エゴイスティック・コバルトーレ
「今回の演目、竹取物語についてどう思われましたか?」
「別に。良いんじゃねぇの?」
梨花は目だけを動かしカグヤを見る。蒼い瞳はカグヤに回答の続きを促した。しかし、それ以上の答えが返ってこない。視線はカグヤからメモに移り「良い」とだけ記した。
「今回は文語体の上演でした。こちらについては?」
「さぁてね。俺は全く分からなかった。けど、わかるんじゃねぇのか? 同じイキモンだろ」
「同じイキモノだから分かり合える。という意味ですか?」
「ちげぇよ。言っているニュアンスが分かるってこった。お前、そもそもあの話キチンと理解してんのか?」
梨花は顔を伏せたまま何も言わなかった。カグヤの問いに形ばかり「まぁ」とだけ答える。
質問の下には、カグヤが言った通り「言っているニュアンスがわかる」とだけ記す。
そして、残された質問は一つ。
「今回の中等部の演劇の感想を教えてください」
梨花は質問に目を通す。二度、三度、文字を目で追い、スゥと息を吸う。瞼を閉じ、再び開く。
「最後の質問です。竹取物語のかぐや姫について、あなたはどう感じましたか?」
彼女はメモから目を離し、カグヤの顔を見る。輝きすぎると思わせた目は更に強さを増す。感情を匂わすことを拒絶した顔の中、目だけは意志を示している。
「別に。さっきも言ったが良いんじゃねぇか?」
「いいえ。それは作品に対する感想です。私は、竹取物語の登場人物、かぐや姫について質問しているのです。……カグヤ」
彼女の目はカグヤの顔を見たまま。首から下げている「増見 香久耶」と書かれた名札に視線を向けることは決してしていない。
彼女と彼は初対面。それでいて、彼の名前を「カグヤ」と何のためらいもなく言い放つ。日本人らしい当て字を施していても、「カグヤ」という本当の名前を看破している。彼女は彼を知っている。彼は彼女を知らない。この構図で浮かぶ推論は一つ。
「彼女は月の人間」
だが、月の人間とはいえ、誰も彼もが地球に降り立つことは出来ない。月と地球を往来するには五つの鍵 ホトケノミイシノハチ ホウライノエダ ヒネズミノカワゴロモ リュウノアゴノタマ ツバメノコヤスガイ のうち一つを有していなければならない。
鍵を有するのは月の四賢人と嫦娥のみ。
月の四賢者の一人「キャンサー」が有していた仏の御石の鉢は先日破壊されたばかり。
残り四つのうちどれか一つを彼女は有している。
つまり、彼女はカグヤの知らない月の四賢人。
特異な髪の色も輝きすぎる瞳もこれで理由がつく。特異・異質さは月の人間の特権だ。
「……」
「沈黙、ですか? なら質問を変えましょう。自分の母親があのように脚色されてどう思いましたか?」
「てめぇ……」
「私は分かりません。母親が脚色された経験がありません。けれども、父の存在が変容した経験はあります。その時、気持ちはありました。気持ちのきっかけは、カグヤ、あなたが私の父を殺したことです」
カグヤが握りしめている肘置きから軋む音がした。
「学校の備品です。大切に扱ってください。命と同じです。それが同じように元通りなんてわけにはいきません」
抑揚を押し殺した声。だが、爛爛と輝く瞳は、彼女の裡に芽生えた感情、いや、彼女がはっきりと自認できるほど芽吹いた攻撃性を表している。
鹿住 梨花の表情は空虚のまま。ガランと荒んだ内に燦然と輝く塊は、その存在を確かに放っていた。
「自分の母親が見世物になったのはどんな気持ち?」
「アレは俺の母親じゃねぇ」
「なにそれ。実の母親が出演していたAVを見た男の感想みたい」
カグヤの顔が明らかにひきつった。むき出しになった犬歯。握りしめた肘置き。言葉を漏らさず、フゥフゥと熱く湿った吐息を漏らしている。
カグヤも成長した。光成と出会う前の彼なら、肘置きとは言わず、周囲の椅子を巻き添えに全ての椅子を破壊し尽くしたはずだ。
月の至宝にして月の暴力装置。この二つ名に違わぬ力を持って、梨花を殺しにかかる。
そのような男が、今では申し訳程度の忍耐力をフル活用し、地雷原を踏みにじる彼女を無視し、受け流している。
キャンサーが生存していれば、わずかばかり成長した忍耐力に対し拍手を持って讃えたに違いない。
「増見 光成の影響を受けている可能性をキャンサーから聞かされた時、あのカグヤが月の暴走を経てナリを潜めるなんてにわかに信じられなかった」
光成の名前を口に出され、カグヤの視線の凄みが増す。剃刀のごとく鋭利で触れるもの全てを痛めつけんばかりの威圧。梨花を遠巻きに見ている温室育ちの下級生達が触れれば、失禁・失神といった年頃の少女の尊厳が崩れる結果になっただろう。
無菌室の少女たちに、今の彼は害悪だ。
