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義眼の少女は異世界を旅する  作者: 夜寧歌羽
第一章 失ったモノ、変わったトコロ
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第八話 宿屋のお仕事

 翌日、いつものように着替えを済ませて朝食を取るために下に向かうと、階段の所になにやら人だかりができていた。

 あれ、なんか、人が沢山いるな。朝からどうしたんだろう。

 気になって、近くにいたお客さんの一人に聞いてみる。


「あの、何かあったんですか?」

「え? ああ、聞けばわかるよ」


 その男の人は下を指さして、ニヤッと笑った。


「いつものことさ」


 意地悪そうな顔だが、私に向けられたものではないからあまり不快にはならなかった。

 下? 聞く? いつものこと? ……ああ、何か、わかった気がする。

 その人の言葉で何となく予想が付いたが、確認のために耳を澄ましてみる。


「……ちょっと! そんな言い方はないでしょう!」

「るっせぇ! そっちが先に言ってきたんだろうが!」


 ……予想通り、フェニさんとアドレさんの大きな怒声が聞こえてきた。


「……またやってる」

「わかったかい? ここ数週間はなかったんだけど、今日はなぜか早朝からあの調子でね」

「はぁ、そうなんですか」


 つまり、あの二人が帰ってきてからすぐに始まったということか。二人とも、朝から元気だなぁ。

 何が起こっているのかは理解したけど、これはどうすればいいのかな。止めないといけないと思うけど……私に止められるのかな?

 とりあえず一階まで、ちょっとすいませんと言いながら人ごみをかき分けて移動して、二人の姿が見える所まで降りた。

 この間のように二人の喧嘩の様子を覗き込んでいるフィキさんに便乗して、私も同じように食堂の中を見てみる。


「おお? なんだ? 俺とやろうってのか? え?」

「やってやろうじゃない。かかってきなさいよ。言っとくけど、店の物品を壊したら弁償だからね」


 うわ、お店を盾に取ってる。汚い。フェニさん、流石にそれは汚いって。あ、カイさんが諦めて寝てる。た、頼みの綱が……。

 どんな理由で争い始めたのかは知らないが、ついに実力行使に出ようとしている。流石にこれは止めないといけないと思い、フィキさんに話しかけた。


「え、えっと、フィキさん?」

「ん? あ、レイラちゃん。おはよう」


 彼女はのんきに挨拶をしてくる。いや、そんなことしてる場合じゃないでしょう。一応挨拶は返すけど。


「お、おはようございます。それよりも、これ、どうしましょう?」


 睨み合っている二人を示しながらどうしようかと問うと、彼女は、


「ああ、これね。大丈夫よ、すぐに終わるから」


 と言い、再び二人の喧嘩観察に戻った。


「え……なんで終わるってわかるんですか?」


 この状況だ。もっと酷くなることを心配してもいいはずなのに、フィキさんは全く心配していないし、しかも、そろそろ終わる? どうしてそんなことがわかるんだ?

 二人の成り行きを気にしつつ、フィキさんの言葉に首を傾げる。


「だって」


 彼女はこちらを見ずに言った。


「お母さんもあの人も、殴り合いは絶対にしないもん」

「え、でも、これは……」


 殴り合いはしないだって? そんなこと言っても、これは流石に不味いんじゃ……。


「それに、そろそろ帰ってくる頃だから」

「え? 誰が、ですか?」


 納得できない私に、彼女はもう一つの理由を付け足した。

 帰ってくるって、いったい誰が?

 フィキさんがそう言ってからすぐ、彼女の言ったことの意味がわからない私の耳に、ドアの呼び鈴の音が聞こえてきた。


「あ、きたきた。帰ってきた」


 彼女の声にお店の入り口を見ると、そこには二人の男の人がいた。それと同時に、店中に今ではお馴染みの潮の香りが広がった。


「おうおう、なんだ。帰ってきてそうそう、気まずい場面に居合わせちまったのか?」


 背が大きく、よく日に焼けた小麦色の肌を持つ大人の男性が大きな声でそう言った。それに気付いたフェニさんとアドレさんがその男性の方を見る。


「お父さん! お兄ちゃん! お帰りなさーい!」


 そんな中、フィキさんが一人飛び出して、その男の人に抱きついた。私は、彼女の言動に驚いてその場から動けなかった。

 え、お、お父さん? あの人が?


