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最強エージェントは休みが欲しい【第3部/現代の魔術師編(完)】  作者: 百門一新
第1部 学園ミッション編~エージェント4~
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終章 別れの朝

 六月二十五日土曜日、午前六時。


 雪弥は、すっかり何もなくなった部屋に立っていた。黒スーツの胸ポケットに入った彼自身の携帯電話からは、ゲームセンターで出会った人形の「白豆」が陽気な面持ちでぶら下がっている。


 室内では、夜狐と数人の暗殺部隊隊員たちが片付け作業を進めていたが、黒のスーツに浮く白いキーホルダーに目を向ける者はいなかった。



「迎えが到着しました」



 夜狐が告げ、雪弥は肯いて部屋をあとにした。


 見慣れた黒塗りベンツが、マンションに横付けされていた。開いた後部座席の中を見やり、雪弥は怪訝そうに顔を歪めた。黒いシートにふんぞり返るように座るナンバー1の姿を、今一度認めたところで――


 思わず開いたドアを閉め直した。


 すると、すぐさま扉が開き、顔を覗かせた上司が「何をするッ」と言った。雪弥は上手い嘘も思い浮かばず、視線をそらせて「いえ、反射的に……」と素直に答えた。


 マンションの入り口と壁は、破片や瓦礫が撤去されているだけで、雪弥と異形の者が戦ったままの破損が残っていた。突然攻撃の合図を出したあの夜蜘羅という男が、自分であと始末をするべきだと雪弥は思っていた。


 とんだとばっちりを食らったものだと愚痴りたくなったが、蒼緋蔵に関係する出来事だったため口を閉ざして車へと乗り込んだ。


 マンションの損傷について何か知っているか、と尋ねてきたナンバー1に、雪弥は知らないと話を受け流した。蒼緋蔵家について口にすると、蒼慶から着信が入りそうで怖かったのだ。「私を呼んだか」といった電話が蒼慶からきたら、洒落にならない。


 むしろ悪夢だ。


 げんなりとする雪弥の心情も知らず、車が走り出し、ナンバー1がこう尋ねた。


「今回の任務はどうだった、結局ナンバー4らしい仕事になったわけだが」

「そうですね、まぁ学生の振りをするのが疲れました」

「うむ。こうして現物を目にしたのは初めてだが、『白豆』もきちんと飼えているようで何よりだ」


 こちらのブラックスーツの胸元から下がる『白豆』を見て、わざとらしいくらいに偉そうに頷く上司を訝って見つめていた雪弥は、ふと思い出して尋ね返した。


「暁也と修一は、大丈夫ですかね? 変な後遺症が残らなきゃいいんですけど」


 すると、窓を少し開けた上司が、葉巻を取り出しながら露骨に顔を顰めた。


「お前、それは現場を見たエージェントに言ってやれ。あれは酷過ぎるぞ」

「はぁ、それはすみません」


 雪弥は間の抜けた返事をした。彼は言われている言葉の意味が、よく飲み込めていなかった。脳裏に思い起こす昨夜の殺戮も他人事で、引き裂いた感触も撃ち抜いた実感も、それを見た人間がどんな感じをうけるのか共感することを考えるのも難しい。


 暁也と修一は昨夜、予定通り県警ヘリで学校から連れ出されていた。操縦士の免許を持っている毅梨が、エージェントの指示を受けてヘリを動かし、乗り込んでいた金島と澤部が二人の少年を自分たちの腕で迎えて、無事に保護したのである。


 現場を直に見た同業関係者なんてどうでもいいんです、と雪弥は他人がきいたら「鬼だ」と言われる台詞をあっさりと言い、少年組の件を強く推すように言葉を続けた。


「暁也と修一は、少なくとも常盤の死体をチラリと見ちゃっているんですよ。殺すところは見えないように配慮したつもりですが、常盤の頭を砕いたのが悪かったなぁと……それに、標的の抹殺を直に見ていないとはいえ、モニター越しにそれを知っているから心配で」

