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第8話 二章 蒼緋蔵邸の訪問者(2)

 結局、昼食も食べられそうにないほどケーキと紅茶を堪能した亜希子が、昼食時間をずらす事を提案した。


 緋菜は、その時間まで兄がいるかどうか心配した。雪弥は「いるよ。実は少し、長居する事になって」と苦笑して答えてから、食後の運動をしないかと誘ってきた亜希子の新しい提案については、やんわりと断った。


 敷地内のテニスコートに出掛けた彼女達を見送ったところで、広すぎるリビングのソファに腰かけた。昔からスキンシップの激しいところがある二人と離れてようやく、ほっと肩から力が抜けた。


 運動は嫌いではない。むしろ身体を動かす事は好きだ。しかし、力加減が出来ず、もし二人に怪我をさせてしまったらと思うと、気は抜けない。


 抱きつき癖のある亜希子と緋菜から、出来る限り自然と距離を置いていた。ここにいる自分はナンバー4ではなく、ただの訪問者であるという事を、常に言い聞かせて気を付けている。


 配慮したり気を遣う事は、元々あまり得意ではなかった。疲労感を覚えた雪弥は、ソファの背に頭を乗せて、ぼんやりと高い天井を眺めた。


 家族と楽しそうに交流を深めている様子を、まだ上の階にいるであろう分家の人間に、あまり見られたくない気持ちもあった。テニスコートは、書斎室や渡り廊下から見える位置にあるので、その声も様子も、蒼慶のいる場所には筒抜けなのだ。


 亜希子と緋菜が出て行ってから、どのくらいの時間が過ぎただろうか。ひどく長いその静寂聞いた後、雪弥はとうとう背後に立つ男が無視出来なくなって、つい声を掛けていた。


「宵月さん、兄さんのそばにいなくていいんですか?」

「見張っていろと言われておりますので」

「直球かよ。やっぱり見張り役か」


 ソファの後ろで、背後霊のように立っている宵月を思って、雪弥はソファに身を預けたまま舌打ちした。

 リビングの開かれた大窓から風が入り込んで、癖のない前髪を揺らして形のいい額を覗かせた。それを肌でも感じながら、彼は蒼とも灰色ともつかない色合をした色素の薄い髪と、雪のように白い肌に不似合いに浮いている、真っ黒な瞳を動かした。


「はぁ。そもそも、ちゃんと正論な提案を返したのに、いきなり怒るとか訳が分からないし、出て行けっていう割りには出すなって言うし……一体、何がどうなっているんだか」


 雪弥は呟いて、溜息をこぼした。


「今のうちに問題を解決しておかないと、次の仕事の最中に、更に現状が悪化しそうで怖いんだよなぁ」

「わたくしは、真顔で口元にだけ笑みを浮かべる今のあなた様が――遠まわしで述べますと、気味が悪いです」

「だから、それ直球だよ、『気持ち悪い』と何もニュアンスが変わってないからな。昔から思っているんだけど、なんか僕に対しては、ちっとも執事らしくないな?」


 雪弥は、そこでようやく頭を起こして、ソファの後ろにいる宵月を振り返った。彼は特に表情を変える事もなくこちらを見下ろしていて、「そんな事はございません」と淡々と言葉を返してくる。


 堅苦しさが和らいだような印象を彼から感じて、雪弥は少し顔を顰めた。宵月は無表情のままであり、表情も声もなんら変わりはないのに、どこか今の状況を楽しんでいるというか、嬉しそうな感じがするというか……?


 まぁ、気のせいだろう。


 雪弥は、宵月の身体がクツクツと小刻みに揺れるのを無視して、ガラスのテーブルに置かれていた新聞紙を手に取った。早朝一番に健康検査をされて読んでいなかった事を思い出しながら、何気なくそれを広げて眺め見る。



――『突然死した榎林会長には、莫大な負債があることが判明し、後任についた夜螺羅(よるくら)会長が、会社存続のため全額を返済するなど――』



 何気なく文字を目で追い、大手企業の頭が入れかわったのだなと、雪弥はぼんやり思った。榎林という名を、どこかで聞いた事があるような気がしたが、そのページに載っていた写真を目にした途端、思考がそちらへと切り替わっていた。


