82-(7) 黒き嫡子の剣
一呼吸で抜き放った切っ先は、そのままピタリと父・ハウゼンの喉元に向かった。
生じた城下の混乱の為、急ぎ謝罪・釈明会見をセッティングしようとしていたハウゼンと
関係大臣、官吏達。
その多くが、今やハーケン率いる兵士らによって斬り捨てられ、撃ち抜かれ、絨毯の上に
倒れていた。不幸にも絶命してしまった者や、まだ息があって震えている者達もいる。
「……何故だ? 何故お前が、私を狙う?」
「貴方が“優秀過ぎるから”ですよ、父上。きっとこの先何代も、貴方のような名君は生ま
れないでしょうからね」
剣を他ならぬ自らの老いた父親に。淡々と語るも、ハーケンの眼は確かに深く澱んだ狂気
に満ちていた。
「賢君として名高い貴方の跡を継ぐ王は、不幸だ。どれだけ頑張ろうとも、少なからずその
評判はかの先王と比べられてしまう」
「……」
「貴方が悪いのですよ、父上。民に望まれたからといって、何十年も王座に就き続けてきた
のだから。私達に手渡すのが遅過ぎたから、マリーは……」
不気味に自嘲うハーケン。そのぽつりと零れた名前に、追い詰められ動くに動けなくなっ
ていたハウゼンの瞳が大きく揺らぐ。
アトモスファイ・マリー。かつてハーケンが愛した彼の妻だ。
しかし、彼女はもういない。彼が愛したその未来の妃は、二十年近くも前に流産が原因で
死んでしまったのだから。
「ハーケン。お前……」
ハウゼンは、その僅かなやり取りだけで全てを理解してしまっていた。とうの昔、あの時
から我が息子は狂っていたのだ。最愛の人を、授かる筈だった我が子を同時に喪った悲しみ
のあまりの大きさに、彼はやがて歪んだ欲望を抱くようになる。
「私は、王にならなければいけないんです。貴方をも越える王に。天で見ているマリー達に
もしっかり届くように……」
ギロリ。その眼は長年の秘匿から解き放たれ、ありありとその狂気を現していた。剣先は
今にもハウゼンの喉を突き、裂きかねない。
焦っていたのは何も娘だけではなかったのだ。寧ろ彼女にはギュンターとの間にセネルと
いう跡継ぎがいるが、ハーケンにはそれがない。されど彼にとって妻とはマリーただ一人で
あり、代わりに誰かを娶るなどという選択肢は無かった。
「……レプリカの情報を流したのは、お前か」
「貴方には、今回の式典を機に評判を落として貰います。綺麗事を並べながら領民達を騙し
てきた王として。そして私が引き渡しましょう。本物のコウアとハクアを、あの方に委ねる
ことが、真の意味で世界の救済になる」
「? 何を──」
その直後だった。徐々に狂信的になっていく息子に戸惑うハウゼンの眼に、フッとそれま
で影も形もなかった第三者が映ったのだ。目深にフード付きのローブを纏い、俯き加減の口
元にニヤリと陰湿な弧を描く人物。
「そうさ、それでいい。結社にばかり任せてはおけないよ。僕こそが大命を成し遂げる。僕
が世界を再構築する。アトモスファイ・ハウゼン。アトスは先ずその足掛かりとなって貰う
よ。梟響の街も、陽穏の村も、塵一つ残さず消し去ってやる!」
ははははは! ハーケンよりも更に狂気と邪気で以って笑い、その瞳に底知れぬ憎悪の炎
を燃やす小柄な姿。まるでそんな彼に服従するように、ハーケンは切っ先を向けたまま微動
だにせず、ハウゼンを、実の父を澱んだ眼で見下ろしている。
完全に包囲されていた。共に居合わせた部下達はことごとく倒れ伏している。
何かを紡ごうにも、ただ歯を食い縛って無数の想いを呑み込む事しかできないハウゼン。
フードの人物がニタリと嗤い、ハーケンが剣を握り直し、配下の兵達がこれを拘束しよう
と近付いて──。
「どぅ、りゃあああーッ!!」
しかし次の瞬間、この場に乱入してくる者達がいた。ジークを始めとしたブルートバード
