第23話 雪弥と宮橋、そして忘れていたこと
風間の店をあとにし、再び乗り込んだ宮橋の青いスポーツカーで、来た道を戻るように進んだ。
出勤ラッシュもとっくに終わっている国道は、先程よりもすいている様子が目立った。客を乗せていないタクシーが、のんびりと走ってもいた。
「宮橋さんが見付けたその場所、結局のところ都内でしたね」
雪弥が思ったことを口にすると、ハンドルを握っている宮橋が、どこか皮肉げに口角を持ち上げた。
まさか来た道を、県警がある地へ向けて真っすぐ進むなんて思っていなかった。宮橋が少女の向かう先と推測した場所は、彼のマンションから恐らく見える風景の中だろう。
彼のことだから、すぐに返答があるのかなと思っていた。
でも、しばらく発言はなかった。雪弥がようやく車窓から、そちらへ目を向けてみれば、宮橋は前を見たままだった。
彼は太陽の光りが眩しく照りつける前方の道を、じっと見据えている。その綺麗な横顔は、まるで一人何かを呑み込んで、思っているかのようで。
――そして、雪弥には、どこか心を痛めているようにも見えた。
「君は、僕の心配をするのかい」
また、心でも読んだようなタイミングで、唐突にそう宮橋が声を投げてきた。
他の言葉であったのなら、まだマシだったのかもしれない。けれどそれは雪弥にとって、全くの予想外な感想でもあった。
「……心配、しているのでしょうか」
よく、分からない。
正直、不意打ちのような発言内容だった。じっと見つめ、考えている雪弥の黒いコンタクトがされた目に、宮橋の横顔が映っている。
ややあってから、雪弥はこう言った。
「じっと見ていたから、気を損ねてしまったんですかね。すみません」
「フッ、君はそう考えるのかい」
宮橋が、喉の奥で少し笑うような顔をする。
「まぁいいさ。彼女の向かう場所については、そもそも県警が見える風景の中にあるだろう、とは思っていた」
「なぜ?」
「彼女は、遠くへは行けない。怨みに鬼、と語られたその【変身物語の鬼】。その【物語】はここで始まって、そしてここで終わるから。――いつだって、僕のいる地で」
後半、考えを一人呟いているようにも聞こえた。
その時、宮橋のスーツの胸元から、また例の、個性的で愉快そうな調子のメロディーが流れ出した。
雪弥は、そちらへきょとんとした目を向ける。それに対して宮橋は、露骨に綺麗な顔を顰めて、自分の胸ポケットに一度目を落とした。
「なんだ? このタイミングで電話をしてくる馬鹿は、一人しか浮かばないが――雪弥君、すまないが取って僕の耳にあててくれるか。今、ちょっと手が離せん」
「あ。はい、分かりました」
雪弥は、宮橋が前の車を次々に追い越すのを見て、それのせいなのではと思いつつも言われた通りにした。
――直後、携帯電話から大きな声がもれた。
『てんめぇぇえええええ! 昨日の夜、一方的に気になるところで電話を切ってんじゃねぇよ!』
その声は、彼とは同期の刑事である三鬼だった。
そういえば昨夜、ちょうど乱れ撃ち状態の中で着信があった。そちらの方がインパクトが強くて、途中電話を取った一件を今になって二人は思い出した。
『かけ直しても電源切られてるし、おかげでこっちは、気になって気になって仕事に全っ然集中できなかっただろうが!』
「ははは、忘れてたな―」
宮橋が棒読みで言った。呆れ返った笑みには、しつけぇ、と出ていた。
でも確かに、あそこで電話を切られたら気になるだろう。その後は帰宅しただけなのに、宮橋はどうやら朝まで電話の電源を切っていたようだ。
――緊急事態の連絡なんてこない。
まるでそう分かって〝事前に察知したうえで携帯電話の電源をオフにしていた〟みたいだなと、雪弥は不思議なことを思ったりする。
『んで? なんかあったのか? 昨夜、お前『戦闘中だ』って言ってたろ』
耳を澄ませて黙っていると、三鬼のそんな声が電話の向こうからした。
雪弥は一瞬、宮橋が間を置くのを見た。その形のいい切れ長の明るいブラウン目が、彼の視線の先で、ガラス玉みたいな印象を強める。
「――何も」
そっけない一言。
ああ、それは、〝嘘〟。
普段はよく分からないことも、どうせ理解できない、理解しなくていい、と好き勝手喋ってくる。それなのに宮橋が、ここにきてそれを言葉に出さないのが――。
だからこそ、雪弥の目には〝奇異〟に見えた。
『……ちぇっ、へたな嘘つきやがって』
少し間を置いてから、そう電話の向こうで三鬼が言うのが聞こえた。
『何があったのかは知らねぇが、怪我がなけりゃそれでいい――怪我はしてねぇんだろうな? お前、朝こっちにこなかったろ』
「言ってくれるね。まるで、怪我をしていたら僕が署に顔を出さない、みたいな言い方じゃないか」
『お前はいつも、そうだろうが』
宮橋が不敵に笑って言えば、向こうからそう返ってくる。雪弥は彼の耳に携帯電をあてながら、こめかみに青筋を立てた中年刑事の三鬼を思い浮かべていた。
『なら顔ぐらい出せるよな? 緊急事態発生だ。近くにいるやつら全員、強盗の逃走車を止めろと指示が出てる』
