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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Cancer
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爪先立ち

 某大学医学部の空き教室。ガラリと引き戸を開けると教室中央に一人の女性が本を読んでいた。耳障りな音に溜息一つ漏らさず読みかけのページに栞を挟んだ。上げた顔には「あら、あなた何時いたの?」と含みを持たせ来訪者を見つめた。

 ハラリとワンテンポ遅れて落ちたサイドを耳にかけ「入りなさいな」と来訪者に声をかける。しかし、来訪者は動かなかった。


「扉開けっ放しだと風邪ひいちゃうでしょ。それとも、なぁに? 私を病気にさせて弱々しい私を見たいのかしら」


 在原(ありはら) まどかは真っ赤な唇をペロリと舐め、上目遣いに来訪者を見つめる。

 色白の肌も黒い長い髪も流行り廃りなど関するところなし。今が盛りと燃え立つ美貌。その整いすぎた顔立ちは、歴史の前後を問わず「美」と称されるに違いない。

 加えて、彼女は自分の美貌を認識している。己を「醜」と呼ぶのを認めず、「美とは即ち己」この強すぎる美学は凛とした彼女の表情にも表れている。気高すぎる彼女は、その気高さゆえ、他人から排斥されている。 

 また、彼女も他人を排斥していた。排斥が原則。例外として来訪者のような需要される者。

 例えばこの来訪者。金髪に近い茶髪。同じ色をした童顔の男。上貞(うわさだ) 和樹(かずき)

 彼は軽々しく彼女に近づき、あろうことかその髪を掬い上げたのだ。


「そんなつれないこと言うなよまどか。俺はアンタじゃなくてまっすんに用があるんだよ」

「あらそうなの。残念ね。増見君は現在お取り込み中。彼も貴方に用は無いはずよ」


 そう言うとまどかは顎で教室後方で勉学に勤しむ増見 光成を指し示した。


「何してんだあいつ? テスト前じゃないのに勉強して」

「上貞君。テスト関係なく勉強はしておくものよ。サボっていたら、四年時CBTに落ちて臨床に進めないわよ」


 微笑を浮かべるまどかが読んでいた本は基礎遺伝学の基本書だ。余裕ある彼女と対照的に童顔の和樹の顔はひきつっていた。手にした黒髪は主の動きにならい離れていった。


「立っているのも目障りよ。座ってくれない?」


 まどかの命令に彼は大人しく従った。彼女の目の前に座り、背もたれに上半身を押しあて

彼女の机に顎を乗せた。大きな目がまどかの上品な顔を映し出す。口を尖らせて「まーどーかー」と低い声で名を呼ぶ姿は彼の顔と同年齢の幼き仕草であった。


「まーどーかー」

「何かしら? 用件は素早く伝えてくれない?」

「あいつ、何のためにバイト始めたんだ?」


 彼の問いに彼女は「あぁ」と前ぶりを置いた。光成の姿を確認すると彼女は前屈みで密やかな声で答えた。


「通信添削のバイトよ。稼がなくちゃいけない理由ができたのよ」

「はぁ? まっすん借金でもこさえたんか? 金遣い荒くないだろう。あいつ」

「えぇ。彼ほど金と酒にがめつい男、この大学にそういないわ」

「じゃぁアレだ。まどか、お前だろう。お前がまっすんに貢がせたんだろう?」


 そう言うと、和樹はしてやったりと邪まな笑みを浮かべて彼女を「悪女 あくじょぉ」とはやし立てる。そのような仕打ちをプライドの高い彼女が許すだろうか。分厚い遺伝学の基本書を勢いよく閉じた。ボンッと軽い空気の塊が彼女の顔にかかると、前髪、耳にかかった髪がハラリと乱れていった。黒髪の御簾からチラチラと姿を現す鬼女の顔。それがまどかの能面となった時、全てが終わるだろう。


「何か?」

「いいえ。何も」

「そう。正直者にはご褒美をあげなくちゃね」


 彼女はイケナイ舎弟の鼻に散った付箋を貼り付けた。


「彼ね、スペインから帰ってきたイトコさんを養うことになったの」

「何だよその話。えらい急だな」

「私達には急よ。それでも一週間以上の話。でも彼はイトコさんの帰国日を忘れていたらしいから。えぇ。特段急な事でも何でもないわ」

「で、そのイトコってまっすんが養わなきゃならないぐらいに小さいのか?」

「いいえ。私達と年齢は変わらないぐらいらしいわ」


 彼女は呆れたように溜息をつくと、頬杖をつき窓の外を見つめた。そこに広がるのは一級河川と河川敷。うす曇の天候で見るからに寒々しい。


「何でも、こんな時に帰国しなくて良いものの」


 まどかの呟きを和樹は無視した。彼も彼女が見つめる方向へ視線を動かし、机のシミに視線を戻した。


「でもおかしな話だな。なんでまっすんが金を稼がねーといけないんだよ。本来はアッチの親御さんなりまっすんの家の人が援助するもんだろ。だって、まっすんの家は老舗酒蔵の――」

