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ルナティック・ダンスホール  作者: はち
project.Cancer
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フォーリン・フォーリン(1)

 血の臭いにあてられ、理性と狂気の中揺蕩う意識は二つの事象を捉える。左目で現実(快楽)を。右目は過去(苦痛)を。

 右目が一際強く視野を広げる。右目が捉えた世界。ガラス張りの無菌室で三人の全裸の男がグレー色のワンピースを着た一人の少年を甚振っていた。少年は鼻から血を流し、腹部を蹴られれば残渣と共に胃液を吐き出す。胡乱の瞳が男達を見つめている。その目が気に食わないのだろう。男達は彼の瞼を殴りつけていた。


「ほらカグヤ。そんなに殴られると死んでしまいますよ。抵抗してごらんなさい」


 無菌室の壁は分厚いガラスで出来ている。マイクを通じ、誰かがヒステリックに壁を叩きながら声を荒らげている。だが、その声に彼は反応しない。棒っと立ち、殴られる。彼はこの実験を始めて四年が経つというのに反撃らしい反応をしない。今日もまた彼はただ殴られるだけの日を送る。


「カグヤ、お前が戦う意思を見せないと何も変われないゾ」

 

 また別の人間が口を開く。しかし、カグヤの反応は芳しくない。

 ガラス越しにいる白衣を着た四人の人間はそれぞれのマイクのスイッチを切り、壁に背を持たれ溜息交じりに話し出した。


「今日もカグヤの反応はイマイチか」

「あぁ。まともな反応は最初の頃だけ。あとはご覧の通り。ただ一方的に殴られ続けるだけサ」


 皆、深い溜息をつく。カグヤに視線を動かすと、小さな体がゴム鞠のように床を跳ねていた。壁にぶつかると、頭を抱え体を丸くしている。臀部に濃いシミが見受けられる。これが唯一の反応だった。



「打開策として月駒(がっこ)を投入してみたものの、彼の反応はイマイチだったな」


 マグカップを唇にあて、青年と壮年の狭間にいる男が口を開いた。疲労感は強く涙袋のしたには濃いクマが描かれている。黒目がちの一重瞼をゴシゴシとこするとアクビをかみ殺しカグヤに視線を送る。薄い唇から見えている歯にマグカップを宛てるとズズズと音を立て中の液体を飲み干した。


「月駒の質だけが上がっていく」


 彼の独り言に他の二人の人間が一人の人物に視線を送る。その相手はキャンサーだ。非難たっぷりの視線は言葉より鋭利である。キャンサーは鋭い視線から逃れるよう縁起が買った素振りで胸の前で両手を振った。


「いやいやいや。月駒投入には意味がありますよ。臭い・汚い・きもちわるい。三低が揃った月駒を相手にしてカグヤがどう反応するか、調べること自体に意味があったのではないですかねぇええええ?」

「三低は貴様だキャンサー。ブス・アホ・マヌケ。救いようの無い人間でも賢者であれば許される。だがな、許されるとあっても無駄遣いは許されないゾ。資源は有限。月駒にしても、カグヤの血にしても。何の成果も出せない現状じゃぁ、クソの意味も無い。はっきり言おう。キャンサー。貴様は我々の穀潰しだ」


 誰かが溜まらず声を上げる。「あんなのの為に」指差す先にあるのは、全裸の男達。ソレが月駒と呼ばれる生き物だ。

 彼らは理性が飛んでいる。争いごとにおいては鉄砲玉・肉の盾として有用なのだが、耐え難い臭気。低い知性のお陰で、月の世界では生き物としての序列最下位(ゴミ捨て場)。鼻つまみものだ。


「そう言うな。キャンサーの提案は悪くない。データもそれなりに取れたからな」


 そう言うのは、マグカップの男だ。彼は白衣の中に片手を突っ込みリモコンを押した。四人の前に大きな液晶が下りてくると、電子音と共に映像が現われた。映っているのは、カグヤの顔と月駒達の顔。その横には数字と折れ線グラフが表示されている。マグカップの男は何も言わない。他の人間は、データだけを見ると「ほぉ」と息を漏らし言わんとしている事を理解した。


