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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Hembra
34/38

深く、沈む

 真っ直ぐに伸びる大通り。帰宅時間となる夕刻の為か、人の姿はとても多い。買い物袋と子供手を引く母子の姿。スマートフォンを肩と耳に挟み渋い顔で話し足早に人波をかきわけるサラリーマン。


「ねぇ、梨花ちゃん」


 西洋尼僧を思わせる制服に黒のエナメル革の通学カバンを持つ少女(玲奈)と上品な私服で小さなボストンバックと通学カバンを持つ少女(梨花)。特殊な人間の組み合わせは、人々に雑踏になじめず、通り過ぎる人々は目を細めて二人を見やる。冷ややかな視線に少女たちは気づかない。二人で作られた世界は、秘めやかな学園の壁より強固で感情なのだ。


「ムヘルナのあの店員さん、家庭科の●●先生に似ていなかった?」

「そうね。顔は似ていないけれど雰囲気は似ていたように思う」

「でしょでしょ! あれでヒステリー持ちなら完璧よ」

「同年代だから更年期じゃないかしら?」

「更年期? なにそれ」

「人生の収穫の秋、ってことよ」


 梨花はちらりと玲奈を見ると、嬉しそうに口元を緩めた。意味が分からず頭に疑問符を浮かべている彼女の姿がとても愛らしく見えた。

 そして話題はムヘルナの店員から、次回の抜き打ち風紀検査の予想に切り替わる。持ち物検査は必須だとして、いつまでに前髪を切るか、どんなヘアスタイルにするかなど年相応の話題に花が咲いた。


「梨花ちゃんから見て、こーな先生ってどう見えた?」


 その口調は、家庭科教師の悪口や抜き打ち風紀検査の話題と延長線にあるかのようなものであった。突然の話題の変更に梨花は口をつぐむ。

 彼女は直感として、これから恋愛話をする。と捉えた。幸か不幸か、梨花は他人の色恋話に興味がない。自分の好意や不安を感度が乏しいが為、自分の内包する感情を他人に曝け出す意味を理解出来ていない。話せば楽になる。と他人はいうが、一体全体何が楽になるのか。そのことすらわからないでいた。



「どうって……。彼はあなたの家庭教師。私はそれ以外何も感じない」

「そうじゃなくてね。梨花ちゃんの目から見て、こーな先生ってカッコイイって見えた?」

「それは……」


 他人の恋愛話に興味はない。あなたならどう思う。と問われれば、私には関係ない。と切り捨てる。けれども、彼女に相談をもちかけたのは親友だ。梨花にとって唯一無二の。親友を悲しませぬよう、彼女は口を開いた。


「良い人に見えたわ」

「いい人? それって、どうでもいい人ってこと?」


 玲奈は間髪を入れずに問いただす。彼女は笑みを浮かべていたが、瞳は不安気である。不安、怯え、恐怖。心を押し付ける重たい感情からはみ出た気色は顔ににじみ出ていた。

 梨花は何と返せば良いかわからずにいた。中途半端に口を開き、玲奈の表情を伺う。

 その行動だけで、玲奈は何かを感じ取った。梨花本人ですら気づかない答えを透視し、「そうだよね」と言葉を漏らす。


 玲奈は空を見上げた。茜色に染まった空は、親友の瞳の色と対照的な色をしていた。


「ごめんなさい、玲奈。きっとこういう時は気の利いた言葉をかけるべきだと思う。けれども、私はかっこいいがよく分からなくて……。どうでも良いっていう言葉しか言えない。私は、彼に興味がないからどうでも良い人って言う」

「うん」

「けれども、家庭教師の生徒相手に親身になる姿を見て、この人は相手を裏切らまいとする人。とも感じた。そういう意味でも良い人であり、そうあって欲しいと思う」

「じゃぁ、梨花ちゃんから見てこーな先生はタイプじゃない?」

「何のタイプ?」


 梨花の問いに今度は玲奈が口をつぐんだ。首筋を赤く染めあげ、何か言いたげに開かれた口。たどたどしく言葉を選び、口にしていたが、自分の放った言葉に突然悶え、苦しみ、うめき声を上げ、親友から視線を逸らした。


「……梨花ちゃんのいじわる」

「いじわるって何? 人聞きの悪い」

「……。ここまで言ってるのよ。梨花ちゃん気づいているくせに」


 事実だ。彼女は玲奈が言わんとしていることを気づいていた。玲奈を落ち着かせるために「彼は恋愛対象ではない」と言えばよいものの、なぜかこうして回りくどいことを行っている。玲奈を悲しませたくない。と乏しい表現をかき集めて会話をしているのに、気づけば親友を苦しめている。「彼は恋愛対象ではない」。言えばすべてが解決する。だというのに、そう言えない理由の根幹部分に目を背け、梨花は下唇を噛み「わからない」と返した。