 新聞には、財閥の一人である榎林の死を悲しむ、数多くの著名人の名が並んでおり、その記事の隅に『夜蜘羅』と記載された一枚の写真があった。その姿が、前回の仕事の最中、奇妙な化け物と闘わせてきたサングラス男と重なった。


 ひどく大柄なのが、大きな顔と太い首で分かった。黒くはっきりとした凛々しい眉、彫りが浅く頬張った顔は、生粋の日本人というよりは東南系で、鋭い眼差しは自信と好奇心が溢れているように感じる。


 剛毛な長い黒髪を後ろで一つに束ね、面長だがひきしまっている凛々しい顔。笑った顔も、記載されている実年齢の五十三歳より、はるかに若く見えた。


 多分、こいつだろう。


 雪弥は、まじまじと写真に目を留めてから、『夜蜘螺』という変わった名の男の事が載っている文面を、急くように読み進めた。


 夜蜘羅は、中国にある巨大財閥の血縁で、二十年前に日本で立ち上げた会社が、未だ成長中だという。仕事に熱く、独身のまま突き進む彼は、今財界でも注目されているらしい。強い探究心と新しい発想力があって、人望も厚く、企業全体を盛り上げてくれる事を期待する、と、その記事には書かれていた。


「雪弥様は、彼に興味がおありですか?」


 不意に耳元で声が上がり、記事に集中していた雪弥は、うっかり「わぁッ」と声を上げて飛び上がった。

 ハッとして振り返った際、ここへ来てから自分に「僕は平凡なサラリーマンだ」と言い聞かせていた事に安堵した。後ろにいた宵月に少しの敵意もなかったのは幸いで、こちらの手が反射的にでも出なかった事にほっと息を吐く。


 もし、宵月に少しでも悪意や殺意があったとしたら、すっかり思い耽っていた雪弥は、きっと誰かも分からず彼を『反射的に殺して』しまっていただろう。


 そう自分を分析して、ふと、奇妙な違和感を覚えて首を捻った。自分の思考のどこかがおかしい気がしたのだが、その根拠や原因が途端に分からなくなった。


 そんな事を思っていると、宵月が上から「どれどれ」と言って、こちらが持っている新聞を覗きこんできた。


「ああ、この方ですか。大富豪の名家で、とても有名な方ですよ。中国企業ですが、二番目の母親が日本人であった事から、日本語もお上手らしく――榎林という方も、名家のうちの一つですね。彼は、本家を継ぐ事はありませんでしたが」


 確か伯父が当主をやっていらっしゃいましたね、と続けた宵月を、雪弥は目を丸くして見上げた。


「それは知りませんでした。『榎林』というのも、名家の一つだったんですね」

「おや、知りませんでしたか。我々の間では有名な話です」


 宵月は、自分を見上げている雪弥を見つめ返すと、何かしら思う事があったかのように、少し間を置いて僅かに目を細めた。


「一族の背景やその歴史を知るのは、名家や財閥関係者には当たり前の事なのです」

「へぇ、じゃあ緋菜も知っているんだ」


 すごいなぁ、と雪弥は呟いて、特殊機関のほとんどの人間が、十桁エージェントの噂や顔を覚えているらしい事を思い出した。その他にも、各部署の重要人物や、共に仕事をする人間を覚えるようにしているのだとか。


 なかなか覚えられない自分とは大違いだ。意識の違いなのか、努力が足りないのか……まぁひとまず、戻ったら夜蜘羅家について調べてみてもいいのかもしれない。

 宵月がもとの位置に上体を戻すのを背後に感じながら、雪弥は新聞をめくった。数日前の仕事の際に出会ったあの男と、異形の者について思い返していたから、その大半の記事を読んではいなかった。


 特殊筋、当主の影、番犬……。


 あの時は、あの男が口にしていた言葉を頭の中に浮かべてみる。しかし、やはり一体なんの話をしているのか、今でもよく分からない。


 有り得ない動きをする異形の者を引き連れており、こちらが手足で壁を砕いたり爪で切断しても不思議がらず、喜ぶばかりで驚きはしなかった。他にも常軌を逸する存在は当たり前のように存在しているのだと、言わんばかりだった気もする。


 あの異形は、新しい人体実験の生物兵器なのだろうか。あんな風なモノは見た事がないのだが、特殊筋というキーワードが関わっているのか。


 そもそも、特殊筋というのは一体何なのだろう?


