69-(3) 揺らぐ本拠(ホーム)
ハロルドとリカルドの私闘の一件以来、同じ屋根の下でありながら団員達の間には明らか
な亀裂がみられた。即ちそれは主に、ハロルドを庇う古参──旧団員達と、リカルドを庇う
その部下──神官騎士達の対立である。
『……』
ホームの酒場。そこはまだ昼を回った辺りながら、険のある雰囲気に包まれていた。
店主不在の閉店状態が続くテーブル席やカウンター。その方々でクランの留守を任された
団員達はグループを作って座り、同じく徒党を組んで固まっているリカルド隊の神官騎士達
とじろり、時折睨み合っては無言の緊張を続けている。
(参ったな……)
(しっ。あんまり声立てるなって)
まさに冷戦と言ってしまって良かった。
片や“結社”との戦いが始まるより前からクランの一員として所属し、ハロルドの暴走も
きっと何が理由があっての事だと言い聞かせている旧団員側。
片やリカルドに引き連れられる形でクランに合流し、団長イセルナの鶴の一声でその共闘
関係を結んでいた神官騎士側。
どちらもが、相手にこそ非があると考えていた。信じていた。
それは何より──当のエルリッシュ兄弟が真実を語らぬ・語れぬ状況にある事で、一層静
かに加熱していた筈だ。不信や敵意とは、概して相手をよく知らない──知ろうともしない
態度に凝り固まってしまった時にこそ最も高まる。
そんな目に見える対立に、第三のグループ──団員選考会以降、クランに加わったいわば
新団員側の面々はほとほと困り果てていた。同じ空間・所属を共有する身でありながら、彼
らほど強くハロルドないしリカルドを信じて、かつ片方に敵意を向けられるだけの蓄積がこ
のグループにはない。
ひそひそ。ぎゅっと押さえ込まれ、視線を合わさぬように。
イセルナ団長……ダンさん……。早く帰って来て……。
ただ彼らが祈り、頼れるのは、今は遠き場所のクランの幹部達だけだ。
「──た、大変だ~!!」
ちょうど、そんな時である。
ばたばたと、この居た堪れない酒場へと不意に駆けて来る者達がいた。先刻ハロルドの軟
禁部屋にセイオンを案内していた団員達の一部である。
数にして二・三人程度。しかし彼らの──酷く慌てた様子の彼らがもたらした情報は、良
くも悪くもこの冷たい均衡を突き崩す事となる。
「……どうした?」
「隊長が目を覚ましたのか!?」
「それよりもハロルドさんだ。まだ物置なんだろ? 流石にもう閉じ込めとくには──」
「い、いや、どっちでもないんだ。でも、その……“青龍公”がハロルドさんと話している
のを聞く限り、どうも今回の件、とんでもない事になってるみたいでさ……」
『……??』
旧団員側と神官騎士側、双方が何事かと見返し、気持ち身を乗り出していた。
だがこの団員らはやんわりとこれを退け、しかして場の面々を惹き付けるには十二分なと
ある話をし始める。
「レナちゃんの色装なんだけどさ……。実はあれって、どうも“聖女”クリシェンヌと同じ
能力らしいんだよ」
そして語られる断片的な情報。
セイオンが一族の本邸でディノグラード・ヨーハンからレナと接触を図れと依頼を受けた
こと。彼が地底武闘会の配信映像に偶然映った彼女の姿を、クリシェンヌの生き写しと表現
したこと。何よりそれらのこと──《慈》の色装イコール“聖女”という情報を投げ掛けら
れ、確認された時、ハロルドの様子が明らかに険しくなっていたこと。彼にセイオンが口に
した「教団」の一言。
まるで……ハロルドが養娘を庇おうとしていたこと。
「お、おい。それって──」
暫しの沈黙。そして驚きに歪んでいく各々の表情。
確かだとは言い切れない。だが推測のピースを完成させるには充分だった。
つまり守る為だったというのか? レナの《慈》の色装──聖女の素質に周囲の者達が気
付き、悪用されぬよう秘匿する。場合によっては実力行使にも打って出る。それがたとえ実
の弟──教団関係者でも……。
主に旧団員達は、思わず互いに顔を見合わせた。
まさか。そういう事なのか。
同系統の能力の持ち主ならば、探せば誰かしらいる。
だがあの知恵袋がこんな無茶をやらかし、且つセイオンが口にしたという生き写しという
フレーズ。
レナちゃんが……聖女クリシェンヌの生まれ変わり……?
だとすれば、ハロルドさんはその事を以前から知っていた……?
