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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Cancer
11/38

フォーリン・フォーリン(2)

 ブチリ ブチリ


 命が引き抜かれる音が響く。


 ブチリ


 大きな雑草を引き抜く音が最後。

 音を合図に、銀色の鱗粉が宙を舞う。

 夜の光に照らされてキラキラと光の中に人が佇む姿はまさに幻想的。

 しかし、幻想ははかない。一陣の風が吹けば鱗粉はどこかへ消えてしまった。


 カグヤの周りには沢山のイキモノがいた。しかし、彼の周りには誰もいない。イキモノがいた形跡すら残されていなかった。

 

「人間は死ねば形が残る。形が残らぬ死は果たして人の死と言えるのでしょうかねぇ」


 カグヤの背後から聞き覚えのある声が届く。


「さぁな。ただ、地球の生き物が月へ堕とされたんだ。醜い舌を持ち二本足で歩く下等生物 月駒にされてな」


 カグヤの声は、落ち着きを取り戻した男の声であった。地面に赤い唾を吐き捨てると、背を向けたままパーカーのポケットに手を突っ込んだ。


「それはそれは。()()()()()()()で」

()()()()()。だなんて柄にもねぇこと言うなよ。キャンサー」


 嘲りを込めた口調にキャンサーは反論しなかった。背を向けていても、彼の目はキャンサーの表情を把握している。おまけに表情は、彼が言うとおり「可哀想」を微塵も醸しだしていなかった。


「月駒との久々の再会はいかがでしたか?」


 キャンサーの口元からニチャァと音を立て、糸を引く。彼の目は、唾液の糸と同じぐらい細い。ニヤニヤとチェシャ猫の笑顔を浮かべ、キレイな背筋を見つめている。


「いやぁ、感慨深い。幼い頃月駒を見れば怯え恐怖していた貴方がですよ。理性を持って月駒を殺せるようになった。素晴らしい成長です。歳は重ねないと見られないものってあるんですねぇ。きっと、ナクナッタ月駒達も言っているはずですよ。『カグヤは成長しましたよ。僕達は偉大な大きな犠牲ですよー』って。まぁ、月産の月駒と地球産の月駒が言葉交わせるかどうかわかりませんけど」


 キャンサーは笑顔を貼り付けたまま、乾いた目尻を拭う。パチパチパチと拍手をしてカグヤの成長をたたえた。過剰な演技だ。カグヤが背中を震わせ、感情を押し殺している様を見せても、わざとらしい演技は止めなかった。

 それがキャンサーのやり方だ。わざとらしい演技で人の感情を逆撫でにする。激昂した人物の理性を奪い取り、足をすくって美味しいところを頂戴する。

 演技だ。演技だ。罠だ。罠だ。とカグヤは自分に言い聞かせる。本能が言葉を絞り出そうとするも、既の所で言葉をかみ殺した。唾液を何度も飲み込み、ようやく出た言葉は、挑発するキャンサーへの精一杯の抵抗であった。


「なんで、地球に月駒がいる。アレは月でしか生きられない存在だろ」

「えぇ。えぇ、えぇ、えぇ。確かに、月駒は月の穢れを纏いし哀れな存在。生きている価値は無いに等しく、地球ですら贈られえれば()()()をついて丁寧にお返しすることでしょう」


 彼は上機嫌に手を叩く。青年の遅れてやってきた反抗期がとても嬉しいようだ。小躍りするようなステップをその場で踏み、軽快な口調で言葉を続ける。


「でも、地球にだって穢れはあります。知っています? 穢れさえあれば、月駒に誰だってなれるんですよ!」


 彼は手を大きく広げ、自分の身体をしっかりと抱きしめる。その場でクルリとターンをする。片膝をついてカグヤの背に手を伸ばした。残念ながら、カグヤの反応は無かった。


「生きとし生ける者、誰かより優れていたい。誰かより立派でありたい。誰よりも素敵でいたい。素敵な人と結ばれたい。自分の思い通りでありたい。まぁ、これらの感情は全てではなくとも、持っているものでしょう」