「…………『特殊筋』」


 思案に耽って、ついぽつりと呟いた。後ろで宵月が、僅かに顔を強張らせた事に気付かず、雪弥はあの男が『蒼緋蔵家の番犬』と、口にしていた事を思い返した。


 自分は一族とは距離を置いているし、何かの勘違いの可能性もあるけれど、兄か父に確認してみた方がいいのだろうか。考え続けても分からないキーワードであるし、ひとまず必要そうであれば尋ねる事を決めて、新聞紙を閉じた。


 その時、開いた大扉の向こうから、階段を下りてくる複数の足音が聞こえてきた。そのまま玄関へ向かうのだろうと思って耳を済ませていたら、段々とこちらに近づいてくるのに気付いて、雪弥は顔を顰めてソファに腰かけたままそちらを見やった。

 先程、書斎室にいた四人の男達が、室内をそろりと覗きこんできた。珍しい物を見るかのような視線を受けて、思わず口をへの字に引き結ぶ。その横で、何あれば対応に代わるというようにして、宵月が背筋を伸ばしたまま一歩前に出た。


 スーツを着こんだその男達は、こちらを訝しげに眺めながら、ひそひそと言葉を交わし始めた。


「確かにその証は見られるが…………」

「本当にあれが…………」

「しかし、それだけでは何とも…………」


 本人を前にして、こそこそ話すという新しい嫌がらせなのだろうか?


 雪弥は、そう勘繰って睨みつけてみたが、それでも男達が歩き出す様子はなかった。昔のように、排除してやるぞと直接行動を移してくる気配はないようなので、ひとまずは相手にしない方が手っ取り早いと諦めて、首の位置を元に戻す。


 勝手に喋って、とっとと帰ればいいのにと思った。こうして珍獣のごとく見られるのも居心地が悪い。彼らが動かないというのであれば、ここは自分の方が場所を移動してしまおうか。多分、その方が早い。


 そう考えていた雪弥は、不意に、ある言葉が耳に飛び込んできて思考が止まった。



「蒼慶様の存在を(おびや)かすのでは」



 途端に男達の、ひそひそと続く声は耳障りな雑音と化して、脳裏にその言葉だけがリピートされる。

 誰が発言したかも分からないのに、その言葉だけがやけに耳にこびりついて、背中から足元にかけて、すうっと体温が落ちていくのを感じた。


 思考回路が硬直して、頭の中がほんの数秒ほど真っ白になっていた。動く事も出来なくなって、呼吸が浅くなり急速な息苦しさを覚える。


 分かってる。そう想われている事くらい、はじめから知っているんだ。


 自分は兄にとって、危険な存在には絶対なりはしないのに、こちらを良くは思っていない人間からはそう見える。昔から兄として尊敬していて、足を引っ張るなんてしたくないと強く思っているから、それは微塵にも誤解されたくない部分だった。


 そんなふうに思われたくもない。激情のように強い嫌悪感が込み上げた。小さく聞こえ続けているぼそぼそとした話し声に、胸の内側で一気に苛立ちが膨れ上がって、怒りに似たドス黒い感情が渦巻くのを感じた。


 やっぱり、こんなところにいたくない。


 そう思った雪弥は、弾かれたように立ち上がっていた。振り返って目が合った男達が、驚いたようにしてそそくさと歩き出すのが見えて、ふと、文句の一つでも投げてやりたくなった。


 けれど口を開こうとした直後、ハッとして表情を強張らせた。雪弥は、咄嗟に自身を抱き締めると、両腕で力いっぱい抱えこんで背中を折り丸めた。


「どうなさいました、雪弥様ッ」


 焦るような宵月の声が聞こえたが、雪弥は答える余裕などなかった。強い心地悪さが起こり、今すぐにでも何かを壊したい衝動に駆られて、両手が激しく震えそうになるのを堪えるので精いっぱいだった。


