第12話 町を歩き捜す二人は
再び捜索を開始して、しばらくもしないうちに町は夜に包まれた。
電子看板や店明かりが、星の光も霞むほど都会を彩る。がやがやと行き交う人々の声もあって賑やかだ。飲み屋街を通った際には、男達が「次の店に行くぞー!」と騒ぐ陽気な声とすれちがい、日々頑張っているご褒美みたいだ、元気な町だ、と雪弥は感じたりした。
そうしている間にも、どんどん夜は深まっていった。
二十二時を過ぎると、町中の賑わいようも少しずつ落ち着き出した。車や人の数が次第に減り始め、二十三時を回ると深夜営業店の他はシャッターも降りていった。
まだ、あの女の子は見付かっていなかった。
あれからずっと町中を歩き回っている中で、頭にツノを持ち、着物を羽織っている、という目立つ姿は、夕刻のあの遭遇以来は目に留まっていない。
「――まさか刑事であるこの僕が、深夜徘徊をする事になろうとはね。これだと完璧に残業みたいなものじゃないか」
柔らかな髪を夜風にバサバサと吹かれている宮橋が、フッと乾いた笑みを浮かべてそう言った。
ようやく腰を下ろしたところだ。その隣で、蒼や灰が混じったような色素の薄い癖のない髪を、同じく風に煽られている雪弥が、チラリと彼へ目を向ける。
「えっと…………なんかその、すみません?」
自分のせいで逃げられたようなものだ、というのを思い出して謝った。あの後からずっと歩き続けてしまっていた事を考えて、ぎこちなく目をそらす。
「この遅い時間まで歩かせているのも、結果的に僕のせい、なんでしょうし……」
続ける声は小さくなる。刑事としての彼の勤務時間を考えてみると、確かにかなりの残業だろうか。
すると宮橋が、くしゃりと前髪をかき上げた。
「まぁいいさ、夜の歩きは嫌いじゃない。『どちらか分からなくなる事が少ない』からね」
また不思議な意見が聞こえてきた。
雪弥は、余計な質問はするな、と指示してきた隣の彼へと目を戻した。けれど『夜の町並みを一望している』美しいその横顔からは、かなりご立腹なのが伝わってくる。
「…………あの、宮橋さんが夜歩きに対しては、怒っていないというのは分かりました。でも……――怒ってますよね?」
思わず尋ねると、宮橋が「それとこれとは別でね」と言って、ゆらりと顔を向けてきた。
「一通り歩き回ったのはいい。その後が問題なんだよ、雪弥君」
「その後と言うと、ついさっきの今ですか?」
「そうだ。あっという間に僕を持って、ひとっ飛びでこの屋上まで来た事だよ――いいか、とりあえず二度とするな」
「はぁ、すみません……」
低い声でぴしゃりと言われ、雪弥はとりあえずまた謝った。
つい先程、『高い場所からの方が見渡せるな』と宮橋が思い立った様子で口にしたのを聞いた。だから雪弥は、『じゃあ行きますか』とココまで連れてきたのだ。
それなのに到着早々、「この僕を驚かせるとは、やるじゃないか」とギリギリ頭を掴まれてしまった。その上、こうしてビルの縁に腰掛ける前に、拳骨まで落とされてしまったのだ。
まぁ、痛くはなかったのだけれど。
見晴らしがいい『高い所』まで連れて来ただけなんだけどなぁ……きちんと両手で持ったのに、そこもまた叱られてしまったのを思い返して、雪弥は不思議に思いながら目を戻した。
そこには町の夜景が広がっていた。地上よりもやや強い夜風が吹き抜けていて、行き交う車の白や赤のライトも、風景を彩る一つとして流れて行くのが見えた。
あの少女を見失ってしまったのは、自分のせいなのだろう。
でも、ただ保護するだけだと思っていたのに、まさかあんな事になっているとは、想像してもいなかったわけで――。
「だって女の子にツノがはえてるとか……はぁ」
「言っておくが、通常なら有り得ない事で、僕だって驚いている」
思い返して溜息交じりに呟いたら、隣からそう宮橋が口を挟んできた。
「そういえば宮橋さん、そんな事を言ってましたね」
「僕らが返したのは『子』の骨なんだ。特別な亡骸ではあるから欲しがるモノは多いが、人間にとっては、ただの同族の骨。それだけで鬼になれるはずもない」
しばし雪弥のコンタクトの黒い目と、彼の明るいブラウンの目が見つめ合う。
その問題点については、歩いている時もずっと彼の方で考えているようだった。けれど雪弥は、余計な質問はするなとは言われていて、完全なる理解を求められているわけでもない。
だから自分は、自分が出来る事をするだけなのだろう。
やや考えるような間を置いてから、雪弥は「ふうん」と思案気に少し頭を傾げる。そして質問を絞った後に、訊いても大丈夫そうな事を考えて口にした。
「そもそも『子』とか『母鬼』とか、どういう事なんですか?」
「一つの【物語】なのさ」
宮橋は言いながら、両手を後ろに置いて姿勢を楽にした。座っているビルの縁から出している足を、少しだけ揺らす。
