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最強エージェントは休みが欲しい【第3部/現代の魔術師編(完)】  作者: 百門一新
第1部 学園ミッション編~エージェント4~
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第4話 一章 与えられた新たな任務

「え、ちょっと待って。――それどういう事ですか?」


 高級感溢れる最上階の一室で、その話を聞いた雪弥は、黒革のソファから思わず立ち上がった。


 彼が目を向ける書斎の大椅子には、大柄な男がふんぞり返るように座っていた。顔に刻まれた深い皺と傷痕を一つも動かさずに、口をへの字に引き結んだまま雪弥を見つめる。


 柄の入った紫カラーのネクタイに、西洋の一着百万円を越えるスーツを身にまとった恰幅の良い男だった。セットされた白髪交じりの剛毛の下には、小麦色に焼けた凶悪面の大顔がある。


 紺紫のスーツから覗く褐色の肌には白い傷跡が浮かび、幹のようにどっしりと机に置かれた指にはいかつい宝石の指輪が三つ、書斎机に肘を置いて頬を乗せている手には四つ並んでいた。


 彼はナンバー1の名を持つ、国家特殊機動部隊総本部のトップである。


 彼が放つ威圧感の前には、内閣総理大臣ですら委縮した。中年独特の肉付きは太い骨格と筋肉を浮き立たせ、オーダーメイドのスーツ越しにはっきりとそれを見せている。


 その身体は日本人の中でも群を抜くほど高く、広い肩に根を降ろす太い首も、贅肉より鍛え上げられた筋肉が目立っていた。しかし、日本で最も恐れられる人物の気迫は、雪弥には全く効果がないようだった。


 雪弥は自分よりもはるかに大きな男に歩み寄り、手に持っていた書類を上司の書斎机に滑らせた。ナンバー1は眉間の皺を深め、しばらくした後、引き結ばれた薄い唇を重そうに持ち上げる。


「今話した通りだ。変更はない」


 怪訝そうな含みを持った重低音の声が、静まり返った室内に響き渡った。返ってきた返答に、雪弥は面白くなさそうな顔をして腕を組んだ。


「変更はないって言いますけどね、これは無理があるでしょう。この現場、高校ですよ? 絶対無理ですってば。僕じゃあすぐにバレますよ。まだ数字をもらっていない十代の研修生がいたでしょ、予算を割いて英才教育を施している若い奴がたくさん。内容も全然簡単そうですし、そいつらに回してください」


 雪弥はそう言って、不服そうに片眉を持ち上げた。


 ナンバー1にそんな口がきけるのは、一桁エージェントでも雪弥だけである。バイトとしてサポート作業に入った頃からその関係は変わっておらず、雪弥がナンバー4の地位に就いてからは、上下関係の規律に煩い声も上がらなくなっていた。


「あのね、僕にずっと休みがないのは知ってます? 簡単なの寄こすくらいなら、休みを下さいよ」

「まぁ休みだと思って、現場では事が動くまではくつろいでくれて構わないぞ」


 彼は重々しい声でそう告げると、ボリュームのある革椅子に背を預けて太い葉巻を手に取った。手元に置いてあったシガーライターで慣れたように火をつると、葉巻を口にして二、三度煙を吹かせ「しかしだな」と続け、鋭い眼光を雪弥に戻す。


「現場が学校とあって、我々もうかつには動けん。内部にどのくらいの共犯者が紛れ込んでいるのかも分かっていない。早急に情報が欲しいのは山々だが、相手に嗅ぎつけられて騒ぎになると非常に困る、それは分かるな?」

「危険分子の一つも逃さず仕事を完遂させなければいけないけど、騒ぎになれば情報操作は完璧に出来なくなるし、学校の知名度やこれからの経営にも響くってんでしょ?」


 分かってますよ、と雪弥は唇を尖らせた。ナンバー1が「その通りだ」と述べながら、含みのある笑みを浮かべて葉巻を口に咥える。


 彼の口から豪快に吐き出された煙を怪訝そうに眺め、肺に入れもしないのに何が楽しいんだろうな、と喫煙習慣のない雪弥はそう思いながら、机から書類を取り上げて煙を散らせるような仕草をした。「仕事の書類を団扇(うちわ)にするんじゃない」といった上司の言葉も聞かず、その書類を自分の前に持ってきて再び目を通す。


