第九話 義眼
誰かの悲鳴が聞こえる。
誰かの怒声が聞こえる。
ドタバタと騒がしい人達が、家の中に入ってきた。見上げなければならないほど背の高い男の人がキラキラした何かを持っている。
何をしに来た人達なんだろう? 少し、怖いんだけど。
そんな疑問を抱いた私の目の前に、誰かが立ちはだかった。いつも見ている、頼もしい背中。
ああ、なんだか懐かしい気分だなぁ……。
これでもう安心だと思った次の瞬間、彼女は床に崩れ落ちた。
え……? なに、が?
床に広がる赤。男の持つ刃物に付いている赤。
倒れた女性が私に向かって手を伸ばしてくる。彼女に、名前を呼ばれているような気がする。
い、いったい、何が、どうなって……?
血の付いた刃が、混乱して動けない私に突き付けられる。
怖い……凄く、怖い。これから何が起こるのか知っているから、怖い。
「い、や……やだ……やめて……」
左目を押さえ、震える足で後ろへ下がる。懇願する私に、その男は何か言いながら下品な笑みを浮かべ、血に濡れた剣を私の左目に突き刺した。
◇ ◇ ◇ ◇
「……っ! うあっ! ……はぁ、はぁ……な、なんだ、何、が……」
飛び起きて、思わず左目を押さえる。
いま、のは……ゆ、夢?
息が荒い。全身に嫌な汗をかいている。寒い、そして、怖い。
混乱しながらも息を整えていると、左目を押さえている掌に、何か冷たい何かを感じた。水のようなその感触に、自分が涙を流していることに気付いた。
え、わ、私、なんで、泣いて……。
服の袖で涙を拭う。
「なんで、こんな……夢、見て、泣くなんて……」
まるで子供みたいじゃないか。それに、
「うっ……い、痛い……」
あの夢のせいなのか、左目がズキズキと痛む。
本当に刺された訳じゃないのに、なんで……。
しばらくして少し痛みが引いてきたので、顔を洗おうと思ってベッドから降りた。そのまま洗面所へ行き、冷たい水で顔を洗う。
「はぁ……」
なんで、こんなに目が痛いんだろう。
鏡で自分の目を見てみるが、特に変わったところはない。周りもちゃんと見えている。だけど、まだ少し鈍い痛みが残っている。
顔を洗って少しすっきりしたので、部屋に戻って窓を開けた。暗い夜の世界から吹いてくる冷たい潮風が、ベタつく汗に濡れた私の肌を冷やし、体温を奪っていく。
まだ、夜なのか。ああでも、少し明るくなってきてるな。ちょうど日が出てくるところなのか。いつもよりも早く起きちゃったな。
「はぁ……」
ため息を吐きながらベッドに腰掛ける。
それにしても、あの夢は一体なんだったんだろう。よく思いだせないけど……男の人、女の人、血の臭い、広がる赤い水溜り、女性の声、近付いてくる血の滴る剣先、左目に入ってくる冷たい感触……。
「う、ぐ……」
思い出すだけで左目に激痛が走る。
夢で左目を刺されたから痛いのか……? 夢が現実に害を与えるなんて、なんて夢なんだ……。
それから、もう一度寝ようとベッドに入ったのだが、左目がずっとズキズキ痛むので、結局眠れなかった。
日が昇り、二人が目を覚ましたので、朝ご飯を食べるために下に降りることにした。
「左目が痛いって、大丈夫なのか?」
階段を下りる途中、アドレさんが心配そうに聞いてきた。
「はい……一応は。起きてすぐの時よりは、だいぶ良くなりました」
今もまだ少し鈍く痛むが、目が覚めた直後よりはましになっている。それでも、痛いものは痛い。左目を押さえながら足を動かす。
「んー、そうか。まぁ、お前がそう言うのなら、大丈夫なんだろうな。でも、ヤバいと思ったらすぐに言えよ。目は弱い部分なんだからな」
「はい。わかりました」
痛いのは私だから、私が判断しないといけないんだよな。
そう思って、彼に頷いて見せた。
一階に着いたので、いつものようにフェニさんの目の前の席に座り、朝の挨拶をする。これが、ここ一ヶ月の間の私の日課だ。
「おはようございます」
「おはよう、レイラちゃん。あら、どうしたの? 目なんか押さえて」
左目を押さえたままでいると、フェニさんにそう言われた。
「目が痛いんだと」
私が口を開こうとする前に、アドレさんがそう言いながら私の隣に座った。
ああ、自分で言うつもりだったのに……。
「目が痛い? それって、大丈夫なの?」
彼女はアドレさんと同じことを言って、同じように心配そうな表情になった。
「は、はい。多分、ですけど」
「そう……いつから? 昨日は何ともなかったのよね?」
「はい。えっと、朝起きた時からです」
渡された朝食を受け取りながら答える。
「夢を、見たんです」
「夢?」
「はい。なんだか、とても怖い夢を」