「上貞君」


 まどかは語気を強めそれ以上言わせなかった。和樹も自分が危うく地雷を踏みそうになった事に気づき「すまん」と彼女に返した。二人の間に重い沈黙が漂う。彼女は腹の底から息を漏らすと、気を取り直して再び口を開いた。


「増見君が言うにはね、スペインのイトコさん変わり者らしいわ」

「へぇ」

「彼、朝にとても弱いんだって。増見君が寝坊した時、彼が『なんで起こしてくれないんだよ』と言ったら『殺すぞ』って目で返してきたんだって。それぐらい彼も朝に弱いの。()()()()()でね」


 そこまで言って、彼女はようやく笑顔を見せたのだ。

 プライドの高いまどかが光成と和樹に心を許した一つの理由が朝の弱さである。

 月曜一限必修科目。新入生は出席を厳命されていたのだが三名のみ遅刻をした。

 在原まどか

 上貞和樹

 増見光成


 顔を真っ青にした三人に教授は雷を落とし、温情でレポート提出を特別課題とした。

 良門とも悪門ともいえない難問に三人は涙目になり、レポート提出を突破するには協力するしかない。自身の単位死守の為、三人は協力し合い知恵を絞りなんとかレポート提出にこぎつけたのである。その甲斐あって授業出席は認められ、愛でたく三人揃って単位を落としたのである。

 今では同じ轍を踏むまいと、一限必修科目がある時はスマホで起こしあい校門で待つ関係となった。


「朝に弱い人は夜に強い人が多いわ。だって夜は楽しいもの。お酒もお金が絡んだ遊びも。昼は制限されていたのに夜は許される。子供の頃は、歓楽の手から守られて『夜は出歩くな』って言われたけれど、その手が無くなり夜出歩く事が出来て私達は初めて大人になれる。歓楽と享楽()の世界。そんな世界が死んでいる今、帰ってきてしまったイトコさん。本当にかわいそうよね」


 まどかは重ねて「かわいそう」と言った。それは会いもしないイトコに対してか。はたまた、自由を制限され籠の中の鳥に戻ってしまった自分に対してか。まどかはクスクスと口の中で笑い声を響かせると、和樹の鼻につけた付箋をピリッとはがした。


「彼はね、不自由させたくないから稼ぐんじゃないかしら」

「そのイトコに対してか?」

「さぁ。不自由になったのはイトコさんだけ。かしらね?」


 まどかの問いに和樹は「不自由ねぇ」とだけ返した。正直な事を言えば、彼は彼女の質問の意図が理解し得なかった。よく分からない禅問答に関わるより、相方の元へ。と足音を殺して光成に近づく。

 まどかは和樹や光成に視線を送らず、挟んだしおりを取り出した。授業の予習に取り掛かろうとシャープペンシルを持ったところで、和樹は足早に彼女の元へ戻ってきた。


「まどか」

「何、かしら」

「あいつ、勉強してねーで寝てるぞ」


 光成は授業の復習を。まどかは授業の予習をしたい。だが、一人では勉強できないので互いの監視下で、という名目で空き教室を独占し勉学に励んでいたのだ。

 教室内に沈黙が漂う。空調のモーター音に紛れ規則正しい呼吸音。スー ハー と口で吐く息とは違うンーと鼻にかかった鼻息。

 まどかは立ち上がり光成の側へ近寄った。和樹が取り押さえるよりも先に彼女の目は彼の寝顔を現認した。


「彼ね、私に言ったの。イトコが来てバイトが増えて勉強時間を確保することが難しくなったって。だから、一緒に勉強しようって」


 彼女の声は震えている。気のせいか、手にしているシャープペンシルまで震えていた。和樹の身体も震えている。嫌な予感がするのだ。


「私、大変だなぁ。って思って彼に感心して褒めてあげたの。『あらぁよい子ですねぇ。それじゃぁ、私と一緒に勉強しましょう』って」


 彼の予感は当たった。彼女のシャープペンシルは今や遅しと光成の延髄目掛けて振り下ろされている。「起きろ! まっすん!」その絶叫はむなしい男の叫び声によってかき消されてしまう。

 こうして某大学医学部の日常は過ぎていくのだ。


 在原まどかは排斥されている。

 その排斥には二つ目の理由があった。

 瓶持てばアジャ・コング

 バット持てばバレンティン

 叫ぶ姿は鬼奴


 上品ながらも猟奇的名彼女は、人から距離を置かれ孤立するしかなかった。そんな彼女を哀れに思い引きつったのが光成である。いや、引き取る以外に彼には道が無かったのである。


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