82-(3) 弟皇子(アルス)の一歩
「お願いします! 行かせてください!」
梟響の街、魔導学司校の学院長室。
アルスはエトナとリンファを連れ、ミレーユとの面会に臨んでいた。ブレアやエマ、学院
の教員・理事らが少なからず同席する中で、彼はそう深々と彼女達に向かって頭を下げる。
「お願いします! 僕だけが守られたままじゃ、駄目なんです!」
懇願したのは許可。自身の住居を、現在の市内のホームから実質の最前線──ルフグラン
号内に移した上で学生生活を続けたいとの申し出。
かねてから考えていた事だった。それが始祖霊廟での、兄達のピンチを防げなかった一件
を切欠に抑え切れなくなり、一度は激情のままに吐露してしまった。
仲間達に驚かれ、そして叱咤され──しかし手を回し始めたのが今日という日。
彼女の、シンシアのお陰で冷静になれたと思う。ただ闇雲に対“結社”との戦いに参加し
ても足を引っ張るだけだ。ならばもっと別の、自分にしかできないことで皆の力になりたい
と考えた。
ディノグラード大公ヨーハンが告げたように、自分達は“結社”や“大盟約”について、
あまりにも知らない事が多い。
もし皆が旅先でそういった情報の手掛かりを見つけて来たら、読み解こう。ただ敵を倒す
だけではなく、そうやって頭脳でサポートする貢献の仕方もある筈だから。特に今は聖浄器
回収の任務で皆が一所に留まらない生活だ。だったら自分が、その役目を担えばいい。
……ただそれは、少なからず現在の学業を疎かにしかねない決断でもある。
自分が梟響の街にいる──皇国に戻らないのも、形式上は留学という体を取っているから
だ。それを隠れ蓑に“結社”との戦いに加担しようものなら、筋が立たないのではと思う。
何より両親が心配するし、人々を振り回すことになる。
だからこそ先ずは、学長であるミレーユらに事前に許可を取り、諸々の環境を整えようと
考えたのだが──。
「いいですよ」
『へっ?』
あっさりと快諾。在籍している生徒とはいえ、一国の王子に頭を下げられて理事らは困惑
していたが、数拍間を置いてミレーユは実にすんなりと頷いたのである。
「あ、あのう。本当に……いいの? アルスが半分、学生じゃないみたくなるんだよ?」
「ええ。話の中で、本人が今後も講義には予定通り出席すると言っていました。その点を約
束してくれるのであれば、私どもとしては特に反対する理由はありません」
「それに、今回の申し出は学籍というよりも、住居変更の問題でしょう。総務できちんと手
続きさえ踏んでくれれば、何処から通おうとも妨げるものはありません」
「……ま、飛行艇から通う学生なんざ、前代未聞だけどなあ」
てっきり反対、押し留められるかと思えば、クールに捌かれた。思わず目を瞬くアルスに
代わってエトナが改めて確認するが、ミレーユやエマの回答は揺るがない。ブレアに至って
は苦笑いして愉しむ向きさえみせている。
「が、学院長。宜しいのですか?」
「ただでさえ皇子は在籍生の中にあって、特別な存在です。これ以上自由と申しますか、特
例を認めてしまっては、他の生徒に示しが……」
尤も、他の理事達は戸惑いの方が大きかったようだ。消極的な反対、慎重論。ただでさえ
悪目立ちするアルス──レノヴィン兄弟を抱える自分達の状況を、何とか穏便な方向に収め
ようと口を挟んでくる。
「元々特別な生徒ですよ。出自も、成績の優秀さでも。ですが今答えたように、この申し出
は学籍自体の問題というより、彼個人の通学環境の問題です。……基本、私達が口出しする
領域ではないでしょう。何より学生としての本分は引き続き全うすると約束しています。私
達が彼の留学中の学びを保障し、彼もまたそれに応えてくれる限り、貴方達の“常識”に押
し込めてしまうことは権限の乱用ではないのですか?」
うっ……。朗々と反論するミレーユに、理事達は二の句を継ぐ事ができなかった。
保身的な意図は一瞬にして見抜かれていたのだ。彼女はあくまで出自に関係なく、正規の
手続きを踏んで学院の籍に入った若者達の能力を、こちらの都合など関係なしに伸ばしてや
りたいと──その環境を整えることが使命だとの強い信念を持っているのだった。