「でも、キャンサーの言い分は理解できた。例えるならば、月での貴方は触れてはいけない核兵器。でも、今は違う。標本箱の中、虫ピンで羽を止められた蛾よ。生きているか死んでいるかを問わず、カグヤの名前だけ見世物になり下がった、ね」
梨花の目が猫の瞳のように細まる。かすかだが、口角が上がった。
「カグヤ、あなたが虫箱でおとなしくしているなら……。私は貴方を見逃してあげる」
「んだよ、それ」
「貴方は月がイヤでイヤでここに逃れてきたのでしょう。地球から逃げ出していない。それは、地球での生活は悪くはないと思っているから。それは私も同じ。私も、地球での生活は悪くはないと思っている」
梨花はメモを胸に押し当て、空いている手をカグヤに差し出した。
肘置きを片手で破壊できる男に手を差し出せば、彼女の手が粉砕されるおそれがある。
おまけに、彼女はカグヤをあえて挑発し、暴発するかしないかの薄氷の上を歩いていた。
もちろん、無策で歩いていたわけではない。
彼女は境界を見ていた。どこからどこまでが安全で、どこからどこまでが危険か。
つまり、安全地帯の把握。
安全地帯、それは増見 光成の存在がある限り。いや、彼の許可がおりない限り、彼は暴れることはおろか、本来の能力を発揮することはできない状況をいう。
彼女は光成とカグヤを見ていた。照明が落とされた講堂の中、ジッと目をこらし舞台の端から彼らを見つめていた。
二人の行動から、「カグヤは光成から暴れて良い許可を得ていない」と理解した。
鹿住梨花が置かれている立場と光成から暴れて良い許可を得ていないカグヤの状況。
「この世界ではね、制服を来ている限り、少女は強いのよ」
梨花の立ち位置は紛れもない安全地帯であった。
「取引よ、カグヤ」
彼女はカグヤは自分がもちかけた取引を拒絶しないと踏んだ。
カグヤの素性と自分の素性。詳らかにされたくない出自と平穏な生活。そして、月に戻ることを天秤にかけた際、後者は他者に劣後する。梨花もカグヤも月よりも地球の生活を望んでいる。だから、自分の取引は成立すると確信していた。
「ったく」
カグヤは梨花を睨むと忌々しく舌打ちをした。肘置きから手を離し、手のひらを彼女の手に向ける。
(あぁ。そうよ。彼は取引に応じるはず。その手は自分と握手するためにあるのだから)
と確信し薄ら笑いを浮かべた。
彼女の輝きは強まる。しかし、カグヤの手は梨花の手を握らなかった。握り返すはずの手は、乾いた音を立てて指先を弾いた。
乾いた音に、痛くもない梨花の頬がズキンと痛んだ。
「取引だぁ? 馬鹿言え。このカグヤ様を相手に、誰が月の人間と取引をするもんか。自分の舌を何分割にも分けてしまうクソと誰が対等な立場になるもんか」
梨花の細めた目が大きく見開かれる。
「対等な立場? あなたこそ自分の立ち位置を理解しているの? ここは月ではない。地球。嫦娥の器足り得ない貴方は、今でも私より上にあると思っているの?」
「うるせぇ。俺はてめぇが気に食わねぇ。テメェの舌が何枚あるか知らねぇ奴と同じ立場で取引なんかしたくねぇんだ。っつーか、いい加減ひっこめろその目。まぶしいんだよクソが」
梨花下唇を噛み、は弾かれた手を癒すように撫でる。カグヤの言葉に応じたわけではないが、コバルトブルーの瞳は翳を帯び濁りを湛えている。。
「取引はしねぇ。俺はお前が気に食わねぇ」
「あなたを気に入る人間は特殊な存在。感謝なさい」
「口が減らねえクズが。ついでだ。言ってやる」
「……」
「月の四賢者は殺す。俺が俺の為、生きるために殺す。これは警告だ。俺の領域に入るな。俺の気分を害すな。気に障ったら終わり。その時は全てをブチ壊してやる。てめぇも、てめぇに関するものも。てめぇが月駒を使うのなら、その月駒もブチ殺す。月駒はコッチの人間じゃないからな。地球との契約違反にはならねぇよ」
梨花は何も言わない。一度視線を落とし、最後の質問にゆるゆると、こう記した。
「とても最高の劇だった」
「わかった。貴方とは取引はしない。でも約束はして欲しい。私の、この生活を脅かさないで……。この生活が……、好きだから。約束」
彼女は「約束」というと、小指を立ててカグヤに突き出した。
「なんだソレ?」
「地球では、約束をするとき、小指を絡めるんの。『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。指切った』。誓約よ」
「針を千本飲まして指を切って殺すのか?」
「貴方らしい感想。本当にコレで死ぬかどうかなんて分からないでしょう。苦痛の中で発狂するぐらいじゃない?」
カグヤは梨花の差し出した小指に自分の小指を絡める。
「俺の約束は、てめぇが俺の領域に入らねぇ限り守ってやる。約束だ。そのかわり、破ったら舌を裂いて、針千本飲めよ」
重ならない二人が重なり合う。「約束」そう口に出した言葉を彼女は深く噛み締めた。




