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第24話 六章 本能と衝動的殺意の(1)地下にて 下

 そこは、一つの立派な美術館が、すっぽりと入ってしまうほど広かった。両サイドに並ぶ巨大な柱は、目測でおおよそ六畳ほどの厚みを持ち、明かりの届かない闇に呑み込まれた向こう側からは、まだまだ奥に面積があると推測される風が吹き抜けている。

 そのおかげか、軽すぎる類の埃は積もっていなかった。地面は加工されて見事に真っ平らにされており、長年の風化や石砂などで変色してしまっているそこを足で擦ってみると、下に隠れていた柄が覗いた。


「何か、下に描かれているみたいだ」

「上もですよ」


 蒼慶と共に、雪弥の後に続くようにして内部へと踏み込んだ宵月が、特に表情も変えず遥か頭上にある天井を見上げる。そちらもまた風化がひどくて、そのうえ薄暗い事もあってか、何が描かれているのかまでは分からなかった。


 扉から祭壇までは、数百メールは離れているだろうと思われた。前を進む雪弥を先頭に、高すぎる天井に吸い込まれるようにして、三人分の足音が反響する。


「父から『ここから先は次期当主のみ』と聞いている。念のため、お前達は入らないほうがいい」


 祭壇まで十メートルほどの距離の床に、うっすらと赤いラインが引かれているのを見た蒼慶が、その手前で一度足を止めてそう言った。雪弥はそれをチラリと確認すると、肩をすくめて見せた。


「そうだね。父さんがそういうくらいだから、僕は待っている事にするよ」

「それでは、わたくしもここで待機していましょう。蒼慶様、どうかお気をつけて」


 宵月が礼儀正しく頭を下げて、主人を見送った。


 一つ頷いた蒼慶が、赤いラインを踏み込みえて先を進んだ。祭壇の段をゆっくりと上がっていくのを、雪弥は宵月と共に静かに見守っていた。


 祭壇の段差を一段、二段と上がり、蒼慶は本を置くためだけに用意されているような石の台の前で立ち止まった。松明の灯りに照らし出された、苔が黒ずんだような色をした本の表紙を、しばし見据えてから手に取る。


 ずっしりと重い大きなその本に被っていた白い埃が、ふわりと浮かび上がって流れていくのが見えた。吹き抜ける風は、隙間風にしては強いものだ。


 やはり、この地下の空間は、随分と奥まで続いているらしい。雪弥はそう推測して、巨大な柱の向こうをチラリと見やった。続けてひゅうっと風が流れ込み、彼の灰色とも蒼色ともつかない髪を揺らす。


「いくつか、ここの他にも出入口がありそうですね」

「一族の中でも、出入りが限定されている箇所がいくつか存在しているとは、旦那様から伺っております。しかし、そちらについても、今すぐは教えられない『秘密』の一つのようです。次期当主となる事が確定してもなお、全ての情報を開示されない状況が、蒼慶様は歯がゆいとも感じていらっしゃるようです」


 宵月が、手に取った本の表紙を、じっくりと眺めている蒼慶から目を離さないまま、そう相槌を打った。


 一見してもかなり重そうな本の中身を、その場で少し確認しようとでも思ったのか、蒼慶が一旦片手に持ち直そうとした。しかし、諦めたかのように小さく息を吐くと、腰に押し付けるように左手に抱えて、踵を返してこちらに戻ってきた。


 雪弥は、戻ってきた兄の腕へと目を向けて、父も長いこと触っていなかったらしい、その埃まみれの大型本を眺めた。


「近くで見ると、更に歴史を感じるなあ……コレ、博物館物ですね」

「だろうな。世界で一冊しかない本だ」


 その時、不意に、松明の炎がわずかに違う揺れ方をした。


 それを察知した瞬間、雪弥は反射的に、蒼慶を庇うようにして前に立っていた。自分達が入ってきた出入り口の方を、開いた瞳孔で警戒したように見据える。


 普段の性格からは想像出来ないほど、ピンと張りつめた緊張を弟から察して、蒼慶が「どうした」と怪訝に問いかけた。数秒遅れて反応した宵月が、主人を守るように雪弥の後ろで体勢を整えながら「侵入者です」と、代わりに答えた。


