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第14話 四章 軋む青(1)上

 蒼緋蔵邸の専属シェフが用意した豪華フルコースが、長テーブルにずらりと並べられた。たった七人しか腰かけていないテーブルは、中央部分の席が埋まっているのみだったが、その料理はテーブル中央にとどまらないでいる。


 誰がこんなに食うんだよ。


 一体なんのパーティーだ、と雪弥は思わず頬を引き攣らせた。使用人達が用意を整え終えても、桃宮家の三人と向かい合う蒼緋蔵家の三人から、椅子一個分の距離を置いて静かに腰かけたまま、茫然とテーブルを眺め続けてしまう。


 女性同士のお喋りは、彼が到着した時には既に始まっていた。亜希子や緋菜からは「遅いじゃない」と顔を顰めて言われてしまったものだが、そもそも彼女達は先に、ちゃっかり前菜を食べていたという状況だった。


 右から緋菜、亜希子、蒼慶と並んで、一つ分空いた席の場所に、宵月が背中を伸ばして執事らしく待機して立っていた。テーブルマナーが面倒だという気配を雪弥から察知した彼は、先程使用人に命じて、一組の箸とフォーク、ナイフとスプーンだけを残して、あとは下げさせていた。


「雪弥様、どうぞお食べください」

「顔が近い。わざわざ寄せてくるな」


 幼い子供が怯える顔面をわざと真横に近づけられて、雪弥はイラッとした。コース順ではなく、全料理から好きなように食べるつもりでいたので、とりあえず箸を取ったところで、さてどうしようか、とテーブルの上をしげしげと眺めた。


 宵月を挟んだ隣で、蒼慶が雪弥のそんな様子を見やった。


「貴様は、テーブルマナーも知らんのか?」

「一般的なテーブルマナーなら知っていますよ。でもほら、そこの鳥の丸焼きだって、わざわざ少しカットしてもらっているので、箸一つだって食べられるじゃないですか」


 家族との食事だから、形式や作法に気を遣わなくていいとは、先に亜希子や宵月からも言われていた。それに、行き来している給仕が気を利かせて動いてくれるので、ナイフとフォークの出番もなさそうである。


 そう考えて伝えたら、眉を更に寄せた蒼慶に「箸を向けるな」と、注意されてしまった。けれど雪弥は気にせず、ナイフとフォークだけで食べるはずの料理を、結局は箸だけでつつく事にした。


 レストランでパスタを食べる際、少々面倒な食材があると「お箸をください」と、店員に平気な顔でいうぐらいの図太い神経の持ち主でもあったので、桃宮家の視線も気にならないでいた。どの料理も美味いな、とパクパクと口に運ぶ。


「なんだか、変わった方ですね」


 桃宮勝昭が、自由な弟にピリピリしている蒼慶の気配を察して、フォローするようにそう言った。


「久々の家族と揃ってのお食事であると聞いておりましたが、緊張もされないで食べていらっしゃる」

「アレが自由すぎるだけだ。私としては呆れる」


 蒼慶が舌打ちし、大きな声で嫌味ったらしく言った。さて、どう反応するのか、というように宵月がちらりと雪弥を見やって、一同の目も自然とそちらへ向く。


 当の雪弥は、引き続き正面に見える大窓をぼんやりと眺めながら、口をもごもごと動かせていた。皿の上に取った料理を箸でつっついては口に運び、速くも遅くもないマイペースな調子で咀嚼して、着実に食べ進めて行く。


 自分に集まっている視線に気付いていないのか、注目されているという事に対する神経も図太いのか。全く反応を返さない雪弥に対して、蒼慶が眉根を寄せた時、とうとう亜希子と紗江子と緋菜が笑い出した。


「何?」


 雪弥は、そこでようやく視線を返した。


 すると、蒼慶の隣から顔を覗かせていた緋菜が、「なんでもないのよ」と小さく笑って、それから少し恥ずかしそうにはにかんだ。


「お兄様と一緒に、こうして食事をしていると思うと、なんだか嬉しくて」

「そんなに喜ばれるとは思わなかったな。考えたら、父さんにも『食べに来い』って、何度か言われていたっけ」


 思い出して雪弥が言うと、亜希子が「タイミングが合わなくて、残念よねぇ」と外出中の夫を思って口にした。


 少しすると、先に腹がいっぱいになったアリスが、食事のマナーを守るように大人しくしていた様子を一転させて、すっかり打ち解けた緋菜とお喋りを始めた。桃宮夫婦が亜希子と談笑して、そこにたびたび蒼慶が参加する。


 雪弥はその声を聞きながら、口に食べ物を放り込んでいた。


 窓の向こうへ目を向けてみると、空には清々しいほどの青が広がっていて、少ない雲が穏やかに東へと流れているのが見えた。ここに満ちているのは、普段自分が身を置いている日常からは、考えられないほど平和な空気だ。


 自分が蒼緋蔵邸で昼食をしているというのも、改めて考えてみれば、ここへ来るまで全く想定していなかった事だった。こうして皆で、同じテーブルについている光景が、なんだか見慣れない。


