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最強エージェントは休みが欲しい【第3部/現代の魔術師編(完)】  作者: 百門一新
第1部 学園ミッション編~エージェント4~
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第40話 七章 作戦決行二十五分前、エージェント×金島一行

 マンション最上階の一室で、長い黒コートが月明かりに照らし出されていた。


 二丁の銃とナイフが隠された黒を身にまとう身体は、その細い線を浮き立たせている。ぴたりと止んだ風に、光に透き抜ける灰色が蒼い光を帯びながら、ふわりとその髪を落ち着かせた。


「金島本部長が所定の位置についたことを確認しました。すべての準備が完了です、ナンバー4」


 ベランダ前から外を眺めていた雪弥は、後ろの夜狐に「そう」と答えた。床に膝をついていた夜狐が、上司から放たれる沈黙を読みとったように顔を上げる。


「ナンバー4、何を考えられていらっしゃるので?」

「ん~……常盤の酔狂に付き合うかどうか、と考えてる」


 どうせ皆殺しだしなぁ、と冷ややかな声が夜風に舞った。


 碧眼の瞳の中で淡い光が揺れ、室内の空気が一瞬重々しい殺気に満たされる。見えない刃を四方から受けたように、夜狐の身体がわずかに強張った。


 そのとき、ベッドの上から乾いたバイブ音が上がった。そこには、まだ付けられていないストラップ人形の「白豆」もいて、ふっと途切れた緊迫感に夜狐が面越しに安堵の息を細くこぼした。


 対する雪弥は、渋々といった様子で自身の携帯電話を振り返りつつも、その表情に「迷惑だ」と露骨に浮かべた。使い慣れた携帯電話は、午後十時頃からベッドに放置されていて――


 あれから二十分、同じ人物からの着信が五件入っていた。


「……お取りにならないのですか?」

「いやいやいやいやいや、僕は兄さんの着信なんて気付かなかった。携帯電話がどこにあるのかさえもさっぱりで、僕は出られない状況だったわけで」


 一人虚しく言い訳を並べたが、夜狐の無反応を前に雪弥は項垂れた。携帯電話が震える音は長く続き、いっこうに止む気配がない。



 兄からの一回目の着信は突然だった。雪弥は一回目から、気付かない振りを決め込んだ。その呼び出し時間がひどく長くて、胃をギリギリと締めつけてくる。


 催促するように掛かってきた二回目の着信に、雪弥は「蒼緋蔵家の雪弥はもういません」と言い逃げしたい衝動に駆られた。それはさすがに子供じみた行動だろうと冷静になり、現在六回目の新たな着信バイブ音を聞いている。



「…………勘弁してよ」


 蒼緋蔵家と関わりを持たなくなってから、十九年が経っていた。生活費、養育費の金銭援助をもらわなくなってからは八年が過ぎた。


 その間、何度も脳裏に横切っていた考えは、父の戸籍から完全に離れることだった。特殊機関の力で認知の痕跡すら消し去り、蒼緋蔵家当主に愛人の息子がいた記述すら抹消する。そうすれば、兄・蒼慶も自分のことを放っておいてくれるのだろうか……


 大好きな父と、彼が愛する家族に迷惑をかけたくはない。なぜ蒼慶は分かってくれないんだと、雪弥は焦燥に似た苛立ちも感じる。兄として尊敬していて、父たちと同じくらい大切な家族だと想っているからだ。


 蒼慶は、雪弥の仕事が組織のものだと気付いている。そして、容姿も性格も毛色も違う雪弥が、愛人の子であることも十分に知っていた。


 蒼慶は次期当主という立場にいて、蒼緋蔵家の人間からは「よそ者を我が家に入れるということは」と何度も危惧すべき事態を聞かされていたはずであった。にもかかわらず、ここにきて唐突に自分をそばに置くと言いだしているらしい。


 そのことについて雪弥は一通り考えてみたが、やはり理解出来なかった。


「……やっぱり、兄さんの考えていること、よく分からないや」


 人間、完璧じゃないってこういう事をいうのかなぁ、と雪弥が呟いたとき、夜狐が耳にはめた無線マイクを聞いて立ち上がった。


「ナンバー4、今入った連絡なのですが」


 夜狐の声色は特に変わらなかったが、七年も共に過ごしていた雪弥は、そこに彼独特の緊迫感があることに気付いた。一瞬脳裏に嫌な予感を過ぎり、「おいおいまさか」と目で訴えた雪弥に対して、面をかぶった部下は冷静に頷いた。