「あるところに美しい鬼がいて、人を愛していて子を作りたがった。けれど彼女は、従える鬼を産む事は出来ても、人を産む事は出来なかった――人との間に生まれた子は全て死んだ。憧れに憧れて、それでも諦められず、ただひたすらに狂うように人を愛して、子を宿し続けたのが『母鬼』」
不思議で哀しげな話だ。
いや、自分が本だとか、そういうものとは縁がないせいだろうか。
読書習慣があったのは、幼かった頃くらいだった。屋敷で、兄や妹と絵本を広げた事があった日々を思い出し、ふと、胸が空くような気分の沈みを覚えた。
自分は先日、あの屋敷から飛び出してしまったのだった。
気まずい別れだった――のかもしれない。しばらくは連絡も取らない方がいいのだろう。そうすると、もしかしたらこのままプライベートでは疎遠になっていくのか……。
雪弥は、一呼吸置いてカチリと思考を切り替えた。
「その物語の母鬼とやらは、『もう自分には無理だ』と気付かないものなんですか?」
今は仕事中だと自分に言い聞かせ、いつもの調子に戻して控え目な微笑でそう尋ねた。
その直前までの様子を、じっと見つめていた宮橋が夜景へ目を戻す。
「残念ながら、彼女らに『やめる』という選択肢はない。その母鬼にしても、彼女と恋に落ちていく人間の男達も――いつだって彼らの始まりと終わりは【物語】のままに進む」
どうして、と、雪弥は不思議な気持ちでチラリと思ってしまう。
だって考えるのをやめてしまえば。もしかしたら望む事をやめれば、その哀しい事を繰り返さなくても済むはずなのにな、と――そう考えてふと、自分の中でチクリとするのを感じた。
体調は悪くないはずなのだが、と雪弥は妙な感じがした胸に目を落とした。
宮橋が気付いて目を向け、片膝を立てて頬杖をついた。しばしガラス玉みたいな目で彼を見つめたところで、ふぅっと小さく息をつく。
「それがどういう感情であるのか、分からない?」
ふっと唐突に問い掛けられ、雪弥は少し遅れて彼を見つめ返した。
一体何がですかと視線で問い掛けると、宮橋が「別に」とそっけなく言う。
「そもそも僕は、相談所をやるつもりはないからね。ああ、そうだとも。そのはずだった」
「あの……よく分かりませんが、もしかして怒ってます?」
「怒ってはないさ。ちょっと自分に苛々してるだけだ」
と、宮橋が美麗な顔を少しくいっと上げて、不意に指を向けてきた。
「一つ教えてあげよう。君は母鬼の物語を聞いて、なら思考や望むのをやめてしまえば、と思ったわけだが」
「あれ? おかしいな、それ僕口に出していないはずなんですけど……」
「細かい事は気にするな。君、単純だから全部顔に出るんだろう」
多分ね、と宮橋がどちらでも構わないような口調で言う。
「頭では分かっていたとしても、それが心からの願いであれば抗えない。呪うほどの怨みも憎しみも、結局のところは元の願いの強さあってのモノだからね」
心からの……と雪弥は、どうしてか口の中で反芻してしまった。
その時、宮橋がピクッと反応して外へ目を向けた。凝視するように少し見開かれた目が、ゆっくりと好奇心の色を強めて、ニヤリと笑みを浮かべる。
「雪弥君、彼女が出てきたぞ――あのビルのところだ」
ここまで上がってきた甲斐があったな、と宮橋が腰を上げる。
そこには夜景が広がっているばかりだ。黒コンタクトの目を蒼く光らせて、ざっと確認してみたが不思議な女の子が目に留まる事もない。
立ち上がった雪弥は、その隣で首を捻った。ひとまず彼に最優先事項を確認する。
「地上に戻るとして、最短ルートはここから飛び降りる事なんですけど――宮橋さんを、僕が抱え持って戻ってもいいんですかね? それとも、建物の中を通りますか?」
「チッ。仕方ないが、ここから飛び降りる方が早いだろうな」
舌打ちされた……しかも、かなり嫌そうな顔だ。
腕を組んだ宮橋にギロリと睨まれ、雪弥は「だからこうやって先に確認したのに……」と呟いてしまった。
「いいか雪弥君。先に言っておくが、また僕をお姫様抱っこしたら承知しないからな。今度やったら、僕が君をお姫様抱っこして、町中を闊歩する刑にするぞ」
「えぇぇ。でも担ぐとなると結構揺れますけど――」
「是非とも担げ、二度と前で持つな」
雪弥が心配して述べたら、宮橋が不機嫌顔でビシリと断言してきた。
まぁ本人がそう言っているのだから、いいのだろう。髪やスーツをバサバサと揺らしていく夜風の中、「今更なんですけど」と護衛対象でもある美麗な刑事を見つめ返す。
「そもそも、どうして女の子が出たとお分かりに?」
そう尋ねたら、宮橋が当然だろうと告げるような顔をした。
「『見えた』からそう言っている。今、あのビルの裏手の道を歩いてる」
ふんっと偉そうな感じで見下ろされてもしまった。
ビルの裏側なら、ここからだと全く視認出来ないのでは……回答を受けた雪弥は、なんだかなぁと困った顔をした後、
「それじゃあ失礼します」
と、今度はきちんと声をかけてから、宮橋を後ろの方で担いだのだった。