「おお、フィキ。ただいま」

「うん、ただいま」


 彼は抱きついたフィキさんを受け止めて頭を撫でた。優しい表情で。隣のもう一人も、同じように微笑んでいる。

 あの人がフィキさんの父親って事は、フェニさんの夫でもあるってことだよね……あ、そう言えばフェニさん達は? 少し目を放しちゃったけど、大丈夫かな?

 あの今にも殴り合いを始めそうな雰囲気だった二人の方を見ると、今ではもうそんなことが起こりそうな感じではなかった。互いに目を逸らし、気まずそうにしている。


「でー、この状況は何なんだ?」


 男の人がフィキさんにそう聞くと、元凶であるフェニさんが、


「……ちょっと、トラブルがあってね」


 と、状況を説明した。


「トラブル? 大丈夫なのか?」

「ええ、もう解決したから」


 ……本当に、解決できたのかな?

 疑問に思いながらアドレさんの方を見てみると、彼は少し伏せ目がちに言った。


「ああ。すまん」

「いいのよ、私も悪かったから」


 とりあえず、二人の喧嘩は終わったようだ。よかった。

 何とかなったようなので、私を含めた階段で待っていた人達が食堂に出て、次々と席について行った。私もとりあえず、寝ているカイさんの隣に腰掛けた。そのさらに隣に、アドレさんも座る。


「……なんか、すまなかったな」


 少し疲れた様子のアドレさんがそう言うと、彼の目の前で朝食の準備をしているフェニさんが、


「……もう、いいのよ」


 と、同じような疲れた様子で言葉を返した。やっぱり二人は似た者同士だな。この人達は、こういうところが面白い。

 それから、フェニさんとフィキさんが頑張って、いつもより時間はかかってしまったが、何とか無事にお客さん全員に食事が行き渡った。私も手伝おうとしたのだが、フェニさんに、


「あなたは今日お昼まではお休みなんだから、お仕事はしちゃ駄目」


 と言われてしまい、大人しく待っている他なかった。代わりに、さっき帰ってきた二人のうち一人が手伝ってくれていた。

 先ほど帰ってきた二人だが、彼らはやはり、フィキさんとフェニさんの家族のようだ。背が高く、フィキさんに抱きつかれていたのが彼女のお父さんでフェニさんの夫さん。静かにしていた方がフェニさんの息子さんで、フィキさんの兄にあたる人物だそうだ。二人とも、漁師をしているらしい。


「俺らぁ、今日まで遠洋漁業してたんだ」


 よく通る大きな声で、フィキさんのお父さん――ギーケイさんが言った。


「船で片道二週間の所だ。いつもは一日で帰ってこれる距離の所でやるんだが、今回だけはそっちの方でないと駄目でな」

「そう、なんですか」


 親が漁師をしているという話はフィキさんから聞いていたが、そんな遠くまで行っていたなんて。やっぱり寂しかったのかな。


「んでー、その、お前は誰なんだ?」

「あ、えっと……私、レイラって言います。その、ここで働かせていただいています」


 ギーケイさんは私とフェニさんとの会話に入ってきたので、まだ私のことを知らなかった。とりあえず自己紹介をして、頭を下げる。


「ここで働いてる? へぇ、なんだそうなのか。俺はてっきり、フェニの隠し子かと思ったぜ」


 そう言って彼は、がっはっはと豪快に笑った。は? か、隠し子? 何それ?