「言いたい事は分かりますがね、これくらいの内容だったら、僕が動くまでもないじゃないですか。力試しとか経験を積むためだとか理由をつけて、若いのにさせたらいいんだ」


 雪弥がそう言った時、後ろで小さな笑い声が上がった。


 そこにはナンバー1専属の美しい女性秘書がいて、湯気が立つ珈琲を持ってやってくるのが見えた。女エージェントの中で最も優秀だといわれる彼女は、その腕を買われてナンバー十八の地位にあった。帰国してからは現場には入らず、常にナンバー1の秘書として活動している。


 日本人離れの妖艶な美貌に、整った身体のラインを強調するミニスカートスーツの赤が映える。一見すると歳は三十代半ばだが、実際年齢を知っているのは上司であるナンバー1だけだ。


 艶のある黒い長髪を後ろで一つにまとめ、赤いスーツから大胆に覗く素肌は真珠のように滑らかで白い。大きく開いた胸元からは、裕福な胸の谷間が覗き、優雅に床を踏み進む長い両足は、しっかりと筋肉がついているにも関わらずしなやかである。


 ナンバー十八は、秘書に就く前は海外勤務が多かった。潜入捜査を得意とし、最も多くの偽名を持っているエージェントとして有名だった。ずば抜けた記憶力で何十人もの人間になりすまし、ナンバー1の秘書に落ち着いてからは「リザ」という名を使っている。


 リザは雪弥の横を通り過ぎると、ナンバー1の前に珈琲カップを置いた。その少しの動作も、指先までの上品さを物語る。しなやかに伸びた肢体に目を奪われない男はいなかったが、対する雪弥は特に変わらずといった様子だった。彼は一人の男として女性を見た事がなく、それに関する興味も感心も持ってはいなかったからだ。


 ナンバー1はリザに目を向ける事もなく、真っ直ぐ雪弥を捕えていた。


「なんですか」


 ぶっきらぼうに言葉を発した雪弥に、彼は考え事をするように沈黙を置く。


 置机に乗せていた手を肘掛けに移動し、ナンバー1は探るような瞳で雪弥を見つめながら、二度ほど葉巻を口にした。



「高校生に戻れるんだ。嬉しいだろう?」



 長い沈黙の後、ナンバー1が恐ろしいほどの真顔で、まるで「そうじゃないのか」と確信を持って断言するようなニュアンスでそう発言した。その目は真剣そのもので、口には葉巻を咥えたままである。


 瞬間、雪弥は思わず身を乗り出して反論した。


「んなわけないでしょう!」


 馬鹿かあんたは、とあきらかに告げるような顔で「どこでどうその結論に至ったんですかッ」と言う。ナンバー1は疑問系に鼻を鳴らし、葉巻の先をくゆらしながら顔を顰めた。


「高校を中退したとき、残念がっていただろうが」

「ええ。ええ、確かに! でも、その後アメリカで飛び級して博士号も取らせてもらったじゃないですか! あれだけで満足ですよ!」

「アメリカのエージェントたちが、あなたを手放すのをとても惜しがっていたほどでしたわね」

「え、あの、まぁ……そうでしたね」


 突然リザが口を挟んできたので、雪弥は戦意喪失したように戸惑いがちに声量を落とした。


 英語を母国語のように話す雪弥を、アメリカのエージェントたちは「ナンバー4」と親しげに呼んで接した。アメリカは日本の特殊機関と同じく防弾タイプのスーツだったが、日本とは違う黒の光沢生地が雪弥には慣れなかった。日本のように希望者だけが着たり、通常のスーツを改良してその機能を編み込む技術が、向こうにはなかったのだ。


 雪弥はそれを思い出したところで、ふと怪訝そうな表情を浮かべて思考を中断した。溜息を一つく彼の向かいに座っていた上司が、優秀な秘書の働きにどこか満足げな雰囲気を漂わせている。


「リザさんを使って、話しをそらさせないでくださいよ」

「そらした覚えはないぞ。リザが勝手に喋っただけだ」


 ナンバー1は何食わぬ顔で答え、口から煙を吐き出した。


 一般人よりも口が大きなせいか、そこからそのまま吐き出される煙の量は半端ではない。雪弥はたまらず、手に持った書類でその煙を払った。それを、少し可笑しそうにリザが見つめている。


