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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Cancer
21/38

希望の上で語るワルトトイフェル 03

(くそっ。あの野郎、絶対まだ余力を残してやがる)


 新鮮な痛みに光成の声が上がると、キャンサーの感情も落ち着いたのか、またあのいやらしい笑顔を見せていた。


「増見さん、イケナイ事をしたらごめんなさい。でしょう?」

「さぁて、何のことだ、ガァッ」


 キャンサーは笑い声を上げ腕に力を込めた。光成は叫び、体の中に走る痛みを外へ逃がそうと声を発する。一方で痛がる仕草を見せるも冷静な自分もいた。

 ペンチのような腕。よく見ると、手首側の皮は分厚く、先に行くにつれ薄くなっていく。

 棘の部分は拷問器具。キャンサーが光成を殺す気になった時、彼を挟むのは紙より薄いあの先端の刃であろう。


「ところで増見さん、貴方は自分の言葉に矛盾があった事に気づきましたか?」


 キャンサーの腕を格好よく蹴り上げようと試みた。だが、典型的日本人体形では叶いようがなく、バタバタと短い脚は宙を切っていた。


「貴方はカグヤに会いに来た。と言う割には貴方は自分から動きませんよね? むしろ、自分の目的を達するために他人を利用し、今みたいな自分の窮地を作り出して他人に助けてもらおうという考えを抱いていませんか?」


 光成の視線は月駒の女に移る。男の月駒の数は減っていた。しかし、彼女の髪はボサボサ。服は本来の役目を果たしていない。彼に見せた愛らしい笑顔は消え失せ今やお岩さんのように膨れ上がっている。

 彼女はどうして此処まで傷ついたのか。彼女は言うだろう。「私が選んだ結果です」と。だが、そうまで仕立て上げたのは光成の無力さ。非力さにも原因があるだろう。


「他人を利用し、自分は安全な場所からイキの良い事を並べる。何もできない貴方の言う言葉にどれほどの説得力があったとでも?」


 キャンサーの言う通りだった。キャンサーと会話し、傷つけられている間、彼女が月駒の波を飛び越えてキャンサーの息の根を止めてくれる。カグヤが颯爽と現れて助けてくれる。そんな甘い期待を抱いていた。


「カグヤを切り捨てた人間がカグヤに会いたい? その言葉を切り捨てた側の人間が言いますか? 都合の良い時は捨てて、都合の悪い時は拾い上げる。そんな不愉快極まりないやり方を何食わぬ顔でよくできますね。自分の立場に置き換えたらどう思いますか?」


 キャンサーの語気は強い。感情に合わせ、彼を掴む力も強くなった。光成の一際大きなうめき声に、キャンサーは口角をあげた。そして、相撲の決まり手のように地面に叩きつけた。

 敗者の身体は二度跳ねる。背骨が折れたのでは。と思うほど強烈な痛みで目の前がチカチカ光る。


(あぁ。無様だ)


 とキャンサーは芋虫のように蠢く人間を月のイキモノは軽蔑のまなざしで見下した。


「増見さん、()()、ということはこういうことなのですよ。傷ついて、耐え抜いて。それこそ人の屍を踏み越えて」


 彼は、光成の腋下に刃先を充て救いあげるように再び持ち上げた。

 夜風にさらけ出されキンキンに冷えた刃は彼の柔肌に触れる。ひんやりとした刃が人の熱に触れると、ピリリとしびれる痛みに変化する。


「増見さん、貴方は成せない人です。すぐ誰かに利用され、思い立ったように利用して返り討ちににあう。そういう人っているでしょう? それがまさに貴方」


 光成は真っ先に自分の姿を思い描く。まどかは、光成を「優柔不断。八方美人。間の悪い人間」などと称していた。キャンサーの言葉はまどかの発言を別の側面から穿った言葉だ。「何も成せない」苦労して医学部に入学してもまだそんな事を言われてしまう。何故、医学部に入学したのか。「誰かを救いたい」だけではなく「自分を見てほしいから」エリートと称される人間の一員になり認められたい。認めてもらうために「成さなければ」ならない。思考がグルグルと同じところを駆け巡る。涙は流れない。両親から「男は泣くな」と徹底的に躾けられたおかげで涙腺は機能を失った。

 自分の感情すら思うように表現できない自分は「あぁ。やっぱり成せない人間なのか」とぼんやりと考えた。


「本来ならブチ殺して上げたいところですが」


 キャンサーは顔の角度を変え、下から覗き込むようにして陽気な声を上げた。

 喜々とした表情は勝利を確信している。勢いに任せ威勢の良い言葉を使う者は確実に負ける。おそらく経験則による結論。キャンサーのソロバンは彼の良い数字を叩き出す。


「増見さん、私はイイ人です。この場で謝罪し、謝意としてアノ薬を飲めば特別に許してあげましょう。貴方の失言すべて無かったことにしても良いのですよ」


 死が眼前に突きつけられる。生を引き換えに自分の要求を突きつける。彼の交渉の常套手段だ。生き物は、死を前にすると恐ろしく素直になる。皆「死にたい、死にたい」と口にしても死なない。「生きていたい」本能があるから安心して「()」を口にする。本能をむき出しにされ、人間は嘘をつくことはできるだろうか。