「隠し子だなんて……私があなたに内緒でそんなことすると思う?」

「そうだよ。お袋がそんなことする訳ない」


 ふざけた様子のギーケイさんの言葉に、呆れた様子のフェニさんが反論して、ついでに二人の息子さん――ゲーニィさんが母親を応援した。


「それもそうだな」


 そう言うことで話がまとまった。仲の良い家族だ。私にも、こんな家族がいたのだろうか。……やっぱり、思い出せないや。はぁ。


「あ、レイラちゃん、だったっけ」


 先ほど手伝いを終えて話に加わったゲーニィさんが、私に話しかけてきた。


「あ、はい。そうですけど、何ですか?」


 何の用だろう。


「ここで働いているんだよね。頑張ってね」

「え、あ、はい……が、頑張り、ます……」


 彼はそれだけ言うと、母親と何やら話を始めた。

 ……何だったんだろう? 応援してくれた、のかな? 直球過ぎて、よくわからなかった。言われなくても頑張るのに。変な人だな。


 その後、朝食を食べ終え、貰う物を貰った私は町に出かけた。目的地はあの武具屋さん。あそこに行くのは一週間ぶりだ。

 フェニさんの宿屋で仕事を始める前は暇な時間が多かったので毎日のように行っていたが、今は毎日のように働いているため、ずっと行くことができていなかった。


「おはようございまーす」


 元気よく挨拶しながらお店のドアを開けると、店内にはすでに数人のお客さんがいた。

 あ、今日もお客さんがいる。あの人達は見たことがあるな。前に来た時は確か、銛を見に来てた……漁師さんだっけ。


「おはよう。今日も元気がいいな、嬢ちゃん」

「お、嬢ちゃん、久しぶりだな」

「あ、おはようございます。お久しぶりです。今日も来てたんですね」


 フードを取って言葉を返す。この人達はこの間少し話をして仲良くなったので、目を見られても一応は平気になった。まだ少し慣れないけど。


「おやぁ、来てくれたのかねぇ。一週間ぶりだねぇ」

「あ、お久しぶりです」


 店主のお婆さんにも挨拶する。


「すいません、一週間も来れなくて」

「いいよぉ、別に。一週間でも、来てくれるだけで嬉しいからねぇ」

「そう、ですか」


 よかった。何も言わずに次の日来なかったから、少し寂しい思いをさせてしまったのではないかと心配だったけど、大丈夫だったみたいだ。


「ちょっとお仕事を始めたので、これからは週一くらいでしかここに来れないと思います」

「ああ、嬢ちゃんあの店で頑張ってるもんな」


 私がここに来れなかった理由を話すと、漁師さんの一人がそう言った。

 え、な、何で知ってるの?


「ど、どうしてそれを?」


 首を傾げながら聞いてみる。


「見たんだよ。この間あそこの前通った時に、嬢ちゃんが働いてるのを」


 え、見られてたの? 全然気付かなかった。


「よくわかりましたね」

「いやぁ、すぐにわかったぞ。嬢ちゃんは、その、目立つからな」

「目立つ……そ、そうですか」


 確かに私は、目立つ、かもしれないけど、お店の外からでもわかる物なのかな。


「ほうほう、どこのことだぃ?」

「あ、えと、フェニさんの所です。宿屋さんで、名前はえっと、なんて言ったっけ……」


 そう言えば私、あのお店の名前を知らないな。聞いてみたこともないし、看板に書いてある文字も読めないから、働いているのにもかかわらず、ずっと知らなかった。

 言葉に詰まってしまった私に、さっきの漁師さんが、


「あそこだ。『宿シーリング』ってとこ。夜になると酒場になる所だ」


 と、あの宿屋さんの名前を教えてくれた。


「あ、そうです。そこです……多分」


 『宿シーリング』? そんな名前だったのか。覚えておかないと。


「おお、あそこかねぇ。あそこの人は面倒見もいいから、安心して働けるねぇ」

「ああ。あそこは酒も飯も美味いし、今夜にでもみんなで飲みに行こうと思うんだが、婆さんも一緒にどうだい?」

「いいねぇ、あそこは近くだから、すぐ行けるしねぇ」

「え、今夜、来るんですか?」


 話が早いぞ。

 私はあのお店の名前を覚えようとしているうちに、いつの間にか漁師さん達とお婆さんがお店に来ることになっていた。


「おう、行かせてもらうぜ。よろしくな」

「は、はぁ」


 まぁ、来る来ないは別として、夜はちゃんと仕事をするつもりだからいいんだけど。


「言っておきますけど、知り合いだからってまけたりはしませんよ」

「はっは、それでいいよ。そんなことはなっから期待しちゃいねぇ」


 そんな風にしばらくの間楽しく談笑してから、お昼よりは少し早めにここを出ることにした。


「もう行くのかぇ?」

「はい。ちょっと用事があるので」


 今日はここの他に、行きたい所があった。


「そうか。じゃ、また。今夜みんなで行くからな」

「はい、待ってますよ」


 みんなに別れを告げてから外に出て、前に見かけた目的のお店へと向かう。

 その店は武具屋さんから数分ほど歩いた所にあった。


「よし、ここだな」


 着いたのは、前にアドレさん達といった小物を売るお店。この間はお金が無くて何も買えなかったが、今日はちゃんとお給料をもらってきたので、ここで少し必要な生活用品を買おうと思っていた。

