ向かっている。

 もしレノヴィン達が宣言通りここへ攻めて来れば、それは教団設立以来の異常事態──大

失態である。ヒステリックな罵倒。ヴェスタは眉間に皺を寄せながらもじっとこれに従順で

あろうとした。ダーレンも同じく隣で片膝をつくが、その両腕はオズから受けた一撃を手当

てされて巻かれた包帯が覗く。

「そ、それで、奴らは今どの辺りに?」

「現在部下達を挙げて捜させています。報告によると一度街の正面ゲート前で離散した彼ら

はその後、合流した様子はなさそうだと」

「二手に分かれたまま、という事か」

「おそらくは。追跡中の隊が数度、西と東でそれぞれ姿を確認しています。こちらへ直接攻

めて来る様子が見られないという事は……」

「開祖クリシェンヌの聖浄器、か……」

 中空に聖都全域の地図をホログラムとして出力し、ジーク達の出没が確認された地点を順

繰りに落とし込んでいく。街の左右、西側と東側を何度も迂回しながら、しかし確実に彼ら

は北にあるこの教団本部へと近付いて来ている。枢機卿達はたらりと脂汗を垂らしていた。

ヴェスタの応答に、自分達が奪われようとしているもう一つの可能性に行き着き、その表情

には既に絶望し切った気色すら浮かぶ。

「捜せ! 一刻も早く捕まえるんだ!」

「各騎士団全隊を駆り出せ! 全戦力を挙げて捜し出すんだ!」

 はっ──。自分達の失敗が許せないのだろう。ダーレンとヴェスタは今は雲隠れした仇に

憎しみを募らせながら、折り目正しく場を後にした。ばたばたと伝令の兵が本部各所に詰め

る神官騎士達の下へ走っていく。普段は優雅こそ美徳として振る舞う教団内が、今や上を下

への大騒ぎになっていた。

 保身、執着、怒号。

 今自分達が戦っているのは、何なのだろう?

 物理的な武力の襲来か。それとも、現在進行形で突き崩される精神の安寧か。

「……」

 そうして周囲・部下達が慌てふためいているのを、教皇エイテルはじっと玉座に座ったま

ま見つめていた。傍らでは史の騎士団長リザと部隊長ミュゼ、数人の護衛がぴたりと微動だ

にせず控えている。

 教皇という立場は即ち教団のトップだ。だがエイテルは、この時一方では自分が何処か彼

らとは別の距離に立って物事を観ているのを自覚する。

 先の自問に答えるのなら、十中八九それは後者であろう。

 何よりも重大で、深刻なのは、このクリシェンヌ教団という組織への“信頼”が大きく損

われてきているというその一点にあると彼女は考える。

 甘くみていた。自分達という組織、影響力があれば冒険者手伝いの少女一人くらい難なく

手中に収められると思っていた。しかし相手はクラン・ブルートバード、その結束力と型破

りさを自分達は低く見積もり過ぎていた。

 レノヴィン兄弟の弟、第二皇子アルスの仕掛けた反撃により、内々の内に進むべきだった

計画が人々の前に曝け出されてしまった。これはかなり痛い。今はまだ擁護──ジーク皇子

からの宣戦布告を不敬として反発する信者達が多いが、それも導信網マギネットに流出した会談の中身

によって流動票となった。喧嘩を売ったのは彼らではなく、自分達だと冷静に時系列を追え

ば明らかだ。

 つまり、人々の意思・感情をこちらでコントロールする力がかなりの割合で弱まってしま

ったということ。

 今後の展開次第で、そのパワーバランスは容易に反転──逆転しうる。組織力の大きさは

必ずしも有利に働くのではなく、寧ろ巨大だからこそ人々に「巨悪」とのイメージを与えか

ねない。

 いつまでもつか? やはり強硬だったか、焦ってしまったか?

 再三の枢機卿達の声に押された秘密工作だった。普段は姦しいばかりの小舅達だが、今回

の件においては教団そのものの存続に関わるチャンスだったのだ。自分も教皇という立場に

就いている以上、彼らと傘下に連なる信者達の安寧を守る義務がある。

 “信頼”である。いや、教団が有する“威信”とでもいうべきものか。

 大都消失事件、そこから続く“結社”による戦火が広まり始めて以来、人々は祈りよりも

武力に頼るようになった。敵と和解し、共に歩むよりも、これを打ち倒し排除する道を選ぶ

ようになった。

 ……人の情としては無理もない事なのかもしれない。だがいち信仰者として、それが彼ら

にとっての幸福になるとは思えない。寧ろ災いは近付いているとさえ思えるのだ。彼らが不

安に駆られ、それ故に団結する事こそ、“結社”の思惑に嵌っているような気がして。

 枢機卿達は言う。統務院に権力も権威も、どんどん奪われていくと。

 だがそれで人々が安堵するなら自分はそれでもいい。ただ彼らの辿る道が、本当に常しえ

の安寧に行き着くとは思えないのだ。……その点で、その点でのみ、自分は枢機卿達の意見

と合致した。もっと別の、人々を救う支柱が必要だと思った。だからこそ、レナ・エルリッ

シュ──開祖クリシェンヌと同じ色装、生まれ変わりという存在を逃す手はないと考えたの

だった。

 しかしと思う。自分もまた、人々を操ろうとばかり考えていたのではないか。策を弄する

ばかりで、人一人の想いに耳を傾けることを忘れていたのではないか。苦しみから救うので

はなく、苦しみを与えてしまってどうするのだと。

(……しがらみとは、厄介なものですね)

 エイテルは小さく嘆息をついた。目を細める。さりとて既に起こってしまった出来事を消

し去ることはできない。

「騎士団総出は構いませんが……戦うことが目的ではないのですよ? 総員、聖女様の保護

を最優先に動きなさい。ジーク皇子達はその次です。市中に損害を与えた場合、非があるの

は先ず彼らだと印象付けるように……」

 はっ──! 呼び止められた神官兵、枢機卿達はようやく放たれたエイテルの言葉に安堵

したようだった。低頭して各々が駆けてゆく。威厳を取り戻すように左右に枢機卿達が胸を

張って控えてゆく。何とも滑稽だと、エイテルは内心感じる他なかった。

「マクスウェル団長」

「はい」

「……承知」

 そんな最中だった。エイテルが傍らのリザに、そしてリザが部下のミュゼに何やら目配せ

をし、策を動かし始めたのは。

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