70-(2) 親友(とも)の為に
「──?」
魔導学司校構内。
ふと何か妙な予感が肌を伝い、フィデロは半ば無意識の内に振り向いていた。
視線は学院の外。しかし周りを行き交う他の学生の殆どは、フィデロが嗅ぎ取ったような
その違和感には気付いていないらしい。
「どうかしたかい、フィデロ?」
「ん? ああ……」
そんな幼馴染の様子に、隣を歩いていたルイスもすぐに気付いたようだ。立ち止まって遠
くに目を遣ってしまっている彼に、振り返り小さく眉を寄せながら訊ねてくる。
「なあ。さっき音がしなかったか? 何つーか、力と力がぶつかった、みたいな」
「力……? さあ。特に注意してなかったから分からなかったけど」
どれ。問い返されて、ルイスがその羽毛のような耳をそばだて始めた。
目を瞑ってじっと意識を集中させる。フィデロが見守る。そんな二人の様子に、周りを往
く学生達の何人かが小さな怪訝を向けた。
「……確かに金属音、みたいなものが聞こえる。でもここからじゃ全然何の音かは分からな
いな。物音だけなら普段街の何処でだって起きるものだろう?」
「ああ。まぁ、そうなんだが……」
流石は亜人系種族の五感である。少なくとも何かはきちんと捉えたようだ。しかし同様に
それ以上の事はこの場では判然としない。
フィデロは周りの視線にちらと横目を遣りつつ、ぽりぽりと頬を掻いていた。
気のせいならそれでいい。だが何故だろう? 妙に鋭くて、嫌な感じがする……。
「……なぁフィデロ。さっきお前が見ていた方向、蒼染の鳥の方だな」
「ん? そうだったか? 特に意識はしなかったが……」
「まぁ無理もないさ。今日はアルス君とお兄さん達が帰って来る予定だからな。あれだけ向
こうでもドタバタがあったし、心配になる気持ちは分からないでもないけど」
推測。楽観。
だが次の瞬間、そんなルイスの言葉を、話題を打ち切ろうとしていたさまを途絶えさせる
出来事が起こったのだ。
──魔導の気配。それも広範囲を、空間を捻じ曲げるかのような不快感。
故にこの場の、とりわけ魔導に通じる人間達が集まっているフィデロ達には、それが空間
結界が発動されたものであるとすぐに分かった。──辛うじて残滓。されど残滓。通常この
手の魔導が日常的に使われる事は先ず無く、周りの学生達の少なからずがこの不意に連れて
来られた不穏に眉を顰めたり、辺りを忙しなく見渡し始めたりしている。
「おいおい……。どうなってんだ? こりゃあ」
「……不本意だが、こういう時のお前の勘は当たるからな。もしかしたらクランの方で何か
あったのかもしれない」
「ええ。ご名答ですわ」
そしてその最中だったのである。はたと二人に向かって、投げ掛けられる声があった。
振り向いてみれば、シンシアだった。しかもその後ろには普段も出入りしながら、身分柄
表立って構内を歩く事は少ないゲドとキース──彼女のお付きコンビもいる。
「……どういう意味だい? エイルフィードさん」
「今貴方が言った通りよ。ブルートバードのホームで厄介な事が起き始めてるわ。本当はあ
まり余所に触れ回るべきじゃないんだけど、貴方達はアルスの親友だしね……」
普段の気難しさとはまた違った、神妙な面持ち。
それだけでルイスとフィデロは事態がかなり急を要するものだと知った。キース。彼女が
部下の片割れを呼び、その彼が周りの者達の耳に拾われないよう、一同を近くの物陰へと誘
導してから続ける。
「実は数日前、ハロルドさんとリカルドさんが私闘した」
「……。はっ?」「……」
「詳しい事情は調査中だ。だがどうもクラン内部も団員達と、リカルドさん配下の神官騎士
達とで対立し始めているらしい。険悪だ。それでも結果としては未遂。何故か偶然近くまで
