第18話 四章 軋む青(4)
屋敷本館へと足を進めた蒼慶は、急くような足音を大理石に響かせた。
そのまま廊下と階段を突き進み、自身の書斎に足を踏み入れると乱暴に扉を閉める。胸ポケットから携帯電話を取り出しながら、開いていた窓を片手で荒々しく閉めてから「おい」と、電話の向こうに苛々した声で言った。
「一体、お前達は何をやっている? 国家の機密機関だとは思えんほどに無能だな。もっと早く確認の連絡を寄越せなかったのか? おかげで、中途半端にスケジュールが崩れた」
『おいおい。開口一番で、マシンガントーク級の愚痴をぶつけてくるなよ……。うちのエージェントはどれも優秀で、私だって忙しい身なんだぞ』
電話の向こうから聞こえてきた、腹に響くような太く低い声の人物は、特殊機関のトップであるナンバー1だ。彼は『弟と違いすぎて、ホント扱いにくいし、嫌味ったらしいところが実に嫌だ……』と小さく愚痴る。
蒼慶は、その文句が聞こえていたにもかかわらず、そちらに関しては機嫌を損ねなかった。兄弟であるという部分の指摘で、若干眉間の皺と共に怒気を薄めてこう続ける。
「ふん、私は事実を述べたまでだ」
『数年前、突然連絡を取って来たのは、そっちだろうに……。我々は情報を交換し合う事を前提に、一部協力関係にあるというのであって、本来なら国家の組織としては、個人に応える事は出来な――』
「その台詞は聞き飽きた。まだあれから何も――ッ……何も進んではいない」
話しを遮った蒼慶は、感情的に続けそうになった自分に気付くと、荒上げそうになった声を途中で意識的に抑えた。
その苛立つ感情の経緯に思い至ったのか、電話の向こうでナンバー1は言葉を切った。しばし考えた後、子供を諭すように『あのな、蒼慶』と吐息混じりに言葉を切り出す。
『珍しく冷静でいられない部分があるようだが、ひとまずは落ち着け。焦りは時に判断を誤らせる』
「私は十分に落ち着いている。こんなにも必要としている情報だけが手に届かない事に、腹が立っているだけだ」
『まぁ、気持ちは分からんでもないが、だから今回、そちらの希望通りナンバー――おっほん! 雪弥を送っただろう』
ナンバー1は、咳払いで誤魔化して言い直した。畜生、やりにくい相手だ、とつい口の中で小さく呟いてしまう。彼の前で、普段のように雪弥をコードネームで呼ぼうものなら、すっかり機嫌を損ねるのは目に見えていた。
『……とにかく、こちらでもちゃんと調べている。確かに、そちらからもらった情報にヒットするものが二、三件あった。どれもランクA以上の仕事で、最終的には全て雪弥が処理している』
とはいえ、とナンバー1はそこで吐息をもらして、堅苦しい調子をやや和らげた。
『先に言っておくが、どれも偶然、雪弥が空いていたから現場に突入したという流れだ。だからお前が懸念しているらしい、血筋とやらに引かれての【暴走】の類でもない。何せ、うちのナンバーズを数人から数十人導入するより、彼が一人で片づけた方が早いからな』
「そうだな……――そうかもしれん」
蒼慶は、部屋の中央で一度立ち止まり、独り言のように口の中で呟いた。己の大きな手を見下ろし、ぎゅっと握りしめると、声色変わらないまま言葉を続ける。
「それで、その該当した『処分された者達』は、裏二十一家に由来する者だったのか?」
『いいや、裏二十一家とは無縁だった。事実はもっと複雑なようでな。調べてみると、どれもお前さんが以前口にしていた【表十三家が制圧したはずの一族の末裔】とやらだった』
その回答を聞いた瞬間、蒼慶は僅かに表情を強張らせた。けれど彼は、すぐ冷静に戻ると書斎机へと足を向け、「それで?」と動揺は見せないまま無愛想に催促の言葉を投げながら、革椅子に腰を下ろす。
『今のところ、それ以上は分かっていない。表十三家の全部を回る必要性を考えるが、お前から先に聞いた二件の家だけでも、かなり大変だったからな……。あの連中の、時代が一つ違うみたいな考え方は、どうにかならんのか? 一回目のアポで『我が一族は殿の意向なく動かん』とつっぱねられたんだぞ』
殿ってなんだよ、とナンバー1が言う。
蒼慶は、以前自分が教えた中の、とある一族が思い当たり「ああ、なるほど」と呟いて、ふっと薄い笑みを浮かべた。
「アレらは、元よりそういう一族だ。言っただろう、『忍者だ』と」
『まぁ、山奥にあった本家とかいう屋敷は、まさに忍者屋敷みたいな城だったが』
「先に『殿』の方の家をあたれば良かった、というだけの話だろう。私は、はじめに表十三家の中のその名を教えたはずだが?」
途端に電話越しに、野太い『ぐぅ』という呻きが上がった。
『……言っておくが、家名と【異名】だとかいう云われの膨大な情報量を、ほぼ頭に詰めているお前が異常なんだ。電話越しで呪文のように一度きり名を並べられただけでは、私はそんな事まで覚えきれんし、都度メモらんと調べようもないんだからな』
「私達のような家柄の者は、生まれた頃から、それを『把握しておくよう』義務付けられて教育される。つまり貴様とは、元々の出来が違う。頭の構造も違えば、記憶するスペースも違うのだ」