「とにかく、僕に高校生役なんて不可能ですからね。話についていけないどころか、それ以前の問題で怪しまれます」

「あら、それは大丈夫なはずですよ、ナンバー4」

「……リザさん、どこからそんな自信が出てくるんですか?」


 吐息交じりに言う雪弥の言葉も聞こえていないように、リザは涼しい顔で彼が持っている書類をそっと手に取った。


「この前連絡があった、進学校で覚せい剤が出回っている件ですね」

「少し気になる所があってな。うちが担当する事にした。関わっている数は不明だが、学生を含めた全ての関係者を摘発して一掃する」


 ナンバー1は葉巻を咥えたまま、苦々しげに顔を歪めた。その様子を見て「何かあるんですね?」と確認した雪弥に低く肯き、口から葉巻を離して煙を吐き出す。


「最近、東京で妙な事件が多発しているのを知っているか。筋肉や骨格がいびつに発達した死体が出ている。死因は薬物によるものだが、どうもこれまでの物とは違っているらしい」


 そんな事件あったかな、と雪弥は覚えがない事を表情で伝えた。それを見て取ったナンバー1が、話の続きを語った。


「麻薬常用者を取り締まろうとした県警が、やむなく発砲したという件がここ一カ月で四件あった。薬をやっている人間は精神不安定に陥るが、彼らが遭遇した輩は異常だったらしい。突然禁断症状が出たように薬を呑み干し、発狂したように暴れまわって大騒ぎになったようだ」

「新しいタイプの物って事ですか?」


 雪弥は彼が気にしているらしい点を推測して、ついそう尋ねた。


「恐らくそうだろう。麻薬、大麻、覚せい剤の検挙数も右肩上がりで、合成麻薬も出回っているからどれだという特定はまだだ。ただ、私としては、今年に入ってから新しい薬物を試験的にいくつか作り出して試しているような感じがする。例の使用者の状況を見たうちの研究員が、それぞれ突起した荒や欠点がある事に気付いてな。恐らく、うちに回って来た異例の検挙者は、同じ犯罪組織が絡んでいる」


 ナンバー1は、そこで一呼吸置いてから話を再開した。


「今年の一月に見つかった集団使用者は、自我がほとんどなく、不気味なほど素直に取締捜査官に従っている。廃材置き場に老若男女十二人が座り込んでいるのを、巡回していた警察官が見つけた。痩せ細って廃人同然であるにも関わらず、指示する言葉だけが理解できたらしい」


 次に、と彼は指を立てて説明を続ける。


「二月から三月にかけては、運動能力が上がり依存性が少ないものが出回っていた。使用前と比べると、体格が全体的に大きくなっているのが特徴だ。中には十四歳の少年もいたが、写真を見ても三十代の大男にしか見えなかったな。……それがぷっつり切れると、今度は音や匂いに敏感で、脅迫障害が強く出た使用者が続出した。これが四月の話だ」


 雪弥は頭の中で順序立てながら、大人しく話を聞いていた。


 これだけ特徴や個性が出ている薬物が、約一月ごとに入れ替わって発生しているとなると、確かに彼が『どこかの組織が試験的に作り出している』という線は否めない気もする。


「薬物による五月の上旬までで逮捕したその四十八人と、それまで同時期に同じ症状が見られた人間の共通点は、東京在住ではない事だ。出身県はバラバラだが、捕まった場所はすべて東京都内。もう一つ共通している事は、誰も薬物を始めたきっかけを覚えていないばかりか、自分がどこから来たのかも分かっていない点だ」


 まるで人体実験もいいところだ、とナンバー1は吐き捨てて続けた。


「意図的に連れて来られて試験的に薬物を投与され、専門家でも難しいほど精密に記憶を弄られている、という二つの可能性が同時に出ている。警視庁にうちが介入して捜査が進んでいたが、いくつかの事件がそれと結びついて大きな事件に変わった。今、私の指示のもと本格的に動き出している。発砲事件のあと、うちのエージェントが似たような薬物常用者と遭遇したが、抑え込むのに一苦労だったそうだ。女だったそうだが痛みへの反応もなく、男三人を吹き飛ばすほどだった、と」


 彼は言葉を切って、短くなった葉巻を灰皿に置いた。雪弥が勘ぐった事に気付き、そうだといわんばかりに肯いてナンバー1は口を開く。


「荒が出過ぎた事に、首謀者たちも気付いているんだろう。うちのエージェントが取り押さえてから、またそういった逮捕者がぷっつりと出なくなった。都内で麻薬を卸していた業者の情報を入手して、少しでも手掛かりをと思って突入したが、どうやらそこが当たりだったようでな、全員口封じのために殺されていた。検挙した例の使用者たちの持っていた合成薬物を調べたが、共通していたのは、前半期で作られた物にはヘロインが混入されていたという事だけだな」