「白鴎学園高等部、金島暁也と比嘉修一が拉致されました。二人を乗せた車は藤村組のもので、現在学園敷地内に向かっているそうです。車内に藤村、掛須、常盤の姿が確認されています」


 ベッドの上で震えていた着信音が、まるで空気を読んだかのように止んだ。


「いかがなさいますか」


 夜狐が問い掛け、指示を待つため沈黙した。


 どういった経緯があって二人が学園に連れ去られたのかは知らないが――、いや、そんな些細な事はどうでもいいのだ。保身のためか個人的な思惑があってか、まったく無関係な民間人を巻き込むほどエスカレートしているらしい貪欲さには呆れる。


 しばらくして、雪弥の口元に歪んだ笑みが浮かんだ。


「…………どうやら僕は、あの子の酔狂に付き合うことになりそうだね」


 黒いコートが、夜をまとって翻る。冷静を装った雪弥の表情は、抑えきれない殺気を孕んで見えない敵を軽蔑しているようにも見えた。珍しく個人的に思うところもあって怒っているらしい、と夜狐は小さく呟いて彼の後に続いた。


 特殊機関による作戦決行まで、二十五分を切っていた。


             ※※※


 雪弥が知らせを受けた同時刻、茉莉海市を南へと下った旧市街地。


 金島率いる県警察刑事部捜査一課の特別編成チームは、茉莉海署員を従えて藤村事務所を完全に包囲していた。先程事務所から出た車が戻り、リーダーの藤村を除いた全メンバーがその建物内にいるという状況だった。


 違法薬物取り締まりに乗り出していた茉莉海署組織犯罪対策課を含む捜査員たちは、高知市からやってきたと伝えられている藤村組に、警戒の色を隠せなかった。容疑者が銃を所有しているということもあり、突入に備える人員は防弾チョッキと銃を携帯し、現場待機している金島の号令を待っていた。


「……今回の事件の容疑者として片づけるってことは、ここに残ってるメンバーは殺されないですむってことっすよね?」


 藤村組事務所の様子を伺う澤部の隣で、内田が独り言のようにぼやいた。


 隣接する建物の裏手に、高知県警察に所属する七人が使用する車が二台停められていた。指示が来ればいつでも飛び出せるよう、事務所に車が入るのを確認したあと、金島らは車の影に身を潜めるようにそこで待機していたのだ。



 先程外で見張りに立っていた時、白鴎学園に集まった人間は全て抹殺処分する、との内容が一同に改めて伝えられていた。声を掛けられて初めて、自分たちの後ろに人間が立っていることに気付いたのだが、そこには白い面と伸縮性の真黒な服で身を包んだ、感情の起伏を感じない気配を漂わせた人間がいた。


 彼は、暗殺部隊の者だと金島らにいった。薄暗がりに浮かぶ白い子狐の面をかぶっていたのは、とても線の細い少年だった。自分の息子よりも背丈の低いエージェントに、金島は一瞬言葉が見つからなかった。


「総本部より、容疑者および関係者の抹殺処分が決定。これより学園で起こる作戦について、ナンバー4が終了を告げるまで警察の関与は認められない」


 声変わりをしていないのではないか、と思うほど澄んだアルトだった。「全員殺す気か!」と澤部は食いついたが、少年エージェントは静かに告げた。


「国家を脅かすテロと認定。ブルードリームの製造法、および取り扱う組織の一掃。取引の商品として使用される新型ブルードリームの摂取者は、鴨津原同様の発症を起こす可能性を視野に処分することが決定しています」


 ブルードリーム、レッドドリームについて教えられていた金島たちは、すぐに返す言葉が浮かばなかった。


 映像記録や写真付きの報告書を見せられた中で、ブルードリームを摂取していた大学生が、二人の人間を殺めたことは事実だった。鉄の塊で打たれたような死体は、二体とも顔の原型が残らないほどぐちゃぐちゃになっていた。まるで化け物のような死体映像が、里久という青年だったと聞かされても、一同はすぐ受け入れることが出来なかったほどだ。