「……、梨花ちゃん。私ね、こーな先生のことが好きなの」


 いじいじとしていた口調は一変し、踏み出した声は高校球児の選手宣誓のように気高いものであった。


「意外。玲奈はあぁいう人がタイプなの」

「顔だけじゃないよ。こーな先生、すっっごく優しいし、大人だし。何より、かっこいいじゃん。知的な雰囲気とかが」


 顔を赤らめ、彼女は必死に思い人の良さを前のめりになりながら口早に語り始める。

 痛ましいまでに必死で青い甘味を帯びた健気な姿。普段の天真爛漫な姿とは違い、今の彼女は抜擢された舞台で舞うプリマバレリーナの姿と重なった。

 梨花はそこまで思われる光成はかわいそうだと思った。夢と希望に満ち溢れた人の姿。年齢を問わず未来を見つめる横顔は守り通したいほどに愛おしく、光り輝く瞳は宝石箱に閉じ込めてしまいたいほど眩いばかりの光を放っている。そこまで思われているのに、彼は彼女の姿を見ることが出来ない。

 また、自分も彼女のような表情をすることはできないだろうとも感じた。彼女の美しい横顔は、自分が持つには繊細すぎて、願うには明るすぎた。


「って、聞いてるー? 梨花ちゃん!」

「聞いてる聞いてる。それで、この間の試験が良かった時は何って言われたの?」

「そうそう、それだよ。それ! こーな先生は『頑張ったね』しか言わないの。本当は頭を撫でて欲しかったんだ……。でも、それをしてくれなくて……」

「じゃぁ、今度頑張ったご褒美に撫でて貰えばいいじゃない。ムヘルナに誘って七不思議に頼るよりもよっぽど現実的よ」


 ムヘルナの四文字を聞いただけで玲奈は頭を抱えてうずくまった。


「うぅ。だって、そういうジンクスとか人間の手に及ばない見えざる力って頼りたくなるじゃない」

「その感性、人間らしいわ」

「なにそれ? 梨花ちゃんが人間じゃないみたいな言い方」

「――玲奈は、()()()()()()()()()()?」


 梨花の言葉に引き寄せられるよう、玲奈は立ち上がる。自分と同じ背丈の少女の頬に手が伸びる。コバルトブルー色の瞳が埋め込まれたきめの細かい白い肌。日本人離れした色彩に玲奈の意識が惹かれていく。彼女は本当に人間なのだろうか。触れて確かめてみたい、と吸い寄せられるように伸びた人差し指。頬に触れる直前、弾かれるように玲奈の手が引っ込む。


「り、梨花ちゃん。ご、ごめん……。びっくりしたよね」

「良いの」

「わ、私ね、梨花ちゃんのこと――」

「気にしないで」


 そう言うも、梨花の顔はおぼろげで悲しそうに見えた。


「私は、他人のことはよくわからない。でも、あなたが好きだと思う気持ちに偽りがないのであれば、ムヘルナに頼らず次の策を考えた方が得。策の効果は、即効性と遅効性がある。効果の持続はその人次第だから」

「え、あぁ……うん」


 玲奈は要領の得ない口ぶりで返事をした。そして、梨花に手をひかれ歩き出す。それ以降、玲奈の中はおぼろげであった。梨花と世間話をした。学校のことであり、自分の過去の出来事。つらかったこと、かなしかったこと、しんどかったこと。そのような言葉を話していた。どうして、梨花にそのようなことを話したのか不思議で仕方がない。控えめな梨花が積極的に話してと言ったわけではないのに、なぜか彼女に話さなければならない。という謎の圧を感じた。本当に話さなければならないことをうやむやにするような圧だった。


「玲奈、ここを曲がるの?」

「えっ?」


 気づけば、玲奈の自宅の最寄りにいた。T字路の分岐、伸びる住宅地を背に立っていた。


「あれ? もうここまで?」

「楽しい時間はあっという間ね。寂しい……」

「なら、梨花ちゃん、暇ならウチに寄っていけば」

「えっ……」



 思い返せば、親友を家に招いたことも母親に合わせたこともない。せっかくの機会と玲奈は思ったが梨花の答えはあっさりしたものだった。


「ありがとう。でも、遠慮しておく。()()()()が待っているから」


 おじさま。玲奈はしばらく黙ると、あぁと繋がったように明るく返した。


「そっかぁ……。今日、おじさんの家に行く日だからボストンバックを持ってるのね」

「外泊届も提出済み。寮母のシスター公認の外泊よ。私がここでうろうろしていても何も問題ないわ」


 肩をすくめる仕草に、玲奈も「そうだね」と返す。


「そういえば、梨花ちゃんのおじさんって……。確か●●大の医学部のせんせーだっけ?」

「えぇ。血液内科の上貞って人よ」


 なぜそのようなことを聞くのだろうと燻がる梨花とは対照的に、玲奈の顔が輝いた。帰る間際、彼女が見せたとっておきの笑顔の意味を知る。


「こーな先生、●●大学の生徒なんだっ。今度、こーな先生に梨花ちゃんのおじさんのこと、話してみるねっ」

 


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