「昨日も聞いた」


 だからどうした、というようにナンバー1は口を挟んだ。彼は興味もなさそうに指輪の光り具合を眺めている。


 雪弥は咳払いを一つすると、言葉を付け足した。


「……それでですね、精神的にものすごく負担を掛けてしまうんじゃないかと――」

「男なんだ、そんな(やわ)じゃないだろ」

「あんたは悪魔ですか」


 おいコラ、相手は一般人の少年なんだぞ。


 間髪入れずに断言した上司に、雪弥は「天誅」と言わんばかりに葉巻の先を切り落としてやった。ナンバー1が「お前はまた人様の葉巻を勝手に切断しおって」と悔しそう言ういつもの説教台詞を、彼は涼しげな顔で聞き流した。



 車の往来や人の気配もない道を、雪弥たちを乗せた高級車は信号にかかることもなく進んだ。しばらく黙りこんでいた雪弥は、今頃蒼緋蔵家はどうなっているのだろう、と遅れて思い出し頭を悩ませた。



 込み上げた溜息を堪え切れず、「ねぇ、ナンバー1」と吐息交じりに声を掛ける。返事はなかった。


 雪弥はもう一度言った。


「ねぇ、ナンバー1」

「なんだ」


 上司は車窓を見つめたまま、ぶっきらぼうに口だけで答えた。座り心地の良い座席に身を沈ませた雪弥も、視線を正面に向けたままである。


「…………僕んとこの家族、一体どうなってると思います?」

「知らん」

「あ、ひどい。あんたが休日くれなかったから、こっちは面倒なことになってんのに」

「自分でどうにかしろ」


 私も蒼緋蔵家の長男は苦手なんだ、とナンバー1は声を潜めた。


 蒼慶を知っているような口ぶりが気になり、雪弥は座り直して上司へと視線を向けた。


「兄さんのこと知ってるんですか?」

「さぁな、黙秘権を行使する」

「あ、ずるい」


 そのとき、不意に車が止まった。


 妙だなと思って車窓へ目を向けた雪弥は、辿り着いたこの場所とそこに集う人々に気付いて、ナンバー1を見て苦々しげに顔を歪めた。


「……ナンバー1」

「なんだ」

「いくらあんたの職権乱用がひどくても、これはないでしょう。思いっきり規則違反じゃないですか」


 雪弥は呆れたように眉根を寄せた。


 閑静な住宅街の一軒家には、見知った顔が集まっていた。尾崎、元エージェントで担任の矢部、金島と今事件を担当した七人の捜査員、そして私服の暁也と修一がそこにはいた。


 事件で関わった者たちと任務終了後に会うことは、特別な理由がない限り禁じられているはずだった。


「規則とはすなわち私が定めるものだ。うむ、会って良し」

「あんたね……」

「そんなに気になるのなら、お前の目で確かめてくる方が早いだろう」



 いちいち聞かされる私もひどく疲れるんだ、さっさと行って来い、命令だ、と続けてナンバー1は唇の端を引き上げた。雪弥は「汚ねぇ、また職権乱用かよ」と文句の一つを浴びせて車を降りた。



 集った人間の視線が雪弥へと向く中、尾崎が真っ先に挨拶をした。


「今回は、本当にお世話になりました。ありがとうございます」

「いえ、別にそんな大層なことをしたわけでは……」


 戸惑う雪弥に、尾崎の隣から出てきた矢部が言葉を続けた。


「担任として以外では、初めてお顔を会わせます。元ナンバー二十一の矢部です」


 矢部は、握手を求めて雪弥に大きく薄い手を差し出した。慣れないようにぎこちなく笑い、雪弥はその手をそっと握り返した。握り潰してしまわないかという不安があり、すぐに手を離す。


 そこへ、二人の少年組が矢部を押しのけるようにして割り込んできた。


 こちらを興味津々に覗きこんでくる顔には、不思議と一つの陰りも怯えも感じられなくて、雪弥は困惑した。どうやら精神的に参った様子はないみたいだ、と心身共に柔軟性のある若者に感心してしまう。


「本当に大人なんだなぁ、つか、マジで目が青い! ハーフなのか?」

「ちッ、どうりで年上臭かったわけだぜ。達観してるガキかと思ったら、本当に大人かよ」


 少年たちは相変わらず遠慮なく、まるで同級生の「本田雪弥」の時と変わらず、それぞれ好き勝手なことを口にした。


 雪弥は、修一には「純粋な日本人だよ」と答えたが、顔をそむける暁也には返す言葉が見つからなかった。苦笑した彼の父である金島が「すみません」と言ったので、彼も困ったように笑い返して「とんでもない、事実ですよ」と詫びた。