今までずっと夢なんか見たことがなかったのに、見たと思ったらあんな夢。私の頭はいったいどうなっているんだ……。
「その夢で左目を刺されて……そこで目が覚めてから、ずっと痛いんです」
「夢で刺されたって……」
彼女は不思議そうな顔をして、私の目、左目を覗き込んできた。嫌でもないので大人しく見せる。
「……何かが入ってたり、怪我してたりはないみたいね」
「はい。見た目は何ともないんですけど……」
そう言っている今でも、ちょっとだけ痛い。
私の目を見終わったフェニさんは、腕を組んで少しの間考えるような動作をした後、
「うーん……私には、原因はわからないわね」
と言った。
「やっぱり、専門のお医者様じゃないと」
「そうですか」
この人でもわからないのか、やっぱり、病院とかに行かないといけないのかな。
「まぁ、今はとりあえず朝ご飯を食べちゃいなさい。それでも痛かったら、一度治療院に行きましょう。あなた今日お休みでしょう?」
「そう、ですね。わかりました」
彼女の言葉に従って、朝食に手を付けようとする。
……ん? 今、何か……?
その時、一瞬、ほんの一瞬だけ、食べようとしている朝ご飯に、何か、ノイズのような物が走ったように見えた気がした。
「ん? どうかしたの?」
急に動きを止めた私に、お仕事途中のフィキさんがそう聞いてくる。
「……い、いえ、何でも、ないです」
そう言ってご飯を食べ始める。
……きっと、気のせいだよね。
先ほど起こった、左目の変化を気にしながら。
朝食を食べ終えると、着替えをするために一旦部屋に戻った。今日は朝から目の痛みに悩まされていたので、いつもならもう終わっているはずの朝の準備がまだできていなかった。
「じゃ、着替え終わったら出て来てくれ」
「はい」
いつものように二人には部屋の外で待っていてもらい、自分は中で着替えをする。
うーん、今日はどれにしようかな。
服を脱いで、ベトベトした寝汗を拭きながら今日着る服を考える。
えっと……いつも通り、これでいいかな。
選んだのは、私が最初に着ていた服。最近、というかいつも、この服を選んでいるような気がする。特にお休みの日は。
まぁ、でも、別にいいか。気に入った服ってことで、大切に使っていけば。
そう考えて服を着ようとすると、また服に、いや、左目で見ている光景にノイズが走った。今度は大きく、そして長い時間。
「え、な、何、これ……」
左目を押さえて目をギュッと瞑ると、それは治まった。だが、左目に少し違和感が残っている。
……な、何だったんだ、今の。これは、さっき話に出た、お医者さんの所へ行かないといけない、か?
そう思いながら、いつまでも裸でいるのは恥ずかしいのでさっさと服を着る。
着替え終わったので、ドアを開けて外の二人お部屋の中に入れた。
「あ、終わったか?」
「はい。いつもすいません」
「いいって、気持ちはわかるから」
謝る私に、アドレさんはそう言って私の頭を撫でた。
二人が中に入ったので、彼らが洗面などのことをしている間、私はこの間買ってきた鏡とくしを使って髪の手入れをすることにした。これも、ここ二週間で私の朝の日課となっていて、ずっと続けていることだ。
最近は毎日こうして髪にくしを通しているので、鏡の中の自分を見てもあまり驚かなくなった。オッドアイで、エルフの、女の子。これが私であると、ちゃんと受け入れられたのかな。
エルフというのは、私やフェニさんのように耳が長い種族のことだ。普通の人間に比べて魔法を扱うのが上手らしい。その魔法が何なのかわからないが。
フィキさんやゲーニィさんのようなエルフと人間が交わって生まれた人は、どちらかの種族になったり、時には両方の種族がちょうど合わさったハーフエルフになったりするらしい。
アドレさん曰く、これはエルフと人間以外の種族にも言えることだ、とのこと。要は、父と母のどちらによく似るか、という問題だ。どちらかに偏る場合もあれば、どちらにも似る、あるには似ない場合があるように、種族にもそう言った、遺伝や血筋の問題があるらしい。
ん……また、か。
三度視界にノイズ。鏡の中の私の顔が左右にずれる。今度は何もせずに終わるまで自分の左目を見ていたが、何も変化がないままノイズは収まった。
はぁ、なんなんだよ、もう。どうしてこんなことが起こるんだ。
ため息を吐きながらも手入れを終えると、アドレさんが。
「そう言えばお前、目の方はどうなんだ?」
と聞いてきた。
「痛みはまだあるのか?」
「痛み、ですか? それは、えっと……あ、あれ?」
そう言えば、いつの間にか左目の痛みが無くなってる。あれ、あんなに痛かったのに、どうして?