「すごいですな。僅かな殺気を瞬時に察知するだけでなく、雪弥様は的確にその場所すらお当てになられた。お見事なものです」


 自分よりも遥かに早く反応した雪弥の後ろ姿を見つめ、宵月が呟いた。それを聞きながら、蒼慶は扉の方へと視線を向けたところで「――やはり来たか」と口の中に言葉を落とした。


 出入り口から現れたのは、一つの人影だった。その人物が地下空間に足を踏み込みながら、その手に持っていた銃口をこちらへと向けてくる。


「その本を、渡してもらおう」


 三人に真っ直ぐ銃口を向けてきたその侵入者は、訪問客である桃宮勝昭だった。松明の灯かりに鈍く反射する銃をこちらへと向けたまま、やはり脅し側に回っても尚、その威厳もない気弱な表情が浮かぶ顔を、どこか悲痛に歪める。


 どうしてあなたが、と雪弥は思った。これまで多くの『敵対者』を見てきたが、ここまで悪役に向いていない人間と対峙するのは、初めての事だった。


 雪弥が見る限り、桃宮はこれから行う事への行為を思って、躊躇する心を隠し切れない様子だった。こちらを見据える目と指先からは、強い迷いを感じる。その銃口も、僅かに震えているのが、雪弥の目では視認出来てもいた。


「やはり、あなただったか。桃宮前当主」


 どこか諦めに似た眼差しを向けて、蒼慶が想定範囲内だとでも言うような冷静さで口を開いた。桃宮が急くように歩き出しながら「仕方がないんだ」と言い、こちらから数メートルの距離に近づいたところで、足を止める。


「殺すつもりはないんだ。わたしは……私は、その本さえ手に入れば、それでいいんだよ」


 そう告げる声は、心の底から恐れをなして震えていた。こちらに向けられている桃宮の銃口も、さらにガチガチと音を立てて震えが強くなる。彼は可哀そうなほど震えながら、蒼慶を見つめて今にも泣き出しそうな顔をくしゃりと歪めた。



「――雪弥。まだ動くな」



 背中に二人を置いたまま、いつでも反撃できるよう冷静に桃宮の様子を窺っていた雪弥は、後ろから蒼慶に小さな声で指示されて、ふと我に返ったように殺気を解いた。

 そんな命令を出されるとは思っていなかったから、つい「へ」と口の中に言葉を落として、兄を肩越しにチラリと見てしまう。


 蒼慶はこちらへ視線を返さないまま、それに気付かず更に数歩前へと足を進め始めた桃宮に、続けてこう問い掛けていた。


「桃宮前当主。これは一体『(なにもの)』の差し金だ?」


 投げかけられた言葉を聞いた途端、桃宮の足がピタリと止まった。彼は武器を構えている立場でありながら、まるで審判を下す者を前にしたかのような表情で蒼慶を見つめ返すと、恐怖に顔を歪めてガチガチと歯から音を立てた。


 その様子をじっと見据えながら、蒼慶が続けて訊いた。


「あなたは、こんな事をする人間ではないはずだ。それとも、誰かに(そそのか)されたか?」

「ち、違うッ。私には家族がいるんだ! 守るべきッ、家族が!」


 桃宮が唐突に喚いて、銃を両手で構えた。力が込められた手によって震えが抑えられ、向けられている照準が定まったのを見た雪弥が、咄嗟に身構えると、彼が肩をビクリとさせて「動くな!」と叫んできた。


 そのような脅しが効くはずがない。『発砲される前に首を落とす』自信はあったし、たとえ先に発砲されたとしても、兄とその執事に当たる前に『爪で斬ればいい』のだから。

 これといって警戒心も動かされなかった雪弥は、そもそも何故、自分がその指示に従わなければならないのだろう、とぼんやりと思ってしまった。よく分からないが、『不快である』『貴様にそのような権限はないはずだが』という、冷やかな感想が胸に浮かんだ。


 指示を仰ぐようにして、蒼慶にチラリと目を向けた。視線を返してきた彼の目に『まだ待て』という意思を見て取ると、込み上げる口調のまま「承知した」と答えてから、桃宮へと視線を戻した。たったそれだけで、不思議と少し落ち着いた。


 自分で怒鳴ったというのに、それにも衝撃を受けたのか、桃宮は強張った顔をして荒々しい呼吸を繰り返していた。足もぶるぶると震え出してしまっており、額には大量の脂汗が浮いている。