 金島は初めて会う雪弥に自己紹介をしたあと、今事件で共に動いた部下たちを紹介した。


 雪弥は、金島は当然のことながら、夜狐が優秀だと述べていたその部下たちにも個人的に興味があった。度胸と根性が座り、強い行動力を秘めた面々は飛び出た才能を持っていたからだ。


 警視庁が召喚したがっているほど凄腕のハッカー内田、元軍事関係に携わっていた毅梨、射撃で決して的を外さない澤部、阿利宮と三人の部下は体術に長け大会や勤務実績共に優秀な成績を収めている。


 阿利宮を含む四人チームは、挨拶もぎこちなかった。怖がられていることを雪弥は思ったが、澤部は特に表情も変えずに「どうも、澤部です」と平気で煙草をくゆらせた。厳粛な面持ちで一礼した毅梨とは対照的に、内田はだらしなく立ったままぼりぼりと頭をかいて「内田っす」と面倒そうに述べる。


 中々面白いチームだな、と雪弥がまたしても興味引かれたとき、突然修一が興奮収まらぬように黒いスーツを掴んだ。


「なぁなぁ雪弥ッ、俺、頑張って刑事になるぜ!」

「はい……?」

「はじめはテレビの中の憧れみたいな感じだったけど、やっぱり俺は刑事が好きだ! かっこいいし尊敬するし、うん、やっぱりかっこいい!」


 ちょっと待て、と言いかける雪弥の言葉を遮る勢いで、修一はそう語った。雪弥は視線を滑らせたものの、修一の隣でにやりと笑う暁也を見て、彼も同じ考えであるらしいと察して更に言葉を失う。


 いったい君たちどうしちゃったの。


 そう思ったが喉から声は出てくれなかった。先に暁也が口を開いて、ふふんと鼻を鳴らす。


「俺、親父に負けない刑事になってみせるぜ」


 雪弥はわけが分からなくなった。暁也が刑事になるという話は初めて聞く。むしろ、絶対なりたくない職業だったことを思い出していた。


 思わず、すぐそこにいた金島に、ちらりと視線を向けた。


「……金島さん、これ、一体どうなってるんです?」

「昨日帰ってから、しばらく修一君と一緒に部屋に閉じこもっていましてね。ようやく夜食に降りてきた時には、すでにこの調子で……。仕事の合間に私と部下たちが様子を見に行っていたのですが、そのたびにいろいろと話をせがまれたほどです」

「はぁ、つまり彼らは寝不足でもある、と…………」


 恐らく少しは寝たのかもしれないが、なんとも元気な少年たちである。


 エージェントとの仕事は早朝近くまでかかっていたため、金島たちは仕事着のままだった。その話から、修一が暁也の家に泊まった事は分かったが、雪弥は「だから、なんで刑事になりたいといったことに繋がるのか」と首を傾げずにはいられない。


 そのとき、雪弥は左右から二人の少年に抱きしめられた。動揺しつつ困惑して「どうしたの」と声を掛けると、肩越しに修一が鼻をすすった。


「……もう、行っちまうのか?」

「……もう、会えねぇのかよ」


 いつも自信に溢れていた暁也の声は、囁くような声量で震えていた。


 良い子たちだな、と雪弥はそっと彼らの背中に手を回して抱きとめた。



「うん、さよならだ。いろいろとごめんね」



 そう親しげに微笑む雪弥を見つめていた阿利宮が、つい金島に尋ねた。


「こうして見ると、昨日の声とは別人に見えますね……」

「私もそう思っていたところだ……」

「そこに、彼の異名の由来があるのですよ」


 尾崎がふと口を挟むように囁いた。


「碧眼の殺戮者、として恐怖されている彼は、ペテンともいわれているそうです。まるで同じ人物とは思えないほどの豹変ぶりに、ペテン師と呼ぶ者も少なくはないのだとも聞いています」



 大人たちが囁き合う中、修一は溢れる涙を拭っていた。彼は「さよなら、なんて言うなよ、寂しいじゃん」と鼻声で訴えてきて、他の言い方を知らない雪弥は戸惑った。これまで、再会することを前提とした別れをした事がなかったからだ。


 さよなら、ではないのだとしたら、一体何と言えばいい?


