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ガラスのはめられた板チョコみたいな扉を開くと、ちりりんと備え付けのベルが揺れた。
カウンターには四十代辺りの夫婦らしき男女がいた。おじさんは鼻がおおきく口元から顎にかけて髭を蓄え、おばさんはすこし明るめのボブで背は低く、すこしふくよかな体型をしていた。おばさんはやわらかな表情でどうぞと右手を差し出し、二人がけのテーブル席を示した。カウンターには数人の客が座り、テーブル席にも二組の客がいた。
木製のイスに座り、丸いテーブルに備え付けられているメニュー表をひらいた。おばさんは水の入ったグラスを持ち、テーブルに置くと、「お伺いしましょうか」と言った。ぼくは「フレンチトーストの梅とブルーベリーとチーズのせ……」と言い、「て、ありますか?」とつけ加えた。おばさんはきょとんとし、「いいえ」と言い、「そのメニューにあるものなら」と不思議そうにつけ加えた。
ぼくはメニュー表に目を通し、適当に目についたカレーライスを注文する。おばさんは注文を復唱し、注文票に書きつけるとカウンターへ戻っていった。
鏡を見なくても、顔が火照っているのがわかった。耳はじんじんと熱く、呼吸は浅く、シャツの脇のあたりがじっとりと汗で湿っている。
「店の中にたぶん髭をはやした店長がいるから、その人にフレンチトーストの梅とブルーベリーとチーズのせを頼んでみてほしいの」
ミズさんの言葉をぼんやり思いだし、あれはおばさんにではなく、おじさんに言えと言っていたのだったかと思いだした。
けれども、もう一度メニュー表にないものを注文するのは気がひけた。ただの厄介な客だと思われそうで躊躇する。
ポケットから携帯電話を取り出し、メールのチェックをした。既読ばかりで新着はない。未読のない受信一覧を何をみるでもなく、ぼんやりと滑らせた。
「お待たせいたしました」
おじさんが盆の上にカレーライスを載せ、やってきた。カレーライスをテーブルに置くと、「ご注文は以上でよろしいですか」と言い、ぼくは、「はい」と頷いた。
スプーンを手にとり、カレーライスに手を伸ばす。おじさんが立ったままテーブルの横にいるのが目の端にみえた。
「失礼ですが」
おじさんは言い、ややあって「棚本瑞希ちゃんのお友達?」と、遠慮がちに言った。タナモトミズキがミズさんの名前であることを思いだすのにすこし時間がかかった。
ぼくはおじさんの顔を見上げながら、「はい」と頷いた。
おじさんは硬くした表情をゆるめ、「あぁ、やっぱり」と微笑んだ。おおきな鼻の穴が横にひろがっていくのがみえた。
「みずきちゃんは今も描いてるの?」
「かいてるって何をですか?」
「え?絵?」
「絵?ですか?」
「え?それで来たんじゃないの?」
「いや、変な注文をしてくれって頼まれただけで……」
おじさんはカウンターにいるおばさんと顔を合わせ、きょとんとした顔をするとすぐに声をあげて笑い、
「あぁ。そうか」
と、機嫌良さそうに言った。
「あれって何なんですか?」
ぼくがおじさんに尋ねると、おじさんはぼくの手元のカレーライスを見ながら、「せっかく来てくれたんだし、ゆっくりそれを食べてからにしようか」と言い、カウンターへ戻っていった。
テーブルのグラスの水をひとくち飲むとすこし喉が渇いていたことに気が付いて、一杯全部飲み干した。ほのかなレモンの香りが口のなかに爽やかにのこった。




