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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Cancer
22/38

欠けたカリスと凹んだキュレンシー

 カグヤに手を取られ、光成は暗い公園内を走り続ける。その姿は一昔前の少女漫画のようであった。残念ながら、少女漫画のような夢や愛を含んだ逃避行ではない。道端では地面に倒れ、自分の口に手を突っ込み小刻みに震えている達と、血と汗の生臭いスナッフフィルムのワンシーンである。


「カグヤ、どこまで行くんだ」


 向かい風に顎をそむけ、光成は声を投げた。気管から這い上がる鉄臭い息にゲェゲェと荒い呼吸が漏れる。


(ど、どんだけ走るんだよぉ)


 運動嫌いの彼にとって、今日一日の運動量は一週間分に匹敵する。キャンサーに加えられた傷の生で体力ゲージはレッドゾーンに突入している。

 ほんの数センチの体力ゲージでどれだけ身体が持つかと思った時である。


「ちくしょう……」


 カグヤの吐き捨てる声と同時に二人の足が止まった。目の前に現れたのは木の壁。外界と内界を分断するよう空高く聳え立っていた。


「逃げられると……思ったのに」


 肩で息をするカグヤ。見れば、背中から湯気が沸き立っている。白い首からは汗が滝のように零れ落ちていた。握りしめていた手がほどかれると、冷たい風が掌に溜まった汗を奪い取っていく。


(カグヤ)


 振りほどいた手に縋りつこうとしたが、彼の手は光成ではなく目の前の木の壁を選んだ。表面をペタペタと触り、最後に拳を壁に押し当てる。「トン」と力を押し殺す声が返ってくるとくぐもったカグヤの声が漏れた。

 周囲をグルリと囲む壁は力技では解決できない。カグヤの中にあった。「逃走成功」の望みを圧殺してしまった。


「ちくしょう」


 おそらく彼の声は光成には届いていない。握りこぶしをほどき、手と額を壁に押し当てズルズルとその場に崩れ落ちていく。くしゃくしゃと悲しげに崩した顔から、もう一度自分を罵る言葉を口にした。


「仕方ないよカグヤ。ここは変質者が多い地域だから。狭い公園でもこういう壁が作られやすいんだ」


 光成の慰めに「あぁ」と返事が返る。カグヤは息を吐き、天を仰ぐ。背に壁を預け、彼はもう一度空を見上げる。そして、ゆるゆると光成へと視線を移した。彼の顔を見ると、自分のふがいなさが別の感情へ変容する。沸き立つ感情はそのまま言葉になって現れた。


「あのさ」

「てめぇなぁ」

 

 二人の声が重なった。しばしの沈黙の中、互いに顔を合わせる。思考を探るようじっと互いの目を見つめあう。カグヤの茶色の瞳が揺らぐとすぐに口を開いた。


「なんで戻ってきたんだよ」


 鋭い口調に光成の体が震えた。


「も、も、も、ももしかして怒ってんの?」


 カグヤは一瞬キョトンと目を見開いた。だが、すぐに納得したようで「あぁ」と声を上げると、先程と同じようないかつい顔を作り「あぁそうだよ」と答えた。


「俺は怒ってる。お前が戻ってきたことを怒ってんだ。戻ってきたら、お前はアイツ(キャンサー)に殺されたかもしれねぇ。月駒に殺されたかもしんねぇんだぞ。だから怒ってんだ」

「が、月駒ってなんだよ」

「……。あああああああ。面倒くせぇ。てめぇを襲ってきたあのキチガイ野郎どもだ。わかったか! 理解したか!」

「わ、わかった。わかったから、そんなに怒るなって」


 感情の赴くまままくし立てる口調に光成は若干引き気味に耳を傾けた。


「俺はなぁ、お前に生きていて欲しかったんだよ。俺は、お前に――」


 カグヤの言葉は途中で止まった。もちろん、彼の言葉に光成も何も言わなかった。彼は二度カグヤに生かされている。事実だ。けれども、三度目の生は保障されない。

 彼には、キャンサーを殺す力がないからだ。もしも、彼が万全の力を有していれば、光成がいようがいまいが関係なくすでにキャンサーを殺した。ないし致命傷を与えていたはずだ。


(けれども、カグヤはそれをしていない。身体を押しつぶされたから? それとも、キャンサーに首を切られたから?)


