第12話 二章 土地神様に遭った少女について
白鷗学園高等部に転入した初日、雪弥が「内気で進学に悩みを抱える本田雪弥」としてようやく落ち着きだしたのは、放課後の事である。友人の幅が広い修一によって、昼休みに仕入れられた情報が生徒たちの間に行き渡ったためだった。
その間、雪弥も情報を流すことを怠らなかった。午後の授業でクラスメイトに話し掛けられた際、「一人になりたくて、マンションの一室を借りている」と答えた台詞も、少年少女の好奇心をくすぐった。
会話にさりげなく自身の設定を折りこんだため、クラスメイトたちは放課後になる頃には、すっかり転入生の事を知った気になっていた。「医者の息子らしい」「東京にその病院があるみたいだぜ」「母親は美容会社の社長だって聞いた」と、しばらく生徒たちの話題は収まらなかった。
尋ねる事がなくなれば、生徒たちはもう質問を投げかけてこないだろう。わざと自分から情報を流した雪弥の思惑と推測は、たった二人を除いて的を射る結果となった。
昼休み以降、修一と暁也が予想以上に世話役を発揮してきたのだ。
何かと絡んでくる彼らは、放課後になってすぐ、校内を案内するとして強引に話が決まりそうになった。本日の学生任務を終了する前に少し調べたい事があった雪弥は、「勘弁してくれ、仕事させて……」とうっかり本音がこぼれそうになった。
その矢先、弱々しい独特の咳払いが聞こえて、修一と暁也が揃って動きを止めた。
「修一君、暁也君、先生とお話ししましょうか…………」
ぼそぼそとか細い声が上がった瞬間、二人の少年は後ろ襟首を掴まれていた。
そこに立っていたのは担任の矢部で、「今日は逃がしません」ともごもごと言ったかと思うと、彼らを進路指導室に連れて行ってしまったのだ。それを見送った雪弥は、今日初めて爽やかな笑顔を見せた。
修一と暁也を見送ったあと、雪弥は教室を出て校内を散策するように歩いた。声を掛けて来る生徒に「転入生で、少し校内を見て回っているんだ」と答える彼の足取りに迷いがないのは、彼の頭に白鷗学園の見取り図が入っているためだ。
途中擦れ違った三学年の女英語教師は、「うちの造りは複雑じゃないけど、迷子になりそうだったら誰かに声を掛けるのよ」と心配したが、雪弥は曖昧に言葉を濁してその場をやりすごした。
白鷗学園は、高等部側と大学側に敷地を二分しており、高等部は北東から西南にかけて校舎を広く建築していた。少人数制で四クラス分の教室を一列に構えているが、多種多様に機能できる部屋をいくつも設けて生徒たちに開放している。
生徒たちの教室は一階から三階までの北側に位置しており、中央に職員室と事務室を設けた一階フロア上部に、移動教室用の部屋が続いた。
学年全員が収まる広々とした視聴覚室と小さな放送室を三階に置き、南側には他に、図書室や音楽室、美術室や工作室を挟んでたくさんの教室がある。「第二」「予備」と各教科の専門用具が取り揃えられた部屋の他、申請があればいつでも使用することが出来る空き教室も複数あった。
雪弥が向かったのは、南側の三階端に設けられた第二音楽室だった。
第二音楽室は、声楽や勉強を主とする第一音楽室とは違い、多くの楽器が取り揃えられた倉庫を持っていた。楽器に関連した授業以外は、備えられている椅子と机は教室の奥に下げるのが定位置だ。学園創立時から部員の少ない吹奏楽部がそこで活動しており、隣接する第一音楽室はコーラス部が拠点を構えていた。
修一から聞いた二年生の女子生徒の話を聞くため、雪弥は今回、第二音楽室へと足を運んだのだ。広い室内は木目調の柄が床一面を覆い、白が強調された肌色の壁には、音楽誌に残る偉人たちの写真が並ぶ。
六月の生温い外気温に対して、その音楽教室には、肌寒さを感じるほどの冷房がかけられていた。室内には一年生から三年生までの女子生徒が七人おり、立てられた譜面を前にトランペットやトロンボーンなどの金管楽器を演奏していた。
部活動が始まったばかりのようで人数は少なく、部員達はそれぞれ自分の音を奏でていた。
基本的な音階を上下へと練習している生徒もいれば、よく耳にする簡単な曲調の音を奏でている者もあった。マウスピスに口を押しあてる女子生徒たちの顔は真剣そのもので、赤くなった顔に浮かぶ汗を拭うこともなく息を吹き込んでいる。