 悩んでいると、突然ネクタイを引き寄せられた。びっくりして目を向けると、掴んで引き寄せた暁也が、鼻と目を赤くしたまま強くこう言ってきた。


「いいか、俺は絶対刑事になってみせる」


 暁也は俯くと、露わになりそうな感情を押し殺した。一度舌打ちすると仏頂面を装い、ぎろりと雪弥を睨みつけた。


「俺はこのまま引き下がらねぇからな。それに、友だちはどんなに離れたって友だちのまんまなんだッ、覚えとけ!」


 暁也は一方的にまくしたてると、雪弥のネクタイから乱暴に手を離して駆け出した。そのまま家へと駆けこんでしまった姿を目で追い、雪弥は呆けたまま「どういうこと?」と呟いた。


 そんな雪弥の袖を、修一が引いて泣き顔に笑みを浮かべた。


「お前と一緒に学校生活送れないのは残念だけど、俺らいつまでも友だちだから。だからさ、サヨナラじゃなくて……へへ、こういうときは『またな』って言うんだぜ」


 修一は鼻をすすった。


 そういうものなのか、と考え込む雪弥は理解し難いといった表情だった。問うようにベンツを振ると、窓を開けてこちらを見つめるナンバー1が「泣かせるなよ」と目で伝えてくる。


 雪弥は修一へと向き直ると、慣れない言葉をどうにか口にした。


「そうか。うん……じゃあ、またね」


 根拠もない言葉だった。それでも、もう二度と会うこともないであろう修一が、その言葉を望んでいるのなら言うべきだと雪弥は思った。


 それで納得してくれるのなら、嘘でもいいから「さよなら」とは言わずに「またね」と告げる。とはいえ、二つの言葉の違いが感情的に理解出来なかったから、雪弥はぎこちない微笑み以外の表情を浮かべられなかった。


 この五日間で、すっかり見慣れた修一の八重歯が覗いた。へへへ、と嬉しそうに笑って彼が頷く。


「おう、またな」


 修一がそう答えた直後、金島家の玄関が乱暴に開いた。目と鼻を赤くさせた暁也が顔を覗かせ、大きく手を振り上げた。


「またな! 雪弥!」


 その声色は、すっかり泣き声だった。それでも、力強くてまっすぐだ。


 雪弥は暁也を見据えると、弱々しく手を振り返した。


「うん、またね、暁也」


 そう答えたあと、雪弥は一同に見送られながら、ナンバー1が待つベンツに乗り込んだ。


             ※※※


 すっかり明るくなった朝の空の下、雪弥とナンバー1を乗せた高級車は滑るように走り出した。少年たちは車が見えなくなるまで大きく手を振り続けると、最後は大声を上げて泣き出した。


 自分たちが決して口にしなかった「さよなら」の言葉が、現実の重みとなって深く胸を突き刺したのだ。


 金島は初めて見る息子の姿にびっくりして、慌てて暁也を抱きとめた。胸に飛び込んで来た修一を、矢部が困ったような顔で受け止めて「よく頑張ったな」と優しく背中を叩く。



「それでは行きましょうか、矢部君。我々がやるべきことをしましょう」



 しばらくして、修一を毅梨が代わりに宥め始めた頃に尾崎がそう言った。踵を返す彼の後ろ姿は堂々としており、両足はゆっくりと地を踏みしめる。一見すると、左足が完全な義足であることも分からなかった。


 昔から追い続けた背中へと足を向け、矢部は寒さに堪えるように片方の手をポケットに入れた。外国製の煙草を一本口にくわえて、火をつける。


「そういえば、事務所で取り押さえられた藤村組の連中は、調べによっては社会復帰させる奴もあるかもしれないらしいですね」


 尾崎に話し掛ける矢部の囁き声が、吹き抜けた朝の風の中にかき消えていった。

いずれ第二部も書きます。よろしくお願いします!

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