「いえ、その……もう、痛くないんです」
「え? もう大丈夫なのか? よかったじゃないか、痛いのがなくなって」
「それは、そうなんですけど」
いつから痛くなかったっけ……。
考えてみると、朝ご飯を食べていた時くらいから痛みがなかった、気がする。いや、確かにあの時から痛みがなかった。だから、食事に集中できたんだ。
「どうかしたか?」
「いやその、気付いてなかったなぁって」
「ん? まぁ、そういうもんだろ。で、じゃあ、どうするんだ? 治療院行くか?」
治療院……病院のことかな? うーん、どうしよう。やっぱり、行った方が良いのかな。変な病気かもしれないし。
そんなことを考えていると、また、視界にノイズが走った。これで四回目だ。ザザ、ザザザ、という音が聞こえてきそうなほどぶれる部屋の中。しかし、それは左目から見える部屋だけ。右の方は何ともない。
「ど、どうしましょう?」
迷った末に、アドレさんに聞いてみることにした。
行った方が良い気もするが、何となく行きたくないと思ったし、何となく、行っても治るとは思えなかった。
「俺に聞かれてもな……」
私の問いかけに、アドレさんは困った顔で頭を掻いた。
「俺には、お前がどんな状態なのかわからないからな」
「そ、そうですよね」
彼の言うことはもっともだ。でも、決められない物は決められない。
うーん、どうしようかな。
「なぜ迷う。自分が行きたいか行きたくないか、それだけじゃないか」
中々結論を出せない私に、カイさんがそう言った。
「そ、そうですよね」
彼の言うことももっともだ。んー、でも、本当にどうしようかな。
考えている間にも五度目のノイズ。ああ、もう、慣れてきちゃったじゃないか。早く決めないと。
そんな風に少し焦って決断を急いでいると、左目のノイズに紛れて、後ろにある部屋のドアが勢いよく開かれるのが見えた。
……え? な、なんで真後ろのドアが見えるの?
「まだここに誰かいますか!?」
大きな声でそう呼びかけながら入ってきたのは、とても慌てた様子のフィキさん。
「どうかしたのか?」
そんな彼女に、アドレさんがあくまで冷静に問いかける。だけど私は、そんなことよりも、どうして振り向かずに後ろのフィキさんのことが見えるのかが気になって仕方なかった。
いや、気になるなんてものじゃない。頭の中はもう疑問符でいっぱいだよ。どうして、見えるはずのない真後ろが見えるんだ? どうして、見上げないと見えない上が、下が、右が左が、三百六十度全方位が視界に入っているんだ? しかも左目だけだし……。
「み、港に魔物が、魔物が出たんです!」
「何? 魔物だと。それは本当か?」
後ろで二人が話をしている声が聞こえる。そして、私はその光景を振り向かずに見ている。明らかに、おかしい。普通じゃない。
「は、はい。海の中から突然大量に表れて、もうすでに、港にいた漁師さん達が逃げ遅れて……」
暗い顔をするフィキさんにアドレさんは、
「そうか。わかった、すぐ行く」
と言って、部屋を出ていった。
「レイラ、お前は早く逃げろ」
残ったカイさんが私の肩を叩いてそう言った。今までに見たことがないほど真剣な表情で。
「え、え? な、なんでですか?」
しかし、左目の異変に困惑していた私は、彼に言われたことの意味がわからなかった。
「話を聞いてなかったのか? 港に魔物が出たらしい。ここは海に近いから危険だ。戦場になる」
「せ、せんじょ……」
魔物に、戦場? そ、そんな、まさか。
信じられない私の耳に、どこか近くから何かが壊れる音と、誰かの悲鳴が聞こえてきた。
「……来たか。とにかくお前は逃げるんだ。海に近付くな。いいな」
彼はそう言って、アドレさんと同じように部屋を出た。
「さ、早く」
私もフィキさんに促されて部屋の外に出る。階段を下りて一階に行くと、フェニさんもそこにいる人達に逃げるように言っていた。
「早く、戦える人は応援に、他の人は南に逃げて!」
彼女の言葉に従って、さっき見た時には食事をしていた人も、誰かと話をしていた人もお店を出て行った。武器を手に持った人は海の方へ、それ以外の他の人はその逆の方向へ走って行く。
「レイラちゃんも、早く逃げて」