「カグヤに月駒をぶつけ、カグヤの血を飲ませ続ける。それを三ヶ月続けたところ、行動に変化が見られた。当初は、殴る・蹴る。といった単調な動きばかりであったが、今では他の月駒と視線を合わせ行動する。チームプレイもどきが出来るようになった。その成果、行動にもバリエーションが生まれ――」


 彼はそこで言葉を区切り、マグカップでガラスを示す。

 一人の月駒が小さなカグヤの体を持ち上げ、ガラスの壁に叩きつけ始めた。ガツン ガツンと硬いものがぶつかる音がするたびに、壁には赤い花が咲く。付着した血は加害行為に加わっていない月駒達が舐め取っている。

 一滴でも多くの血を流させるよう、彼らは僅かな知恵を用いて挑戦している。その結果、三ヶ月目にして「カグヤを持ち上げ」「壁に叩きつけ」「血を絞り出す」という過程にたどり着いた。

 皆、月駒達の行動に拍手する。三ヶ月という期間で月駒達は賢者達の予想外の結果をたたき出したのだ。


「あぁ。今日は月駒達の調子は良いようだな」


 一人の月駒が、持ち上げられたカグヤに近づく。頭から血を流すカグヤの顔をジッと凝視すると、その長く緑色をしたゼリー状のしたで彼の顔を舐め始めた。

 今まで床に落ちた血しか舐めなかった彼らが、カグヤの顔から血を舐めとる。血の採取。の距離が縮まった。感嘆の声を上げると、彼らの声に呼応しカグヤにも変化が訪れた。

 

 月駒はその臭気で月の人間に忌避されている。口腔内は肛門より汚いといわれる器官だ。汚臭の最底辺が顔に塗りたくられる。カグヤは月駒の臭気に当てられ体を小刻みに揺らし始める。震えは次第に大きくなり気づけば白目をむき出しにして激しくえづきだした。

 ようやく見せた生き物らしい反応。ガラス越しにいた四人の賢者は大きな歓声をあげた。


「カグヤがえづいたぞ。カグヤが」

「そうか。カグヤは痛みに強くとも臭気には弱い。臭気に関しては経験の少なさか? 反応が見えるのは」

「貴君の意見には疑問があるゾ。カグヤは最初加害行為に泣き叫んでいた。それは痛みによるものか。それとも精神的な面によるのか。精査しなければならない。精査もせずにカグヤは痛みに強いと断言するのは馬鹿の浅知恵だゾ」


 各々が好きな事を言う。仕方あるまい。彼らは新しい切り口を見つけたのだ。知的好奇心は刺激されっぱなし。この快感は観察力を鈍磨させる。床に落とされ、背中を踏みつけられているカグヤの姿。先程とは違い、顔を歪めているのに、それにも気づかないのだ。腕を組み、高尚な事を口にし、ひどく感動した様子である。ただ一人、マグカップの男は真剣な面持ちでカグヤを見つめていた。


「それにしても美しい光景だな。()()()()が低俗な生き物に嬲られ続ける光景は」

「あぁ。普通の生き物、人間ならとっくの昔に発狂している。だが、()()()だ。体も強ければ心も強いのだろうな」







 

 

 右目(過去)左目(快楽)。時間差で拳が入った。現実に引き戻された意識は高見から低見へ転落する。


(やべっ)


 顔を守ろうと腕を上げたか遅かった。

 無防備な顎は打ち抜かれた。今までのお返しといわんばかりのキレイなアッパーカット。体はのけぞりグラグラと視界が揺れる。

 カグヤがひねり出したコンクリート片はすでに彼らの手中。鼻頭を打ちつけられた男はカグヤの鼻を横から殴りつけた。鼻の付け根からブチリと嫌な音が聞こえると、タラリと鼻から熱いものを感じた。

