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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Cancer
19/38

希望の上で語るワルトトイフェル 01

「念のため、もう一度確認します。貴方は本当にカグヤに会いますか?」


 二人は再び公園の入り口に立った。

 公園の奥から感じ取られる不気味な気配。人を拒む威圧感。寒いのに繋ぎあった手のひらに汗が溜まっていく。

 恐怖が、抜き足 差し足 忍び足。地面をはいずりまわり、足に絡みつく。露になる皮膚にまとわりつくとチューチューと体温を奪い取っていく。得体のしれないモノが彼の勇気を試すよう、フゥーっと生暖かい吐息を首筋に吹きかける。木々はザワザワと騒ぎ出した。 


「あぁ。カグヤに会いたい。会わなきゃ始まらないんだ」


 光成は不愉快な表情で首を回す。彼の勇気を試そうとするやつ等に近寄るな。とボキボキと首を回し、威圧する。また、不気味な威圧感に恐れおののいているのは彼だけではない。


「そう……ですか」


 女は光成の答えに反応するも歯切れが悪い。彼女は彼以上に公園から放たれる殺気にあてられていた。


(あの場所にはキャンサーがいる)


 公園は帰るべき場所であり、帰ってはならない場所でもある。どうすればよいか。と悩まし気に光成を見ると、ふと彼の首筋に視線が動く。男性にしては白く細い首。首は急所。人体の大切な部分がさらけ出している。


(もしも、あの首を絞めあげたらキャンサーは私を許してくれるだろうか)


 その考えがよぎった瞬間、彼女は自分が流され始めていることに気づいた。慌てて、光成から手を離すと、自分の手が彼を傷つけないよう体の前で手を結んだ。


「はっきり言います。キャンサーを相手に私は貴方を守れません。だけど、カグヤに会える時間ぐらいなら稼げます」

「ちょっ、ちょっと待って。君は一体何を?」

「ううん。勘違いしないで。私はキャンサーを相手にしながら貴方を守れないけれど、キャンサーを相手に()()()()()()できます」


 強がって言うものの、光成の顔は冴えない。無理もない。彼女の手と足はガタガタ ブルブル震えていた。彼女は光成以上にキャンサーの力を知っている。月の人間の生命力も理解している。体は自分の気持ちを正直に伝えている。


(そうだそうだ。私はキャンサー相手に敵いっこない。どうあがいたって、私には無理なんだ)


 覚悟を決めた手が激しく震えだす。逃げ出したい(殺したい) 逃げ出したい(殺したい) 逃げ出したい(殺したい)早く楽になりたい(何も考えたくない)

 殺しきれない感情が光成の顔を汚していく。冴えない顔が美味しそうな香りをたて、心配そうにかける声は砂糖菓子のように甘ったるく、ポロポロと心の中に溶け込んでいく。

 震える手が「ひもじぃよぉ」と光成に伸びた。


「でも、オレは君に生きていた欲しい」


 震える手が伸びたのは光成の首ではなく暖かい頬だった。「生きていてほしい」二度目の告白に彼女のつま先から頭まで血液が一気に踊りだす。ネッチャリと付着する甘さは彼の真剣なまなざしの前で一気に剥がれていく。


「君は死ぬ気なんだろう?」

「なっ。なっ。なんてことを言うんですか。こんな時に。エリンギでもない。不潔です!」

「縁起でもない。で、不吉です」


 彼女はグヌヌと唸り小さく「不吉です」と訂正した。


「わ、私は死ぬつもりなんてありません。カグヤに会わない限り私は普通に戻れませんし。きっと」


 唇を尖らせブーブーと不平不満を言いながら彼の頬を抓った。


「それは俺も同じ。カグヤに会わなきゃ前に進めない。カグヤが何者で、どうしてここにいるのかを知らないと――」


――多分、オレのキズはふさがらない――


 黙りこくる光成の頬がさらに厚くなる。彼女は反対の手で自分の頬に触れると震える気持ちを握り潰し自分の頬をパンパンと叩いた。小さく「おし」とつぶやき、今度は勝気な顔を作る。


「わかりました。多分、私たちはカグヤに会わない限り元には戻れません。ただし、カグヤは月の人間にとって大切な存在です。もしも、貴方がカグヤを守ろう。と思うなら、カグヤを守るため多くの人や物事を切り捨てなくちゃいけません。それでも、貴方は()()()()()()()()()?」