「え、は、はい……あの、フィキさんは?」
この人達だって逃げなくちゃいけないはずだ。そう思って聞いてみると、彼女は、
「私はここに人だから、まだ残っている人がいない確認しなきゃいけないの」
と言って、階段を上ろうとした。
「そ、それなら私も手伝います」
そのくらいなら私でもできる。それに、私だってここで働いている。手伝わないといけないはずだ。
そう言うことを訴えるが、彼女は聞いてくれない。
「いいの。あなたは、もし逃げ遅れた時に戦う術がないでしょう? だから、今のうちに早く」
「た、戦う術って……」
確かに、私は何か武器を持っていたり、戦い方を知っている訳ではない。でも、だからって自分にできることをしないというのは……。
「何してるの! あなたは早く逃げなさい!」
何もせずに逃げるのは嫌だ。私がそう言う前に、今まで見たことがないような剣幕のフェニさんにそう言われてしまった。アドレさんとの喧嘩の時ですら、ここまでの大声は聞いたことがない。
「は、わ、わかりました……」
ここまで言われてしまったら、素直にならざるを得ない。
いつものようにフードを被り、他の人と一緒にお店の外に出て、海とは逆の方向に、人混みに流されるまま、左目を気にしながら進んで行く。
外は、この町にこんなに人がいたのかと思えるほど人で溢れ返っていた。
「な、なんなんだ、これ……」
こんな町中パニックな状況でも、左目は相変わらず、見えるはずのない所を捉えていた。それどころか、目を瞑っても視界は真っ黒にならず、ずっと見えている状態が続いていた。しかもやはり、左目だけ。
なんで、こんな……遠くの景色も、壁の向こうの様子まで見えてしまうんだ。この目が、自分が、怖い。
「きゃ!」
人に押されて、建物と建物の間の狭い路地に入ってしまった。その拍子に、足がもつれてこけてしまう。
う、いったぁ……。
「え、なん……ひっ!」
急いで立ち上がろうとした私の左目に、今私がいる路地とは違う場所の光景が見えてきた。
この町に来た初日にずっといた海辺の岩場。そこに海から上がってくる、四本足でひれの付いた生物。一匹二匹、なんて数えることができないほど大量にいる。
鋭い爪、血に濡れた牙、くりくりとした可愛い瞳、獰猛そうな顔。そんな、夢に出てきそうな恐ろしい生物が、次から次へと。
あ、あれが、魔物……本当に、どうしてこんな物が見えるんだ。見たくないのに、なんで……。
「い、いや、それよりも、逃げなくちゃ……」
もう一度立ち上がり、後ろのキャーキャーワーワーと騒がしい人混みの中に戻って行く。その間も消えない魔物の映像。
あの人達は、あれと戦いに行ったんだよな……心配だ。凄く、心配だ。
アドレさんとカイさんのことを考えながら道を進んでいると、今度は魔物とは違う物が見えてきた。
よく知るお店の前で戦うアドレさんとカイさん、その他数人の男の人。みんな剣や槍を持ち、刃を魔物に刺したり斬ったりしている。だが、人数が圧倒的に足りないせいで段々と後退している。
あぁ! 一人、怪我した。
防衛線に穴が開き、そこから魔物が町に、私や他の人達がいる道に傾れ込んできた。
「う、嘘……」
魔物は倒れた人に群がり、噛みついてぐちゃぐちゃと咀嚼を始める。
「う、おぇ……」
思わず口元を押さえ、足を止める。止まった私にぶつかりそうになる人がいたが、何とか避けてくれた。
ひ、酷い……酷すぎるよ。食べる、なんて……。
涙が出る。これが自然の摂理だとしても、食欲に従って人肉を喰らうあの魔物達がこの世の者ではない化物に見えた。
知っている人ではないが、一人ひとり死んでしまったその瞬間を見たというのが、私の心に暗い影を落とす。
……どうして、こんなものを見なくちゃいけないんだ。今までは普通だったのに、なんで、なんで……こんな悲惨な光景を……。
私がこうしている間にも、魔物達は後ろに迫っている。そして、その様子も見える。見えてしまう。
私も、あの生き物に追い付かれたら、あの人みたいに……嫌、そんなのは嫌だ。は、早く逃げないと……。
そんな中、私の左目はある別の場所に視点を移した。