雪弥は音楽室のガラス扉を開けて、飛び交う音の中から「線路は続くよ」の曲を奏でるトランペット音をしばらく聞いていた。一人の少女が一息つくように楽器から口を離したとき、ふと目があって口を開く。
「あの、すみません。ちょっといいですか?」
雪弥の声は大きな楽器音にかき消されたが、気付いた少女の合図によって全員が音を止めた。「誰だろう」というように雪弥を見つめる女子生徒たちの唇は、腫れるようにして少し赤い。
小さな疑問の言葉が細々と上がったが、その中で一人の少女がトランペットを置いて雪弥のもとへとやってきた。膝上の青いスカートが少女の歩みに合わせて揺れて、腿下の白を覗かせる。
雪弥の前に立った女子生徒は、小柄な体躯をしていた。丸みを帯びた少し長めのショートカットに、花弁のように膨らんだ小さな唇と大きな瞳が印象的だった。すっと伸びた細い手足は白く、少し困惑するように微笑んだ顔は、清楚な美少女を思わせた。
「あの、何かご用ですか?」
フルートの旋律に似た澄んだ声が、遠慮がちにそう尋ねてきた。
細い眉を吊り上げた別の女子生徒が立ち上がる様子を視界の端に捕えながら、雪弥は、どう切り出そうかと考えて口を開いた。
「少し前に退部した二年生の子、いたよね。少し彼女の話を聞きたいなぁと思って……」
「えっと、理香ちゃんの、ですか?」
呟いた女子生徒の顔に、神妙な表情が浮かんだ。彼女はすまなさそうに一度視線をそらし、伏し目がちに「あの、申し訳ないのですが」と続けた。
「理香ちゃんは、先月の五月に部活を辞めてしまって、それから私も部員の子たちも会っていないので……」
雪弥は質問のため口を開きかけたが、困ったような女子生徒の様子を前に、出かけた言葉を飲み込んだ。
どうしようかなぁと迷っていると、やって来た別の女子生徒がその少女の肩に手を触れて「先輩」と声を掛けた。「私に任せて下さい」と目で伝えるように頷いたかと思うと、彼女が雪弥の前に立った。
天然パーマの入った髪を、高い位置で一つにまとめている少女だった。背丈は初めに声を掛けてきた女子生徒と同じくらいだが、その体躯はしっかりとしていた。
腿辺りで揺れるスカートからは筋肉の付いた足が覗き、あどけなさが残る顔には薄化粧がされている。つり上がった瞳は憮然とした様子で雪弥を見上げ、その女子生徒は仁王立ちで腕を組んだ。
「二年二組の、新城香奈枝です」
ぶっきらぼうに言葉が吐かれ、雪弥は数秒遅れて「三年の本田です」と答えた。戸惑う彼に、香奈枝と名乗った女子生徒はこう続けた。
「先輩も、理香に遊ばれたんですか?」
「は。え、遊ばれた……?」
マスウピスの形が残る薄い唇から出た言葉は、直球だった。雪弥は思わず、一体誰が誰に遊ばれたというのだろうか、と呆気に取られた。
その様子を「先輩」と呼ばれていた三年生の女子生徒が見ていたが、小首を傾げた後、何かに気付いたように「あ」と唇を開きかけた。しかし彼女よりも早く、唇を尖らせた香奈枝の方が先に発言した。
「今年に入ってから何人もこうして来られましたけど、うちに来ても何の解決にもなりませんからね。理香は惚れやすくて飽きやすいみたいで、顔が良い人には誰にでも声を掛けていたんですよ」
香奈枝の斜め後方にいた女子生徒同様、雪弥も疑問の声を上げようとしたが、やはり彼女の方が次の言葉を紡ぐのが早かった。苛立ったように早口で話したかと思うと、短い息を吸い込んですぐにマシンガントークを再開したのだ。
「信じてくれないと思いますけど、私達の知る理香は、クラリネットがとっても上手な優しい女の子だったんです。まるで人が変っちゃったみたいに急に派手になって、顔のいい生徒をとっかえひっかえして、しだいに部活にも来なくなって……『じゃあ辞める』って勝手に辞めちゃったんですよ! 先輩みたいにこうしてうちにやって来られても困るんです。愛美先輩は優しいから、理香のことも心配しちゃって――」
「香奈枝ちゃん、待って。この人、今日三学年に来た転入生よ」
ようやく女子生徒が述べて、まくしたてるような香奈枝の言葉が止まった。
はたと動きを止めた香奈枝は、しばらく呆けって雪弥を見つめた後、「愛美先輩」と呼んで困惑顔で彼女を振り返った。そして、雪弥の方を指差して尋ねる。
