第20話 五章 その血族×異端(2)二家と早い夕食会
「扉に仕掛けられた施錠が外れるのは、午前零時だ。その時に、私達は当主である父上しか知らない、蒼緋蔵家の秘密の一つ踏み込む事になるわけだが――」
母の亜希子に素直に従う事にした蒼慶が、仕方なくといった様子で立ち上がったところで、顰め面でこちらを振り返る。
「その前に、一つ訊いておきたい」
続けて腰を上げた矢先、真っ直ぐ目を向けられた雪弥は「何?」と返した。
「お前は殺すと言ったが、もし、それが『普段からお前が対峙しているような類ではない一般の者』だとしたら? 意思の疎通も出来、こちらに害がないとしても、そうするのか」
「へ? えぇっと、それなら多分、そのまま捕えて話を聞き出すかな。兄さんが知りたがっている事を、聞けるかもしれないし……?」
思ってもみなかった問い掛けだったので、スムーズな返答が出来なかった。彼が一体どんなところまで把握していて、何をどう知りたがっているのかは分からないが、恐らく指示されるだろう可能性をそのまま口にした。
すると、蒼慶が「ならばいい」と言って歩き出した。扉を開けた宵月のもとへと向かう彼に気付いて、雪弥は置いていかれないよう足早に隣に並んだ。
「私としては、話し合いの余地があるのなら、出来るだけ物騒な事は避けたいと考えてもいる」
「出来るだけ、という事は、それは低い推測の域なんですね」
「おい、残念そうな視線を向けてくるな。お前の緊張感のなさをそこからひしひしと感じて、苛々する」
雪弥は、少し近い位置にある横顔を見ただけだったのに、ひどい言われようだと思った。二人の先頭を案内する宵月が「視線だけで表情が察せるようです」と、主人に同意した。
一階へと向かいながら、蒼慶は何が起こるか分からないので、警戒するようにと二人に言った。宵月同様、雪弥も指示には絶対に従う事を要求されたが、元より兄の足を引っ張る気は微塵にもなかったので、時と場合によっては、という部分を意図的に省いてしっかりと約束した。
「こんな事は言いたくないが、桃宮家が来たタイミングも気になる」
近づいてくる階段の方を見ながら、そう口にして、蒼慶が思案気に眉を寄せる。
雪弥は、そういえば何かを勘ぐっているようでもあったな、と彼が桃宮と話していた様子を思い返した。
「桃宮勝昭とウチの当主は、確かに交流はあったが、分家の中でも低い地位だった彼が、ここ十年で本家に足を運んだのは、二、三回ほどだ」
「そうなの? 結構、趣味となんとか話していませんでしたっけ?」
「貴様、碌に話しも聞いてなかったな?」
ジロリと横目に睨み下ろされて、雪弥は「うげっ」と反射的に声を上げた。思わず口を手で塞いだものの、先頭を歩く宵月も肩越しに振り返って、「元より、当初から察知しておりました」と、いかつい顔に、ちょっと困ったような表情を浮かべる。
がたいのいい屈強なおっさんが、そんな表情をしても、ちっとも可愛くない。雪弥は苦手意識もあって、つい手を小さく払ってこう言っていた。
「前向いて下さい宵月さん」
「相変わらず、ストレートに失礼な事を申されますな。大変結構でございます」
「やめろ、僕にまでそんな目を向けるな」
「おや、本気のドン引きでございますな。その表情、幼い頃と変わりませんね」
そう言いながら、前に向き直った宵月の身体がクツクツと揺れる。顔面に感情が表れていないせいで、後ろから見てもシュールな光景である。
雪弥は、ついゴクリと息を呑み込むと、彼の後ろ姿を見つめたまま、隣の兄の方へ両手を伸ばしつつ尋ねた。
「…………兄さん、あのさ。それで桃宮さんの事だけれど」
「話をそらすのが下手だな。話題を戻すにしても、幽霊を見るみたいな目を宵月に向けたまま切り出すな。そして、こちらに助けを求める手を伸ばす癖も、直した方がいいぞ」
全く情けない、と蒼慶が言う。彼は、眉間にそんなに深くない皺を刻みつつ、自身の執事へと視線を投げた。
「お前も、あまりコレをからかうな」
「失礼致しました。あまりにもお変わりがないもので、成長が見られないお方だなぁと面白――残念に思いまして」
「おい、今のなんで言い直した? どっちも失礼極まりない感想ではないでしょうかッ」
チクショーこいつ、昔から兄さん以外、全部下に見ているところがあるんだよな!