「……助かるんだろ。んで、普通に刑罰を受けて刑務所にぶち込まれる」


 澤部は思い出すような口ぶりでそう言って、苦々しそうに煙草の煙を吐き出した。彼の横から顔を覗かせた毅梨が、強い光を放つ月を見上げて「眩しいな」と目を細める。


「まるで嘘みたいな、眩しい夜だ」

「鮮明な悪夢は、決して嘘になりえないんすよ、毅梨課長」


 珍しく曖昧なニュアンスで文学風な台詞を口にした上司に、けれど内田も珍しく空気を読んで便乗するかのように、そう言って唇を尖らせた。


 それを聞いた澤部が、二台目の車辺りで同じように夜空を仰いだ阿利宮たちの方へチラリと目を向け、それから煙草の煙と共に「悪夢は、悪い夢のまんまだ」と、煙を吐き出した。自分たちが柄にもなく、突入前にしんみりとした気分になっているというのも久しぶりだ。


 金島は腕を組んだまま、厳しい表情をそらせて一同に告げた。


「……ナンバーズ組織からは、学園敷地手前まで進む許可をもらっている。我々はこちらが終わり次第、すぐに白鴎学園へと向かう」


 関わったのなら最後まで。俺たちは、この事件の終わりまでを見届ける。


 金島が飲み込んだ言葉を、毅梨たちは知って何も尋ねなかった。すべての作戦事項をエージェントから聞かされたあと、金島に「ついて行く」と揃って答えていた。みんな同じ気持ちだった。


 そのとき、金島がぴくりと片眉を反応させた。阿利宮が顔を向けたのを筆頭に、一同も上司へと視線を滑らせる。


 金島は胸ポケットから、着信音を消していた携帯電話を取り出すなり、その顔を強張らせた。ゆっくりとそれを耳に当て、ややあって言葉を切り出す。


「……こちら金島、現在藤村組事務所近く」

『こんばんは、ミスター金島』


 凛、と空気が冷たく張り詰めた。


 静寂にもれた青年の声色に耳を立てた内田が、「例のナンバー4って奴ですか」と言い掛けたのを聞いて、澤部が「黙ってろ」と小突く。


『あなたの息子さんの暁也君と、その友人である修一君が白鴎学園に連れ去られました』


 金島は総毛立った。馬鹿な、妻が一階にいて茉莉海署の捜査員が玄関先にいたはずだぞ、と思い巡らせる。


 毅梨はどうなっているんだ、と告げるような顔で、比嘉修一を担当していた澤部をにじろりと睨みつけた。煙草を地面に落とした澤部が、声を潜めつつも「茉莉海署のなんとか岸って奴をちゃんと残しときましたよ! つか、そのガキの部屋三階だったし」と慌てて主張する声はやや大きい。

 

 その隣で「この無能」と罵った内田の表情は険しかった。普段から声を張り上げることも多い彼らの声は、電話の向こうにも届いていた。


『起こってしまったことは仕方ありません』


 咎める気配のない冷静な声を掛けられたが、金島は不安と怒りに震えていた。電話の相手の存在も構わずに「あの馬鹿ガキどもが!」と罵倒する。白鴎学園はこれから戦場になるんだ! よりによってどうして外に――


『保険としての人質ということも推測されます』


 可能性はゼロではない。金島は、自分が「本部長」の肩書を持っている事を思えば完全には否定することも出来なかった。 


 とはいえ、二人が学園に連れ去られたというのは全くの予想外だった。金島らは夕刻、「夜狐」というネームを持った狐面のエージェントに、暁也と修一を出来れば部屋から出さず、忠告もしておくようにと指示を受けた。念のため、金島はそこに茉莉海警察署の捜査員も置いたのだ。


 数刻前の出来事を思い返し、澤部は内田の隣でこう言った。


「俺が会った『比嘉修一』は、警察の話をきちんと聞いてくれそうな奴だったけど、とんだクソガキだったんだなぁ……」

「反抗期の金島ジュニアが発端じゃないすか?」


 澤部が言って、内田が当然のように相槌を打つ。彼らよりも年次が低い阿利宮の三人の部下がフォローを入れる前に、毅梨が「空気を読めッ、お前ら金島本部長の息子さんになんて物言いを」と怒鳴り掛けて、ハッと息を潜めた。


 前置きの台詞は普段のように軽かったが、金島を見つめる澤部と内田の横顔は、緊迫した真剣さを帯びていた。


「「その場にいるからといって、殺しの対象に入るなんて事はねぇっすよね?」」


 尋ねる内田と澤部の声が重なった。わざと電話の向こうの人物に聞こえるような声量でハッキリと述べた後、内田は続けて「そんなんじゃただの大量虐殺だ」と金島が持つ携帯電話の相手を思って一瞥する。澤部も気にくわない様子で、煙草をくわえ直して火をつけた。