 ごうごうと血が全身を巡る音が、耳元で警告のように鳴り響いている。暴れ出したいほど膨れ上がる感覚に、今にも理性が押し潰されそうになる。


 なんだ、これ。


 両腕を抑え込むようにして、ソファに腰を下ろした。理由も分からず混乱し、雪弥は必死に耐えていた。すぐそばに『人間』が立つ気配を鮮明に感じたが、顔を上げる事が出来なかった。


 今『人間(それ)』を目にしてしまえば、きっと自分はその人を殺してしまうだろう。何故かそんな予感が脳裏を掠めて、それを当たり前のように考えている自分に、余計に訳が分からなくなって浅い呼吸を繰り返す。



 殺したい、殺したい、殺したい、殺したい、殺してやりたい。



 込み上げた衝動の言葉が、脳裏には流れ続けている。自分に向けて、無事を確認する宵月の台詞が理解出来ない。ただ、頭の片隅に残った思考が、宵月が人を呼ばない事だけを祈っていた。


 瞬きもせず凝視しているその瞳が、まるで勝手に獲物を探し出そうとするかのように疼いた。身体は冷え切っているはずなのに、両目だけがひどく熱い。


 全身の毛が逆立たった。頭髪までもが鳥肌を立てるのを感じて、戦闘モードに突入させてもいないのに、指先の爪が思考の制止を振り切って今にも飛び出してしまいそうになる。


「雪弥様!」


 更に強く宵月の声がした瞬間、頭の中で、カチリと思考が切り替わった。


 混乱がピタリと止まる。その瞬間、雪弥は何も考えないまま、反射的に足に力を入れると、踏んだ大理石にヒビを入れる瞬発力で跳躍していた。


 数メートル先に着地すると、ゆらりと身体の向きを変えて、開いた大扉の方をロックオンする。前傾姿勢に入ってすぐ、地面を蹴り上げて前に飛び出した。


 後ろから、もう一度「雪弥様!」と制止するような叫びが上がった。宵月が追ってくるのを感じながら、雪弥は標的を探して一直線に行動し続けていた。

 

 何故、自分がこうして駆けているのか、よく分からなかった。まるで殺してもいい相手が向こうにいて、自分を待っているような錯覚に囚われて、理性が押し潰される。


 そう、『敵』だ。殺してもいい奴が、ソコにイるぞ。


 雪弥の開いた瞳孔が、先程の四人の男達を探すわけでもなく、真っ直ぐ玄関を捉えた。黒いカラーコンタクト越しに、殺気立った(あお)い二つの光が浮かび上がる。


 大きな玄関扉が開かれるのが見えた瞬間、反射的にそちらへ突っ込むように地面を蹴っていた。けれどその直後、不意に開いた玄関から入って来たものが目に入った途端、爪が伸びかけた雪弥の手が不意に止まった。



 一人の男が、水槽を両手で抱えて大玄関をまたいでいる。その水槽の中には、数匹の小さな金魚が入っており、向こうの景色が水越しにぼやけて見えた。



 ああ、水だ。


 雪弥は、太陽の光が鈍く差し込む水槽を、ぼんやりと見つめていた。一気に理性が戻ったけれど、空中を突き進んでいるその身体は止まらななくて。


 水槽を抱えたまま、玄関口から数歩足を踏み入れたその男が、突然至近距離に現れた雪弥に気付いて、驚きの声を上げた。そのまま、突っ込んできた彼に押しやられるように、ぶつかった衝撃で水槽と共に扉の外へと投げ出される。


「雪弥様!」

「お父様!」

「あなた!」


 三つの悲鳴が上がった直後、ばしゃんッ、と盛大な水音が上がっていた。


 頭上からかぶった水で一気に頭が冷えて、雪弥はうつ伏せの姿勢で、茫然と顔を上げた。同じように外に転がった男が、地面に尻をついた状態で苦痛に顔を歪めている。その手前には横倒しになった空の水槽があり、側面が少し割れてしまっているのが見えた。


 宵月を含む数人の悲鳴と騒ぎの音を聞いて、使用人達が蒼緋蔵邸の仕事場から次々に飛び出してきた。白い肌に明るい茶色の瞳をした金髪の少女が、「私の金魚ちゃん達が!」と、どこか英語訛りで叫ぶそばに、慌てて女性の使用人達が向かう。

 倒れこんだ男性のそばには、心配そうな表情を浮かべて「どうしましょう」とあたふたする中年女性の姿があった。男はスーツ、女は貴婦人のようなレース入りのスカート衣装だ。そちらへ、男性の使用人達が駆け寄って、素早く対応に取りかかり始めた。


 …………えっと、この三人は一体『どちら様』なのだろうか……?