 つまりそれ以上の詳しいところは分かっておらず、捜査も半ば歩みが遅くなってしまっているのが現状だ。口封じに業者が殺された他にも、少ない手掛かりや証拠をみすみす消れてしまったせいだ。


「どういう風にその薬を完成させたいのかは知らんが、これ以上大きな事になる前に一掃したい。国外から仕入れている事から、新たに卸す場所を探すだろうと推測していた矢先に入ってきた情報が、この学校だった」


 それを聞いて、雪弥は「待って下さい」と口を挟んだ。


「ここって四国じゃないですか。麻薬は全国各地にいろいろと出回っているし、ここと繋がっているなんて考えるのは早急すぎますよ。それに、卸すとなると量も大きくなるし、それにヘロインって一番取り締まりが厳しい――」


 すると、ナンバー1がその台詞を遮るようにこう続けた。

 

「東京の事件に関わっている中国の密輸業者が、この四国にルートを変更している事は調べがついている。警視庁とうちでマークしている今回の首謀者だと思われる大手金融会社から、この学園の関係者と何度か接触があった事も確認が取れた。教育機関を頭に入れていなかったからな、やられたと思ったのは私だけではあるまい。尾崎(おざき)から連絡が来なかったらと思うと、ぞっとする」


 リザに書類を返されていた雪弥は、その印字された中に、ナンバー1が上げた聞き慣れぬ名を見つけて硬直した。「あれ?」とぎこちなく唇の端を引き攣らせて、数回その書類を見返す。


「…………あの、あなたの知り合いらしい尾崎って人、この学校の理事長の名前とかぶっているんですけど、これとは別人ですよね?」

「いいや、同一人物だ。元同僚で、片足をやられてから転職した男だ」


 なるほど、とやや呆れ気味に雪弥は呟いた。


 ナンバー1は、特に気にせず話を続ける。


「元々、奴は教育に熱心なエージェントだった。退職する際、出身だった高知県帆堀町(ほとほりちょう)のはずれにある広大な土地を買って学校を建てた。海が近くにある荒ら地だったが、奴のおかげでずいぶん周辺は綺麗になってな。地域発展に貢献して大学まで建てた」


 遠くを見つめるような目で語った後、ナンバー1は柔らかかった声色を尖らせて「連絡があったのは最近だったが」と話を戻すように言った。


「奴はうちからの年金で、発展途上国に新たに学校を建てて教師もやっている。今年の二月に出発して、一昨日帰ってきたらしい。久しぶりに連絡を受けたと思ったら、妙な事になっていると相談があった。学園敷地内に、大量のヘロインが持ち込まれている、とな」


 ナンバー1が言葉を切ると、タイミングを見計らったようにリザが動いた。


 机の上に並べられたのは、衛星から映された画像と学校敷地内の見取り図だった。二つの正門が設けられた、高等部校舎と大学校舎が同じ敷地内にある学校だ。


 南東に正門を置いた高等学校、北西に正門を置いた大学校舎があり、双方を分け隔てるように細長い庭園が設けられていた。高等学校に対して大学校舎は広く、途中から庭園を遮るように伸びている一階部分は大学職員室となっている。


 高等学校は正門から運動場が広がり、北側に体育館とテニスコート、南側に職員車両用出入り口が設けられた駐車場があった。そこから大学校舎に突き進む事は出来ず、間に庭園を置いた先に大学側が同じような駐車場を設けているが、広さはその倍以上はある。


 北西に門を構えた大学校舎には、平坦なコンクリートの駐車場が校舎前から西側に向けて続いていた。高等学校二つ分の厚みがある校舎を置き、北側にあけたスペースに体育館と二つのテニスコートに加え、小さな広場を持った憩いの場を設けてある。


 渡り廊下のように張り付いた大学校舎の職員室と管理室の横から、北東に伸びる高等学校校舎がそこからは見える。学校敷地内を取り囲む塀にぴったりと張り付いているので、そこから高等部側へ入る事は出来ない。


「理事であり、今は高等学校の校長を務める尾崎の不在の間に、誰かが大量のヘロインを持ち込んだ。大学生の中に使用者が出始めているようだが、それはどうやら覚せい剤らしい。吸引、注射の形跡がない事から口内摂取だろう。持ちこまれているのはヘロインであるにも関わらず、出回っているのが覚せい剤だというのも気になる」


