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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Hembra
33/38

私のコエを聞いて

 カグヤは腹を立てたまま店を後にした。

 帰り際に見せた射貫くような視線の痛みに、彼の怒りを知る。カグヤは玲奈の発言をどこまで理解したのかわからない。しかしながら、光成は心の中で反論する。カグヤのケツ持ちは自分だ、と。声も出さずに、いもしない相手の反駁に夢中になり目の前の少女ががける言葉を右から左へと流していった。

 顔を玲奈に向けたまま、視野は窓へ傾ける。

 夕日の色が濃くなっていく。時の経過と共に落ち着きを取り戻す。玲奈を家に返す時間だ、などと考えていると、窓越しに玲奈と同年代の少女が現れた。

 光成は息をのむ。

 彼女は異様だった。

 色素が薄いカフェラテ色のボブヘアー。色白の肌に映えるコバルトブルーの瞳。細いペン先で描かれたようなスラリとした鼻筋。唇に至るまでの稜線は繊細で美しい。外見だけは美人と評されるまどかと良い勝負である。一本の棒が入ったように正された姿勢。外国人のモデルを思わせる色彩なのだが、彼女は自分と同じ日本人である。と感じ取っていた。

 マジマジと見つめる視線に気づいたのだろうか。少女は足を止め、チラリと光成を見つめる。

 窓越しに丸く理知的な瞳がまっすぐ光成を捉える。だが、それはほんの一瞬の出来事で、不躾に見つめる視線をプイッと断ち切り、彼女は歩き出した。


「こーな、先生。それでね」


 意識が現実に引き戻される。不思議な少女だった、などと考えていると、カウベルが鳴った。

 音に引かれ、玲奈が振り返る。同じタイミングで彼も入口を覗き込む。

 白いブラウスに丈の短いアーガイル柄のスカート。まさかと思ったが、そのまさかである。入口に立っているのは先ほど見とれた少女だ。細く伸びた生足は蠱惑的で、光成の視線を釘付けにする。


「梨花ちゃん、こっちだよー!」


 身を乗り出し大きく手を振る玲奈に気づいた少女は、控えめに応じた。

 少女は、光成達の席の前に立った。無機質な顔がすぐそばにある。冷ややかな視線は、先ほど下品にに生足を見つめていた彼を責めているようにも取れる。彼は、言い訳をあれやこれやと考えていると、彼女は上品に形の良いお辞儀をした。


「お待たせして申し訳ありません」

「――へっ?」


 抑揚を抑え、感情を込めない声。まるでマネキン人形から声をかけられた衝撃であった。


「お約束のものをお持ちしました。」


 彼女はテーブルの上に二枚の紙を置く。当たり前だが、梨花と呼ばれた少女の手は白くて細い。女性の手を百合の花に喩える者がいるが、彼女の手はまさに百合の手。などと妙に納得してしまう。

 見知らぬ美人相手には口下手で気の利いた言葉をかけられない彼(童帝)は、席を進めるのが精一杯だった。


「はへっ?や、約束の?」

「あー。こーな先生もしかして、私の話聞いてなかったでしょ」


 テーブルに身を乗り出す彼女に、彼は「聞いていたよ」と慌てて返すものの、彼女が指摘通り、話は半分も聞いていなかった。子供でも見抜けるわざとらしい態度に玲奈は頬をふくらましてむくれる。


「玲奈」


 梨花は、玲奈の膝に手をおいて彼女をなだめた。梨花の手前もあるのだろう。玲奈は渋々といった具合で、頬付けをつき、確認するように口を開いた。


「うちの学園、四月に文化祭があるって話は覚えていますよね」

「それは覚えている。えーっと、なんだっけ、花祭り? だったっけ?」

「ちーがーいーまーす。フェトディフルー Fête des fleurs 校外名は桜祭り。入学したばかりの一年生に向けて歓迎の気持ちをこめて行う上級生とOGが行うの春の文化祭です」

「桜祭り……。確か、秋の文化祭は学園生徒だけ楽しめて、春の文化祭は部外者も入れるんだっけ」

「正確には、春は文化祭で秋は学園祭。前者は文科系の部活動と系列教会の主催。後者は生徒会と学園が主催となります」


 梨花の細くになるほど、と頷いた。


「こーな先生の言う通り、桜祭りは学園関係者以外の入構は出来るんですけれど、学園生が招待した二名のみ。っていう限定があるの」

「へぇ」

「その招待者は事前に学園に名前を届出ないといけないから。だから、こーな先生を呼んだんですよ」

「ふぇっ?」



 光成は机の上に置かれたA4サイズの二枚の紙を見た。ミシン目が入り左側は、2021年4月 Fête des fleurs チケット 下部には学園のエンブレムの二本のカサブランカが描かれ、茎と茎が重なる中心部分にはシンプルな十字架が描かれていた。反対側は招待者名簿で、申請者名は鹿住 梨花 と書かれていた。

 