 地に伏せると、ボタボタボタタボ。勢い良く鼻血が噴出する。手で鼻を覆っても隙間から零れ落ちる。

 床に咲く真っ赤な花。床に零れ落ちる血。

 男達は我先にとカグヤの血に群がり始めた。カグヤが邪魔だと押しのけると、別の男はカグヤの体を受け止めた。

 鼻につく血と唾液の臭い。

 カグヤの意識にジャリジャリと音を立てノイズがかかる。

 地面を舐める男の背中。

 前後左右に腰を振る男の姿。


(見たことある)


 吐き気のする腐臭。焦点を失った汚い顔。きもちわるいぬめぬめと濡れた舌。

 ノイズの隙間から映るのは月駒に押される自分の視点。襲われた自分を見る目。

 人と月駒が混濁する。ノイズ(過去)は ノイズ(現在)は ノイズ(未来)は。何が人間で誰が月駒か。カグヤの脳内から声を上げる


(オマエハ ナンダ)


 怯えた目は、血を舐める男を見つめる。彼の舌は()()()()()()()だった。


(あぁ。月駒か)


 カグヤの鼻血を緑色の舌が掬い上げた。


(月の穢れを纏いし人ならざる生き物。月駒。月だけに存在するのに。何故……)


 息を吸う音に、月駒のリビドーが刺激された。カグヤの身体にヘコヘコと打ちつけていた腰をブルリと震わせマヌケな顔と声でカグヤを見つめる。重なり合う視線。言語不一致。しかし言語の壁は目の力で越えて行く。その血をもっと寄越せ。それは彼が求めるもの。目を細めるカグヤに月駒は、彼の顔を再び舌でなめまわした。

 ブヨブヨと弾力のある舌。唾液が乾くと強烈な腐臭を発する。腐臭の後には思い出したくないコウイが待っている。

 吐き気を催す悪寒。気配を察したのか、どこからか幽かな声が響く。裡側の悲しい声だった。


(あぁ。そんな事、()の前ではどうでもいい)


 カグヤは自分の顔を舐めている月駒の舌を掴んだ。ギリギリと万力を込めて舌を握り締める。痛みに、月駒は地団駄を踏み、カグヤの頭を殴る。だが、彼の力は弱める気配は無い。彼は瞳を閉じ、開く。その目はギラギラと光を放っていた。


「もういいわ。お前ら」


 そう言うと、彼は月駒の舌を引きちぎり、首を掴んでアスファルトで血を舐めている同胞に投げつけた。

 カグヤは立ち上がり、地に伏せる月駒達を見下す。反抗的なカグヤに歯向かおうと月駒達は立ち上がるも、目に見えない重圧でストンと腰を落としてしまう。立って座って。奇妙な動きを繰り返しているうちにカグヤはすぐ近くまでやって来た。


「動くな」


 彼の口から発せられた声は男とも女ともわからない。声を発すると茶色の虹彩が光り全てを威圧する。


「全ては終わりだ」


 カグヤはカツリ カツリと足音が反響する。


「月に堕ちた人の子よ」


 カグヤの拳が一人の月駒の手に突っ込まれる。


「カグヤと出会い、カグヤの手で死ぬことを光栄に思え」


 彼らに投げつけられた同胞は事切れている。その身体は硬直し、つま先から銀色の膜が張られていく。膜が全体を覆うと、乾いた破裂音と共に霧散する。銀色の鱗粉が宙を舞う。星の煌きの如く光を放つと闇の中へ消えていく。その場には銀色の塵一つ残されていなかった。

 理性を無くした月駒達はようやく理解する。アレは月駒の死。自分の生きた証は何一つ残せない。

 そして、カグヤは月駒に容赦しない。いや、月の生き物に容赦はしない。出会えば殺す。 出会えば排除する。カグヤの前に立ちふさがるモノ全て、有象無象関係なく月のモノは全て排除する。たとえ生まれが地球であっても、()()()()()()()()()()()になるのだ。


「月の穢れを纏いし人ならざるモノ。今ここで、月と穢れに遥かな離別を」


 一枚、命が引き抜かれる音がした。


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