よく知る顔が二つ、いや、五つ。フェニさんの夫さんと息子さんと、武具屋でよく合う三人の漁師さん。その五人が、魔物に取り囲まれている。銛などを持って応戦しているが、二人ほど怪我をしていて戦況は芳しくない。
あ、あれは……そんな、あのままじゃ、五人とも魔物に殺されちゃう。ど、どどどうしよう。助けないと、助けないといけない。
振り返り、後ろに向かって走り出そうとする。だけど、体を動かそうとする前に魔物に対する恐怖と、フィキさんに言われた言葉を思い出した。
『あなたは、もし逃げ遅れた時に戦う術がないでしょう?』
……わ、私じゃ、無理だ。私は戦えない。私は、逃げることしかできない。そんな私があそこに行っても……。
命を落とすだけ。その言葉を思い浮かべる前に、右手が腰に触れた。腰に着けていたホルダーに。
スッと慣れた手つきで中身を取り出して、それに書かれていた文字を見る。
レイラ……私の、名前。目を瞑ると、この言葉を名前として使うと決めた時のことが脳裏に浮かんだ。
『そんな大事なことは、自分で決めないといけないわ』
あの時フェニさんに言われた言葉。そして、さっきカイさんに言われた言葉。
『なぜ迷う。自分が行きたいか行きたくないか、それだけじゃないか』
自分が行きたいか、行きたくないか。自分に関する大切なことは、自分で決めないといけない。自分を信じて、そして、信じた道を突き進むまで。
「……ごめん、なさい。みなさん」
私は、みんなに言われたことに、逆らってしまう。
名前が書いてある棒を握りしめ、決意を固める。
「すぅ~、はぁ~……」
一度深呼吸をして目を開けると、普段と違う左目だけでなく、普段と同じであるはずの右目で見える情景まで、どこか変わった気がした。
今ならずっとわからなかったこの棒の、この武器の使い方がわかる気がする。今なら魔物供に太刀打ちできる気がする。今なら、あの人達を助けにいける気がする。いや、行きたい。行きたいから、助けに行く。私が、助ける!
親指で棒の裏の十字型切り替えボタンを操作して、下に切り替える。
後ろを向き、人の流れに逆らって走りながら、左目が示すポイントに狙いを付けて、二つあるうちの上の引き金を引く。
上面から先端に刃の付いたワイヤーが飛び出し、木製の建物の屋根に突き刺さった。そして、ワイヤーを巻き戻して回収する時の力を利用して屋根の上に上手く飛び乗る。
よし。これでスムーズに移動ができるな。急がないと手遅れになる。
建物と建物の隙間を飛び越えながら走る私の左目に、『再起動完了』という文字が見えた。
再起動……遅いじゃないか。
ふっ、と息が漏れる。
少しして、右目にフェニさんの宿屋さんが見えてきた。お店の前で炎や水や風を魔物にぶつける親子の姿も。
いつの間にか、怪物達の最前列を通り過ぎていたようだ。慌てて左目を使ってそちらを見ると、逃げる途中でこけてしまった人が魔物の餌食にされようとしていた。
恐怖に染まるその女性の顔。ここからでは間に合わない距離だ。
その様子を見て何かを考える前に、私の体が勝手に動いた。
十字ボタンを右に動かし、再び上の引き金を引く。すると、持つ部分はそのままに、どこかで見たことのある武器に変化した。
長い銃身。遠くを見るためのスコープ。コッキングレバーを引いて弾を装填。左目の望遠機能を使いながら右目でスコープを覗く。狙いを付けて上の引き金を引く。バンッ! という音と共に猛スピードで飛び出す弾丸。
……よし、当たった。
弾が魔物に当たり、女性が助かったことを確認した。
次弾装填。落ちる薬莢。しかし、その薬莢は地面に触れる前に消えた。
「え、う、嘘……あなた、レイラちゃん?」
その銃声で私の存在に気付いたのか、フェニさんがそう声を発した。
「に、逃げてって言ったのに、どうして戻ってきたの!? それより、それはいったいなんなの!?」
「対物ライフルですけど」
彼女は周りが魔物だらけだというのに、声を張り上げて私にそう言ってきた。私は冷静に即答しながら、もう一発同じ方向に撃った。
……着弾を確認。
コッキングレバーを引いて弾を入れる。
また何事かを言い始めたフェニさんのことを無視して、十字ボタンを押し込んでから真ん中に戻す。消えるライフル銃。
「え? な、なんで、なくなった?」