 光成は反省しているフリをしながらカグヤの身体を頭からつま先まで撫でまわすように見つめる。


(そういえば)


 光成の視線は右腕に移る。「こけただけ」と言って右腕を庇い、寝ていた数日前。たった数日、痛みに慣れる事はあっても、損傷部位が回復しているかは別問題。こうして話している最中も彼は右腕を庇っている。


(体力もだけど、右腕自体も使えないのか)


 万全ではないカグヤ。光成は生まれる苛立ちをつま先で結んではほぐしを繰り返した。


(キャンサーの相手が出来るのは彼女とカグヤだけだ。負傷している彼女は善戦しているけれど、時間の問題。潰れたら、カグヤをぶつけなければオレ達の勝ちはない。何とかしてカグヤをこちらに……)


 チラチラと突き刺さるカグヤの視線。


(薄い線だが、張ってみるか)


 光成は一つの策に打って出た。


「カグヤ、お前がオレに生きてほしい。って言うのはオレがお前の血を吸ったからか? それとも、こんなケガを負ってしまったからか!」


 そういうと、彼は服の裾をめくりあげ、脇腹にぽっかりと空いた穴を見せつけた。すると、カグヤの表情が大きく変化した。目尻を裂き息を深く吸い込む。腰が宙に浮くも、また沈む。うつむきになり、奥歯を食いしばる姿に光成は手ごたえを感じ、攻勢に転じた。


「答えろ、カグヤ。オレにはお前が何者か。どうしてオレがこんなケガを負わなければならなかったのかを! オレには知る権利がある」


 声を荒げる光成に、カグヤは項垂れ、左手は地面を掴む。


「お前こそ、どこまで気づいたんだよ」


 低く悲しげな声に光成の心臓がキュウウと悲しげに鳴いた。


「あの日の夜、オレはキャンサーに腹をえぐられ死にかけた。そんなオレを、お前は自分の命を分け与えた。そうだろ?」


 光成の回答を聞き、カグヤは顔を上げる。血気盛んな顔ではなく、物憂げで暗鬱な色を湛えている。


「なんて知っちまったんだよ」

「この傷が忘れんな。って訴え続けたからだよ」

「そっか。俺、暗示には自信があったんだぜ」


 うすら笑いを浮かべて自嘲を漏らす彼に、光成は「そうか」とだけ返す。そして、彼に近づき、胸倉を持ち上げた。


(えっ)


 本当は体をゆするつもりだった。「どうしてくれるんだよ」と迫るつもりでいたのだが、意図せずのカグヤの体が持ち上がった。それまるで、重荷が入っていると思い込んでダンボールを持ち上げた時、何も入っておらず前のめりに、つんのめる感覚に似ていた。

 光成は目を白黒と目まぐるしく変化させる。驚き、目を見開く光成に、カグヤは冷ややかに言った。


「話をしてやるから下ろせ。こんな事をされたら、話すもんも話せねーぜ」


 カグヤの声を聞き、光成はゆっくりとカグヤを下ろす。カグヤは再び壁にもたれかかり、手足をだらりと伸ばした。そして、ため息交じりで確かめるように光成を見る。


「可能な限り話してやる」


 逃げるなら今だと目で訴えたが、光成はカグヤの真正面に座った。カグヤは「そうかい」と言うと、語り始めた。


「俺の名前はカグヤ。キャンサーと同じ月の生き物だ」


 そこは知っていると、光成は首を縦に振った。


「月と地球は似ている。地球が自分を守ろう。地球の生物を守ろう。成長させよう。地球以外の生き物を排除しよう。そういう意思がある。だが、月にはそういう意思、いや、()()()()()()()()っつーもんが全くない。そのせいで、いっつも小惑星やらなんやらが月にぶつかり、月の息もんは死んでいく」