「僕は近くないなー」
『おい俺の言葉を遮る勢いで即答すんなよ! 嘘ぶっこくな、テメェの事だから優雅に自宅マンションで過ごしてたんだろッ』
「それこそ言いがかりだ」
宮橋が、ふんっと鼻息を吐く。
普段からの行動がたたって、そう三鬼に想像させているのだろう。なんか、ちょっと哀れな人だな……。
と、そのガラス玉みたいな目が、不意に雪弥を見た。
「雪弥君、失礼だと思わないかね。彼、こういうところがあるから、彼女の一人もできないと思うんだ」
『あっ、そうか例の研修の新人がそこにいんのか! てんめええええええ隣の新人になんてこと言ってくれちゃってんだ!』
「事実を」
『凛々しい声で断言すんな! 耳がぞわっぞわするわ! くっそ、業務連絡一つでストレスたまるとか……!』
気のせいか、向こうから『先輩落ち着いて』と、あのワンコ刑事の声が聞こえた。
『ああもうっ、とにかくだな! テメェの方が誰よりも見付けられるだろ』
「何を?」
『強盗の逃走者は車が一台と、二人乗りしたバイクが一台。ほとんどが二十代だったらしい』
「はぁ。僕は加勢するなんて一言も」
言い掛けて、不意に宮橋が言葉を切る。
しばし、考えるような間が空いた。雪弥が見守っていると、宙を見やりつつも前の車を二台追い越した宮橋が、ふっとこう呟く。
「ああ、なるほど。なんて悪運が強いんだろうね、三鬼は。それは〝僕らがこれから通過するところ〟か」
『あ? それ、ってのはなんだ?』
「いいだろう、ついでに手伝ってやる。この前、パトカーが接触したところがあっただろう。お前、真っすぐそこへ向かってこい。僕らは先に到着しているはずだ」
『あっ、おいコラ宮橋――』
そこで、三鬼の声が、ぷつりと途切れる。
宮橋に目で指示されて、雪弥が通話ボタンを切ったからだった。
「いいんですか? 途中なのに切っちゃって」
通信の途絶えた画面を見ていた雪弥は、目を戻しながら念のため確認した。
「問題ない。僕は、用件を言い終えた」
……いや、あなたの言い分じゃなくって、彼の言い分を聞かなくて良かったのかと、僕は確認したかったんですけど。
そう思いながらも、雪弥は宮橋の胸ポケットに携帯電話をそっと戻した。
「ついでだ、君にも仕事をさせてやろうと思ってね。言うだろ、人材と戦力は使いようって」
言いながら、宮橋が不服そうな顰め面でブレーキレバーを引っ張り、ハンドルを大きく切った。
国道で青いスポーツカーが、急カーブを切って反対車線へと移った。後ろからクラクションが鳴らされるが、宮橋は気にも留めず一気にアクセルを踏み込む。
ぐんっと加速感がした。雪弥は、助手席で揺られたのち、こう言った。
「それ、もっと他に言葉があった気がします」
「君の気のせいだ。せっかくの現役の軍人だ、なら僕が使ってやろうじゃないか」
「はぁ。国家の、というのなら宮橋さんも同じ立場では」
「馬鹿言え、君、月にいくらもらっていると思っているんだ」
雪弥は、そう言葉を投げられて、ふと黙り込んだ。
「――いくらでしょうね」
今更のように、ちょっと真剣な顔で顎に手をあてて考える。その隣の運転席でハンドルを握っている宮橋は、呆れた表情だ。
「君、ここ一番で真剣な表情だぞ。年上の先輩としてアドバイスしておく、数字はきちんと把握していた方がいい」
「はぁ、すみません。どうせ殉職したら使いようもありませんし。食べて、寝られるとこがあればいいかなって」
「後半が本音だな。君が、後先を考えているとは思えん」
ひどい言われようだ……。
その間にも、宮橋の運転する青いスポーツカーは、ぐんぐん他の車を追い抜いていた。減速することもなく、四車線の国道へと乗り上げる。
「協力してあげることにしたんですね」
雪弥が今更のように言えば、宮橋が「ふん」と鼻を鳴らした。大きく切ったハンドルを元に戻し、トラックを二台追い越す。
「まだ少し時間があるからだ。ついでの道中だしな」
「宮橋さんって、やっぱり優しいんですね」
「やめてくれ、反吐が出る」
褒めただけなのにこの反応……なんでだろうなと雪弥が思っていると、宮橋が続けて言ってきた。
「それに相手は、本物の銃を所持している」
「えっ、そうなんですか?」
「ここで止めないと、三鬼達が発見して追跡している途中、あいつの執念の追いっぷりにパニックを起こした青年達が〝誤って勢いで発砲する〟。だから先廻りで待ち伏せして、そいつらがくるのを待つ」
「ここを通るんですか? 逃走中の強盗犯が?」
確か車とバイクが一台ずつだったなと、電話での会話を思い返す。それに語られた宮橋の推測は、やけに詳細が鮮明のようにも思えた。
「なんで分かるんですか?」
ひとまずの三鬼の下りやら、発砲される危険性やらについては脇に置いて、そもそもな疑問を雪弥は口にした。
すると宮橋が、そんなことも分からんのかと言わんばかりの目を寄越してきた。
「そんなの、〝見えた〟からに決まっているだろう」
やっぱりよく分からない人だなぁ……と雪弥は思った。
やがて宮橋は、広い国道の中央あたりの路肩で青いスポーツカーを停車させた。