「届出、って四月の話でしょ。今はまだ二月じゃない。名簿をまとめるには早すぎやしない?」

「そうかもしれないですね。でも、文化祭は私たちの晴れ舞台だから……。学園側は早めに予定を押さえておく為に、こんなことをしているって聞いたことがあるんです」


 そういう玲奈の顔は嬉しそうだった。

 彼女の父親は外資系金融に勤務。長い肩書きまで付きだ。太陽を見ない生活をしているのは想像に容易い。彼女だけではなく、他の多くの生徒もそうだろう。彼女が言う通り、桜祭りだけは、子供の成長を感じ取れる時間を与えたい。という願いは学園のみならず少女たちも同じだろう。これだけ早く名簿を提出させて予定を抑える。とても親思いだ。と彼は思った。


「玲奈ちゃん、それならこれは受け取れないよ」

「えっ。な、なんでですか?」

「だって、おれが行けば絶対に浮く……。それに……」


 光成はプリントに目を落とす。A4サイズの紙に託された願いは重い。一家庭教師が気軽に足を踏み入れてよい場所ではない。彼は、顔を上げた。


「これは、しかずみさんのチケットでしょ? しかずみさんのご両親だって……」

「かずみです」


 一刀両断する太刀筋の良い声が話題を切り捨てる。光成の目が梨花の目に吸い込まれていく。


「私の名前はかずみ りんか。です」

「し、鹿が住むでかずみ、って読むんだ。珍しいね」

「N県にある苗字です。こちらでは珍しいようですが」


 テーブルに沈黙が訪れる。光成は空になったカップをわざと口に当て、仕切りなおした。


「玲奈ちゃんは、お父さんやお母さんを招待したんでしょ?」

「う、うん」

「玲奈ちゃんは演劇部だよね。お父さんやお母さんに部活、頑張ってるところを見てもらいたいんでしょ?」


 玲奈はわずかばかりに顎を引いた。


「なら、鹿住さんも同じじゃない? 鹿住さんのご両親だって――」

「ご安心ください。私の両親は、遠いところにいます。文化祭ごときに訪れるような人間じゃありません」


 光成は言葉に詰まった。玲奈は文化祭を特別で大切なイベントとして捉えている。けれども、梨花は違う。文化祭を特別視することなく、日常生活に毛が映えた程度の認識がある。それだけではない。彼女の口調と態度は大人すぎている。玲奈が幼いのではない。

 不愛想な店員や光成に対して臆することがない。自分とあなたは同等、と主張する豪胆さが異様なのだ。



「変な想像をされたくないので。私の両親は死んでいません。海外にいるだけです」

「そ、そうなんだ……」

「はい。両親は来ません。このチケットは使われることなく、ただの紙に成り下がる予定でした。しかし、玲奈はあなたに身に来てほしいと言う。私も演劇部の一員です。貴方が身に来てくれれば。私たちの晴れ舞台を見に来てくださるのであれば、このチケットはチケットとしての役目を果たせますし、私としてもありがたい。手元に残しておけば、虚しいだけですから」


 梨花は表情一つ変えずに言いのけた。

 秘密の花園 サントクリス学園祭の文化祭に興味がある。一方で、自分のような一回の家庭教師が訪れてよい場所ではない。光成は「うぅん」とうめくも、結局チケットを受け取った。玲奈の願いに負けた、というよりも彼女たちの願いを無碍にできない方が正解であった。その代わり「当日は行けない可能性がある」とも条件をつけた。

 渡された二枚の紙。カグヤでも連れて行くか。などと考えていると、梨花が立ち上がった。


「私の用事は果たしたしました。さぁ、一緒に帰りましょう」

「えーっ。もう帰るの? 梨花ちゃん、何も注文していないじゃん」

「何を言い出すのかと思えば……。私は増見さんにおごってもらうつもりはないし、お金に余裕もないわ。それに、良い時間よ。風紀委員の先生達が最後の見回りに歩き出す頃ね。あなた、制服の姿のままじゃない。同級生に見つかってごらんなさい。確実に告げ口される」


 淡々とした口調に言い返せないのは光成だけではないようだ。玲奈は「そうだね」と渋々肯定すると、梨花と共に立ち上がった。


「先生、ありがとう。楽しかったよ」


 そう言って笑う玲奈の笑顔は、少し他人行儀に見えた。


「こーな先生、絶対、桜祭り――()を見に来てね」




 騒がしかったボックス席も今や光成一人のみとなった。彼が勝手に頼んだアップルケーキは綺麗なままだった。もったいないと手を伸ばし、フォークをつきさしを一口ほうばる。口の中に広がる毒々しいシナモンの香りに紛れ、ビリリと痺れるりんごの酸味。じわっと広がる苦々しい砂糖の甘さ。

 食えるもんじゃないと心の中で呟きつつも彼はアップルパイを食べ続ける。

 ジュクリと痛む胸は、水分を吸ったパイ生地の感触によく似ていた。

 


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