 フードを被ったまま店の中に入る。ここに来るのはまだ二回目だし、知った顔もないので、ここではこのままでいるつもりだ。

 えっと、必要な物、必要な物っと……お、あったあった。

 商品棚をいくつか回り、まず見つけたのは歯ブラシ。


「……一つ十五、セルか」


 これなら問題なく買えるな。これにしよう。

 値札を見ながら手頃な物を選ぶ。

 私は文字を読むことはできないが、仕事に必要だからとフェニさんに教えてもらい、簡単な数字だけは何とか読めるようになっていた。

 一を『一』と表し、二を『T』と表す。飛んで、五を『正』と表して、六は『正一』、十は『×』と表す。そう大まかに教えてもらった。おかげで、これくらいの安い売り物の値段や時計が読めるようになったので、これだけで私の生活は豊かになった。

 読めるって素晴らしい。でも、私にも読み書きできる文字はあるんだよな。私の名前だって、私が読める文字で書いてあったし、何かメモを取る時だって、私は字を書けていた……誰も読めなかったけど。

 あれかな。私の中にある文字の知識と、実際に使われている文字は別なのかな。まぁ、また今度、フェニさんに文字も教えてもらえばわかることか。


 次に見つけたのは、髪をすくためのくしと、髪を結ぶための輪ゴムだった。

 おお、あった。これを探してたんだ。

 女の子として日々を過ごすこと二週間、性別の違いに困惑しながらも、様々な変化を受け入れてきた。まだまだ慣れない部分もあるけど、少なくとも今の私には、自分は『女』であるという自覚がある。

 男だった私が女として生活していく中での変化は色々あるが、大きなものとしては、トイレや着替え、服、そして、髪の毛のことがあった。

 私の髪の毛は長い。腰まであるほど。そのことにまだ慣れていなくて、鬱陶しく思っていた頃、フィキさんと髪の話をしていると、彼女から、


「そんなに髪が鬱陶しいのなら、思い切って切っちゃえば?」


 と言われた。


「え……き、切るのは、ちょっと……」


 髪をいじりながら首を振る。なんかよくわからないけど、この髪を切るのは、その、嫌だ。


「嫌なの?」

「はい……」


 何でそんなことにこだわるのかわからないけど、何となく、切ってしまうのは嫌だと思った。


「そう。まぁ、髪は女の子にとって命だから、それでもいいけどねー」

「そう、なんですか」


 髪は、女の子の命、か。確かにそうだな。きっと、世の中のだいたいの女性は髪の毛に何らかのこだわりを持っていて、どうでもいいなんて思う人は少ないのだろう。私がこの長い髪にこだわりを持っているのも、別におかしなことではない。


「でも、髪にくしくらいは通しておかないといけないわよ」

「え?」


 彼女の言葉に納得していると、フィキさんがそう言った。


「くし、ですか?」

「うん。ちょっと待っててね」


 彼女はそう言って、二階にある自分の部屋へと言ってしまった。

 何しに行ったんだろう? くしって言ってたけど……くしを通すことに何か意味があるのかな?

 しばらくして、フィキさんが戻ってきた。その手には、さっき話に出たくしが握られている。


「はーい、レイラちゃん。後ろ向いてー」

「え、後ろって……?」

「いいから、えい!」

「ちょ、あ、危なっ……!」


 いきなり後ろを向けと言われ、訳もわからずに動けないでいると、フィキさんが私の座っている回るカウンター席を回して、私に無理矢理後ろを向かせた。危うくバランスを崩しそうになり、とっさにカウンターを掴む。


「よーし、これでいいわね。ちょっと大人しくしてて」

「な、何を……?」


 振り向こうとすると、髪が少し引っ張られた。少しして、もう一度後ろに引っ張られる感覚。


「お、レイラちゃんサラサラだねー」


 どうやら、フィキさんがくしで私の髪をすいているようだ。


「どう? 気持ちいい?」

「え、ええ……その、ありがとうございます」


 他人にこんなことをしてもらうなんて初めてだ。少し、嬉しい。

 私の感謝の言葉に、フィキさんは、


「いいのいいの。私が暇な時ならいつでもやってあげる」


 と言ってくれた。

 それからは時々、フェニさんにお願いしてくしを通してもらっている。だけど、いつまでもやってもらうばかりなのは嫌なので、ここで自分用のくしを買って、自分一人でできるようにしようと思ったのだ。輪ゴムはついでだ。


