オールド・バンブー
「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」
中等部演劇部の演目は竹取物語だった。しかも口語体。
古典を学習を開始したばかりの中学生、いや、未習熟の現中学二年生に酷なことをする。と光成は思った。
だが、いかな口語体とはいえ”竹取物語”は日本人になじみある話。言葉はわからずともおおよその内容は理解できる。だから、文語体にて中学生でも演劇を上演することができるのだ。。
光成は冷ややかな視線で舞台を見つめる。玲奈は未だ登場せず。もちろん、梨花もだ。
鹿住 梨花。
その名前が頭の中をかすめただけで光成の心がジクジクと沁みるように痛む。
耳にかけた髪を震わせつつも、、感情を内側へ閉ざした少女。木漏れ日の光を受け、宝石のように輝くコバルトブルーの瞳。
「今・ここに・存在していた。それが、私にとっての裏切り行為」
どのような経験をすれば、安物の人工音声を思わせる口調となるのだろう。彼女の声には、熱さも重みといった”在るべき”要素が欠落している。光成と出会った時もそうだ。淡々と話し、淡々と物語を切り上げていく。話しても、話し甲斐を一切感じない。相手の反応を見て、円滑に会話緒進めようとするコミュニケーションの根本が感じられないのだ。
梨花との会話は、出来の良いおしゃべりロボットと話している空虚さを覚えてしまう。
そのような彼女から放たれた言葉。しかも、
「裏切り行為」
という強烈な絶望と疎外感を引きずり出す言葉。響くはずのない彼女の言葉が光成の心に驚く穂深く刺さり、ひた隠しにしていた過去を呼び起す。
ーーおれが一体何をしたっていうんだーー
光成は下唇を噛みしめる。横に座っているカグヤと他人は歪んだ彼の表情に気づかない。
講堂の照明が落とされていることを良いことに、彼は舞台にいない梨花を思い睨みつける。
ーーいつもそうだ。おれは一度だって自分に期待してほしい。なんて言ってない。他人が勝手に期待して、自分の思うような結果じゃなければ失望して、おれに裏切ったとか、期待外れだった。なんて言ってくる。そもそも、おれに一体何が出来るっていうんだーー
話は進み、帝が登場した。
帝は、かぐや姫の姿を見ようと狩りの名目で翁の家を訪れる。
帝役は玲奈だ。
ポニーテイルを烏帽子の中に隠し、大きな瞳はメイクの力で涼やかな切れ長の瞳に変身している。彼女は他の女子より上背があり、骨格もがっしりしている。
平安時代を連想させるまぁるい雅な雰囲気を匂わせつつ、誇張気味ではあるものの直線的な動きで家の奥へ逃げようとするかぐや姫の袖を掴む。顔を背け、見られまいとした姫の首筋に顔を近づけ、耳元で大人っぽく囁いた。
「許さじとす」
そのまま首筋に顔をうずめキスを交わさんばかりの勢いに、一部の生徒から色っぽい溜息が漏れた。
吐息にまぎれ、悲鳴を上げたかったのは光成だ。まるで自分の胸中を見透かしたかのような一言。バクバクと脈動する心臓をなだめるよう喉ぼとけの中で咳をする。
かぐや姫は帝の手から逃れ、舞台袖へ生き得ていく。代わりに翁が現れた。
名残惜しそうにかぐや姫を逃した手を見つめる帝。翁にかぐや姫を説得するように話す帝の低い声に後ろに座る少女が「素敵」と声をもらす。
ふと、光成はカグヤのことが気になった。今更ではあるが、自分は梨花と合わなくとも、座り心地の悪い気持ちにあったことに気づかされる。
ーー竹取物語っていうえんもくが悪すぎるーー
かぐや姫と同じ名前を持つ男。かぐやが姫が五人の貴公子たちに与えた難題と同じ名前の宝を、月の人間は地球と往来する鍵と言っていた。そして、鍵の一つ キャンサーの体内に埋め込まれた仏の御石の鉢は先日カグヤの手によって破壊された。
「がめつい女」
彼が先代のカグヤに抱いている心証はよろしくない。自分と、あまり好きでもない女と同じ名前の物語が掛け値なしに面白いと誰が言えるであろうか。
光成はカグヤの横がを盗み見る。開演前、やや眠たそうにしていた男は、目をしっかりと見開いている。肘置きに頬杖をつき、唇を尖らせて舞台を睨んでいる。眉間に刻まれた皺を見て、光成はカグヤが不機嫌になっていると思い、彼を学園祭に連れてきたのは失敗だったと猛省するのだった。