「それで?」

「そこで、月の生き物は知恵を集めた。月を守ろう。地球のような意思を模して作ろうと試みて、月の意思(まがいもの)嫦娥(じょうが)』が出来上がったんだ」

「嫦娥」


 その名はくしくも、中華人民共和国が開発した有人ロケットと同じ名前だ。


「嫦娥という意思は出来たが、意思を入れる器がない。月自体は物体として存在しているにすぎない。そういうもんは、そもそも器としての適性がない。そこで、嫦娥を入れる器を求めたのさ」

「つまりカグヤ、お前はその嫦娥を入れる器なんだな。それなら、キャンサーがお前を特別と言ったのも合点がいく」


 光成の結論に、彼はすぐに頷かなかった。一瞬のためらいを持ち、「まぁな」とあいまいに返事をした。


「キャンサーは嫦娥の器を取り戻すべくやってきた。正確にはキャンサーの他三人、四賢者と言われるやつらが地球に乗り込んできた。まぁ、アレについては面倒臭いし、今ゆっくりと話す時間はねぇ」


 カグヤはそう言うと、心底いやそうに、目に見えない何かを追い払うよう宙に向かい手を払った。


「カグヤ、キャンサーは君のことを特別って言ったが、それは器としての意味だけじゃないだろ? 彼は君の血が特別でどうのこうの言っていた。不老不死だったかな?」

「それはキャンサーの言いすぎだ。いくら俺とはいえ、死人は蘇らせるような力はねぇよ。ただ、良い夢ぐらいは見せられたり、ケガの治りが早かったり。それぐらいだ」

「じゃぁ、君がオレを助けてくれたあの時の事は?」

「アレは特別中の特別だ。お前の運が良かったのと、()()()()()()()()。それだけだ」


 そして、一泊を置き釘をさす。


「早まるなよコウナ。今の俺はお前を守れねぇ。オレがどんなにてめぇに血をやっても、お前の腹の傷は埋められねぇ。アレはキャンサーの捨て身。呪いに近い力で作られた穴だ。俺に万全の力があればなんとかできるが、それは今じゃねぇ」


 光成が抱いていた希望をカグヤはボキッと根本から負った。面白い程ガックリとうな垂れる光成。「自分の体は戻らない」と失望感に襲われたが、彼の発言で一縷の光を見つける。


(カグヤに万全の力があれば……か)


 彼は心の拠り所を見つける。この言葉は、彼の中で考えていた一つの策と一本の線で結ばれていく。光成は落としかけた光を掴み、もう一度カグヤへ問う。


「カグヤ、そもそも論だ。君はなんで逃げ出したんだ」

「生きていて欲しい。って願われた。俺は生きるために地球へ来た」

「生きて、生きて。生き続けて、お前は何がしたい」

「何って、それは……」


 彼の口はそこで止まった。カグヤは「大人になる事を強要された子供」である。子供は夢や希望を語れる。しかし、実効性については語れない。大人とてそうだが、少なからず予測を立てきれる。カグヤも同じ。「地球で行きたい」と希望はあるが、「地球で生きた先に一体何が出来るか」を語る事は出来なかった。光成はカグヤと同じ視線まで腰を落とした。


「カグヤ、お前は何がしたいかわからないなら、オレが生きる意味をくれてやる」

「生きる、意味?」

「あぁ。そうだ。お前は体力と力を取り戻し、壊れたオレの身体を治してもらういや、お前が()()()()()()なのならば、月の人間(お前たち)がしでかした事をお前に全て償ってもらう」


 そう言うや否や、光成はカグヤの頬を殴りつけた。

 滑るように地面に転がるように倒れた。カグヤに近づき、胸倉を掴みあげる。額と額をゴツンとぶつける。血なまぐさい息と息が重なる。頬の擦り傷をわざと親指で拭い、今まで発したことのない低い声で言った。


「これは、オレからの餞別だ。カグヤ、お前は生きる意味を贖罪の中で見つけろ。お前はお前たち(月の人間)の罪を見て、苦しみ、後悔し、オレが与えたもの以外で、生きる意味を見つけろ。そして、月は二度と地球に足蹴にしないと誓うんだ」