「……何てこった。もうそうだとしたら、今回のことは全部辻褄が合う」
「そ、そりゃあ、確かにレナちゃんの色装は《慈》だし」
「俺達の天使だし……」
ざわ、ざわ。
しかしそこまで秘匿していたものを、何故知られた──リカルドは知ったのか?
故に次の瞬間、旧団員達の疑いはやはりというべきか、神官騎士側に向けられた。かの聖
女と関わりの深い教団関係者ならば、事前に《慈》イコール“聖女”という情報を知ってい
た可能性が高い。
「……そうか、やっぱ」
「始めっからその心算だったんだな! レナちゃんを、教団に連れていく心算で近付いて来
たんだな!」
「はっ? 何を言って──」
「うるせぇ! これだけ状況証拠が揃ってるんだ。お前らの隊長が、この事を知らない筈は
ねえ。やっぱり犯人はお前らなんだ!」
一度はセイオンという強烈な仲裁役によって鎮火させられていた対立の火が、そうして再
び燃え始めた。
そもそも、リカルドが彼女の正体に気付き、ハロルドがそれを気取らなければこんな事に
はならなかった。
旧団員を中心として、団員達はここぞとばかりに神官騎士──リカルド隊士らに食ってか
かり始める。神官騎士達も騎士達で、いきなりの言い掛かりに戸惑い、そして怒りを爆発さ
せてゆく。
「言い掛かりだ! 俺達だってこんな話、聞かされてない!」
「そもそも隊長をボコボコにしたのはお前らの所の御意見番だろうが!」
「──いい加減にしろっ!」
「はいはい~。一旦落ち着こうか? 皆の衆」
だが……そんな再びの衝突を寸前で一喝し、食い止めたのは、この場に残っていた留守番
組のリーダー格達であった。
“聖壁”のアスレイ。
“傾奇”のテンシン。
“地違”のガラドルフ。
いずれも新団員側──団員選考会後に加わったメンバーではあるが、この二年間で実績を
重ね、それぞれ一個部隊を任されるほどになった実力派達である。
「アスレイ隊長、テンシン隊長……」
「で、ですが……」
「少なくとも、団長達が僕らのこんな有り様を望んでいると思うか? 頭を冷やせ」
「そうそう。早合点はよくないぜ? 目の前の情報をただ鵜呑みにしたって大コケするのが
世の常ってモンさ」
「……大体、このクランに合流する前から知っていたとしたら、何故二年もたった今になっ
て事を起こした? 状況から考えても、彼奴もつい最近知ったとした方が辻褄が合うじゃろ
うに」
「……。そう言われれば」
「じゃ、じゃあ一体どうすれば……」
特に普段の気難しさに拍車を掛けた、ジト目でのガラドルフの一言が大きかった。
取っ組み合いになりかけていた旧団員達と神官騎士らが、揃って押し黙る。取っていた袖
や襟元を離し、されどまだ戸惑いが抜けぬままで突っ立っている。
(……な、なぁ)
(うん? どうした?)
(これって、拙くないか? あいつらの言う通り、本当に今回の一件が隊長一人で知って動
いたものだとしたら……)
(あ……。た、確かに。そうなるともう……)
ひそひそ。一方でリカルド隊の何人かが、そう何やら小声で話し、青褪め始めている。
ガラドルフ、そしてアスレイが血の気の上った団員や騎士達に睨みを利かせていた。戸惑
いは不安や疑心となり、各々を襲う。
本当に悪いのは俺達……? それはお互いに抱き始めた疑念であった。
そもそも、今回の一件で二人に明確な善悪を付けようという事自体、間違っていたのかも
しれない。ハロルドは、やり方が平素の彼とは全く違って極端ではあったが、レナとその魂
の力を護ろうとした。リカルドも、もしかしたら彼女の正体を以って教団に連れ戻すという
意図は薄く、ただ水面下で兄に確かめようとしただけなのかもしれない。兄同様、直接血が
繋がっている訳ではないが、彼もまた彼女とは家族同然の間柄だったのだから。
「……隊長は?」
「まだ眠ってる。もう命に別状はないが、暫くは安静だな」
「……なあ。俺達は」
「ああ。青龍公に割って入って貰わなきゃ、何も出来なかったんだ……」
当初のような衝突はもう起こらないだろう。
ただ互いの間に横たわるのは、何ともし難い無力感のみである。
『──』
そして彼らは知る由もなかった。
ちょうどその頃、梟響の街へと続く街道に、目深にフードを被った武装集団が一個隊、静
かに街へと近付いていた事に。