第11話 少女を捜して 下
土地勘もない中、雪弥は、さてどうしたもんかなと足を進めた。
ぼんやりと人混みを眺めて、見慣れない土地の都会風景を黒いコンタクトの目に留めていった。制服姿の学生もまだ多く行き交っていて、夕暮れは色を薄めて寂しげなブルーだ。
「勘、ねぇ…………」
本当にそんなんでいいのかな、と今更のように思う。
捜索を始めた際、宮橋からは「都会では珍しい真っ黒な髪のオカッパ」とざっくり外見的特徴だけ聞かされていた。意識もない状態でふらふらと歩いているのなら目立つだろうから、と雪弥も思っていたのだが、そういった中学三年生らしき少女は見かけていない。
この世界から、消えたり戻ったりしている。
本当にそんな事あるのだろうか? もし違っているのなら、夜狐の方にでも協力を頼めるのだが……。
雪弥は、一桁ナンバーのエージェントにそれぞれ与えられている暗殺機動隊を思った。こうして感知出来ないくらいの距離を持って、隊長『夜狐』を筆頭に、またどこか遠くから窺っているのだろう。
自由に使える部隊というよりは、監視みたいなものだ。
戸籍すら持たず名前もない、お面を着用した国家特殊機動部隊暗殺機構の者。
彼らは雪弥の状況や居場所などを、ナンバー一に報告する役目も担っている。代わりに報告してもらっていると思えば、その事について文句を言うつもりは『今更』ない。
雪弥は、灰や蒼が混じったような、色素の薄い髪を風に揺らして歩いた。付いてくる宮橋をチラリと確認しようとしたところで、ふと横の道の方へ視線が引っ張られた。
そちらに目を留めて、ハタと足が止まってしまった。
凛、と頭の中で勝手に音が上がった気がした。揺れた美しい着物が、夕暮れ時の薄暗い中で、花弁模様と共に白く浮かび上がって見える。いや、白いのはそれだけではないのだ。
「………………宮橋さん、捜しているその女の子って、実は鬼だったりするんですかね……?」
思わず、そちらを見たままそう尋ねてしまった。
一人の華奢な少女が、通路を奥へと過ぎっていこうとしていた。ぼんやりとした表情の横顔、洋服の上から羽織っているのは大きな着物で、揃えられた黒い髪が肩甲骨あたりで揺れている。
その黒い頭には、――とても長い白い二本の『角』があった。
問われてすぐ、気付いた宮橋が目を走らせた。自身の目で確認するなり、「そんな馬鹿な事あるもんか」と警戒したような声で言った。
「僕らが捜している彼女は、鬼とは無縁の『ただの人間』だぞ」
「えっと、じゃあ、あのツノって偽物だったり……?」
「残念ながら被り物じゃない、頭から『生えている』」
宮橋は、明るいブラウンの目を凝らして警告するような口調で答えた。
「でもおかしい、あの骨の影響だけでこうはならないはずだ。あれは『子』の骨だぞ。あれじゃあ、――まるで母鬼だ」
その時、少女の姿が通路の向こうへと消えて見えなくなってしまった。
ハッとしたように宮橋が動き出し、雪弥の背中をバンッと叩いた。
「ぼうっとしている場合じゃないぞッ、追うんだ雪弥君!」
「分かってますってッ」
ほぼ同時に走り出していた雪弥は、ぐんっとスピードを上げて宮橋の前を進んだ。少女と同じ方へ曲がってみると、囲まれたビルの背の間に出来たような細い道がいくつも続いている。
ひらり、と別の通路へ入る着物の裾が見えた。
薄暗いのに、やっぱり不思議とぼんやり光っているように見えた。
意外にも宮橋が付いて来られているのを感じて、雪弥は一旦目の前に集中して少女の後を追った。相手は十五歳くらいの女の子だと思っていたのだが、右へ左へと進んでも、曲がっていく姿がチラリと目に映るばかりで、距離は縮まらない。
しばらく二人分の足音が反響しているのを聞いていた。
しかし不意に、雪弥は反響音に違和感を覚えた。追いかけている少女の方からは、髪や着物の先が少し見えるばかりで足音が拾えない。
着物や髪の感じからすると、少女は逃げて走っているという感じもなかった。
変だなと思って次の通路を曲がったところで、珍しく「うわっ」と声が出て咄嗟に足を止めた。
先の目の前に、あの少女が静かに立っていた。手二つ分はあろうかという白く伸びた二本のツノ。見据えてくる黒い目は、薄らと金色を帯びていて獣みたいだった。
ふっと少女――ナナミの小さな唇が開く。
「お腹がとても空きました」
「へ?」
「私の可愛い子のためにも、どうぞ『血』をくださいまし」
その開いた口から見えたのは、やけに伸びた白い犬歯だった。
直後、着物の袖から伸びた手が振るわれた。ハッと我に返って飛び退いた雪弥は、風を切るいい音の発生源に目を向けて、小さな少女の手の爪が黄色く伸びているのに気付いた。