の北回りチームとウゲツ・ケヴィン率いる正義の盾、そしてミルヒと夫ギュンターを先頭に
した王国正規軍の大部隊である。
『っ?!』
「皇子、ミルヒ……?」
「お父様!」「陛下っ!」
「助けに来たぜ! 爺さん、まだ生きてるか?」
「う、うむ。しかし何故だ? お主らはつい先刻、ヴァルドーに……」
「ええ。まぁ色々ありまして……」
「向こうならダン達に任せました。どうやらこちらも、退っ引きならない様子なので」
「ま、あの王だ。そう簡単にくだばりはしねぇだろうけどよ」
「……っ。ハーケン! 貴方一体、何てことを……ッ!」
今度は他ならぬハーケンとその兵達が包囲される番だった。突入早々からめいめいに武器
を抜いていたジーク達やウゲツら正義の盾の面々に始まり、くわっと激怒し出したミルヒの
左右に展開し、銃剣を構えた正規軍が瞬く間にハーケン達を取り囲む。
「これは……どういう事だ?」
「……くっ。またしてもお前達は、僕の邪魔を……」
『急いで進路を西に! ダン達にもすぐ連絡して!』
それは少し前、ヴァルドーでのクーデター勃発の報せを受けてジーク達が一度ルフグラン
号に戻った時のことだった。
事情を聞いた船内の団員達は、その報せに大わらわになっていた。急ぎ出撃の準備をし、
ホームや翠風の町にいる筈のダン達南回りチームにも通信を飛ばし、この特務軍存続の危機
に一丸となって対処しようとする。
『……あれ? 皆どうしたの?』
そんな時だ。ちょうどアルスが、エトナとリンファ、数名の侍従を連れてロビーに顔を出
して来たのである。まだ何も知らないのか、彼らだけはきょとんと面を食らったような表情
をしている。
『どうしたのって……クーデターだよ。ヴァルドーでクーデターが起きたんだ』
『あの破天王に限ってそう簡単にくたばりはしねぇだろうけどさ……。万一あそこが落ちた
ら統務院は大ダメージだぜ。話じゃ“結社”も絡んでるらしいから、完全に俺達がバラけて
るのを見越して勝負を仕掛けてきたんだろうよ』
ジークが、団員達が慌しく動き回りながら答えた。ガチャガチャと武器や防具が衣擦れや
金属音を立てて揺れ、にわかに船内の空気は殺気立ったものになっている。
『クーデター!? それは本当か?』
『ああ。ハーケン王子が大慌てで知らせてくれてな。先程導信網でも確認したが、少しずつ
王都の異変について情報が出始めている』
『……』
にも拘わらず、暫くアルスは緊張感も何もなくただぼうっとそこに立っていた。いや、皆
が口々に発する情報を片っ端から脳味噌に叩き込んでいたとでも言うべきか。
『ハーケン王子が?』
『ああ。俺達クリヴェイルにいたからな。この前話しただろ? 式典やってたんだよ。まぁ
あっちもあっちで面倒な事になって、今必死に火消しに走ってるが』
『全くな。こりゃあまるで、同時に狙われたみたいなモンだぜ』
『同時……』
そして、そんな言葉が何度か行き交った少し後のことだった。アルスがふと眉間に皺を寄
せると気持ち小さく俯き、口元に手を当てて何やらじっと考え込み始める。
アルス……? 相棒がその様子に逸早く気付き、怪訝な表情を向けていた。
『ちょっと待って。それ、変だよ』
『あ?』
ガタ。次の瞬間、アルスのその一言に、ジークは勿論場にいた全ての団員達が固まる。
何を言ってるんだ? そんな悠長に構えている場合じゃ……。
しかし喉まで出掛かったジーク達の言葉は、直後全撤回されることになる。アルスの頭脳
がこの瞬間、まさに絶妙なタイミングで噛み合ったのだから。
『何でそんな情報、ハーケン王子が知ってるの?』
『えっ?』
『そ、そりゃあ、本人にしかない外交ルートとか……』
『うん。無いことはないと思う。でもそれにしたって不自然だ。同じ四大盟主の同盟国とは