「転入生……ですか?」
「「うん、そう」」
愛美と呼ばれた女子生徒と、雪弥がほぼ同時に答える。
それを聞いた香奈枝が、全ての言葉を失ってしまったように口をポカンと開けた。そのタイミングで緊張した空気が解けて、教室にいた他の女子生徒たちが、少し安堵した様子で楽譜を手に取った。
香奈枝が焦ったように口をぱくぱくさせ、愛美が言葉を待つように、困ったように微笑みかけた。
「愛実先輩、あの、え? この人が転校生? うっそ、私もしかして……」
「うん、私達、勝手に早とちりしてしまったみたい」
「…………どうしよう私バカみたいにまくしたてて……うわぁ……恥ずかし過ぎる…………」
彼女たちの向かいで、室内に視線を滑らせた雪弥は、部活に集まった女子生徒たちの鞄が目に留まった。普通なら気にも掛けない光景であったが、ここにいる少女たちには派手すぎるブランド品が多くあることに気付いて違和感を覚えた。
学校指定鞄の傍には、赤い色彩が際立つ化粧ポーチがあった。その他にもシルバーの光沢が映える大人向けの財布やキーポーチが鞄口から覗いており、どれも金や銀で装飾されたブランドマークが入っていた。
滑らかな素材の小さなポーチや小銭入れが、鞄から覗いた使用感のある学生ノートの中で浮いていた。高級感をまとったそれらは、まるで場違いな場所に放りだされているかのようだった。
雪弥の視線の先に気付いた愛美が、控えめに笑みを浮かべてこう言った。
「それ、まだ理香ちゃんが部活に顔を出してくれていたとき、彼女にもらった物なんです」
「あれってブランド品ってやつだよね? 一つや二つじゃないみたいだけど」
「そんなの持て余すほど手に入るから、あげるっていって私たちに配っていったんですよ」
恥ずかしさの波が少し落ち着いた香奈枝が、むっつりとした表情で口を挟んだ。
「というか先輩、転入生だったんですか?」
そう尋ねる瞳は、なぜ理香のことを知りたがっているんだ、と語っていた。
雪弥が言い訳を述べる間もなく、香奈枝は短く息をついて「まぁいいですけど」と自分から話を切った。出会い頭の勢いでエネルギーをごっそりもっていかれたとでもいうように、深く考える事を放棄してひどく投げやりに言う。
「夜の学校に忍び込んで騒ぎを起こしてからは、全然学校にも来ないんですよ。皆は祟りだって言ってるけど、そんなの嘘ですよ。私、買い物に出かけたとき男と一緒にいる理香を見たんです。すっごく高そうな服とアクセサリーを着て、ぴんぴんしてましたよ。もう、その男に夢中って感じでした」
香奈枝は一度深く息を吸うと、低い声色で「人の心を弄ぶような事する人、私は大嫌いです」と独り言のように吐き捨てた。押し殺すような怒りを感じて、雪弥が「まぁまぁ」となだめる言葉も聞かずに、彼女は踵を返して大股で歩き出してしまう。
どう対応したら良いかわからず、雪弥は言葉もなく香奈枝を見送った。すると、愛実が「すみません」と申し訳なさそうに肩身を狭めた。
「香奈枝ちゃんは、優しい子なんです。ピアノを弾いていた筒井君という人がいたんですけど、理香ちゃんのことでいろいろとあって退部してしまって……それで、香奈枝ちゃんは怒ってもいるんです」
愛美は、トロンボーンを抱え直した香奈枝から、雪弥へと視線を戻して柔らかく笑んだ。全体的に少しあどけなさは残るが、これから大人になるような女性らしい雰囲気もあった。
「あなたは転入生、でしたね。私、三年一組の桐泉愛美です」
雪弥は数秒遅れて「四組の本田雪弥です」と返し、曖昧に語尾を切って続けた。
「同級生なんだから、敬語じゃなくてもいいんだけど……」
「あの、すみません。癖なんです……」
愛美は困ったように答え、雪弥もまたぎこなく笑みを返した。
敬語が苦手でほとんどタメ口で話す彼と比べると、遠慮がちで上品な彼女は、正反対の位置にいる。雪弥は言葉使いに遠慮がなく、日本で最も恐れられている男にも、平気な顔で「あんた馬鹿だろ」と口を挟むほどだ。
真っ先にそんな自分の事が脳裏に浮かび、雪弥は明後日の方向へと視線を逃がした。
「えっと、そういう癖っていいと思うよ、正しい日本語は美しい響きがあって耳にもいいというか……うん、礼儀と敬意を持って話さなきゃいけない相手がいる人に、見習わせたいと思うくらいだよ、ははは…………」