「…………確か宮橋さんは、母鬼、とかなんとか言ってたっけ……?」
つまり鬼? いや、でもこの子は人間で……理解が追い付かなくて、口許が引き攣りそうになる。
すると、ぼんやりとこちらの様子を目に留めていた彼女が、不意に着物を揺らして急発進した。まるで操り人形みたいに猛スピードで飛び込んでくる。
そのまま顔面を爪で突き刺されそうになって、雪弥は咄嗟に頭の位置をそらして避けた。その攻撃音と風が頬の横を撫でた瞬間、黒いコンタクトを蒼くゆらりと光らせて殺気立った。
人間の『匂い』、異形の『匂い』――。
攻撃を受けた、敵だ、カチリと何かが切り替わる音を頭の中で聞いた気がした。
殺したい、息の根を止めたくてたまらなくなった。バキリと自身の爪を伸ばし、雪弥が眼球を抉ろうと振るった手を、少女はふわりと浮くようにしてあっさりと避ける。
雪弥の形のいい唇に、薄らと笑みが浮かんだ。目の前にいるのが女の子であるとか、捜していた少女であるとか頭に浮かばなかった。碧い光を宿した目で獲物をロックオンし、まずは『邪魔なその足』を斬り落とすべく急発進する。
その時、道に飛び込んできた宮橋が怒声を上げた。
「僕はいかなる場合であったとしても『人殺し』は許さないッ!」
初めて見せる怒りの形相で叫び、ビリビリと大きな声を響かせた。雪弥の手がピクリと反応する。
「いいか止まれ雪弥君! 一旦頭を冷やせ馬鹿者が! くそっ、存在の名は分からないが――『蒼慶という名を兄に持つ蒼緋蔵雪弥、蒼緋蔵家の番犬よ、今すぐ爪と牙を引っ込めろ』!」
あ、兄さん……。
そばにいられないと出てきたんだった――前触れもなく思い出させられた雪弥は、よく分からないモノが胸を圧迫するのを感じて、知らず爪が元の長さに戻った。
不意に少女が、ぼんやりとした表情で手を降ろした。直前の殺気に警戒したかのように、ふわりと後退していく。
雪弥はハタと我に返った。気付いて目を戻したら、彼女の姿が薄暗い向こうへすぅっと消えていくように見えなくなっていく光景があって――「は?」と呆けた声が出た。
あっという間に少女の姿が消えていってしまった。
「ああ、しまった。君のせいで逃げられた」
すぐ近くで足音が止まって、宮橋が不機嫌に呟く声が聞こえた。
ゆっくりと雪弥は隣を見た。
「…………すみません、あの、なんか状況の整理が頭の中で追い付かないんですが。――今、消えていったように見えたんですけど」
「『向こう側』に入られたんだ。この世界からは消えるに決まっているだろう」
くそ、せっかく見付けたのに、と苛々した横顔で宮橋が答えてくる。
やっぱりなんだか分からなくて首を捻っていたら、ギロリと睨まれてしまった。あ、まずいかもと察知した直後、雪弥はガシリと頭を鷲掴みにされていた。
「君、よくも逃がしてくれたな」
あ、これ、僕が確実に悪いという感じになってる……。
ギリギリと頭に感じる手からも、かなり怒っている事が伝わってきた。遅れて気付いた雪弥は、今のは護衛というより、彼の刑事仕事の臨時パートナーとして協力していた事を思い出して謝った。
「……ほんと、すみません。でもまさかの事態でもあったというか」
「だろうな。そっちに関しては、僕にとってもかなり予想外だった」
睨み付けていた宮橋が、けれど言いたい事を残した顔で手を離した。
「君、怪我は?」
「え? ああ、別にありませんけど」
雪弥は、てっきり説教でもくるかと思っていたから少し意外だった。ぼさぼさになった頭に手をやりつつ、美麗な顰め面を不思議そうに見つめ返す。
「それで、あの子、一体どうなっているんですか? ツノどころか、血が欲しいと言われたと思ったら、爪で顔面を抉られそうになりましたよ」
「鬼化が進んでいる」
不機嫌そうな顔で、じっと見つめながら宮橋がキッパリ言う。
鬼……雪弥は現実感がなくて反芻した。ふわっとした動きも、これまで見た事のある暗殺技術とは違うようだったので、納得出来るような、出来ないような……。
「えぇと、あの感じからすると、結構『保護』するのは大変な気がするんですけど……、どうするつもりです?」
「当初と変わらない。僕らは彼女を捜し出す」
行くぞ、と宮橋が踵を返した。
「気になる事は多々あるが、じっとしているより歩きながら考える。――あのまま鬼化が進んだら、彼女は自ら血を求めて人を襲う『本物の母鬼』になる」
そうしたら、もう人には戻れない。
語る彼の声が、どこか寂しげなようにも聞こえた。雪弥はどう返せばいいのか分からなくて「そう、なんですか」とだけ相槌を打った。今はただ、妙な事になってしまっている先程の少女を捜さないといけない、というのは分かった。