いえ、他国の第一級の情報だよ? まだ導信網にも出たか出ていないかくらいなのに、どう
やって彼はそんな情報を手に入れたんだろう?』
『……言われてみれば』
『妙だなあ』
『それに“結社”が関わっているなら、その目的は統務院を破壊する事だと思う。残りの国
の警戒レベルが上がる筈だから、そんな大きな作戦に出るなら軍事じゃなく、政治的な頭を
潰した方がいい。その方が組織を無力化するには効果的だ』
『うん? ちょっと待て。じゃあアトスは』
『多分だけど、同時に狙われてる可能性が高いよ。この二国なら特務軍を動かしている実質
的なツートップだ。そうじゃなきゃ辻褄が合わない』
最早ジーク以下団員達は、顔を上げたアルスの面持ちとその言葉に抗えなくなっていた。
つまりこういう事か? 自分達は危うく敵の術中に乗りかけたと……。
『ねえ、兄さん達が最初にクーデターの情報を聞いたのは、ハーケン王子なんだよね?』
『あ、ああ。ハウゼンの爺さんが火消しに出て行ったのとちょうど入れ違いになって、慌て
た様子で……』
『悪いけど、多分その王子はグルだよ。政治じゃなく軍事が兵力で攻撃された、順番が違っ
ているということは、何かもっと別の利益を得られる仲間がいるからじゃないかな』
『……おい。おいおいおい!』
『ハーケン王子が、敵ィ!? あの如何にも堅そうな王子様が?』
『動機までは分からない。でもこんな時、目の前に出された情報を鵜呑みにすることが一番
危険なんだ』
仲間達が衝撃を受け、動揺する。
だがそれはアルスの確固たる結論だった。何よりも一度、シゼルとの一件で酷く辛い思い
をした自身が、もう二度と同じ失敗はしないと誓った、冷徹なまでの慧眼だったのである。
『少なくとも今この状況で一番有利に立ち回れているのは誰だと思う? 王子だよ。兄さん
達がこっちに戻ってきた事で、今王宮は手薄だ。さっき言ってた面倒事──レプリカだって
いうのが漏れた混乱も、アトスの機能を妨げるのに一役買ってる』
『じゃあ、もしかして一連の話を漏らしたのは……』
『王子かもしれないね。或いは別の協力者か。少なくとも、彼が“結社”か何かしらの勢力
と繋がっていることは間違いないと思う。戻って。今ならまだ止められる!』
ジーク達は思わず言葉を失い、しかし当のアルスから明確な一言を授けられた。
北回りチーム。待機中の団員達と、レジーナら技師組の面々。
一同は誰からともなく、それぞれに頷き合う。
「──詰めが甘かったみたいだな。ハーケン王子」
正直何処かで半信半疑ではあったが、今目の前に広がっている光景を見ればアルスの予測
は見事に的中していたことになる。
ハーケンが、ハウゼン──実の父親に剣を向けていた。率いた兵達も彼と一緒に会見を準
備していたらしい大臣や官吏らを斬り捨て、あちこちで息も絶え絶えに倒れている。
ミルヒとギュンターに指揮された正規軍がぐるりとこれを取り囲み、いつでも引き金をひ
けるよう待機させている。ジークは二刀を握った状態で言った。くっと、ハーケンの歪んだ
狂気の表情に一抹の焦りと怒りが滲む。
「イセルナ」
「ええ。どうやら彼が王子を唆した犯人のようね……」
そして肩の上にフッと顕現したブルートの投げ掛けに、イセルナも頷いていた。目深に被
ったフード付きローブの下で、その表情は見る見る内に憤怒へと染まってゆく。
「またか……。またお前達は、僕の邪魔をするのか」
「っ!? その声、まさか……」
だからこそ、ジーク達は思わず目を見開いたのだった。
憎々しげに吐き捨てながら、むんずと取り払ったフード。その下から露わになった顔は、
ジーク達が忘れようとも忘れられない人物の一人だったのである。
「ジーク、レノヴィン……!」
ヘイトだった。元“結社”に属する使徒の一人。魔流を差し込んで他人を操る能力を持ち、
