第44話 八章 学園を囲った檻~藤村×富川×尾賀×李~
強力な磁気を誘発させる動力線が、白鴎学園を取り囲むように敷かれたのは午後十一時直前のことであった。
四方六メートル間隔で設置された一メートルの柱は、電力稼働によって磁気固定すると五メートルまで芯中を伸び上がらせた。黒真珠のように滑らかな側面を持った柱から強固な有刺鉄線が飛び出して張り巡らされ、学園一帯の電力がそこに集ったのが二十三時ちょうどのことだ。
特殊機関が持つ「鉄壁の檻」は対生物用兵器であり、重要なのは本体の強度ではなく、像一頭を感電死させる放電力だった。外に出ようとする生物の足止めをするためだけに作られた檻である。七年前、ある上位ランクエージェントが暴走し、止めに入った部隊を殺戮した事件を受けてから造られた。
鉄壁の檻によって囲まれた午後十一時、白鴎学園中庭では、倉庫地下からヘロインが台車一つ分運び出されたところだった。
突如現れた黒い柱と有刺鉄線に、驚いた藤村が銃弾を叩きこんだが、それは鉄壁の檻に触れることもなく焼け落ちた。一筋の電流が視覚化され、倉庫前にいた富川、尾賀、藤村は五メートルの電気檻であること気付いた。
「一体どうなってやがる!」
藤村組のリーダー、藤村が銃を所持したまま怒鳴り散らした。睨まれた富川学長は「分からん」と顔の皺を濃くして狼狽する。
ヘロインを運び出す作業を続けていた三人の男は、肉体強化と精神コントロールをされた尾賀の部下だ。異常事態に反応すらない三人をちらりと見やることもせず、尾賀は短い足を左右に素早く動かせて、富川と藤村に歩み寄った。
「これは何とも嫌な物だね。藤村君は何か知っているかね」
「いえ……」
藤村は、腰を曲げるようにして小さな尾賀を覗きこんだ。長身大柄の藤村に対して、尾賀が小さすぎるためである。尾賀は黒いローブ――というより特注のポンチョをはおった身体から両手足をちょこんと出し、小さな顔は鼠にそっくりだった。声もきいきいと甲高く耳障りで、藤村はうんざりした顔に顰め面を作っていた。
尾賀は小さな吊り上がった瞳を細め、「ふむ」と顎に手をやった。「どこかで見たことがあるね」と独り言をして、目の高さにある藤村のベルトを見つめる。
「李を呼びたまえ」
尾賀はふと、ヘロインを運び出している男にそう指示した。李は運び込んだヘロインの個数をチエックするため、先程倉庫地下に入っていたので、ここにはいなかったのだ。
命令を受けた部下が、その巨体でのそりと倉庫地下に向かうことも確認しないまま、尾賀は辺りを見回して更に目を細めた。侵入者の気配を空気から察しようとするかのように集中し、鼻に皺を寄せる様子は、まさに鼠である。
「人の気配はまるでないね。一匹か、二匹か……多くても三人くらいだろうとは思うけどれどね」
尾賀は今回、十五人の部下を連れていた。大学校舎駐車場に頭を突っ込むトラックに顔を向け、待機させていた残りの十二人に顎で合図を出す。
はち切れんばかりに分厚い筋肉に覆われた男たちが、従順にトラックの荷台から降りてくるのを見て、富川は眉を潜めた。
「全員、ですか」
「今回は私のだけでなく、李の人員も使わせてもらうね。私の予感が当たっていれば、これはプロの殺し屋に違いないね。ここまでデカイ設備は見たことないがね、ロシアであったウルフマンなんとか、だったか――まぁ噂で聞いたところによると、たった数人の殺し屋が標的を殲滅させるために電気の檻が使われた、とかで持ちきりだったね」
「おいおい、殺し屋かよ」
藤村が口を尖らせると、尾賀が小馬鹿にしたような顔を上げた。彼は「いいかね、藤村君」と鼻を鳴らしてこう続ける。
「私と李の部下は、君の部下より使えるね。特に李の部下は、よく出来た作りをされているね」
あの化け物じみた野郎共か、と藤村は内心吐き捨てた。
今まで倉庫にヘロインを運んでいた李の部下たちは、二メートルの長身に膨らんだ上半身を持った猫背の白衣姿の男たちだった。広い肩と面積のある胸部に対して腰回りがひどく細く、棒きれのような長い手足で二十キロのヘロインを軽々と運んだ。
全員頭髪はなく青白い。身体の至る所にメスで切られたような傷跡が残り、本来目がついている場所には、暗視カメラが直に埋め込まれている。