 彼女の問いに光成はとても驚いたようだった。彼女と目を合わせるとすぐに反らす。口を縛り、困った様子でためらいの吐息を漏らすと、渋々口を開いた。


「――わからない」


 消えるほど小さな声だった。


「オレはカグヤに会いたいだけなんだ。カグヤを守るとか、そういうところまで考えが及んでいない。それに、誰かを切り捨てることができるか否かって、即断できるほど簡単な話じゃないでしょ」


 光成の言い分に彼女は「そっか」とだけ返した。落胆させたと思い、彼はすぐに言葉を重ねようとしたが、彼女は言葉を拒む。取り繕うとする手を払い、(かいな)を掴む。まっすぐ見据えた目に落胆の色はなかった。


「それで良いんです。逆に、切り捨てる覚悟があるって言ったら、ブン殴るつもりでした」


 彼女はそれ以上言わず、光成の腕を掴んだまま公園へ足を進める。


(離しても良いよ。逃げてもいいよ)


 だが、腕に伝わるのは前へ 前へと前進する力強さだった。

 公園の暗闇は大きな男の白い背中に隠される。彼女は目を見開き、美しい背中を見た。何も言わない背中は彼女を導いている。彼女は、光成に連れられ公園の中に入っていった。


(なんだ。やればできるじゃん)


 彼女はうつむき、公園の一歩を刻む。上向いた口角。彼女の決意が固まった。



 大樹に持たれ、荒々しい呼吸を繰り返す。先程三体目の月駒を屠ったばかりだ。手に付着した汚れをパーカーにこすりつけ、額ににじむ汗を拭いとる。今すぐこの場から逃げ出したい。どこかで休みたいと願うも、叶わぬ願いだ。

 キャンサーはカグヤをこの場から逃すつもりはない。カグヤにとって迷いの竹林だった場所と相性が良かったように、キャンサーにとってはこの場所は相性が良いようだ。使役する月駒の数・質共に前回(まみ)えた月駒より向上している。おまけに、この場所には地球の気配がある。地球を後ろ盾にし、カグヤを追い詰めるには絶好の機会なのだ。


 (逃げたら逃げたでアイツはコウナを狙う。それだけは避けねぇといけねー。アイツが死んじまったら、盟約違反でどうなるかわかったもんじゃねぇ)


 月の人間と露見しただけであの反応だ。最大の盟約違反を犯せば不老不死とうたわれるカグヤでも身の保障は出来ない。


(キャンサーに至るまで、どれだけの月駒を仕留められるか。それが条件だ)


 自分の力量を図り、互いに相打ち覚悟で仕留めるのはこれが最後の機会。

 カグヤは溜息をつき、流れてくる汗を拭った。

 すると、呼吸にまぎれて音が聞こえてくる。規則正しい足音。カグヤの目が細まる。荒々しい息を押し殺し、体は地に伏せる。幸い、足音はカグヤのいる茂みの外側から聞こえてくる。

 足音は徐々に近くなり、そして腰ほどの高さのある茂み一つ隔ててカグヤの隣で止まった。


 月駒の表情は胡乱だ。だが、カグヤの存在が近くにあることに気づいているようで、犬のようにヒクヒクと鼻を鳴らし彼の匂いを探っている。ウロウロと周囲をうろつき、彼がカグヤから背を向けたときだった。カグヤは茂みの中から跳び出した。

 月駒を覆う黒い人影。

 カグヤと月駒の視線が重なる。月駒は唸り声をあげカグヤを威嚇した。彼は月駒の威嚇に怯えもせず使い物にならない右腕を突き出し、顔に押し当てた。

 閉ざされた視界に声が上がる。手にかかる生暖かい息と舌の感触に「うげぇ」と声が漏れる。落下する体のクッション代わりにと月駒に抱きつく。月駒は、マウントは取られまいと体を捻ったが、カグヤも同じ。二人は組んず解ぐれつ。重なりゴロゴロと地面の上を転がった。