「必要とあれば、私が直々に生徒達に説明しましょう。ただそうですね……表向きは保安上
の問題とだけ切り出しておけば。何も、ジーク皇子達を心配した勇み足だけの話ではないの
でしょう? この二年、わざわざ専用の飛行艇を造ったのも、この街に“迷惑”を掛けない
為ではないですか」
『……』
そう呟いて、ちらっとこちらを見るミレーユ。
流石は魔導学司校を一つ任されているだけの事はある。或いはクラン独自の転移網を構築
する際、聞いていたのか。
何も街の外だけに限った話ではない。未だに──今だからこそ、ジークやアルス、この兄
弟を全力で庇うクラン・ブルートバードを“疫病神”として内心快く思わない者達は一定数
存在する。早い話保身なのだが、彼女もまた、この二年で鬱積した水面下の人心を敏感に読
み取っているようだ。
「むう……」
「そう、仰るのなら……」
だからこそ、この慎重論がこれ以上の“突出を出さないこと──保身から出発していると
理解しているからこそ、ミレーユの言い回しは彼らの反論を効果的に封じた。
保安上の問題。
街の安寧の為に皇子達が住処だけでも退いてくれるというのなら、殊更声を上げて反対す
る訳にもいかないだろう。自ら首を絞める事になる。
「決まりですね。そういう事で、我々としては特に問題はありません。後日総務の方から登
録情報変更の書類を用意させます。手続き上はそれさえ済ませて貰えれば問題ありません。
後は約束通り、当学院の生徒として恥じぬ節度と勤勉さを持ってください」
「は、はい! どうも、ありがとうございますっ!」
「……寛大なご判断、感謝致します」
ニコッと微笑うミレーユ。アルスは少し噛みながらもぶんっと頭を下げて礼を述べ、リン
ファもその傍らで恭しく胸に手を当てて小さく低頭する。
「正直面食らったけど……これで学院側はオッケーだね。ジークやイセルナ達には話した?」
「ああ。ジーク様はまだだが、イセルナや幹部全員とはこの前一度。こちらの細々とした用
意は私やイヨが任されている。必要が出ればイセルナ経由で予算も人も出せるだろう」
ようやく解放されたと、ホッとした様子でエトナが安堵の声を漏らした。ごめんねと苦笑
いを零すアルスを視界に入れながら、リンファも既に次に取るべき段階を頭の中から引っ張
り出している。
「でも……いいのかなあ? フィデロ君やルイス君まで呼んじゃって」
「構いません。アルス様のご学友ですし、個人としても信頼できる者達です」
「大体本当に一人で全部背負い込める訳ないじゃない。ちょっとでも手伝ってくれる人を確
保しておいた方が、講義だってきちんと出れると思うよ?」
「うーん。それはそうなんだけど……」
計画途中だが、今回の移住に際してはルイスやフィデロ、シンシアらも招待する予定だ。
彼らの分の転送リングも発注し、サポート体制の補助員を頼もうと考えている。
……尤もそれは、表向きの理由だ。その実リンファやエトナは、彼らを一緒に迎え入れる
ことで、アルスの心理的負担を少しでも減らせればと密かに考えている。
「し、しかし。もし皇子が船外へ──分析作業の為に現地に赴くようなことがあれば……」
「確かにそこまでのケースになると、我々の監督責任の外になりますね……。ですがそうい
った場合はフィールドワークとすれば問題ないでしょう。出発する事前に、外出届を出して
貰います。レイハウンド先生。その際は随伴係、お願いしますね?」
「りょーかい。……まぁ、担当教官に回ってくるわな……」
一方でミレーユ達の方も、ケースバイケースで対応する申し合わせをしているようだ。
ちらっと彼女がこちらを見て首肯が返されるのを確認し、ブレアに告げる。少なからず嘆
息のような乾いた笑いでもって、彼もまたこの異例尽くめの教え子を見守ることに異議はな
いようだった。
「アルス様、一旦船へ行きましょう。暫定ではありますが、一度皆にこの結果を報告しなけ
ればなりませんので」
「あ、はい。それは勿論。ついでに兄さん達が今どの辺にいるのか、訊いて来ましょうか」
どうもありがとうございました。では、失礼します──。
そして互いに暫くやり取りを交わした後、一度仲間達と連絡を取るべく、アルス達三人は
学院長室を後にする。