 歯ブラシとくしの他にも、それらを入れる袋とハンカチを買ってから宿屋さんに戻った。

 今日貰ったのは三千百六十セル、つまり、銀貨三枚と大銅貨一枚、銅貨六十枚になる。で、今使ったのは三百七十セル。

 うん。もらった分と比べるとかなり少ない。この間はもらえなさすぎたけど、今度は少し、もらいすぎた気がする。まぁ、ちゃんと働いてもらった分だし、計算間違いとかではないと思うけど、この差は何か、笑えちゃうな。ははは、はは、はぁ……馬鹿馬鹿しいや。


「ただ今戻りましたー」


 そう言いながらお店の中に入る。


「あ、お帰りなさい。ちゃんとお昼に返って来たわね」


 フェニさんがいつものように話しかけてくる。


「あら? それはなあに?」

「あ、これですか?」


 私の持つ紙袋を見た彼女は、不思議そうな顔になった。


「ちょっと買ってきたんです。必要な物を」

「ふうん、早速使ったのね。別にいいけど、ちゃんと計画的に使うのよ?」

「わかってますよ。大丈夫です」


 心配してくるフェニさんにそう告げて、荷物を部屋に置いてエプロンを付け、ご飯を食べてから午後のお仕事に入った。

 お皿洗って、机拭いて、お客さんがいなくなったお部屋を掃除して整えて。昨日も一昨日もやった作業を繰り返す。ここら辺の仕事はもう慣れたもので、誰の手も借りることなくこなすことができた。


「あ、レイラちゃん、ちょっといい?」


 新しい宿泊客を緊張しながらもお部屋に案内し終えた私に、フェニさんがそう言ってきた。


「あ、はい。なんですか?」


 何の用だろう? 私、何かしちゃったかな?

 少しビクビクしながらも、彼女の言葉に耳を傾ける。


「今日はちょっと、新しいことを考えたいのだけれど、いいかしら?」


 え……新しいこと?


「ほ、本当ですか?」


 フェニさんの話を聞いて、私は凄く嬉しい気持ちになった。

 新しいことを教えてもらえるということは、新しい仕事をもらえるということ。新しい仕事をもらえるということは、私がフェニさんに信用されているということ。そのことがとても嬉しかった。


「何を、教えてくれるんですか?」

「えっと、お料理を教えようと思っているわ。興味あったりする?」


 お料理? やった! ついにお料理を教えてもらえるなんて、凄い、嬉しい。


「あります! 興味、凄くあります!」

「そ、そう。そんなにお料理がしたの?」

「はい! したいです! 是非お願いします!」


 お料理はずっとやってみたかった。フェニさんやフィキさんがキッチンで何かを作っているのを見るたび、私もいつかあそこで、あの人達みたいに美味しいお食事を作りたいと思っていた。

 それがついに、できる。教えてもらいながらだけど。

 勢いよく頭を下げた私に、彼女は少し驚きながらも、


「え、ええ、わかったわ。じゃあ、早速始めましょう」


 と言った。


「はい! よろしくお願いします!」


 私は勢いよく頭を上げて、彼女に言われるがまま準備を進めた。

 手を洗って、鍋出して、包丁とまな板出して、食材出して。フェニさんに教えられた通りに材料を切り、炒め、鍋に入れてグツグツ煮込む。


「えっと、これでいいんですよね?」


 ひと段落ついたので、フェニさんにそう確認する。お料理を始めて約一時間、指示されたことを指示された通りに実行して、大量の野菜やら魚やらを沢山使ったスープを作っているところだった。