 キャンサーはニィといびつに唇をゆがめる。


「増見さん。貴方は成せない人間です。成せない人間ならば成せない人間なりに器用に生きるのが一番ですよ」


 ふとまどかの言葉が鼓膜に蘇る。


――増見君、人間は理性的な生き物じゃない。私たちの理性は本能によって支えられている。主は本能。従が理性。主が従を否定しているのなら、質すしかない。探るしかない――


 光成は自分を「成せない」人間と思った。なら、成せない人間は何故此処までたどり着いたのだろうか。彼には「カグヤに会いたい」という願い。たった一つの願いが彼を此処まで連れ出した。異形なる者と相対峙し、ここまで生きている。

 「成せない人間」それは誰が思ったのか。おそらく増見 光成の理性。生きたいと願う彼の理性だ。

 しかし、口に出した言葉は理性と真逆の言葉。


「断る。キャンサー」


 短く発した言葉はキャンサーの予想しない答えだった。

 そして、この言葉は彼の本能だ。

 目を丸くするキャンサーの顔をみて光成はホッとした。質すまでも、探るまでもない。自分は「成せない」人間ではない。まだ「()()()()()()」人間なのだ。


 信念と決意に彩られた焦熱の瞳は酷薄な男を眼力一つで射貫いた。

 死を前にしても引かぬ、媚びぬ胆力。今まで関わった事のないイキモノにキャンサーは激しく動揺した。


「増見さん、貴方は死が恐ろしくないのですか! 貴方はこのまま何も成せないまま死ぬ人間と認めたようなものですよ」

「煩い。オレが()()()()死ぬかどうかなんて誰が決めるんだ。オレは、カグヤに会いあいつに罰を受けてもらう為なら、誰だって利用してやる。何だって選び取ってやる。矛盾していようがなんだろうが関係ない。批判も屈辱もなんだって受けてやる!」

「増見さん、貴方……」

「あぁ、もう一つ言ってやる。キャンサー、オレは何も成していないわけじゃない。こうやって、オレはお前の頭上にいる。キャンサー、人を見くびるのも大概にしろ!!」


 光成は身体を前のめりにし、目尻を裂いて叫んだ。マグマのような熱い鼓動に、キャンサーの身体が自然と後ずさる。


(バカな……。私がなぜ?)


 自分の行動が理解できない。一度、彼が地球のイキモノに恐怖した。という事実を認めたくなかった。自分の屈しないならば、と彼の心を力でねじ伏せようと、腕に力を込める。光成の身体に刃が沈み、切れてはいけない動脈まであとわずかのところまで迫っていた。

 光成も、ドクンドクンと力強く脈打つ動脈が、迫りくる侵襲に悲鳴を上げているのを理解した。体中に走る危険が痛みとしてシグナルを放つ。けれど、彼はもう声を上げない。米神に青筋を浮かべ、額に脂汗を滲ませて奥歯で声を押し殺す。

 ギラギラと血走る目は「どうだ。見たことか」とキャンサーに訴えかける。

 キャンサーの力が緩むと、開いた傷口からボトボトと血液が零れ落ちる。

 ボタボタと大粒の雨がコンクリートに叩きつけられる音のように彼の血液が砂地へ落ちていく。

 右から左へと風が吹く。風は、地に落ちた血液の香りを乗せる。

 血液の香りは、女を襲っていた月駒達の鼻孔を優しく撫でた。脳にツンと響く甘美な刺激。月駒達は皆一斉に動きを止める。木々が鳴り、また風が吹くと、血の匂いに誘われて、光成へ身体を向け歩き始めた。


「や、やめなさっ――」


 女の言葉は最後まで紡げなかった。後頭部を掴まれ、タバコを踏みつけるよう地面に押し付けられる。地面から銀色の血の華が咲いていた。


 地面をすり足で歩く音は光成達の耳に届いている。ゾンビゲームを思わせる足取りに、キャンサーは笑い、青白い光成の顔は更に血の気を失った。


「あぁ。充てられたんですねぇ。あなたの血に」


 キャンサーが言い終えるころ、光成の足の下には月駒達がたむろしている。


「増見さん、私が手を離せば貴方は月駒達の中に落ちてしまいます。彼らはあの女みたいに理性はありません。貴方は、月駒の海の中で傷つけられ、血を彼らが満足するまで吸いつくされてしまうんですよ」


 光成の足を掴もうと月駒達の手が伸びる。白いイソギンチャクを思わせる五指。踵でも触れてしまえば、月駒達の渦へ一直線だ。


「貴方の血は特別です。カグヤの血は不老不死の血。飲めば延命が、夢精のごとき快楽が。全てを焼き切らん強烈な快楽が約束された特別な血液。それがわずかでも混じっている貴方の血は特別なんですよ」


