第6話 一章・閉幕 ~ひっそりと行われる悪の会合~
薄暗い客間に、高級スーツを身に付けた六人の男たちが、アンティークの革ソファーに腰かけていた。換気が行き渡った部屋は、静かに立ち上る葉巻の煙も気にならない。
ランプのような弱々しい光ばかりが灯った室内で、男たちがそれぞれ押し黙ったまま見つめ合っていた。
「――蒼緋蔵家の長男が、予想通り当主の席に就く事になったな」
長い沈黙を破ったのは、急かすような早い口調の声だった。狭まった喉から出すような高く掠れた声色は、静寂の中いびつに響き渡る。
発言者の隣にいた小太りの男が、グラスに入った赤ワインを持ち上げた。金色に光る歯を見せながら不敵な笑みを浮かべ、バイオリンの調子外れな音に似た声を上げる。
「家名の字をあてがわれた男、だったか」
「娘のほうは、とても美しい女に育ったと聞いておるぞ」
「どんな美女なのか、拝んでみたいものだよ」
最後の笑いを含んだ心地よいアルトの声に対して、沈黙を破った男が気の短さを露出するようにテーブルに手を置いた。
「蒼緋蔵家にある番犬の役職が、今世代に正式に復活するかもしれないと小耳に挟んだ。番犬といえば、あの方が懸念しておられた存在だろう。蒼緋蔵家先代当主にもいたと聞いたが、あれは『蒼緋蔵家の番犬』ではなくただの副当主だったらしい――……あの方がようやく動き出せている今のタイミングで、あの一族が『番犬』に対する動きに出ているのが気掛かりだ」
何か聞いているか、と問う苛立ちを含んだその声に、室内がまた静寂に包まれた。
小太りの男が、飛び出た唇の奥に金の歯をしまいながら、喋り方が異様に早い隣の人間を眺めた。面白くもなさそうに視線をそらすとワインを口にし、味も分からぬ癖に美味いという顔をしてそれをテーブルの上に戻す。風船のように膨らみ上がった彼の短い指には、銀色の結婚指輪と巨大な翡翠の指輪がはめられていた。
「まぁ、少し落ち着きたまえ」
向かい合うソファを正面に眺める、質の違う革椅子に腰かけた男が場を制した。
それは四十代半ばを越えた長身の男であった。顎が突き出たような面長の顔は堀が深く、少しつり上がった細い瞳は奥二重で凛々しい。目の輝きは無垢な子供のそれにも近いものがあったが、威圧感を漂わせた瞳は冷たい鋭利さを秘めていた。
静かなその声色に含まれた気迫に気圧され、男はテーブルに置いた手を反射的に下げて「軽率だったな」と早口に言った。灰皿に乗せていた葉巻を急くように口にくわえて、ニ、三度吹かせる。
「榎林さんは、その件についてあのお方から何か聞いておるのか」
整えられた白髪と、白い髭をたくわえた痩せ細った男が、そう言って垂れた瞳を持ち上げた。
肉が削げ落ちた頬の上が膨れ、不健康そうなほど青白い肌をした老人だった。目尻にかかるようにして大きなホクロがあり、濁った双眼にかかる長い白眉は問うように上がっている。
「小耳に挟んだと報告したが、そのときは何もおっしゃらなかった」
短い一呼吸の間に素早く言葉を並べ、榎林は落ち着かないように葉巻を二度口にして短く吐き出した。薄くなった頭部の髪が、浮いた脂汗に濡れて額に張り付いている。
今まで口を閉じていた大男が、テーブルに固定していた細い瞳を上げた。薄い唇に対して口が大きく、垂れ下がった小さな二つの眼がある小麦色の顔には生気がない。
「俺は『あのお方』に会った事がないんだが、時々蒼緋蔵家の名は耳にする。あなたたちがいう、その一族の番犬とは一体なんだ?」
口の中でこもる、抑揚のない低い呟きを発したその男は、口も顔も大きく、存在感のある体格も目を引いた。
二メートルはあろうその背丈が、同じように座っていながら一同の頭一つ分出ているのを見やった榎林が「朴馬さんはまだ来て浅かったな」といって口から葉巻を離す。