いい儲け話だが、本当に気味が悪いぜ。まぁ、味方なら心強いんだけどよ。
藤村は体勢を戻すと、銃を握り直した。話し続ける尾賀に背中を向け、白鴎学園の塀を飛び越えてそびえ立つ、重々しい亜鉛色の有刺鉄線を見上げる。
「軍や警察が動いているのなら気配で分かるね、だから見事に気配がない今回は、プロの殺し屋に違いないね。ま、殺し屋であればうちで隠ぺい出来る。私が取引きしているお方も中々有名人だからね、こんなことはしょっちゅうある」
そのときはいつも私の部下が役に立つね、と尾賀は相変わらず独特の東洋鉛が入ったような口調で言い、飛び出た歯を唇に乗せたまま笑んだ。
富川は安堵し、いつものように後ろに両手を回して面持ちを緩めた。殺し屋という言葉で動揺した心は、今日口座に振り込まれる大金への喜びに戻っていた。こいつらが勝手に動いて私に大金を運んでくれる、とポーカーフェイスで構える。
有刺鉄線をざっと見回した藤村が、倉庫から取り出されるヘロインを値踏みするように眺めた。その背中へ目を向けながら、尾賀が囁くように富川を呼んだ。内緒話を感じ取った富川は、そろりと自身の耳を尾賀へと傾ける。
「ネズミの駆除は私と李の部下がやるね。今回殺し屋を呼んだ奴は、とある方に頼んで見付けて頂き、後日キレイに処分してもらうから平気ね。君とは長いビジネスになりそうだから、この学園の理事とやらもついでに始末してやるね。何、心配は要らないね。私の後ろについているお方なら、君を理事の地位につけるぐらい容易い。その方が、もっと良い取引きが出来そうじゃないかね?」
数秒遅れて、富川は「ありがとうございます」とひょこひょこ頭を下げた。怪訝そうに振り返った藤村に背筋を伸ばし、「尾賀さんと李さんがやってくれるから、心配いらんよ」とわざとらしく偉そうな口ぶりで話す。白鴎学園を手に入れるのも遅くはないと実感し、富川は内心笑いが止まらなかった。
藤村が「俺の仲間だって殺し屋ぐらい」と愚痴りだしたとき、「なんじゃい尾賀!」と雷が落ちるような強い叫びが上がった。
そこにいたのは、尾賀と同じぐらい小さな背丈をした老人だった。小麦色の肌を真っ赤に染め上げて、荒々しく歩いてくる。
彼は、今回中国からヘロインを運んできた自称科学者の李だった。いつも狭い肩を怒らせ、白衣に包まれた身体は、脂肪が詰まった腹を突き出している。顔や首、手先は皮膚が垂れて痩せ細った印象はあるが、衣服で隠れた背中も腕も太腿も丸い。
李は依頼通りの麻薬を配合できる闇の売人である。中国人だった亡き父を尊敬しており、顔も分からない母方の日本人名ではなく「李」を名乗っていた。母親の血筋が強いため、容姿も皮肉を叩く口調もまるで日本人にしか見えない。中国の血が強く出ている尾賀を、なんとなく嫌っている老人である
「お前のせいでこけたぞ! 埃まみれじゃわい!」
「短い足を滑らせただけじゃないかね」
「短足ブサイクのうえ似非中国人のお前に言われたかないわい!」
李が怒りをぶちまけている間に、藤村が「背中に埃がついてますね」と何食わぬ顔でそれを払い落した。李は悪くもなさそうにちらりと視線を滑らせ、ぶっきらぼうに「謝謝」と言ったあと、勢い良く富川と尾賀を振り返った。
李は下手に出る人間が嫌いではない。むしろ、人間は自分を一番に優遇するべきだという考えを抱いていた。それさえ知っていれば扱いやすい。
藤村は李の感謝の意もこもらない声に「いいえ、別に」と上辺だけで答えた。べらべらとうんざりするほど長話をする尾賀より、李が幾分かマシだと思っていたのだ。
こっちはいつも働かされてんだから、話し相手はてめぇでやれよ富川。
藤村の視線の意味にも気付かず、富川は一方的に李の怒号を浴びせられた。
「ネズミがどうした! ヘロインの数量があってるかじゃと? そんな事どうでも良いことじゃわい! その侵入して邪魔しようとしている奴らというのは、わしの実験体共を横取りしようとしているんじゃないだろうな!」
「あの、李さん、落ち着いて下さ――」
「これで落ち着けるか馬鹿者が! あの人間どもは誰にもやらんぞ! あれはわしの物じゃ! 若く健康な実験体は滅多に手に入らんのじゃからな!」