「なんでだよコウナ。俺と関係ねー奴の罪をどうして俺が背負わねーといけねぇんだよ! それがどうして俺の生きる意味になんだよ!」

「わからないのかよ。全てはお前の逃走から始まった。お前が逃げなければ、きっとオレや、いいや、月駒にされちまった人間は当たり前の生活を送れていたんだよ」


 だが、どんなに望んでも、彼に日常が戻ることはない。


「お前の罪は逃走したこと。逃走し、多くの人間の日常を奪ったこと。罪に対する罰は受けなければならない。だけど……」


 光成はそこで言葉を切る。彼はカグヤをこれ以上糾弾出来なかった。彼が逃げた理由の背景を知らない。粗暴の中に隠す理由が見えない。目を細め、カグヤの過去を射貫こうとしたが、深い瞳は光成の眼光を容易く飲み込んでしまう。


「だけど、お前は、オレの命を救ってくれた。助けてもらった以上、贖罪の道でお前が倒れないよう、その手伝いはさせてもらう」


 そういうと、胸倉から手を離した。カグヤは困ったように光成の顔を見つめる。

 そして光成はおもむろにシャツを脱ぎ始めた。冬の風は冷たい。色白な体をブルリと震わせ。ポツリポツリと体毛と鳥肌が立っていた。


「なぁカグヤ。オレの中にお前の血が混じってるんだろ」

「まぁ、そうだな」


 光成は腕の部分を引き裂き、左上腕をきつく縛った。


「じゃぁ、お前にオレの血を渡せば、多少は借りたもんは返せるか?」

「どういう意味だよ」


 光成の視線は腕関節に集まり、時々人差し指で関節の周辺を触れている。


「だーかーらー。今からお前に血を吸わせる。オレの血を飲んだら力は取り返せるか。キャンサー退治出来るかって聞いてるんだよ」


 光成はカグヤの顔を見つめた。カグヤは納得した表情を浮かべると大きく頷いた。


「あぁ。キャンサーは片付けられる。あいつの禿げ頭にキスマークをつけて送り返してやる」


 光成は「そうか」と肩の力を抜き、縛り上げた腕を差し出す。関節付近に一本緑青色をした太い血管が浮かび上がっていた。


「400ml」

「何が?」

「だから、オレの血を吸う量だよ。それ以上吸ったら殴るからな」


 カグヤは腰を下ろし、冷たくなった彼の指先に触れる。


「地球の人間ってわかんねーな。助けたり、見捨てたり。色々となんでも言葉をつけやがる」

「そうじゃなきゃ自分を正当化しきれないし不安なんだよ。で、オレも寒いんだ。吸うか吸わないかはっきりしてくれないか? 腕がやべぇよ」

「あぁ、吸う。腹減ってんだ。()()()()()()が迎えに来いってんのに、すっぽかすし、俺のことを見捨てるし、殴るわなんだしてすげぇやべぇんだよ」


 カグヤは目で合図を送る。光成は弾力のある血管を示すと、彼は大きく頷いた。

 キラキラと輝く牙は夜空にかかるどの星よりも力強く輝いた。牙が薄い皮を貫くと肘に生暖かい感触が広がっていく。ビリリと肘から肩。指先から走る痺れ。「血を吸われている」事実に後頭部も痺れていく。


(これで良い)


 光成は顔をそむけて痛みを散らす。月駒達に下品に落ちた血を貪られた時は体の痛みより心が激しく傷ついた。だが、カグヤに荒々しく吸われている今、やはり体は痛むが悪い気はしなかった。


(とりあえず、これでキャンサーに対応出来る。なんとかなった、かな)


 自分の策が落ち着いたところにおさまったことに一つ安堵する。

 光成は視線をカグヤに移す。母親の乳房に吸いつく赤子のように自分の腕に吸いつくカグヤを見ると心が暖かくなり、ふと「大丈夫だよ」と言葉を投げかけたくなった。

 不思議な感情の名前は知らない。静かに目を閉じ、幼子の吸血を受け入れた。


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