「蒼緋蔵家ではたびたび、副当主の役職名がそう変わるときがあるらしい。もともと蒼緋蔵は戦闘に優れた一族で、当主の次に優秀な頭脳と一番の戦闘能力を持った者がなるようだが、あの方の話を聞いていると別に理由があるようだ。――というのも、もともとも蒼緋蔵家もまた特殊筋の家系で、あのお方が三大大家の中でも一番気に掛けておられるのが『番犬』というキーワードなのだ」
「特殊筋は、現代にもひっそりと息づいているからねぇ」
歌うようなアルトで言い、六人の中で一番若作りの男が優雅に足を組み変えた。ウェーブの入った栗色の長髪は小奇麗にセットされ、微笑み一つで女性を虜にしそうなほど美男である。
「特殊筋はいろいろとあるけれど、朴馬さんも、夜蜘羅さんのそれを見た事があるだろう? まぁ、あのお方も僕もその血族だけど、それぞれが全く違うんだよね。簡単に見せてあげられるようなものじゃないから、機会があれば朴馬さんも見られると思うよ。僕たちも計画以外の詳しい事は聞かされていないけど、蒼緋蔵家の番犬とやらがもし、あのお方の計画を脅かすような力を持った特殊筋だったら、どうしようかっていう話さ」
夜蜘羅という名前が出て、話す男を除いた一同の視線が移動した。
双方の長椅子に挟まれた位置に席を構えていた男、――夜蜘羅が鋭い眼光に面白みを含んだ笑みを浮かべた。
「門舞君のいう通りだ。計画に差し支えなければ、特にこちらが動く必要もない。数少ない特殊筋の人間だし、才能がありそうなら引き抜こうと私は考えているんだけどね」
「蒼緋蔵家は、表十三家に仕えていた三大大家の一つですぞ。そんなことは不可能ではありませんか」
恐怖しながらも鋭い声を上げた老人に、夜蜘羅が「頭が硬すぎるよ、尾野坂君。それは大昔の話だろう」と楽しそうに言いながらワイングラスを持ち上げた。細身の老人、尾野坂は硬い表情のままテーブルへと視線を戻す。
しばらく会話はなかった。小野坂の隣で、門舞が背伸びを一つしてソファに背をもたれた。その向かいにいた短身の榎林が、そわそわしたように灰皿に短くなった葉巻を置く。長身の朴馬の間に座っていた男は榎林と全く同じ背丈にも関わらず、手足の長い門舞の仕草を意識したように足を組んだ。
「蒼緋蔵の先代に、番犬と呼ばれていた副当主がいたらしいが、何か知っているか、榎林さん」
「私より小野坂さんのほうが詳しいぞ、爬寺利さん。彼が若い頃にその席が埋まっていたらしいからな」
視線も合わさずぶっきらぼうに述べた榎林に何も言わず、爬寺利は分厚い唇の隙間から金の歯を覗かせて、尾野坂へと視線を向けた。
尾野坂老人は、あきらかに怪訝そうな表情を浮かべたが、白く垂れ下がった眉の間から視線を返した。榎林と朴馬の間にいる、その爬寺利のサイズが小さいゴールド交じりのスーツからは、身体を覆っている厚い脂肪が浮き上がっているように見える。
先日門舞が食事会に着ていた、身体のラインが際立つスーツに似ている事を思いながら、尾野坂は忌々しげに目を細めた。知らない振りをした門舞が今にも笑い出しそうな隣で、咳払いを一つして口を開く。
「私がまだ学生時代だった頃の話だ、よくは知らん。急激な経済成長の中で競争や争論の絶えない忙しい時代、若くして早死にしたと聞いただけで、特に目を引くような情報もないぞ」
「一つだけためになる情報と言えば、これまでの『蒼緋蔵家の番犬』同様に早死にしたというくらいかな」
ワイングラスを下げた夜蜘羅がそう口を挟み、一同の視線を集めた。門舞と朴馬以外の三人は、緊張と恐怖に身をすくめ、静まり返った室内で男の話を待つ。
夜蜘羅は肘掛けに置いた手に頬を乗せ、面白そうに一同を見回した。
「蒼緋蔵家は他の特殊筋一族と同様、血筋で決まる。本家の男子は家名の蒼、女子は緋の文字が名前に込められる。当主は決まって蒼の名を持った男子だが、副当主は一族の中で一番の腕を持った人間なら誰でもいいらしい。――とはいえ『蒼緋蔵家の番犬』は別だ、それもまた蒼の字を持った男子がその席についた。今回蒼緋蔵家の本家には、男子と女子が一人ずつで、副当主に就くのは分家の誰かだろう……と思っていたのだけれど」