驚くフィキさんも無視して、また上の引き金を引いた。
今度は銃ではなく、機械のような片刃の剣が現れた。私の身長よりも長く、これもやはりどこかで見たことがある。
フィキさんの驚いている顔を見ながら道に降り、ちょうど真下にいた一匹の魔物にその剣を突き刺した。
ギャアアァ、と悲鳴を上げる魔物。その声で、周りの魔物は私のことを敵と認識したのか、一気に襲いかかってきた。
「あっ! レイラちゃん危ない!」
そんなことは、見ればわかる。
三百六十度が見える左目を使って、全二十七体の敵の動きを見、分析し、次の動きを予測しながら、鋭い牙を、爪を避け、剣を振って魔物の首を確実に刈っていく。段々と赤く染まっていく地面と私の上着。
数分も経たずに、すべての魔物がただの肉塊となった。
「……ふぅ」
剣を一振りし、血をはらう。
「楽しかった」
久々にこんなに身体を動かした気がする。
一息ついた私の下に、安全を確認したフェニさん達が駆け寄ってきた。
「れ、れ、レイラちゃん! い、今の、今の動きは何なの!?」
「ど、どうしてそんなことできるの!?」
二人は同じようなことを言いながら私に詰め寄る。少し怖い顔で。
「ちょ、ちょっと待ってください。今はそんなことをしている場合じゃないでしょう」
手で制しつつ口を開く。
「でも、あなた、それ、どうして……」
「まだ向こうに、ここより奥に入り込んだ魔物が沢山います。今、多分騎士と思われる人達が向かっています」
今も左目で見ているから間違いはない。
「けど、到着にはまだ時間がかかります。その間、魔物をどうにかする人がいないと駄目なんです」
「そ、それって……私達が、向こうに行った奴らを倒せってこと?」
「はい」
フェニさんの確認の言葉に、強く頷いた。他にも戦っている人がいるようだが、この二人が行けば万全になると思った。
「い、いいけど……あなたは、どうするの?」
「私は……助けに行きます」
左目で漁師五人を捉える。彼らはまだ持ちこたえていた。しかし、さっきよりも怪我をしている人の出血量は増え、顔色も悪く、みんながみんな大量の傷を負っていた。
くっ……時間を使いすぎたか。
「助けに行くって、誰を?」
「……お二人の、ご家族を」
「え? そ、それってまさか――」
何かを言いかけたフェニさんの言葉を待たずに、港に向かうべくボタンを押しこんで剣をしまう。
「あ、ちょっと、待って! 待ちなさい!」
「じゃあ、討ち漏らしはお願いします」
そう言って再び十字ボタンを下にして引き金を引き、ワイヤーを使って宿屋の屋根に上った。さっきと同じようにその上を走る。二人のことを左目で見ていると、彼女らはしばらくの間迷っていたが、坂の上の方からの悲鳴や叫び声を聞いて、そちらに向かっていった。
よし、これであっち方面は大丈夫だな。後は……。
視点をアドレさん達に移す。彼らは最初にいた場所から移動していた。私の隣にある大通りではなく、他の二つの大きな道で魔物の進行を食い止めている。
二人はそれぞれ別の道にいて、他に人はいなかった。彼らは迫りくる大量の敵を剣一本だけで相手している。
……凄いな。たった一人で道全体をカバーしてる。強いんだな、あの二人。一人の方が全力を出せているみたいだ。時々路地に入って行くのもいるけど、それ以外はきちんと倒している。あっちも大丈夫そうだ。
後は、あの人達を助けないと。
少し走るスピードを上げる。剣を手に持ち、港の前の建物の屋根を蹴って、人生を諦めたような顔の五人に噛みつこうとしている魔物の首を斬り飛ばした。
「え? ……お、お前は……?」
続けて二体、三体と敵を倒し、剣を素振りして威嚇して魔物を引かせた。ひとまずの安全を確保する。
「さ、早く逃げましょう」
「そ、その声は嬢ちゃんか?」
私の言葉を聞いた知り合いの漁師さんがそう言った。怪我した腕を押さえている。
「あ、はい。おはようございます」
「お、おはようじゃねえよ! お前、なんで逃げてねえんだよ!」
ギーケイさんのその言葉に、他の人達も同じようなことを言ってきた。なぜ来た、なぜ逃げない、と。
この人達も、フェニさん達二人と同じことを言うんだな。私、そんなに弱く見えるのかな?