 ここに来てから、ずっと変な感じだ。


 視線を戻した雪弥は、二つの家族の賑やかな会話を耳にしながら、口下手でお喋りに参加するのも出来ず食事に専念し、そうやって時間が過ぎるのを待った。


             ※※※


 ああ、身体が鈍りそうだ。


 昼食が終わった午後二時過ぎ。亜希子は庭園を案内するといって、緋菜とアリスと紗江子を連れて食後の散歩に向かい、桃宮勝昭が「事業の話を聞きたい」と蒼慶を誘っていき、雪弥は一人で蒼緋蔵邸に残っていた。


 はじめは、全員が外へ出た後にでも、一人で蒼緋蔵邸内を回ってみるつもりでいたのだが、蒼慶に「間取りも全て把握していない奴が、ちょろちょろ動くんじゃない」と一喝された。雪弥なりに意見はしたのだが、結果的に「勝手に動くな」と、二階にある大部屋に閉じ込められてしまったのだ。



 この大部屋まで案内したのは、今は蒼慶のそばに戻っている宵月である。監視人無し、つまり一人にさせてくれるのならそれでいいかと――そう思っていたのは、入室直前までの事である。


 入室直後、外から扉の鍵が閉められる音を耳にして、言葉を失った。なんの為に鍵をかけた、と思ったし、事前説明もなかった兄からの指示には唖然としたし、思うところが多々ありすぎた結果、悠々と自分を閉じ込めた張本人に殺意を覚えた。


 宵月、あとで殺す。



 ここは蒼慶の書斎室近くにある大部屋だった。だだっ広い室内には、黒塗りの美しいグランドピアノが置かれており、様々な楽器が展示されているガラスケースの棚もあった。

 弧を描く大きなテラスには、丸いテーブルセットが一組。四方の壁は本棚で囲まれていて、当主や蒼慶の趣味を表すような難しい本ばかりが揃えられている。


 庭園から引き続き監視されているという事に気付いたのは、閉じ込められた後に少し考えて「まずは外の空気を吸って落ち着こう」と、テラスに出た時だった。


 そこからは庭園が見えて、そのテーブル席に兄と桃宮前当主が腰かけていた。そこを大庭園へと向けて歩いていた緋菜と亜希子が、こちらに気付いて見上げてきて、一緒にいた紗江子とアリスと揃ってにこやかに手を振られてしまったのだ。


 雪弥は、口角を引き攣らせながら、なんとか彼女達に応えて手を振り返した。蒼慶と宵月、謀ったな……と、ちょっとあの組み合わせが本気で嫌になった。


 それから三十分が経った今、この場所で待つ事にも飽きてしまっていた。テラスの椅子に腰かけた状態で、思わず「身体が鈍りそうだ」と心の声を口にも出した。一人でゆっくり出来るのでいいか、とは思えない。かなり暇である。


「そういえば、前の仕事が終わってから結構ゆっくりしているなぁ……」


 先週に終わったとある任務で、自分が高校生として過ごしていた事を振り返った。椅子の背に頭を乗せるようにして頭上を見やり、あの日、学園から見た空と同じ青が、そこに大きく広がっているのを不思議に思った。


 校舎の屋上で、二人の少年と昼ごはんを食べたり、体操着で運動場を走り回っていた時も、慣れない穏やかな時間があった。結局、エージェントとしての姿を見せるまでは、社会人である事を疑われなかったなぁ、とぼんやりと考える。


「今年二十四歳になるいい大人が、高校生なんて無理だと思うんだよなぁ。……本部で顔を合わせたナンバー3とナンバー9に、めちゃくちゃ笑われたし」


 同じ一桁ナンバーの反応を思い出して、溜息がこぼれ落ちた。


 しばらく何もやる事がないまま、じっとしていた。視界に映る長閑な青い空と、心地良い風に欠伸が込み上げて、立ち上がって背伸びをした。


「このままだったら、確実に寝る」


 そう呟いた雪弥は、椅子の背に右手を置いた。椅子が倒れてしまわないよう、バランスを取りながら、ひょいと両足を持ち上げて右手一本で逆立ちをする。落ちて来そうなネクタイをシャツの中に入れて、左手を腰の後ろへあてた。


 右手一つを動かして、真っ直ぐ逆立ちをした身体を、腕立て伏せをするように上下に動かした。親指だけでもそれをやってみたのだが、やはりかなり暇である。


 逆さになった風景を、ぼんやりと見つめて思案した。向こうから聞こえてくる談笑の声に、しばし耳を済ませる。


「兄さん達の方、しばらくは終わらないんじゃない……?」


 雪弥は、身体を支えている右手を曲げると、伸ばす反動で弾みをつけて飛び上がった。一気に跳躍した高さから、身体を回転させてテラスの塀へ降り立つ。


 突き出た半円系のテラスを取り囲む塀の幅は、拳ほどの大きさだった。そこに立って辺りを見回してみると、近くに亜希子たち女性陣の姿はなかった。ふと、右方向にも、小さな半円形状のテラスがあるのが目に留まった。


「なんか、そのまま行けそうだなぁ。……あそこから抜け出せないかな」


 音楽室のような大部屋にすっかり飽きていた雪弥は、あちらまでの距離をざっと目測すると、再び眼下に広がる庭園の様子を確認した。

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