 蒼白で振り返る金島の携帯電話から、『ふふふ』と笑いが上がった。


『僕たちは、国民を守るための組織です。無駄な殺生、虐殺や殺戮はしません』


 感情の見えない冷たい声が響き、内田と澤部が疑い深く顔を見合わせる。


 金島が「部下の非礼を」と言い掛けたが、その言葉は『ねぇ、ミスター金島』と柔らかく遮られた。まるで先程とは別人と思えてしまうほど、人情味溢れる青年の声を聞いて、金島は出鼻をくじかれたように口を閉じた。


『心配しないで。僕が二人を助けて、守るから』


 作戦の内容を聞いているでしょう、と声は続けた。金島は、たびたびナンバー4の一人称が、年頃の青年らしいものに変わっていることに気付かされ、数秒遅れて「はい」と答えた。


「エージェントによる『一掃』だと伺っています」

『学園内部は僕一人で片づけるから、大丈夫ですよ。ご存じの通り、この五日間、僕は彼らのクラスメイトでした。暁也と修一のことは知っています。だから、決してあなたが恐れているようなミスは起こらない』


 間違っても二人の少年を殺すことはない、とナンバー4は語っているようだ。


 澤部の口にくわえられた煙草の先から、伸びた灰がぼろりと崩れ落ちた。「さっきと同じ野郎か?」と静かに続けた澤部に、答える者はいない。たった一人で皆殺しにする気か……と毅梨がつい本音をこぼすと、場が再び緊迫感に包まれた。


『ミスター金島、私が二人を助けることを約束しよう』


 途端に、思考を切り替えたように声から抑揚が消えた。


『しかし、任務が遂行するまで、二人を学園から連れ出せないことは頭に入れておいて下さい』

「それはどういう……!?」

 

 てっきり救出されると思っていただけに、金島は動揺した。内田たちも、電話からこぼれた説明を聞いて目を剥く。


「学園は『戦場』になるのではないのですか、それなのに何故ッ――」

『鉄壁の檻は、学園を完全封鎖し、中の人間を出さないため暗殺部隊が包囲網を敷きます。つまり任務の完遂が確認される前に外に出したら、その時点で命令を受けているエージェントたちに殺されてしまう――だから、事が終わるまでは出す事が出来ないんです』


 僕が守ります、最後にそう告げて、通信が途絶えた。


 しん、と辺りが静まり返った。


 六人の部下たちが見つめる中、金島は、携帯電話をゆっくりと耳元から離した。現場に立つと鬼のような形相で悪と立ち向かっていた男は、静かに顔を歪めて、部下たちを見回した。それは一人の父親の顔をしていた。


 金島は唇を開きかけ、一度口をつぐんで視線をそらした。それから、眉間に刻んだ皺を濃くして、普段の表情に戻って一同に向きあう。焦燥と言いようのない不安などといった個人的な感情を押し潰したのは、金島の仕事に対する厳しい心持ちだった。


 彼は部下たちに、こう宣言した。


「合図が出次第、直ちに藤村組事務所を制圧する。建物内の容疑者を全員確保した後、茉莉海署に委託。我々はその後すぐに白鴎学園へと向かう」


             ※※※


 毅梨を筆頭に、全員が金島に対してしっかり頷く様子を、建物頭上から子狐の面をした暗殺部隊の人間が眺めていた。


 耳にはめている無線機から指示を受け、彼はひらりと身を翻すと、いつの間にか後ろに立っていた長身の白い面の人間を振り返った。少年とも青年ともつかない声で、ぺこりと頭を下げて「よろしくお願いします。私はまた戻りますので」と囁きかける。


 子狐の面と、両目だけがついた白いだけの面が数秒見つめ合った。互いの役割を確認するように頷きあったところで、子狐の面をした彼が軽やかに駆け出す。



 長身の白い面の男の脇を通り過ぎた際、華奢な子狐の面の隊員は、眼鏡の青年へと姿を変えていた。伸縮性の黒いニット服を着た細い身体と、癖の入った髪が月明かりの下に晒され、その手には黒いスーツケースを持っていた。



 里久の姿になった「子狐の面の彼」は、二階建ての建物から飛び降りた。隊長「夜狐」が彼に扮していた際に使っていた原付バイクに跨り、何食わぬ顔で白鴎学園へと向かって走り出した。

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