そんなことを考えながら、また剣を振る。倒れる人間大の危険生物。しかし、そうして開けた穴もすぐに埋まってしまった。
見ると、ここでこうしている間にも魔物は海からどんどん上がってきている。
これは、きりがないな。ちょっと数を減らさないと逃げられないかも。
「私が道を作ります。あなた方は後に付いて来てください」
「んな、ちょ、お前、俺らなんかに構わずに逃げろよ! 死ぬぞ?」
「そうだぜ嬢ちゃん。死ぬのは俺達だけでいい」
「俺らはもう駄目なんだよ。この状況をどうにかすることも何もできない。それに、死ぬ覚悟だって……」
死ぬ死ぬって、そればっかりだな。
十字を左にして引き金を引くと剣がハンドガンに変化した。そのまま、私に訴えかける漁師さん達の後ろにいた魔物を撃ち抜く。
「死ぬ覚悟?」
何変な覚悟してるんだ、この人達は。
カランカランと地面に落ちた薬莢はすぐに消え、モヤモヤした何かになって銃へと吸い込まれていった。
「あ、ああ、海に出て、船から落ちれば陸に戻れずに死んじまうかもしれない。だから、俺らはいつ死んでもいいように覚悟をしてるんだ。でも、お前は――」
私の呟きに、今にも死にそうな顔の漁師さんが場違いな説明を始めた。どうでもいいので彼の声を遮る。
「そんなことを考えている間に、なんで生き残るための努力をしない」
「……は?」
銃声の合間に呟いた私の言葉に、ゲーニィさんが変な顔になった。
「なぜすぐに諦める。なぜ、まだ生きていられるというのに、そんなに簡単に命を捨てるんだ。希望を持たないんだ」
この人達だって、海に出る時、ずっと今にでも死ぬかもしれないと思っている訳ではないはずだ。たとえ、今のような絶体絶命の状況の中でも、僅かな希望くらい。
「だ、だが、この状況だぞ? 魔物に囲まれて逃げ道もない、戦う武器もない、助けもない。もう諦めるしかないじゃないか」
そう言う彼の右手には、彼の顔と同じくらい血にまみれてボロボロの銛が握られていた。これで何とか戦ってきたようだ。
おーおー、頭の中はもう諦めムードなのか。大人のくせに、私と違って家族がいるくせに、死ぬだのなんだの言いやがって。こいつらには守りたいものはないのか。会いたい人はいないのか。
「逃げ道なら私が作る。武器はこれしかないが、私が助ける。みんなを」
「ふざけたこというなよ! 嬢ちゃんみたいな子供に、俺達のことを助けられる訳ねぇだろうが! どうせ生き残れないんだ。ここでみんな死ぬより、嬢ちゃんだけでも生き残ってくれた方が良いに決まってんだろ! わかったらとっとと逃げてくれよ!」
……この人達はどうせ、私が子供だから、非力だから、私の言うことが信じられないのだろう。私は今も、五人の目の前で戦っているというのに、現実を受け入れられない人達だな。
「断る。死にたいんなら勝手に死ねばいい。自分が死んでも、誰も悲しまないって言うのなら、ここでこいつらに喰われればいい。だけどな」
必死に訴えかける彼らの目をしっかりと見ながら、私は言葉を続けた。
「私は、あなた方が死んでしまったら、悲しいです。とても」