「ええ、大丈夫よ。それにしてもレイラちゃん、手際がとってもいいわね。もしかして、料理をしたことあったりするの?」

「え? えっと、それは……」


 私、料理をしたことあるのかな……確かに、お料理をするのは凄く楽しかったけど、やったことあるのかどうかまでは、わからないな。何かを思い出したりはしなかったし。

 少し考えてから言葉を返す。


「それは、わからない、です」

「あ、そう……やっぱり、思い出したりはしなかったのね」

「はい……」


 ずっとやりたかったお料理をやってみれば何か思い出せるかもしれないと思ったのに、結局何もわからなかった。

 はぁ、あれから二週間も経ったのに、私の記憶は何も戻っていない。自分がどこで何をしていたのか、いくら考えても思い出せないまま。そのことがとても、辛い。


「まぁ、きっと大丈夫よ。いつかちゃんと思い出せる。だから、そんな顔しないでね?」


 私が何を考えているのかを察したのか、フェニさんは私の頭を撫でながら言った。


「はい……わかり、ました」


 まぁ、まだ時間はあると思うし、ゆっくり考えていけばいいか。後ろよりも前を見て、明るく考えよう。


「うん、じゃ、続きしましょ。ある程度は作り置きしとかないといけないから」

「はい」


 それから、私はまたフェニさんと一緒に色んな料理を作った。

 スープに、揚げ物に、炒め物。それらをちょうど作り終えた時、朝武具屋さんにいた人達がやって来た。


「ちーす、来てやったぞー」


 朝も会った漁師さんの一人が私を見つけて声を掛けてきた。


「あ、どうも。早いですね」


 外はもう暗いけど、お客さんがよく来る時間まではもうちょっと時間がある。ああ、もしかして、込み合う時間を避けてきたのかな。


「あら、知り合い?」

「あ、はい」

「おう、おう、頑張ってるねぇ」

「あ、いらっしゃいませ。みなさん、こちらへどうぞ~」


 とりあえずみんなを空いている席へと案内して、お水を出す。注文を取ってその料理やお酒を出したところで、他にもお客さんがやって来た。そちらの対応をして、注文された品を出す。

 時間が経てば経つほどお客さんは増え、アドレさんとカイさんもどこからか帰ってきて、さっきの武具屋さんの人達とあまり話をすることができなかった。

 えっと、次はこれをあそこに、こっちはあっちのテーブルにか。ああ忙しい忙しい。余計なことを考える暇もないよ。まぁ、それがいいんだけど。


「おーい、追加注文頼むー」

「あ、はーい! 今行きまーす!」


 お待たせしましたー、と言いながら料理をテーブルに置いた後、呼ばれた席で注文を取って、酔ったおじさんのセクハラをかわしてから台所にいるフェニさんに伝える。


「えっと、お酒を六、イカの足揚げ三人前。十一番さんです」

「わかったわ。次はこれとこれとこれと六番テーブルに、こっちは七番テーブルに持って行って」

「わかりましたー」


 言われた通りに品物を運ぶ。

 そんなことを数十回繰り返し、お客さんが結構少なくなった頃。ついに、武具屋組も帰る時間になった。


「そろそろ会計頼む」

「あ、わかりました」

「ああ、それは私がやるから。レイラちゃんは少しお話してていいわよ」


 フィキさんが彼らのお会計をしてくれるそうなので、彼女の言葉に甘えて、お話しさせてもらうことにした。


「今日はどうも、ありがとうございました」

「いやいや、そんなことを言われるようなこたぁしてねえよ。感謝するのは俺らの方だ」


 漁師さんはそう言って、残った酒をグイッと一気に飲み干した。


「レイラ、あんたぁ、よく頑張っとったねぇ」


 お婆さんも残りのお酒を飲みながら、私のことを褒めてくれた。


「ありがとうございます」

「いいやぁ、こちらこそありがとうねぇ。頑張ってるあんたの姿、よぉく見とったよぉ」


 そんなこんなで、お婆さん達は帰って行った。

 そして、彼女らはこの日を境に、毎日ここに来るようになった。時にはみんなで、時には一人だけで。


「今日も来たぞー」


 そう言いながら、毎日お酒を飲み、ご飯を食べて帰って行く。

 私は、忙しい時もそうでない時も、できるだけ相手をするようにしている。来るたびに彼女らは、私のことを応援してくれた。

 アドレさん達も、最近は帰ってくる時間は毎日バラバラだけど、私が頑張る姿を見て、同じように応援してくれた。

 みんなが頑張れって言ってくれるから、私は張り切ってお仕事に臨むことにできた。忙しい毎日を楽しんで、仕事に慣れることを考えて。時々記憶のことも気にしながらも、充実した日常生活をしていた。


 そんな風に日々を過ごしていたからだろうか。

 いつの間にか、私がここに来てから一ヶ月もの月日が流れようとしていた。


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