口を挟んだ富川は、罰が悪いように口をすぼめた。尾賀が「やれやれだね」と呆れ返った様子で口を開く。
「だからこそ、そのネズミを早々に処分しておこうと思っているね。検体を横取りされる可能性も低くはないからね、君のためを思って、私も十二体の駒を出してるね」
李は、怪訝そうに皺を寄せて尾賀の部下へと目を向けた。二メートルの巨体に、細いサングラスを掛けた男たちは全員唇を強く引き結んでいる。特徴は大きな体格といかつい顔ばかりで、どれも似たり寄ったりの容姿であった。
「ふん、なるほどな」
李は尾賀のトラックの奥に聞こえるよう「一号!」と叫んだ。彼は今回の取引で、用心棒兼部下を乗せた自分の改造大型トラックを一台だけ持ってきていた。引き取る学生を詰める運搬用として、別に二台のトラックを約束通り尾賀が用意してくれていたものの、その大きさが少々不満で、先程は出会い頭に言い合いの喧嘩になっていた。
富川から実験体は三十六人だと聞いて、李はいつも以上に気が入り、今回は船に乗せていたすべての部下を引き連れての出動だった。忍者のような服の上から白衣をはおった、異様な容姿の部下たちである。
トラックの向こうから、李の部下の一人が跳躍するように素早くやってきた。男は大きく広がった胸部からの重さに耐えきれないように背を丸め、頭髪のない頭部に張り付いた耳を李に寄せた。
李が中国語で短く囁くと、彼がだらしなく口を開いたまま頷く。長いガニ股の足をのそりと動かせたかと思うと、同じように跳躍を繰り返して、トラックの奥へと消えて行った。
「四肢は十分に弄ってある」
李が誇らしげに言った。藤村は「化け物かよ」と喉元に上がった言葉を押しとどめた。自分に害がないと自負している富川は「心強いですなぁ」と、他人事に傍観を決め込む。
「さぁ、わしの部下十五人すべてがネズミの駆除に回ったぞ! お前の部下は十二人! これでじゅうぶんじゃろう。ヘロインは残った三人の手駒で勝手に運び出しておけ、ヘロインの数量は確かに注文道りじゃ、わたしは先に実験体を見てくる!」
李は、そう尾賀にまくしたてたかと思うと、次に富川を振り返った。「さぁ、実験体共はどこにおる!」と喚く声に、富川は尾賀から離れる口実になると考えて笑みを浮かべた。しかし彼が「案内しますよ」というよりも先に、藤村がさっと李の前に進み出た。
「俺が案内しましょう」
ヘロインを運び出す間、お喋りな尾賀が黙っているはずがないと藤村は知っていた。一度会ったあと、電話でも散々うんざりさせられていたからだ。だから今日の取引では、尾賀の相手を富川に押し付けることを決めていた。取引の後まで、話に付き合わされるようで嫌だったからである。
ちっ、藤村め。
富川は嫌々ながらも、去っていく藤村と李を見送ると、尾賀に愛想笑いを浮かべた。彼は満足げな表情で、大学校舎へと入っていく李の後ろ姿を見据えている。
「腕はいいんだがね、あの短気な性格はどうにもならんね」
肉体を強化された三人の男たちによって運び出され続けている、純白のヘロインを眺めた。途中李の喚き声が遠くから小さく聞こえたが、本人がいないだけでもずいぶん静かだと二人は思った。
そういえば、常盤はどこにいるんだ。
富川は、尾賀に聞えないように口の中で呟いた。人殺しを仲間に迎えるといっていた常盤は、まだ校舎から出て来ていなかった。午後十一時までにはスカウトした人間を連れてくる、と聞かされていたが、それらしい人影がやってくる気配もない。
この瞬間を一番心待ちにしていた常盤の姿がないことに、富川は違和感を覚えた。
「ネズミを処分次第、他の部下にも運び出させるね」
尾賀のそんな言葉が聞こえたとき、もしかしたら、という富川の心配事は吹き飛んだ。普通の犯罪者よりも危険そうな部下がいれば、どんな取引も安泰だろうと構える。
富川は顎の辺りを手で撫でた。人質を任せている常盤は、考えてみれば数十分前に薬をやったばかりである。利口な常盤のことを考えると本部長の子に手を出していることは想像できず、スカウトした人間と、本部長の息子にくっついていた友人にちょっかいを出している可能性を思った。
「まぁ、大丈夫だろう」
それから富川は、尾賀の長い話に付き合うことになった。