 

 キャンサーは何事も無かったように立ち上がると、膝についた汚れを手で払った。


「ですがねぇ。残念な事に殆どのイキモノは立派にはなれないし、素敵にはなれないし、妥協して結ばれます。この世が全て思い通り。なんていうのはゴクゴク一部のイキモノ。私のような四賢人と呼ばれる人物ですらなしえません。そうですけれど。立派に、素敵に、幸せに、なりたい願望を抱いて無様に生きようとする姿は穢れを寄せ付けない光を放っています」

「……」

「ですがねぇ。穢れ。精神的汚物を持つ人間は決まっています。誰かに劣って、愚鈍で無様で醜悪で。そんな自分が認められない。フツフツとフツフツと溜まりに溜まった劣等感の中で野垂れ生きている哀れな人間なんですよねぇ。彼らの溜めた穢れ(劣等感)は月駒達が纏う穢れ(抑圧)は非て似なるものですよ」


 キャンサーの言葉をカグヤは否定できなかった。月駒に堕とされた人間達は集団(普通の人)からつまはじきにされた者たちだった。弾かれた過程は様々あっただろうが、気がつけばもう手遅れだった。受け皿も無い。冷ややかな目で見られ“近寄りたくないお友達”として認定されている。彼らは「立派に、素敵に、幸せに」という夢を描くことを忘れた。劣等感の中、自分が潰れない様に求めたはけ口が「もてない」人間。孤独を埋めるように重ねた身体が唯一の自尊心。知恵(女性経験)が無い者を獲物とし、隙ある者(性欲)を餌食とする。光成の言葉は言った本人が予想していない場所で立証していた。


「穢れの奥底で哀れな人間が求めているのは同情です。『辛いですよね』『可哀想ですね』と口に出せば、馬鹿みたいにコッチへ擦り寄ってきました。自分の劣等感を慰めてくれる。自分を認めてくれる。そんな風に思ったんでしょうね。まぁ、高みから見下ろす感情は悪くないですから。私もついつい手を差し伸べてしまいました。『貴方の力になりましょう』ってね」


 カグヤは振り返った。皺だらけのスーツを着た男は下品な笑いを浮かべている。

 そして、キャンサーはスーツの内側から袋を取り出した。袋の中には切手サイズの乳白色のペーパーが入っていた。


「毎食後、この(ペーパー)を飲みなさい。これは、イヤなあなたを自由にさせるクスリです」


 嘘だ。とカグヤは瞬時に理解した。そのような都合の良いクスリは認めていけないものだ。


「彼らは偉かったですよ。私のいう事をちゃーんと聞いて、ちゃーんと薬を飲みました。ただ、残念な事に、最後まで薬を飲みきれたのは貴方と出会った月駒だけでしたね」

「ふざけんなよ。人を月駒に堕としててめぇは……」

「カグヤ、言葉は大切に使いましょう。私達はただただ地球の人間を月駒にしたのではないです。カグヤの カグヤによる カグヤのための月駒を仕上げたのです。地球上で貴方を探す駒として。月に戻るための材料として。月での礎として。この薬を飲んでもらったのです。成功例は少なかったですが、得られたデータは貴重なものばかりでしたよ」


 カグヤは口を噤む。彼が屠った月駒はキャンサーが手にした初めての成功品。背後には無数の人間の犠牲があった。

 地球の人間の死は形が残る。だが、月の薬に触れたのだ。その身体は地球を捨て月に取り込まれた。地球のイキモノで無いから、故に地球では死ねない。

 しかし、月駒に堕ちた人間の死は

「地球のイキモノで無いから地球では死ねない(前提)」と「地球で死んだ(事実)