しかもどうしてか、よくこちらにちょっかいを出してくる。幼い頃、驚かされた拍子や、嫌悪感覚える迫りっぷりに耐えきれず、力を加減しつつも何度もぶっ飛ばしてしまっていた。
そんな二人の様子を無視して、蒼慶が「桃宮の件だったな」と思い出すように、先程あった質問に答える。
「そんなの簡単な事だ。何しろ、来る前にプロフィールをチェックするからな、趣味くらい知っていて当然だろう。――それに、訪問の予定を聞かされてからずっと、私としては少し気になっている事もある」
「気になっていること? それは、なんというか珍しいですね」
事前に訪問のある人間の調査書に目を通し、個人情報を頭に叩き込んだうえで面会する、という流れも、突っ込みたいところではあったが、社交界ではまぁまぁある事だとはぼんやり知っている。
雪弥としては、普段は迷いもせず思考をさくっと終える兄が、今回はどちらともつかない様子で、思案する表情を見せているのが物珍しくもあった。ここ数年は電話越しだったから、そう強く感じてしまっているだけだろうか?
けれど、その疑問を本人に問い掛ける時間はなかった。
話している間に階段を降り、夜には夕食が用意される大部屋に到着してしまっていた。そこにあった長テーブルには亜希子達が腰かけていて、こちらに気付くなり、にこやかに手を振ってきた。
※※※
二家による和やかなお喋りが続いた後、夕刻には夕食の用意が整えられた。
蒼緋蔵家の夜のテーブルの上も、一流ホテルのディナーのように随分と豪華だった。やはり、人数分以上の料理が山のように並べられている。
本家の専属シェフ達が、給仕と共に行き交う様子は、普段の家庭の食卓にはない光景だ。おかげで食事が始まってしばらくの間、雪弥はつい遅く咀嚼しながら、テキパキと仕事をこなす彼らの姿を目で追ってしまっていた。
紗江子とすっかり親しくなったらしい亜希子は、隣同士の席に腰かけて、料理を楽しみながらどんどんワインを口にしていた。桃宮勝昭が苦笑で見守る向かいには、アリスと楽しげに話す緋菜がおり、時々心配そうな表情で母の様子を窺っている。
「お母様、少し飲みすぎじゃない?」
「何言ってるのよ、まだ飲んだうちに入らないわよ」
食事が始まって二十分足らず、何本目のボトルかも分からないワインが注がれたグラスを、そう言いながら亜希子が口にした。
「紗江子さん、日本酒はどうかしら?」
「あら、いいですわねぇ。私も、こう見えてとても好きなんですのよ」
「よっしゃ、なら決まりね!」
そう答えるなり、亜樹子がすぐ給仕に声を掛けて、次は日本酒を持ってくるように頼んだ。日本酒のセットが届くと紗江子に勧めつつも、「やっぱりコレよねぇ!」と軽快に飲んで、あっという間にボトルの半分を胃に収めてしまう。
蒼慶が「またか」と心底呆れた眼差しを向ける隣で、雪弥は初めて見る光景を前に、思わず食事の手が止まってしまっていた。驚きと呆れと感心が入り混じった表情を浮かべたまま、箸で持っていた肉切れが皿に落ちるのも気付かず、続けてロックで日本酒を仰ぐ亜希子を見つめる。
「雪弥様、箸にいた食べ物が逃げましたよ」
後ろに立っていた宵月に、そう言われて我に返った。更にテンションが上がって、女同士のお喋りに没頭する陽気な亜希子に目を向けつつ、ついこっそり尋ねる。
「あのさ、いつもこうなの……? そもそも、お酒飲むイメージがなかったんだけど」
「子供が小さいうちは、見える範囲で飲酒はしない、とおっしゃっておりました」
「とはいえ、パーティーに行くと、いつもあんな感じだったぞ」
それぞれ、宵月と蒼慶がそう述べる。
雪弥は思わず、父がパーティー会場で、彼女を心配して面倒を見ている姿を思い浮かべた。蒼慶が皿に乗った料理へと目を戻して、油が照ったハーブたっぷりのチキンにナイフを入れる。
「当主は、やはり遅いお帰りになりますか?」
しばらく経った頃、紗江子がそう言った。
ゆっくり黙々と食べ進めていた雪弥は、ふと、小さな違和感が込み上げて顔を上げた。蒼慶がちらりと彼女を見つめ返す中、桃宮が妻と違ってどこかほっとしたような表情を浮かべて、口を開く。
「お話をしたかったのですが、残念です。当主と顔を合わせて話す機会は、最近ほとんどありませんでしたから。妻も、大変会いたがっていたのですよ」
「紗江子さんからも、そう伺いましたわ。実は先程、電話があったので確認してみたのですけれど、夜の帰宅も難しくなったみたいでして……朝まで帰れないようですわ」