 キャンサーのいう通りだ。光成の血を舐めとった月駒は皆、身体を震わせている。冷え切った空気に混ざりツンと鼻につく匂いは男性特有のもの。理解してしまうとぞっとする恐ろしさを覚えた。自分の血液を舐めるだけで絶頂に至る。彼らの気が済むまで吸われ続けるなど、辱めを受けているのと同義だ。


(カグヤ、お前が月にいたときもこんな風だったのか)


 血液を垂れ流し、啜られる経験。光成も今すぐ逃げ出したい思いなのだが、当の本人は何を思ったのだろう。

 

(お前は、自分の特別な血液の為にどれだけの血を流したんだ? どれだけ吸い取られたんだ? お前は、その為だけに月で求められたのか? だから、お前は月から逃げたのか?)


 光成はカグヤの姿を思い浮かべる。頭に血が上り凶暴な顔。猫をかぶり善良な一般人を装う顔。ワガママを言ってむくれる顔。自分の姿を見て安堵した顔。色々な顔を見せた背後には光成の想像が及ばない過去があったに違いない。

 キャンサーのいう通り、光成はカグヤを見捨てた。見捨てた人間がカグヤを思うなど身勝手すぎる。だが、叫ばずにはいられなかった。泣きそうな顔をして、自分を見つめた姿は、キューッと胸が締め付けられるほどに心が痛かった。


「カグヤああああああ。オレはここにいるぞおおおお」


 天に向かい吠えたてる。

 カグヤはこの公園にいる。会いたい。会いたい。自分の声が聞こえなかった。聞けなかった。と言い訳が出来ぬよう何度も何度もカグヤの名前を呼んだ。

 光成のありふれるマグマのような感情を月の人間は理解できない。きっと、気が触れた(ルナティック)と思い、口の端を歪める。

 その時であった。

 キャンサーの側頭部に銀色の大きな個体が、まっすぐ跳んで来た。スピードは緩まぬまま、避ける暇も与えず、キャンサーの側頭部にぶつかる。目玉が飛び出るような衝撃に、キャンサーは数体の月駒を下敷きにしてその場に倒れこんだ。

 キャンサーの刃は光成の身体に深く食い込むも、すぐに緩まり、光成の身体もスルリと抜け出せた。



「俺、知ってるぜぇ、それ」


 土を踏みしめる足音。その場にいる者は皆、足音のする方向を見つめた。


「ストライク、ってやつだろぉ?」


 月を背に加虐的な笑みを浮かべる一人の青年。左手で髪を撫で上げる。

 プックリとした涙袋に乗る鋭い目。怪獣を思わせるギザギザな歯が夜の光に照らされてピカピカと輝いている。


「そうそう。落とし物を拾ったんだ」


 彼の左手に握られているエメラルドグリーン色をしたゼリー状の舌。見せびらかすよう目の高さまで上げると、ポイッと地面へ捨てた。人を小ばかにするよう鼻を鳴らして笑うと、キャンサーに投げつけられた月駒の身体は銀の粒子となり、霧散した。


「カグヤッ!」

「よぉ、コウナ。うるせぇぐらいに俺の名前を叫びやがって」


 カグヤは笑って見せた。キャンサーを威嚇するよう鋭い目は変わらないが、上がった頬がカグヤの素直な感情を示している。

 光成は立ち上がりカグヤへ向かう。その行く手を阻もうとキャンサーは立ち上がり、服の裾を掴もうとした。だが、キャンサーの足は宙を掻く。誰か、と振り返ると鼻血を垂れ流した女が羽交い締めにしていた。彼女は、キャンサーの肩口に深々と噛みつく。思わぬ反撃に、キャンサーは甲高い悲鳴を上げた。


「行って!」


 女はキャンサーの肩肉をペッと吐き出すと。自分を見つめる光成に言った。


「大丈夫。また、すぐに会えるから」


 そういうと再び彼女はキャンサーの肩口に噛みつく。スイカの早食い競争をしているかのように首を左右に振りキャンサーの骨や肉を食いちぎっている。ガリッ ガリッと骨が削られる音が響く度にキャンサーの悲鳴が響き渡った。

 

――私はキャンサーを相手にしながら貴方を守れないけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

――わ、私は死ぬつもりなんてありません。カグヤに会わない限り私は普通に戻れませんし。きっと――


 公園に入る前、彼女と交わした言葉を思い出す。自分がやるべきことは、彼女と自分の為にカグヤを自分たちの力とすること。

 カグヤを説得できるのは光成のみ。彼女が自分を守れるよう、彼ができるのはこの場を離れることなのだ。

 彼女と眼目を合わせ、互いに頷いた。これを合図に、カグヤに手を引かれて公園の奥へ駆け出した。


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