 矛盾した結果を導いてしまう。

 だから、地球は月駒の「死」の形を消した。生きていた痕跡を消し、形も残さないことで「生きていたこと」「死んだこと」を無かったことにした。


 キャンサーの知恵、地球の策略によって哀れな月駒は犠牲になった。彼らの犠牲の上に成り立つものは一体何であるのか。冒涜的な未来は容易く想像できた。

 カグヤは奥歯を噛み締める。必死に感情を押し殺そうとしたが限界だった。

 怒りではない。悲しみでもない。どうしようもないやるせなさが彼を突き動かす。


「吐き気のする醜悪さだな。月の賢者どもはよおおおおおおおお」


 感情のまま、叫びと共に振る下ろされる右手。だが、右手は(キャンサー)を穿つことなく、絡め取られた。「取られた」と思った瞬間、彼の視界は天と地がひっくり返る。ドンッと胸から地面に落ち、肺から溜まった息が逆流した。


「おやおやまぁまぁ。血気盛んは結構な事ですがもう少し理性を持ちましょうねぇ」


 カグヤの腕は背中に引っ張られ、捻り上げられた事で腕と肩は極められた。


「カグヤ、私からも一つ質問があります」


 キャンサーはカグヤの腕と肩を極めたまま静かに腰を下ろす。


「貴方、あの人間を生かしたでしょう」


 彼の言葉にカグヤの脳裏に光成の姿を浮かび上がる。

 紅い月の夜、カグヤは死にかけた一人の人間を助けた。

 カグヤは光成を助けるつもりは無かった。彼が死ねば地球の誓約違反でカグヤは地球で死ぬ。この結末は至極全うなもので受け入れるつもりだった。

 しかし、光成はカグヤと違い『生』を求めた。死の淵に立ちながらも『生きたい』と希い、血で濡れた手でカグヤの胸倉を掴んだ。

 ギラギラと生に執着する気概。彼は知らなかった。「生きる」「生きたい」と願い、手を伸ばす姿は爆発的名まばゆい光を放つ。目を覆いたくなる光に、彼は心を奪われた。

 生きることは何か。生きようともがく先にあるモノは何か。生かせるものなら生かしたい。カグヤの魂を動かした人間を通して、世界を見たくなった。

 カグヤは光成に生きて欲しいと願い、彼を死の淵へ誘った者の責任として、光成を救ったのだ。


「捧げたのは、貴方の血……ですよね」


 キャンサーの質問をカグヤは無視した。その罰として、キャンサーは肘を伸ばし関節に力を加えた。

 

「不老不死のカグヤの血。カグヤの血は舐めるだけで強烈な快楽を得、飲めば命が永らえる。そんな血を人間如きによくまぁ無駄遣いしすぎたもんだ。ほんの少しで良いのに、そんなに与えるから君は十全の力を失った。本来のカグヤなら、理性を持って月駒を屠ったものの。屠るためだけに、理性のリミッターを外す(暴力の快楽に溺れる)ことも無いものの」


 言葉と同時だった。カグヤの肘関節から耳障りな音が耳に届いた。悶える痛みに視線を動かすと、彼の右ひじはあらぬ方向に折れ曲がっていた。


「それに、本来の君なら肘が壊れる前に、私を殺していたはずだ」

「ん――な事――」

「中途半端な君に興味は無い。無様なものを見せ付けられたからその罰を与える為にやってきました。君の確保は、その後。あの人間を処分してからにするよ」

「ふざけ――」


 カグヤは何か言おうと口を開く。その時、キャンサーのポケットから袋が落ちた。中には、人間を月駒へ落すあの薬が入っている。カグヤの視線が薬へ注がれると、キャンサーは「あぁ」と息を漏らし、底意地の悪い顔で口を開いた。


「そうそう。この薬はね、()()の身体から作られたんだ。確か……。臀部の肉を干して彼女の血を浸したんだった。あの月駒達が君の血に執着するのも仕方ない。だって、母子(おやこ)じゃないか。母親の身体が美味しければ子も美味しい。だから、親子丼は最高なのだよ」


 カグヤは何度も瞬きを繰り返す。眦から大きな滴が滴り落ちた。(願望)現実(現実)が入り混じる空間で、もう一度鈍い音と絶叫が響いた。大地に歯を立て噛み付く男の右肩はマグマのように熱く、痛覚がわからなくなっていた。


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