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「アルバイト?」
母は顔をしかめる。
「数日間だけ」
ぼくは頷き、答える。
「もう夏になるのよ。大丈夫なの?」
「ちゃんと授業にも行く。数日間だけ、夜に働きに出るだけだから」
母はスプーンをカレーライスの皿に置き、テレビのリモコンを手にとり、「ちょっとうるさい」と電源を切った。
「今年しかないのよ」
母の口からため息が漏れた。
「お父さんが反対していた通りになったね……」
父はぼくが予備校へ行くのを反対していた。今年の受験がダメになってもどうせ、来年も今年と同じような結果になるんだから、ちゃんと手頃なところも受けておきなさいと言った。ぼくは落ちる事を前提に話しているような父の口ぶりに反発し、父の言う受かりやすいところは頑なに受験しなかった。簡単なところを受けるのは気持ちが緩むからとか行きたいところだけに絞ったほうがやる気がでるからとかなんとか言って。
結果、どこにも受かることはなく、見事に予備校入学となった。
「夜にほんの数日だけ」
「今、バイトして、お金を貯めてどうするの」
母は呆れた声で言った。ぼくは「ちょっと必要になるとおもうから」と言った。
「誰かにお金を借りたり、貸してくれとか言われてるんじゃないでしょうね」
母の顔が険しくなった。
「そんな事じゃないよ。予備校へ通っているとちょっと必要になることもあるから」
「予備校だけに行ってて、そんなに必要になることがあるのかしらね」
母は下を向き、スプーンを手に取ると、カレーライスをすくい、「ま、お父さんがなんて言うかしらね」とつぶやき、カレーライスをぱくりと食べた。
ごうごうと機械の動く音がして、ベルトコンベアはおおきな冷蔵庫を次から次へと運んでくる。ぼくは工場のベテラン社員から教わったように、先のとがった細い金属製のパイプを冷蔵庫へ向け、銃の引き金みたいなスイッチを押し、ガス漏れのチェックする。ガス漏れがあれば、ブザーが鳴るからそのときはベルトコンベアの停止ボタンを押すようにと教わり、頻繁にあるものではないだろうと思いつつ、何度チェックしてもまったくブザーが全く鳴らないと、ちゃんと点検が出来ているのか不安にもなった。
もしも、この冷蔵庫が店頭に並び、新婚の夫婦がにこやかに、新居での生活を楽しみにしながら購入し、その後、二人が外出している時、或いは深夜等にガスが漏れ、爆発してしまったら、などと想像しながら淡々と作業を続けた。夜から朝までこの作業を続ければ、約一万円のアルバイト代になる。何かを考えたりしながらでも、眠気がささぬよう、作業を行わなければならない。
柱に備え付けのおおきな丸い時計の針が九時五十分を指し、チャイムと共にベルトコンベアが停止し、工場内は静かになった。これから十分の休憩があり、仕事は十時から再開される。五十分働き、十分の休憩を挟み、また五十分働く。これを朝六時まで繰り返す。
父は今頃、風呂をすませ、晩酌をしている頃かもしれない。ぼくが父に無断でアルバイトを始めた事を、母に怒鳴りながら焼酎を飲んでいるかもしれない。短気な父はよく母にあたる。今日の喧嘩の原因を、ぼくがつくってしまったかもしれないと思うと、すこし申し訳ない気持ちになった。今はもう見ない夢の事をきっかけに、ここまですることはなかったのかもしれないと思いつつ、やらないまま過ごしても気になって勉強が手につかないのなら、さっさとやってしまった方がいいとも思え、こんな中途半端な状態でも、予備校に通わせてもらっている事には感謝しなければならないと、改めておもった。