違っていたみたいだね、と夜蜘羅は、ゆっくりとした動きで榎林を見やった。その瞳には、ぞっとするほど無垢な笑みが浮かんでいる。
榎林は緊張し、報告のために持ってきた新たな情報を、早口に切り出した。
「そうです、蒼緋蔵本家にはもう一人男子がいます。蒼緋蔵の当主が愛人に産ませた男子らしく、雪弥、というそうです。名前に蒼の文字も入っておらず……」
「あらゆる手段で調べたが、それ以上の情報が全く見つからないそうだ」
言葉に詰まった榎林に続き、尾野坂が若輩者を助けるべく口を挟んだ。
数秒の沈黙の後に、門舞が「どうします?」といって、ようやくソファから身を起こした。彼の顔は、夜蜘羅の愉快そうな表情とどこか似た雰囲気がある。尋ねているのは上辺だけで、すでに答えを知っているかのような落ち着きだった。
「勿論、それは私がやるよ。あの方は計画に差し支えなければいいわけだし、私は蒼緋蔵家の特殊筋に興味がある。あの方は、友人である私にも多くを語らないからねぇ……ようはその愛人の子が、番犬の座につかなければいいんだろう?」
とはいえ私としては、こちらに害がなければどっちでもいいと思うんだけどねぇ……と少々面倒くさそうに夜蜘羅は肩をすくめた。
「まぁ、君たちはそれぞれの仕事をすすめたまえ。彼が表十三家や三大大家の動きに敏感なのはもともとだし、今は新しい手駒を増やす事に興味を持っている。特に、榎林君は蒼緋蔵の事よりも自分の事に専念したほうがいい。最近、少し荒が出始めているからね」
「それは、儲けに眩んだバイヤーが、勝手に…………」
口ごもったが、榎林はそれ以上言い訳を続けなかった。「確かに、最近管理が甘かった」と認めて、代わりに自分がどれだけ有能なのかをアピールするように夜蜘羅に主張した。
「手駒を入れ変え、新しい卸し場も確保できた。それに、実験も順調に進んで十分あのお方の役に立てている。あなたが、あのお方のために紹介してくださった李という方も、少々癖があるが今までの連中と違って非常にいい腕をしていて……私が任された計画は、二段階目に突入している」
滞りなくスムーズだ、と榎林が言うなり、門舞が美麗な顔でにっこりとした。
「僕が言った通り、前もって足手まといになる業者を潰しておいて正解だっただろう? さすがにあそこまで派手にやったら、ルール違反だよ。まぁ新しい場所を探して自分で動くっていうんだから、ミスはしないようにね」
これ以上フォローは出来ないよ、と門舞は悠々と続けて、頭の後ろで腕を組んでソファに身を沈めた。彼と夜蜘羅以外の顔には笑顔はなく、沈黙を合図にそれぞれが部屋を出ていった。
最後に爬寺利が、門舞に視線を送って出ていったあと、彼は「ねぇ、夜蜘羅さん」と楽しげに声を掛けた。
「言わなくて良かったのかい? そろそろ、榎林さんのところが危ないってこと。夜蜘羅さんが手下を入りこませている大きい組織が、動き出しそうなんだろう?」
「まぁね」
夜蜘羅は含み笑いをした。量が少なくなったワイングラスを口元で傾け、喉の奥に流し込む。
「本当はあの方の計画よりも、自分の楽しみを優先にしているだけなのにねぇ」
「門舞君もそうだろう? 君だって、面白い物見たさにここにいる。つまらない日常や世間よりも、隠された存在や秘密に翻弄されるのが好きでたまらないんだ」
どうでしょうねぇ、と微笑をたたえて門舞は目を閉じた。
「僕は楽しければどっちでもいいんですよ」
そう続ける彼に、夜蜘羅がワイングラスを下ろしながら「私もだよ」と低く言って、空になったグラスを手で握り割った。
大きな手に押し潰されたワイングラスは、砕け散る音を静寂に響かせて落ちていった。バラバラとそれがテーブルの上に広がるようにこぼれ落ちて、もとの器よりも壊れた方が美しいと、二つ分の楽しそうな笑みが上がった。