第5話 終末の到来を予期する者
アンジェはアスランが礼を執る姿を見て満足げに微笑んだ。公爵令嬢という高貴な身分にありながら、アンジェが家臣や使用人に向ける笑顔には高飛車な雰囲気が一切ない。アンジェに無垢な笑顔を向けられると、アスランも自然と穏やかな笑顔を浮かべてしまう。
アスランが片膝を突いたままアンジェを見上げていると、アンジェがクレイに向かって『あれを』と告げた。首肯したクレイが肩に掛けていた荷袋から革鎧とショートソードを取り出し、アスランへ手渡しながら口を開いた。
「この装備はお嬢からアスランへの下賜品だ。お前は俺の部下となり戦闘訓練を受ける。お前が当面目指すべきはお嬢専属の侍従武官だが、文官としての才にも期待されていることを忘れるな」
「はっ! 拝領します」
クレイから装備を受け取ると、奴隷商が『ウォーカー様、どうぞこちらへ』と言った。いきなりの様付けに一瞬唖然としたが、アスランはアンジェに一礼して奴隷商の案内に従った。
案内されたのは、アンジェに買われた時に着替えをした更衣室だった。そこには女性マジシャンのレアもいた。奴隷商は『あの者が更衣を手伝いますので』と言って応接間の方へと戻って行った。
「久しぶりね。でも、こんなに早く解放されるなんて驚いたわ」
「お久しぶりですレアさん。俺も自分のことながら驚いています」
「あら、私の名前を憶えていてくれたのね。嬉しいわ」
「当然です。アストレアル公爵家へ行く以前で、俺に優しく接してくれたのはレアさんだけでしたから」
レアは喜ぶような同情するような表情を浮かべ、『お手伝いするわ』と言って装備を手伝ってくれた。奴隷だった時には何とも思わなかったが、今こうして着替えを手伝われると気恥ずかしく感じるから不思議なものだ。
革鎧やプロテクターを装備し終えると、レアがハサミと櫛を使って髪形を整えてくれた。中腰で前髪を切ってくれるレアの豊かなバストが目の前で揺れ、アスランは目のやり場に困ってしまった。
「うん、見違えたわ! 素材が良いから楽しくなっちゃった」
「ありがとうございました。でも、ローブはちゃんとボタンを留めてください。レアさん魅力的だから危険です」
「ウフフ、良い眺めだったでしょ? 私からのささやかなお祝いよ」
「敵わないなぁ。お礼ができるようになったら食事でも奢ります」
「ほんとに? 期待して待ってるわ♪ 私がデザートになるのかしら?」
「つくづく敵わないなぁ…」
レアの悪戯な笑顔に見送られて更衣室を後にした。応接間へ向かう廊下で手に持っていた剣を腰に装備する。否が応にも身心が引き締まった。
扉をノックして応接間へ入ると、クレイが『ほぉ』と呟いた。アンジェは女性らしく腕を組んで『うんうん』と頷く。
「アスラン素敵よ。アスランはいつも私が予想した上をいくわね」
「お前は雰囲気を持っているな。歴戦の戦士が醸すような」
アスランは返答に戸惑った。騎士であった父から剣術の指南は受けていたし、スタンピードが起きた際にも微力ながら戦闘に加わった。
しかし“今のアスラン”については、水城 耀のゲーム知識や経験に根ざした戦闘スキルの方が圧倒的に影響していた。
この五ヶ月間、アスランはギャラルホルンオンラインとこの世界の関連性を検証してきた。武器の一つも持たないアスランにできる検証は限られていたが、補助スキルやナイフを使った攻撃スキルの検証は可能だった。
結論から言えば、この世界はギャラルホルンオンラインが現実世界に移植されている。むしろこの世界をモデルとしてギャラルホルンオンラインが製作されたのではとさえ思えた。
「幼い頃より剣術や体術の基礎を指導されましたし、件のスタンピードでも防衛線に加わりました。奴隷であった頃も空いた時間に訓練は積んできました。私には…強くなるしか生きる道がなかったので」
「なるほど、装備を身に着けることで雰囲気まで纏ったわけか。クラスを獲得するのも存外に早いかもしれんな」
「クレイがそう感じるのなら、クラスついても嬉しい誤算が起きそうね。予定どおり今後のことを相談しましょう。ジェンキンスの店へ行くわよ」
「承知しました。奴隷屋、今日の代金だ。アスラン行くぞ」