雪弥は言葉を濁した。礼儀と敬意、と口にした辺りで、ちらりとナンバー1の顔を思い浮かべたものの、それが実行出来るかどうかと考えた直後に、心の中で謝っていた。
ごめん、やっぱり礼儀とか敬意を持った敬語って、僕には無理そうだ。
「なんだか、本田君って大人の人みたいですね」
「えっ」
雪弥は声を上げ、反射的に愛美を振り返った。愛美の遠慮がちな微笑を数秒目にしてあと、真っ白になった頭で慌てて訂正する。
「いや、僕は君と同じ三年生で、同じ年に生まれた学生であって、えぇと、少し老けていると言われなくもないけれど――」
「いいえ、そういう事ではないんです。誤解して受け取ってしまったのなら、ごめんなさい。とても素敵だと、そう伝えたかっただけです」
どこでどう「素敵」だといわれる要素があったのか。
雪弥は全く理解できずに頬をかいた。にっこりと笑う愛美に、下手な作り笑いを浮かべて場を切り上げようと口を開く。
「その、突然訪ねてごめんね。今日は話をありがとう。えぇと、先輩想いのあの子……カナエちゃんにもそう伝えてくれるかな」
香奈枝の名を思い出すまでにコンマ数秒かかったが、愛美は「はい」と柔らかく答えて頷いた。雪弥はゆっくりとガラス扉を締め、そのまま第二音楽室をあとにした。
雪弥は教室へと向かいながら、修一が祟りに遭ったと語った理香が、暁也がいっていたように、今でも町に繰り出していることを思った。
怪談話をでっちあげたのは、恐らくはヘロインを抱える学園から、学園関係者たちを遠ざける目的もあるのだろう。愛美や香奈枝から聞き出した情報から、理香という少女に高価なプレゼントをする男の影があるのも確かだ。
今事件と結び付けるのは早急である。とはいえ、もし仮に理香が事件の協力者、もしくは薬物使用者として参加しているとしたならば、付き合っている男は事件当事者という図式が浮かぶ。
生徒たちの間を縫うように歩いていた雪弥は、三学年の教室に差しかかったところで、カキーン、という懐かしい音に足を止めた。開いた窓に歩み寄ると、野球のユニフォームをつけた少年たちが運動場に広がっている。
「…………やっぱり、すごく若いなぁ」
二組のチームに別れた彼らは、一喜一憂しながら楽しそうに練習試合を続けていた。白がベースのユニフォームは、すでに茶色い土埃にまみれている。
そのとき、雪弥は視界の端に映る廊下に、学生服ではない人間が見えてそちらへと顔を向けた。雪弥と同じぐらいの背丈をした私服の青年が、手にプリントや資料を持って教室隣の空き部屋へと入って行った。扉には「進学講座、数学」と印字された紙が貼られている。
現役の大学生が、高校生を教えていることを雪弥は思い出した。教室よりも少し小さな室内にはたくさんの生徒が座っており、狭まったスペースの窓側には、数学科目を担当している矢部の姿があった。大学生はやや小さめの黒板前に立つと、緊張気味に生徒たちを見回して講座を始める。
教師になりたいと思っている大学生には、とても恵まれた環境なのかもしれない。大学構内でも教師の仕事を模擬的に体験する授業が行われ、積極的な生徒には、実際に高校生へ勉学を指導する時間が設けられている。
雪弥は歩き出し、白鷗学園を取り囲む茉莉海市の地図を記憶から引き出した。
高知県にある典型的な山のふもとに点在する農地に囲まれた茉莉海市は、白鷗学園がある都心を中心に建物が広がっており、大通りから住宅街を挟んだ北側に市の建物を置いていた。そこには電車や大きな道路が敷かれ、交通に不便しない場所となっている。
旧市街地と呼ばれる場もまだ残っていたが、それでも農地、住宅街、商業地帯、港がきれいに区分されており、市の活性化を図る大通りに商店街や商業用の建物が密集していた。
やはり、まず調べるなら中心街かな。
思いながら、雪弥は穏やか過ぎる白鷗学園高等部の様子を眺めた。廊下には生徒が行き交い、通り過ぎて行く教室から時々じゃれあう少年たちが飛び出す。各教室では勉強や談笑する生徒たちの声が飛びっていた、色を拒絶するような建物内部の白も賑わいに満ちていた。
覚せい剤やヘロインなんて、まるで遠い世界の話だと、雪弥は一人静かに思った。