来ていた“青龍公”が割って入って、戦う二人を止めてくれたみたいでな」
「……いやいやいや! ちょっと待ってくれ! 話が突然過ぎて訳分かんねぇよ!? あの
二人が喧嘩? 青龍公ゥ? 何で、何でまた──」
「落ち着け。声が大きいぞ、フィデロ。……事情は分かりませんが、僕達にそんな大事な話
をしに来たということは、何か変化があったんですね? それも悪い方に」
「ああ。そういうこった。つい四半刻ほど前、史の騎士団がホームを訪ねて来たんだ」
思わず声を荒げる相棒の口を塞ぎつつ、ルイスが声色を抑えて問うた。そして再度キース
から返ってきた情報に、二人は思わず目を丸くして顔を見合わせる。
「……本当ですか?」
「ああ。市中の部下が酒場ん中に入っていく所を見たから間違いない。おそらく余所の密偵
も、今頃それぞれ本国に報せてるだろうぜ」
「問題は史の騎士団、という点だな。知っての通り彼らはリカルド殿の元々の所属。しかも
兵を連れて訪ねて来たのが同騎士団長“映し身”のマクスウェルときた」
「おそらく、二人の私闘を聞きつけて捕らえに来たんでしょうね。共闘関係を揺るがす大事
件な訳だから」
『……』
キースからゲド、そしてシンシアへ。
継がれて語れるその報せに、ルイスとフィデロは只々唖然とし、深く眉間に皺を寄せるば
かりだった。
ここまで話されれば自分達でも分かる。
クラン・ブルートバードが危ない。場合によっては、教団という巨大な組織を敵に回す事
になるかもしれない。
「……やばいじゃねえかよ。アルスは──お兄さん達はどうしたんだよ?」
「まだこちらに帰って来る途中の筈だ。おそらく不在も折り込み済みでやって来たんだろう。
幸か不幸か、場には“青龍公”と、後から追いついてきた正義の剣の連中もいるがな」
『……』
他にもまだ来てるのか……。
フィデロはぱくぱくと口を開き、しかし次の瞬間にはぎゅっと唇を結んだ。隣でルイスが
ちらとこの友の考えを見透かしたように、同時にそれは無謀だと眼が語っている。
「そういう訳だ。暫くはあちらに近付かぬようにしてくれ。皇子の友であるお主らには、先
んじて報せておくべきだろうという話になってな」
「今、キースからお父様を経由して、アウルベ伯に動いて貰っているわ。……いいこと?
状況は既に学生のレベルを超えてるの。頼むから大人しくしていて。せめて、アルス達が戻
って来るまでは──」
「馬鹿野郎! じっとなんてしてられるか!」
だが相棒のアイコンタクトも、事前に蓋をしに来たシンシア達の言葉も、フィデロには届
かなかったらしい。彼女の発言を遮り、フィデロが大急ぎでその場から駆け出そうとする。
魔導具の指輪を嵌め、向いた方向は、酒場『蒼染の鳥』……。
「ちょ……?! あ、貴方人の話聞いてた? 私達が下手を打てば状況はもっと悪く──」
「知るかよ、ンな事。それにお前の話じゃあ、それこそアルス達がそいつらとかち合っちま
うかもしれねぇじゃんかよ。放っとけるか。せめてこの事、知らせてやんねーと……!」
半ば顔を引き攣らせて呆然としているシンシア。そんなさまをゲドは呵々と笑い、キース
はやれやれと肩を竦めて嘆息をついている。
「……エイルフィードさん。情報ありがとう。でもあいつにとっては、それは火に油を注ぐ
ようなものだよ?」
こういう奴なんだよ、昔っから……。ルイスは小さく苦笑っていた。されど彼もまた物陰
から身を起こし、こちらに「おい、早くしろ」と促してくるこの腐れ縁と共に歩いて行こう
とする。
そうしてやっとシンシアがハッと我に返った。駆け出していく二人に向かって、彼女は甲
斐がないと何処かで解りつつも、叫ぶ。
「ま、待ちなさい! じゅ……授業はどうするの!?」
「はは、そうだねえ。でも」
「ダチのピンチだぞ? それ所なもんか!」