 ヘロインは、アヘンから作られる麻薬の中で「薬物の女王」と呼ばれるほど強力な薬物である。強烈な快楽と禁断症状があり依存性も強い。確実に身体をぼろぼろにするヘロインは世界でも厳重に取り締まられている代物だが、薬物の愛好家たちの人気は絶えない。


 今年に入って中国で使用者、検挙者ともに急増したというニュースが放送されたのは最近の事である。


 価格も薬物の中では一番高価で、特に東アジアのものは純粋で値が高く、国外のマフィア、国内の暴力団組織の資金源とされている。薬物中毒を表す言葉に「ジャンキー」というものがあるが、これは本来ヘロイン中毒を指すものである。


「うちがマークしている東京の金融会社があるが、これから接触がありそうな気配がある。ヘロインは仕入れられたあと、合成麻薬として改良されると推測している」


 ナンバー1は断言したが、その表情は神妙だった。


 本来ヘロインなどの麻薬は、興奮を抑制するダウナー系に分類されている。覚せい剤はアッパー系と呼ばれ強い興奮作用がある薬物だ。覚せい剤は麻薬とは別ルートで入って来るといわれており、それが同時に同じ場所にある事には疑念が募る。


 机に置かれた学園見取り図には、赤い印が付けられた倉庫があった。両校舎の駐車場の間に挟まれた、細い庭園の南西側だ。


「ここに、大量のヘロインがあるっていうんですか?」


 見取り図を眺めながら、雪弥は疑う口ぶりだった。ナンバー1は一つ肯き、新しい葉巻を取り出す。


「大学にも高等学校にも、保管庫の役目をした地下倉庫がある。とはいえ、その印がついた場所は改増築前の旧地下倉庫らしくてな。使わなくなった古い道具や資料を少し置いているばかりで、今ではほとんど開けられる事もなく利用されていない。出入りするほどの用もないとの事で、その上に別の倉庫を置いていたようだ」


 その簡易倉庫の床部分に、旧地下倉庫に入るための出入り口が収納されているが、現在通っている学生でそれを把握している者はいない。そのため、その上にも道具が積まれているらしい。


「尾崎は、赤外線フィルター内臓の透視機器を眼鏡に仕込んでいる。それで麻薬を確認したらしい」

「ずいぶん物騒な理事長ですね」

「ヘロインはまだ異物混入のされていない純白純正で、国内でそれだけの量が一か所に保管されているのも初めての事だ。自分の領地の異変に気付いて痕跡を辿った先を見て、尾崎はさぞかし驚いただろうな。理事の立場としてどうしたらいいのか分からないと、あいつらしかぬ困った声色だった。私も、それを聞いて驚いた側だが」


 雪弥の言葉を無視して、ナンバー1はシガーライターで葉巻に火をつけ、つらつらと話しを続ける。


「あれだけのヘロインを持ち込めるとなると、東京の犯罪組織とは他にも、別の大きなグループがいそうだ。現在中国で大量のヘロインが広まっている事もあり、国外からの密輸業者は中国経由だと見て間違いない」


 とはいえ、――と彼はそこで葉巻の煙を口の中に転がし、それを吐き出してからしばし思案してこう言った。


「小さい組織には、やはりそのような手配も用意もまず出来ん。裏にどんなグループが付いているのかは未知数だが、いまのところ、東京の奴らがうまい事その組織をそそのかして手引きしていると推測される。東京で起こっている例の薬物事件と繋がっている可能性が高いせいで、尾崎の要望に早急に対処する事も出来ん状況だ」


 ナンバー1は、そこで射抜くような眼孔を雪弥へと向けた。


「東京の方では私が直々に動いているが、その学園に潜入し、情報収集を行いながら動いてくれるエージェントが欲しい。今回はいろいろと腑に落ちない点が多すぎてな、早急に事件の全容を把握したいのだ。そして、大本を叩く時そこも一掃する。国に害がある危険性が浮き彫りになった場合は、違法薬物といえど、うちのやり方で全て消すつもりだ。とにかく、情報が欲しい」


 威厳ある重々しい決定指示の後、室内に沈黙が降りた。


 リザが近くで静かに控える中、雪弥は、しばし彼の目を見つめ返していた。彼は緊張するわけでもなく、思案するような間を置いて口を開く。


「なるほどね、理事や校長としてその尾崎さんという人は動けない。いや、これからも尾崎理事、尾崎校長として居続けるためにも動いちゃいけないわけですね。それで、手っとり早くあなたに依頼を投げたわけですか」