 雪弥は、見覚えのない親子連れを、呆気に取られて見つめていた。どこからか「大丈夫ですか雪弥様ッ」と、慌てたような若い使用人の声が上がったが、それを宵月の「タオルはわたくしがやっておきます、下がりなさい」という低い指示が遮った。


 その後、ふわふわとした白いタオルを頭からかけられた。雪弥はそれに気付いて、腰を落としてこちらを覗きこむ宵月を見つめ返した。無言で頭髪を優しく拭き始める彼に、騒ぎになってしまった事も含めて「すみません」と謝った。


「えっと、あの」


 続けて説明しようと口を開いたものの、言葉が出て来ない。そもそも、どうしてこんな事になっているのだろう、と直前までの記憶があやふやで疑問に思う。


 すると、一通り頭をタオルで拭った宵月が、こちらの顔にかかった水を拭いにかかりながら、いつも通り淡々とした口調で話しかけてきた。


「大丈夫ですか、雪弥様。派手にぶつかっておられましたが、どこか痛いところは?」

「うん、その、大丈夫」


 こんな事になったにもかかわらず、宵月が無事を確認する他は尋ねず、助け起こしてスーツにも少しかかっている水を拭いていく。


 雪弥は、トラックにぶつかっても平気なくらいには、自分の身体が頑丈な事を思った。相手の男性は随分年上そうだが大丈夫だろうか、と心配になって目を向けたところで、思考する余裕が戻ってきて、ふっと一つの可能性が浮かんだ。


「……もしかして、彼れらが『訪問予定のお客様』……?」


 先程、亜希子達が口にしていた『泊まりのお客様』という、蒼緋蔵家の遠縁の人間の来訪予定が思い出されて、思わず口元が引き攣った。


 地面に尻をついていたその男性は、やや中年太りが目立つ身体をしていた。白髪交じりの頭をしていて、ふっくらとした顔は後十代後半ほどだろうか。瞳は愛嬌があって丸く、タオルを当てる女性使用人に「大丈夫です、お構いなく」と答える声は柔らかい。

 そんな彼を心配そうにして見守っている夫人は、五十代半ばほどといった容姿をしていた。彼女もまた少しふっくらとしているが、小柄で可愛らしさがある。


 綺麗に結い上げられた白髪交じりの髪には、太陽に反射し煌めく装飾品が付けられていた。背筋はすっと伸びていて、表情から指先まで品があり、夫である男を気遣うような動作一つ一つが、まるで着物を着ているかのような印象を与えた。


 地面に放り出された魚を救出するため、動き回っている使用人達の中心には、中学生になったばかりくらいの少女が一人いた。腰まであるブロンドを持った、かなりの美少女である。

 ひらひらのワンピースドレスに身を包んだその姿は、まるで西洋のお人形のようだった。大きな茶色の瞳で心配そうに辺りを窺いながら、彼女は「私の金魚ちゃんは八匹いたのよ」と澄んだ高い声を上げている。


「あちらが桃宮家(ももみやけ)のお客様ですよ、雪弥様」


 一通り水気を取った宵月が、雪弥にそう言った。


「本日いらっしゃったのは、桃宮グループ前代表取締役の勝昭(かつあき)様と、その奥様の紗江子(さえこ)様。そして、アメリカ人だった祖父の血を濃く受け継いだ、末娘のアリス様にございます」


 説明を受けた雪弥は、眩暈を覚えた。脳裏には「この馬鹿者が」と、睨みつけてくる蒼慶の顔が想像されていた。


「…………どうしよう。客人になんて事を……」


 思わず呟くそばで、優秀な執事が顔色一つ変える事なく「大丈夫です、わたくしがおりますので」と述べた。

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