 二人の体が大きな石にぶつかる。月駒は仰向け。カグヤが馬乗りとなるとすぐさま、自由の利く左手で月駒の鼻頭を打ちぬいた。

 噴出する銀色の血。

 月駒は鼻頭を抑え痛みにゴウオウ ゴウオウと喚きだす。


「てめぇ、うっせぇ。静かにしろ」


 足をばたつかせる体をねじり動かす。カグヤを振り落とそうとしたが動じる彼ではない。月駒を大人しくさせるため、容赦なく片手一本で殴り続けた。


「くそったれ」


 忌々しく舌打ちをする。感情を声に出し、さらけ出す。握りこぶしを顔面に叩きつける感触に泣き顔を見せるも、すぐにいかつい顔に戻った。


(違う。違う。俺がこうやって殴り続けるのはアイツらみたいに痛めるためじゃない。俺は、自分を守るためにやるんだ。だから、俺は違う。俺は、俺は――)


 月駒は助けを求めようと大きく開いた口を開く。彼は待っていましたとばかりに、口の中へすかさず拳をねじりこんだ。拳を入れるため、前歯上下六本割れた。大きすぎる拳に、口腔内でガコッと不気味な音が響く。月駒の顎が外れた音だった。

 突然の侵襲に月駒の目が見開かれる。必死に息を吸おうと小鼻を開閉させる。


「消えろ」


 おそらく、この言葉は月駒のみならず自分へ向けた言葉だ。

 左手は強力ごうりき。弾力のあるエメラルドグリーンの舌を掴んだ。逃さぬようしっかりと握りしめ、そのまま一気に引き抜く。割れた前歯が手の甲を霧、ワンテンポ遅れ戦場の血がにじみ出る。

 月駒の咆哮が放たれる。だが、狼のように尾を引く叫びは叶わず不自然に声は途切れた。彼らの最期が始まったのだ。

 カグヤは憐れむように月駒を見ると、千切った舌を変色した月駒に放り投げた。

 背を向けて数歩歩く。向かい風が短い金色の髪を撫でた。



「    」


 カグヤは慌てたように背後を振り返る。風に乗り誰かがカグヤの名前を呼んだ。キャンサーかと。殺気立つも、人の気配も月駒の姿もなかった。

 気のせいかと聞き流したが、再びカグヤの名前が呼ばれる。


「っるせーな。誰だよ」


 カグヤの声だけ響く。返らない返事にいらだち力を誇示するようにパキパキと関節を鳴らす。すると、声が聞こえた。


「カグヤはどこだ」


 光成の声だった。


(嘘だろ、アイツ……)


 目を見開き、ザワザワと風に乗る声に耳をそばだてる。「カグヤ」もう一度自分の名前が呼ばれる。


(なんであいつがここに?)


 カグヤは頭を抱えその場に蹲る。


(ありえない。ありえない。俺はコウナを利用したんだ。裏切ったって言われたんだ。だから、アイツは俺を嫌いになってるはずなんだ)


 嫌われても仕方ないことをした自覚もある。光成が自分の正体に気づくまで利用するつもりでいた。その代償の痛みもなんとなく理解した。未来を受け入れ、必要以上に光成に期待しなかった。彼が自分を受け入れる事はありえない。薄っぺらな演技と笑いを浮かべる事を肝に命じ、自分の心の痛みの軽減を試みた。

 しかし、光成の拒絶はカグヤの心に激しい痛みを与える。どんなに壁を作っても、保険をかけても、人から嫌われる痛みは泣き出したくなるぐらい辛い事だった。

 他人を利用し、裏切る事は取り返しのつかない信頼関係の破壊。

 強固な信頼関係の上に成り立つ生活は、ささくれ立った心の癒しだったと知った。


「コウナ」


(なんで、どうして戻ってきたんだよ。俺は、お前を利用したんだぞ)


 カグヤの耳に光成の声が届く。


(また会ってもいいのか?)


 カグヤの頭上を覆う樹葉がザワザワと騒ぎ出す。彼の疑問の答えを伝えるよう彼らはせわしなく葉を鳴らした。


(会わないと)


 樹葉のアドバイスに、背中を押された。カグヤの心はとても暖かい。ポカポカと心が高鳴っている。彼は、声のする方向へ走り出した。彼が胸に抱く感情は「喜び」。暴力に伴う副次的産物ではない自分の心が生み出した感情で初めて抱いたものである。


 喜びをかみしめ、カグヤは声のする方向へ走り出す。月駒の遺骸が音も立てず霧散した。

 銀の粒子は空高く舞い、星空の中へ吸い込まれていった。


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