三十分にも及ぶ舞台は無事に終了した。演劇部員たちは「失敗は許されない」張り詰めたプレッシャーの中、三十分を走り切った。緞帳が舞台におり切った時、舞台の袖から漏れる深く長いため息が、彼等が作品に込めた思いを示している。万雷の拍手は、疲労の海の中に沈んだ彼女達をすくいあげたことだろう。
疲労の質は違えど、観客も同じだ。センター試験以降、古典に触れなかった人間には口語で紡がれた竹取物語は苦行の他何物でもなく、講堂の照明が戻った時には、長距離走を完走したに匹敵する疲労が襲い掛かってきた。
地球の生活はおろか、二本における義務教育を一切受けていないカグヤはどうであろうか、と視線を送る。彼は、頬杖をついたまま舞台を見つめる。合図に気づかない彼の肩を指で叩くと、今度は腕組みをした。
「カグヤ」
「……」
彼は答えない。
「悪いな、カグヤ。わけのわかんないものにつきあわせて……。つまんなかっただろ?」
「は?」
威圧的な口調に、光成の肩が震える。
「ほ、本当に悪かったと思ってる。演目が竹取物語って知らせれていたら君を連れてこなかったよ」
「……ん?」
「まさか、口語体での上演って……。おれでもわかんないのにカグヤはもっとわかんないよな。わかんないものを見続けるって苦行だもんな。つまらないもんな」
「おいちょっと待て、コウナ。俺が、いつ、つまんないって言ったか?」
鋭い口調も視線も変わらず、光成を射貫く。体をグイッと近づけると眉間に皺を寄せたまま言った。
「おまえ、こーんな面白いもんをよくつまらないって言えるよな」
「……へっ?」
面食らうのは光成の番だった。
「むちゃくちゃ面白れぇじゃん。コレ、あのジャリガキが男のフリして女を口説いたり、女がジジイとフリしたり。良い狂いっぷりだぜ。普通はできねぇよ。こんなこと。変なことを真面目腐った顔をしてやり遂げる。正気か? あいつら」
「いやな、カグヤ。これは演劇といってな、役者が物語の人物になりきって表現する芸術なんだよ。純粋にこの物語を作らい。ってみんなが思って演じているんんだ。正気とかおかしいとか、そういうことは絶対に言っちゃいけない。その人たちを侮辱していることになるよ」
「ふぅん。そりゃわるかったな。で、竹取物語、か。噂には聞いていたがあの強欲女があんな風に仕立てられてるなんて思いもよろかなかった。そっちの方がすっげぇウける」
「ちょっ、ちょっ。ちょっと待て。それってやっぱりアレか? 以前言ってた月と地球を往来するための鍵を持ち逃げした人物があの竹取物語に出てくるかぐや姫って同一人物なのか?」
「はぁ? お前そこ理解してなかったのかよ。そうだぜ。お前達のいうかぐや姫っつーのが、俺の前のカグヤ。つまり、嫦娥(月の意志)を受け入れるべき器だった奴さ」
「かぐや姫、がめついのか?」
「クソがつく程に強欲でがめつくて、ワガママで身勝手。最低最悪な女。あんなしおらしい女じゃねぇとは言える」
「……。頼むからカグヤ。それはおれ以外の前の奴では絶対にいうなよ」
カグヤは「応」とは答えない。視線は光成の肩を越え、向こう側を見つめている。振り返ると、そこには玲奈の両親が上品に立っていた。
光成は綿得て立ち上がり、ペコペコと尺取り虫のようにお辞儀をする。
「悪い、カグヤ」
「わかった。行って来いよ。俺はここで待ってるから」
カグヤの言葉にうなづき、光成は玲奈の両親を連れだって講堂を後にする。
舞台が終わり、観客が一人 また一人と講堂から姿を消していく。
舞台裏から、学年の若い生徒たちがゾロゾロと忘れ物がないか確かめに現れた。確認するためにうごく姿は、アリの巣から這い出た働きアリのようでもある。
彼女たちの間を割って入るように現れたのは上級生。彼女たちは一様にメモを片手に、講堂に残る生徒や父兄に声をかけていた。
「すいません」
カグヤの頭上から声がした。見上げると、カフェラテ色の色素の薄い髪を持ち、コバルトブルー色の瞳の少女が立っていた。
「本日の舞台の感想をいただいてもよろしいでしょうか」
「おう、いいぜ」
少女はメモに視線を落とす。髪と同じ色をした密度の濃いまつ毛がしばたいた。瞳は伏せていても、輝きはまつ毛の隙間から零れ落ちる。まるで、取り付けられた講堂全ての照明の光を取り込んだかのようだった。
ーー目が輝きすぎるーー
「まず、舞台の演目についてですが」
抑揚のない口調。カグヤはさしたる違和感を覚えず、彼女のアンケートに付き合い始めた。