『しれっと言ってくれるがな…………そうやって、いちいち毒舌をはさまんでもいいだろうに』
そんな声を聞きながら、蒼慶はふぅっと息を吐いていた。前髪を後ろへと撫でつける。
手短に考えをまとめている様子を電話越しに察したのか、ナンバー1がこう続けた。
『疲れているみたいだが、これまでは伝えておく。特殊機関に回って来た仕事ではないが、近年、警察が頭を抱えるような妙な事件が増えているらしい。ほれ、お前が以前言っていた【そういった一族の云われ】だとかを聞くのなら、宮橋財閥の次男坊をあたれといっていただろう。彼がいるL事件特別捜査係の方にも、いくつか相談があったとか』
「あの次男坊の専門管轄からは、若干主軸がズレる話だ。『目に見える謎だ、人間が起こしているのなら人間がやれ』と、一蹴されてもおかしくはない」
『よく分かったな、まさにそんな返答だったそうだ。あの男は変わっている』
「物事が正確に見え過ぎるから、そう感じるだけであって、魔術師なんて大抵はそんなものだ」
とくにおかしいところはないと言わんばかりに、蒼慶は涼しい表情で言い切った。
現代の魔術師ねぇ……ナンバー1が、よく分からないという心境を漂わせて呟く。
『私も何度か『表』で接触した事はあるが、あの強烈なタイプの兄と、温厚な癖に突然精神的DVを発動してくる弟を見る限り、魔術師だとか、そういう話とは無縁な気もするんだが……むしろ、あの兄の方、お前に似ている気がしてならない』
「あいつと私を一緒にするな。前にも言ったが、宮橋一族自体は、魔術やら特殊筋とは一切関係ない」
『その台詞、宮橋雅兎の兄とほぼ同じだぞ……お前ら、本当に学友だったのか?』
ナンバー1は、友人らしい仲を匂わせる場面に覚えがない、と疑わしそうに本音をこぼした。それを電話越しに聞いていたが、蒼慶は無視した。
『まあ、こちらからの情報は以上だ。予定通り、そちらは今夜【例の本】を手に入れ、今後それについて何か分かれば知らせくれ。――まぁ雪弥がいるとはいえ、私にとっても、お前からの話は想定の範囲を超えすぎて現状の予測もつかん。だから、こちらも念のため、予定外の事態に備えていつでも動けるよう待機はしておく。それでいいな?』
そう確認のため問い掛けて、ナンバー1は返事を待つように黙りこんだ。
葉巻の煙を吐き出す豪快な音が、電話越しに聞こえてくる。蒼慶は、社交パーティーの会場で初めて対面した際に、『別の名』を名乗っていた彼の大きな彼の姿を思い浮かべながら、窓の方を見やってゆっくり立ち上がった。
「分かっている。その際には、敷地内に踏み込む事を許可する」
そう答えた蒼慶は、そっと手を持ち上げると、窓を遠慮がちに開けた。電話の向こうでは、吐息まじりの返答の声を聞いたナンバー1が、言葉もなく煙を吐き出し続けている。
太陽の眩い光りが直接差しているわけでもないのに、蒼慶は外を見やった拍子に目を細めた。頭上は青い空が広がり、眼前には見慣れた風景が佇んでいる。
その光景を静かに眺めつつも耳を澄ませると、どこからか緋菜の笑い声が聞こえてきた。聞き慣れた妹の声は、久しぶりに聞くようにも思える嬉しさと、喜びに弾ける昔の無垢さがあった。
蒼慶は、目を閉じてもっと耳を澄ませた。頬に当たる風が、ひどく柔らかい。外で広げられている光景が、耳を通じて彼の瞼の裏にありありと想像出来た。
妹の緋菜が「お母様の馬は、とても優しい気性だから大丈夫よ」と可笑しそうに言っている。そのそばで、柔らかな声色を持った弟の雪弥が答える。
「だから、僕は遠目で見るくらいでいいんだって。元々、ちょっとその辺を歩いてこようと思っていたわけで――わぁッ」
短い叫び声がして、馬の嘶きが上がった。母の「蒼緋蔵家の男子が馬に乗れないなんて」と、普段以上に元気がある豪快な笑い声が上がった後、またしても、電話越しではない透き通るような心地の良い雪弥の声が聞こえてきた。
「いやいやいや、この馬どう見ても気性が荒いとかしか思えない。というか、僕のこと嫌ってますよね? ほら、すっげぇ鼻息荒く地面を蹴っ……うわぁ!?」
「あっ。コラ雪弥君、逃げたら駄目よっ」
「他の馬、どうしてかお兄様に近づいてくれないのよねぇ……宵月さん、雪弥お兄様と馬を、迎えにいってもらってもいい?」
「――承知致しました」
「てめっ、宵月さん、今笑ってたな!?」
身体がクツクツ揺れてんぞッ、と雪弥が怒ったように言う。結局はあの後、合流する事になったようで、そこからは桃宮一家の声も上がっていた。
それは懐かしく感じるほど、ずいぶんと長く聞いていなかったようにも思える声だった。追い駆け出した宵月の「お任せ下さいませ」という呼び掛けと、「変な風に迫ってくるなよ!?」と言う雪弥の短い悲鳴が響き渡って、それに続くようにしてたくさんの笑い声が溢れている。
その様子を、蒼慶は静かに耳にしていた。ややあってから、眩しそうに青い空を見上げると、ゆっくりと噛みしめるようにして目を閉じて、形のいい唇を開く。
「……貴様がアレを連れ去ってから、アレは毎日毎日、貴様らの事ばかりだ」
『…………』
ナンバー1は、下手に慰めるような返事はしなかった。




