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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Hembra
35/38

お調子者の破綻01

 二月末。

 医学部掲示板の前に張り出された3年次進級者一覧に、光成の学籍番号があった。


「あった……」


 ガラス越しに貼られた自分の学籍番号を見て、鬼門であったプラクティカル(P)クリニカル(C)イングリッシュ(E)の単位が無事に取得できたこと。専門科目GPAが進級基準を突破していたことを理解した。この喜びを同居人と共有すべく急いで部屋に戻った。


「カグヤ、聞いてよカグヤ!」


 部屋に転がり込むと同時に、彼は同居人の名前を呼んだ。

 朝の十時は、深夜の散歩から戻り、睡眠中の彼の中では深夜と同じ。

 硬いソファーの上で背中を丸め眠る彼は、体をゆする光成の手を煩わしそうに払う。


「聞いてよ! おれ、進級できたんだ。留年せずにすんだよ」


 光成は起きろ。褒めろ。と言わんばかりに彼の体をゆする。その度、カグヤの口の端からか細い獣の唸り声が漏れる。


「お前も喜べよカグヤ。これでおれは留年を理由にバイトを辞めなくても良いんだ。お前の生活は保障されたもんなんだよ」


 無視できないと観念したのか、カグヤは顔を動かし細めた目で相方を睨む。


「うるせぇ」

「そう言ってぇ。お前も嬉しいんだろ。もっと素直に褒めろよぉ」


 光成は得意げに鼻を鳴らすと、メリー・ポピンズよろしく旅立ちそうな軽やかな足取りで机に向かう。

 小高い丘のように積み重なったPCEのテキストとレジュメを抱え込み、タイトな燃えるゴミ袋の中にねじりこむ。


「汚物は消毒だ! ヒャッハー!」


 ゴミ袋の端を縛り、丸々と太ったソレを彼は日頃の鬱憤を払い飛ばすように蹴とばしたPCE(怨敵)の単位を取得できたことと進級の喜びで頭がおかしくなった彼を、カグヤは黙って見過ごしていた。

 しかしながら、彼の強固が彼の安眠の邪魔――例えば、寝ているカグヤの上に馬乗りになり、顔面の靴下を落とし「起きろ」とがなりあげる――瞬間は容赦しない。

 彼の短い堪忍袋の緒はブチリと切れ、光成の喉元目掛け凶器の腕を叩きつけた。



 進級の喜びが再燃する四月

 光成は玲奈の約束を果たすべく、彼女の文化祭 Fête() des() fleurs()にカグヤと共に足を運んだ。

 瓜破市の緑が激減し、緑地計画の再考を。と市民団体が声高に叫ぶ今日、この学園は例外であった。学園の四方は背の高い欅の木々が壁のように覆っている。壁のような木々の中、一か所だけバスが2台ほど入れる広さでぽっかりと口の空いた場所がある。そこが学園入口だ。


「緑豊かとは知っていたけど、間近で見ると圧巻だな」


 光成は欅並木に包まれたバスロータリーに降り立つと、真っ先に上を向いた。

 木々の隙間から空が見える。とても狭い空だ。


「異世界みたい」


 そう漏らす彼の言葉をカグヤは「は?」と一蹴する。

 欅並木のバスロータリーを抜けると、レンガ造りの校門。傍らに立つ屈強な警備員に招待状を渡すと、二人の目に飛び込んできたのは手入れの行き届いた青々とした芝生だった。芝の中央に引かれた一本の坂道。道なりに進むと、四本の分かれた。

 玲奈から渡された学園見取り図によれば、一本は初等部 もう一本は中等部 そして、高等部 最後は関連施設へと続く道となっている。


「外から覗かれないように、欅で学園を囲い、仲は芝生の道。一見さんお断りみたいにわかりづらい道にしている。噂に聞いていた通りのおとぎ話に出てくる森の小道みたいだ」


 古典的な言い方だが、秘密の花園。外部を拒絶し、内部で醸造される少女たちの甘ったるい青春の蜜。ここの生徒は歴史と特殊な風土の中に蓄えられた蜜を()()に溜めこみ、将来は上流国民の花嫁となる。本人が望もうと、望むまいともだ。

 まだ見ぬ未来。彼女たちは前者、いや自身が上流国民、特権階級、経済的強者となるべく日々を過ごしている。


「夢の女子校。中学・高校のおれの夢にも出てこなかったなぁ」

「んだよ。きもちわりぃほどに笑いやがって。わけわかんねぇよこんな場所。女だけって頭マトモか? っつーかよ、なんてお前はそんなにありがたがってるんだ?」


 何度も深呼吸を繰り返す光成の顔は普段よりも穏やかなものであった。


「カグヤ、無知とは罪であり救いでもあるんだね。この場所。甘く湿っぽい空気をどれだけの青少年は望んだことか。不快指数MAX。顔面ニキビ面。脂汗マシマシ汗臭い()()養成所の男子校のロマンが、ここにはあるんだよ。あの頃のロマンがずーっと俺の心の中にこびりついていてね。大人になった今でも追い求めてしまう。いやっ。求め追いついたんだっ!」

「は?」

「……。ここはロマンの極地。あああああっっ。女の子って良い匂いがするんだねぇっ。カグヤ」

「匂い? 何もしねぇよ」


 二人の傍らを恰幅の良い、いかにも経済的成功者である父兄が通り過ぎていく。彼らの顔も輝いていた。彼らの表情は花を愛でるように朗らかで慈愛に満ちている。一方、彼の隣に立つ男はその対極に在ることを痛感した。


「うるせぇなぁ。こんなとこでガタガタ言って立ち止まるよりさっさと行こうぜ。俺達がこんなとこで立ち止まっていたら邪魔になっちまう。さっきからジロジロと俺達を見てきやがる」


 カグヤは通り過ぎるたびに注がれる物珍しそうな視線に苛立ちを隠さず吐き捨てた。

 遅まきながら、光成も突き刺さる視線を感じた。確かに、この場所は、初等部・中等部・高等部に続く道。往来の真ん中で深呼吸するために立ち止まれば邪魔になるのは自明の理。

 光成は手にした案内図片手に目的地の学園大講堂へ向かった。


「やっぱ帰ろうぜ、コーナ。あの乳臭ぇガキになんで俺が巻き込まれねぇといけねぇんだよ。くそだりぃ」

「カグヤ、言葉っ」


 光成の指摘にカグヤは忌々しそうに舌打ちをする。その行動も咎められ、今度は(ガン)を飛ばした。


「おいコラ。てめぇ、コーナよぉ。俺の気持ちもちったぁ考えろ。なんなんだよコレはよぉ! あのクソジャリの幼児の為に俺をつきあわせて。果てにはなんだぁ? この服。すんげぇ窮屈だ」

「仕方ないだろ。サントクリス学園(お嬢様学校)にジャージで行かせることは出来ないって。ジャージ姿で来てみろよ。さっきの警備員に追い返されるって」

「いい度胸じゃねぇか。やってやるよ」

「いや、やるなって」


 それでも光成の背後で悪態を吐く男は、ジャージよりマシな部類であって決して良い格好ではない。

 赤いレザージャケットに白いのカッターシャツ。ズボンの裾からは素肌が見えている。おまけに彼の外見だ。光り輝く金色に近い茶髪。人を威嚇することに長けた鋭い眼光。

 清楚・純真をうたう学園にふさわしくない。いや、学園の理念が真っ先に拒絶・否定する人種の集大成がカグヤという男なのかもしれない。 

 冷や水を浴びせるような父兄の目。珍獣を見る生徒の丸い瞳。寒暖の差が激しい視線を光成はその一身に受けていた。


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