「慣れない事をするのは、さぞ苦しいだろう、桃宮前当主」

「!?」

「詳細を話せないのなら、どうしてこんな事をしているのかだけでも、訊いていいか」


 蒼慶が、続けて淡々と尋ねる。すると、桃宮が更に余裕を失った様子で「いいからッ、その本を渡してくれ!」と更に一歩踏み込んで、こちらに銃口を突きつけてきた。

 宵月が冷静さを装いながらも、いつ発砲されても対応が出来るよう、彼の次の行動を考えながら主人の前に構えた。それでもピクリとも反応せず、雪弥は開いた瞳孔で桃宮をじっと見つめていた。


 怪訝そうな顰め面を持ち上げて、蒼慶が「これでは、話にならんな」と小さく吐息をもらした。引き続き、普段の厳しさもない眼差しを向けて問う。


「お前がそのような行動に出なければならない理由は、本当の妻と、幼いもう一人の息子を、人質に取られているからか?」


 問われた直後、桃宮が弾かれるように顔を上げた。使命を果たさなければというようにしっかり拳を構え直すものの、切羽詰まった様子ですぐに言葉も出ないのを見て、蒼慶が「やはりそうか」と言い、皮肉だと語るような冷笑を浮かべた。


「それは、『特殊筋』と何か関係があるか?」

「煩い!」


 桃宮が怒鳴り返した。特殊筋という言葉に反応した彼は、「私はやらなければいけない」と震える声を上げながらも、やはり今にも泣き出しそうな目をしていた。


 それほどまでに『特殊筋』という言葉は、特別な意味を持つモノなのだろうか。彼が知っている『特殊筋』とは一体なんだ、わざわざ銃を兄に向けさせるほどの事なのか? そう思って、雪弥はつい尋ねてしまった。


「桃宮さん、僕は一族の事だって、よくは知りません。あなたを怯えさせている『特殊筋』という言葉は、あなたにとって一体なんなのですか?」

「わ、分からないんだ。私にも『よく分からない』んだよ。突然現れて、あ、あんな……」


 蒼慶の時とは違って、桃宮が少し冷静さを取り戻した様子で、くしゃりと表情を悲痛に歪めた。まるで強く同情するみたいな目を向けられて、雪弥は不思議に思う。


「君を巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思っている。まさか『こんなタイミングで』いるとは思わなかったんだよ。だって君は、ここへはもう二度と訪れる事はないとばかり……大きくなったんだね、目元が更に紗奈恵さんに似ていて、驚いたよ」


 ああ、母さんを知っているのか、と察して雪弥は口をつぐんでしまった。自分はいつ会ったのかも覚えていないというのに、彼は亡くなった母の子だと、ずっと記憶してくれていて、だからこちらに対して容赦になれない部分もあるらしい、と理解した。

 そう考えていたら、桃宮が「私は、その恋を応援していた一人だったんだ」と続けた。


「蒼緋蔵家の分家のほとんどは、反対していた。その中で、私のようにこっそり応援して、当主に協力していたメンバーも確かにいたんだ。私も何度か、君たち親子を見掛けて、実際に彼女とも話して……」


 それなのに私は、と桃宮が自身の持つ銃に目を向けて、ぶるぶると震えた。


「紗奈恵さんの息子である君を、こんな、こんな事に巻き込んでしまうだなんて」

「もう、死んでいるんだ、桃宮前当主」


 不意に、続く独白を遮るようにして、強めの声が上がった。


 桃宮がなんの事だか理解出来ない様子で、ふっと顔を上げた。数秒ほど置いて「確かに紗奈恵さんは亡くなったが」と、しどろもどろに口にした彼を見て、蒼慶が形のいい唇をもう一度動かして、こう言った。


「そうじゃない。残念ながら、――『あなたが人質に取られた「妻」と「末の息子」は、もう殺されてしまっている』んだ」


 私情の読めない普段の鋭い瞳を覗かせて、蒼慶は一語一語をはっきりと区切ってそう告げた。桃宮が両目を見開き、後退しかけた足をもつれさせながら「そんなはずはない」と狼狽する。