 言って、雪弥は溜息をついた。


 その向かいでは椅子に身を沈めたナンバー1が、平然と葉巻の煙をくゆらせている。東京で大きな事件に携わっているとは思えないほど、彼はいつもと変わらぬ様子に戻っていた。


「うん、あなたが言いたい事はよく分かりますよ。でも、これくらい他のエージェントにだって出来ます。僕がやる必要性を全く感じない。というか、僕には出来ませんよ。はっきり言って無理です、高校生なんて。学生時代から生徒っぽくないって嫌われていたのに、大人になって潜入するとか、更に無理があります」


 すると、ナンバー1が葉巻の紫煙を眺めながら、なんでもないようにこう言った。


「自分より頭が良い生徒を、好きになれる教師は少ないだろう。エージェントも同じようなものだ。しかし、我々はその嫉妬と嫌悪感を力で抑えつければいいだけの話だがな」

「恐怖政治のようですよね、まったく……」


 雪弥がぎこちなく視線をそらすと、ナンバー1は腹に響くような声で笑って、ニヤリと凶暴に細めた目で彼を見た。


「最初は批判の意見が殺到したお前でも、すぐにナンバー4としてなじんだだろう」

「初めて顔を合わせる人とは、何度もそれを繰り返しましたけどね……しかも、年々出回っている噂に変な箔がついているみたいで、なじんできてからはよそよそしくされるし」


 雪弥は遠い目をした。他のエージェントたちと一緒に仕事をしない事が多く、ほとんど単独行動任務なだけに、いざ下のエージェントたちの指揮を任されると決まって二つのパターンに別れた。


 まるで雪弥の背後にナンバー1が立っているかのような、よそよそしい態度を取る方がほとんどだ。残りの少数は「本当にあなたがナンバー4ですか」と疑うような眼差しを向け、しばらくは雪弥がエージェントである事すら信じない。前者よりも性質が悪いのは、雪弥本人が主張してもなかなか受け入れてもらえない所にある。


 ぎしっと椅子が軋む音がして、雪弥はナンバー1へ視線を戻した。


 彼の上司はリザが控える側で、肉食獣のような気迫を漂わせた眼孔を細め、くわえた葉巻を今にも噛み潰さん顔をしていた。


「東京でマークしている例の金融会社に、うちのエージェントが潜入している。近々、そいつらとその学園で大きな取引があるという情報だけは掴んだ。お前はこの学園に潜入し、私の指示があるまで情報をかき集めろ。私は早急に事の全容を調べる。情報課に書類があるから、目を通しておけ」

「……はいはい」


 自分に拒否権がないと知って、雪弥は降参のポーズを取って諦め気味に答えた。


 複数で潜入すると怪しまれるので、どうしても単独による行動がこの仕事には最適だった。他の上位ナンバーでは歳が上過ぎるので、ナンバー1の指示を受けて迅速に現場の指揮に回れる雪弥が適任である。


 渋々リザから残りの書類を受け取った雪弥に、ナンバー1が葉巻を口から離しながら言った。


「尾崎と話して、入学手続きはもう済ませてある。今回高等部に入れるのは、まだ覚せい剤が出回っていないらしいという尾崎からの意見もあって、歯止めのためにも捜査員を配置する事にした。高校側にも少なからず協力者がいて、使用者もいるだろうとは推測されるが――尾崎としては、高校生という事も胸が痛いのだろうな。これ以上覚せい剤などが出回らないように見て欲しい、という気持ちも感じた」


 教育者としてある尾崎の事を思うように、ナンバー1が声色をやや和らげる。


「現場にお前を知る人間はいないが、念には念を入れて電車などの交通機関を使え。制服と必要なものは後で全て送らせる。新しく発行しておいた偽造身分の確認も怠るなよ。お前の希望通り名は雪弥のままにしてあるが、名字だけは違うからな」

「……はぁ、了解。この仕事終わったら、ちゃんと休みをくださいよ」


 唇を尖らせて言い、溜息とともに歩き出した雪弥の背中を、ナンバー1とリザが無言で見送った。



 成人男性にしては、やはりどこか幼さの残る背中だ。一見すると平均的な厚みがあるような体躯が中世的に見えてしまうのは、見た目よりも華奢で細いせいだろう。その後ろ姿には、彼が国家特殊機動部隊総本部一の殺人鬼である面影はない。


 出会ってから今年で八年目になる。ナンバー1とリザは、数年前から時を止めてしまったような青年を見つめていた。



 静かにオフィスを出ていった雪弥を見届けたあと、しばらく二人の視線は閉ざされた扉から動かなかった。

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