そう答えた亜希子が、上品に笑って「おほほほほ」と声を上げた。しかし、その豪快な飲みっぷりのせいで、すっかり婦人仕草も効果を発揮しなくなっている。
実年齢の十三歳にしては、どこか幼い仕草でチマチマと食べるアリスの相手をしつつ、緋菜もチラチラと気になるようにして様子を窺っていた。彼女の席に置かれたワイングラスには、嗜む程度にしか飲まれていないので半分以上残っている。
「雪弥君、お酒は?」
「亜希子さん、酔ってますよね?」
何度目か分からない質問を受けた雪弥は、そうぎこちなく指摘した。飲む前となんら顔色も変わらないものの、彼女のテンションはやけに高い。「おほほほほ」と笑い声を前置きしたかと思うと、「酔ってないわよ~」と続けてくる。
「ほら、このお酒、とても美味しいわよ? 雪弥君も飲んじゃいなさいよ」
「何度か言いましたけど、僕は遠慮しておきます」
「緋菜はどう?」
亜樹子はあっさり話を振る相手変えると、続いて緋菜にも日本酒を勧めた。彼女は母親譲りの美麗な顔を顰めると「私も、もう三回は言ったけど」と強く返した。
「日本酒は飲めないから、いらない」
「うふふふ~、むすっとした顔も可愛いわねぇ。さすが私の娘! 蒼慶は、うーん、まぁいっか」
亜希子が勧めもせず、続いて桃宮前当主へと目を向ける。
雪弥は、隣にいる兄の横顔にピキリと青筋が立つのが見えて、相変わらず扱いがすごい雑……さすが亜希子さん、と思った。
「桃宮前当主も、日本酒はいかがかしら?」
「ははは……、あの、実はお酒は控えているんですよ」
問われた桃宮が、困ったように言って、ぎこちなく笑った。すると紗江子が、夫をフォローするように切り出す。
「お医者様に、お酒の飲み過だと言われたらしいのよ。もともと、かなり飲む方でしたから。ほら、蒼緋蔵家の殿方って、皆様結構お飲みになられるでしょう?」
「あ~、確かにそうねぇ。親族が集まると、持ち込みで色々とお酒も集まりますわ」
亜希子が言いながら、思い出すように宙を見やる。それから、普段は夫が座っているであろう席の方へ目を向けると、視線を戻しながら「禁酒なんて辛いわねぇ」と、しみじみと口にする。その間、グラスを持った片手を少し上げて、給仕に酒を継いでもらっていた。
雪弥は、間が抜けそうな表情で食事を口に運んだ。桃宮がアリスの相手を変わり、ワインをちびりちびり飲み出した緋菜のテンションが次第に上がって、母の亜希子とはしゃぎ始める様子をぼんやりと眺める。
やっぱり母娘なんだなぁと、そんな事を思った。
そんな馴染みのない風景が、心にポツリと影を落とす。そこに漂っている空気に、馴染めないという違和感を覚えて、雪弥はしばらく食事の席を傍観していた。
「雪弥様は、ワイン、あまりお好きではありませんの?」
唐突に話題を振られ、箸に乗せていたジャガイモが滑って皿の上に落ちた。
雪弥は、呆れつつも睨みつけてくる蒼慶の視線を感じて、紗江子にぎこちなく笑い返して「その、ちょっと苦手ですね」と社交辞令を口にした。そもそも、薬もアルコールもなかなか効かない体質なのだ。
「果実酒なんてどうかしら? わたくし、果実酒なども自分で作りますのよ」
「美味しいんなら、私も作ってみようかなぁ」
「甘いんなら、私も飲みたいなぁ」
返答に困っていた雪弥の斜め向かいで、亜希子がのんびりと相槌を打って、同意した緋菜と揃って、ふわふわとした様子で笑う。
それを見た紗江子が「まぁ、母子ですわねぇ」と言って、口元を手で少し隠すようにして笑った。彼女は、緋菜の隣で楽しげにデザートを食べ始めていたアリスに顔を向け、柔らかく微笑みかけて「美味しい?」と穏やかな口調で尋ねる。
あ、まただ。
雪弥は、そう思ってぼんやりと紗江子を見つめた。記憶の中の母と彼女が、どうしてか重なってしまうのだ。そこに座っているのは、紗江子ではなく、まるで幼い頃の自分の母であるという懐かしい光景が思い出された。
「そんなに似ているか」
不意に、蒼慶が小さな声でそう尋ねてきた。
雪弥は、こちらに目も向けないまま、さりげなく確認してきた彼をチラリと見やってから、すぐに紗江子へと目を戻して「うん」と答えた。
「母さんに似てる」
雪弥は、声を潜めてそう答えた。どこか違和感は残るが、顔立ちはまるで他人であるというのに、ひどく懐かしいような気がするのは、どうしてだろう?
思案顔で、蒼慶がワイングラスを手に取って「そうか」と言い、グラスの中の赤い液体に目を落とした。