「そ、そんなはずはない、だって、彼らは私に」

「皆、もう死んだ。『先に殺された者達』のあと、あなたを乗せた車が旅館を出てから、妻と息子は殺されて床下に――」

「そんなの嘘だ! そんなはずはない!」


 目尻を潤ませた桃宮が、感情に任せるまま銃を持つ手に力を入れた。その指が反射的に引きがねを引き、大きな発砲音が上がる。


 その瞬間、雪弥は咄嗟に、宵月と蒼慶をむんずと掴んで引き寄せていた。二人を銃弾の軌道からそらすと、自分の後ろに回しながら桃宮を真っ直ぐ見据え、飛んでくる銃弾を捉える。

 黒いカラーコンタクトがされた碧眼が、標的をロックオンし、鮮やかな明るい青を灯して淡く光った。飛び道具ごときに用はないと言わんばかりに、彼は向かってくる銃弾の軌道を、わずかに身体を反らせて避ける。


 向かってきたその銃弾は、空気を切り裂いて雪弥の眼前を通り過ぎていった。彼の柔らかい髪先を掠り、そのまま直進して、奥にあった祭壇に撃ち込まれる。


「雪弥待て!」


 宵月が庇う後ろで、蒼慶が制止の声を上げだ。しかし、その時すでに、雪弥は地面を蹴って前方へと急発進していた。


 驚いた桃宮が、引き金に添えていた指に力を入れて、もう一度引いた。一発、二発と続けて銃弾が放たれるものの、雪弥は突き進みながら右へ左へと身体を動かし、すべて避けると、ものの数秒もかからずに彼の眼前に迫っていた。


 風圧によってコンタクトレンズが弾かれ、雪弥の本来の碧眼が露わになっていた。鋭く冷たい光を灯したそれが、銃口の先で浮かぶのを見た桃宮が「うわぁ!」と悲鳴を上げて、更に拳銃の引き金を引いた。


 至近距離で発砲されたのを見て、蒼慶と宵月が「雪弥!」「雪弥様!」と声を上げる。

 けれど雪弥は動じなかった。冷静なまま瞬時に頭身を下げると、その銃弾を回避した。銃弾が頭上を通過した直後、突き出されている銃を軽く弾き飛ばす。


 鞭で叩かれたような衝撃を受けた桃宮が、短い悲鳴を上げて手を押さえて膝を折った。上空に弾かれた銃が、ゆっくりと落下して引き寄せられるように雪弥の手に収まった直後、一瞬にしてその銃口が桃宮の頭に向けられていた。


「やめろ! 雪弥撃つな!」


 蒼慶が怒鳴る声を聞いて、雪弥はそのままの状態で停止した。つい、引きそうになった引きがねから指を離すと、殺気立った目を桃宮の頭に向けたまま口を開く。


「すぐに撃つつもりはないよ。――そもそもヤるんだったら、銃を退かす手間はかけない」

「……だといいんだが」


 駆け付けた蒼慶が、そう呟きながら、膝を折ったまま手を抱えている桃宮を見て小さく息を吐いた。そばにきた宵月が、同じように彼の無事を確認して「本当に、恐ろしい方です」と感心とも呆れとも取れない口調で言った。


 その時、桃宮がようやく顔を上げた。真っ直ぐ自分に銃口を向けている雪弥に気付くと、茫然としたように見つめ返した。その顔には、次第に恐れの色が浮かんだが、額に浮かんだ汗が頬を伝った拍子に、彼がハッと蒼慶へ目を向けた。


「た、頼む! その本を渡してくれッ! でないと、私の家族が――」

「先程も言ったが『人質に取られていた二人の家族』は、すでに殺されてしまっている。残酷だが、それが現実だ」

「そんなの嘘だ! 私はっ、私は確かに約束したんだ! それに『あの子』が、自分の母親と弟を殺すなんて、そんな事あるわけが――」


 不意に、話していた桃宮の言葉が途切れた。その身体がビクンっと震え、ぐらりと地面に崩れ落ちる。

 その直後、まるで何かに引っ張られるように、彼の身体が地下空間の闇に向かって引きずられ始めた。雪弥達は何が起こったのか分からず、巨大な柱の間で動きが止まるまでの間、その様子を茫然と目で追ってしまっていた。



「もう、あなたに用はないのよ」



 桃宮が苦痛の呻きを上げて四肢をよじる中、闇の中から、凛とした女性の声が上がった。

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