「お伴いたします」
クレイは奴隷商に二枚の小金貨を手渡すと、応接間の扉を開けてアンジェに道を開けた。アスランもアンジェとクレイに続いて退出し、玄関先で待つ馬車へと向かう。
アンジェの姿を見たゲイルが馬車の扉を開け、左手を胸に当てて腰を折った。アンジェが『ご苦労様』と声をかけて馬車に乗り込み、クレイがそれに続いた。
二人が座席に座ったのを確認したアスランが馬車の扉を閉めるべく動くと、ゲイルが驚いた表情を浮かべて固まった。そこへクレイが吐息まじりの声を発した。
「アスラン、いつまで使用人気分でいるつもりだ? お前も馬車に乗れ」
「あ…申し訳ありません…」
苦笑するゲイルに苦笑を返し、アスランは『失礼します』と言って馬車へ乗り込んだ。馬車の座席にも当然ながら席次があり、アスランは座るべき場所に姿勢を正して着座した。
大通りを十五分ほど走ったところで馬車が停止した。アスランは扉を開たい衝動に駆られたが、車内では上位者が降車するまで下位者は身動きしてはならない。
クレイに続いて降車するとゲイルが腰を折って控えていたが、その顔は半笑いであった。アスランはゲイルの耳元に口を寄せて『慣れないから仕方ないだろ』と囁いてアンジェとクレイを追った。
アンジェが指定した“ジェンキンスの店”とは、上級貴族御用達の高級レストランであった。アスランが扉を開けるべく足を速めると、店の扉が内側から開かれた。
「アスランったら面白いわね。侍従が扉を開けることはないのよ」
「申し訳ありません…」
「まったく、早く慣れろよ」
「はい、クレイ様」
店のドアマンが開けた扉から入ると、中ではウェイターが頭を下げて待ち構えていた。ウェイターは『ようこそお越しくださいました』の言葉と共に、腕を店の奥へ向けて伸ばした。
こんな高級店のシステムは耀の記憶にもなかったため、アスランは戸惑いと緊張を隠せずにいた。
テーブル席の真ん中を貫く形で広く取られた通路を通り奥へ進み、二階へと続く階段を登る。二階には個室が並んでおり、最奥に見える一際大きな両開きの扉の前には二名のウェイトレスが控えていた。
ウェイトレスが開いた扉を抜けると三十人は座れそうな長テーブルがあり、背もたれの高い椅子が三脚だけ配置されていた。
アンジェとクレイが席に着き、アスランは空いている椅子に着席した。ウェイターが流麗な手つきでワインをグラスに注いでいく。
「暫く話をするので呼ぶまで人を入れるな」
「畏まりました。ごゆっくりお寛ぎください」
クレイの言葉に従い、ウェイターとウェイトレスが退出して扉が閉じられた。
アンジェが美しい所作でワイングラスを傾け、小さな吐息と共にグラスをテーブルに置いた。そして視線をアスランに固定し、予想外の言葉を紡いだ。
―――貴方が知る、世界の終末から王国を救う方法を教えて欲しいの
一瞬で全身の毛穴が開いた。心臓が早鐘を打ち、思考が迷走する。『何のことだ』と考えるが、『あのことに違いない』としか思えない。固定されたアンジェの視線からは、外すことを良しとしない意志が伝わってきた。
世界の終末、もしくは、神々の黄昏――ラグナレク。アースガルズの門番であるヘルダイムが吹くギャラルの角笛こそがギャラルホルンだ。
ギャラルホルンが吹かれる時、ラグナレクは到来する。
ギャラルホルンオンラインは、ラグナレクから世界を護るためにキャラを成長させるストーリー設定だ。アップデートされるエピソードをクリアし、シナリオから生成されるクエスト群を攻略するために、キャラのステータスを上げて強くする。
キャラの強化で最も重要になるのはクラス、いわゆる職業だ。クラスによってステータス特性や修得スキルが変化し、上位クラスにチェンジすることでより強くなる。
ギャラルホルンオンラインでキャラとしてもクランとしても最強と呼ばれた水城 耀は、グランドクエスト攻略に最も近い存在だと噂されていた。
しかし、水城 耀の記憶にあるギャラルホルンオンラインは、グランドクエストが発生するところまでアップデートされていなかった。
アスランは深い深い呼吸を一つ吐いて告げた。
「アンジェ様、それをお教えすることは不可能です」