過去幾度となくジーク達を苦戦させた人物。
しかし彼は、二年前のギルニロックにて、その私情を持ち込み過ぎる性質から組織に切り
捨てられた筈だ。他ならぬ同じ場にいた別の使徒らによって命を狙われ、それ以降消息不明
になってしまったとばかり思っていたのだが……。
以前よりも更に強烈を増した、その憎悪。
あの時受けた傷なのか、ローブの下からぎゅっと握った身体には、左首筋から胸元に向か
ってて痛々しい痕が今も残っている。ジーク達は思わず目を見張った。ギリッと、ヘイトは
そんな視線すら敵意の対象だと言わんばかりに睨み付けてくる。
「あの時の……。生きていたのね」
「当たり前だ。この僕があんな所で終わるなんてあってはならない」
「ふん。相変わらずプライドの高いガキだぜ。しかしよう、てめぇの企んだクーデターって
のも、どうやら失敗に終わったようだが?」
ジャキリと蒼桜の切っ先を真っ直ぐに向け、ジークは言った。元より因縁のある相手なら
遠慮など要らない。彼とハーケンを取り囲んだ一同は、いつでも飛び掛かる心算でいた。何
より先ずは、捕らわれたハウゼン王と倒れ伏している皆の手当てを急がねばならない。
「……ふふっ。そうかな?」
にも拘わらず、ヘイトは哂っていた。ゆらりとその場から動き出し、澱んだ眼のハーケン
の傍に立つ。反応し、地面を蹴ろうとしたジーク達よりも早く、ひそひそとこの元使徒は彼
の耳元にこう囁いたのだった。
「さあ、どうする? このままでは君は王にはなれない。失敗だ。言ってごらん、君の願い
を。どうすれば邪魔者を排除して、理想を達成できるのか」
「……王にならなければ。もっともっと、優秀にならなければ。王に、王に、天国のマリー
に届くぐらい優れた王に……」
ぶつぶつ。その虚ろになっていく眼は、本能の側から途轍もない危険を感じさせた。
おい、止せ──! ジークが、リカルドが叫ぶ。
だが次の瞬間、異変は文字通り目に見える巨大な災いと変わったのだ。まるでヘイトに導
かれるようにざらりと抜いた腰のもう一本の剣。それは禍々しいほどに黒く、実戦用にして
はやや短く幅広の、黒塗りの装飾剣であった。
「ヴぉ……オアアアアアアーッ!!」
『ッ!?』
黒塗りの剣が、刹那重く闇色を発して光る。
するとどうだろう。ハーケンの身体は瞬く間に無数の黒い触手に包まれ、次々に人の形を
失っていった。剣が彼自身を取り込んで肥大化し、巨大な肉の塊になっていったのである。
「──」
はたしてそれは異形。膨れ上がった肉塊は、全身濁った緑色の巨大な蛇の化け物と化し、
対峙するジーク達に向かって地鳴りのような咆哮を上げた。そのぐねぐねとうねる体表面か
らはあちこちに悲鳴のような怒号のような声を上げ続ける口が開き、痩せぎすの手が何本も
生えてきてはまるで何かを求めるように何度も繰り返し空を描いては、伸ばす。
「うっぷ。な、何これ……? 気持ち悪い……」
「……少なくとも、好意的な相手ではなさそうね」
「皆さん、下がってください! このままじゃ危険ですっ!」
「ハーケン王子……。あんたって人は……」
あまりの光景に、正規軍の兵士達もその少なからずが唖然とし、腰を抜かしていた。実の
弟が目の前で化け物に変わった一部始終を見せつけられてしまったからか、ミルヒも魂が抜
けたかのように突っ立ち──崩れ落ちる。それを寸前で慌てて、ギュンターや傍の兵士達が
支えている。
「ひひひ……。さあハーケン、邪魔者どもをぶち殺せ!」
ヘイトが大きく口元に弧を描いて嗤う。この緑の巨蛇に命じ、叫ぶ。
「……っ」
悲鳴混じり、怒号混じりの咆哮。
変わり果てた姿となってしまったハーケンを前に、呆然と見上げるハウゼンやミルヒ達を
視界に、ジーク達はぎゅっと眉を顰めながら、各々の武器を握り締めた。




