第六話 町の中心
宿屋の外に出た私は、先を行くアドレさんに続いて道を進んでいた。
「あそこは武器を扱う店、あそこは肉を売る店だ」
通り過ぎていく様々なお店を指差しながら、彼はその店がどんなお店なのかを教えてくれた。
「で、あっちの高い建物は時計台だ。下には町の役所と騎士団の詰め所がある」
彼が示す指の先、道の先の方には、アドレさんが言った通り、塔のような建物があった。上の方には丸い何かが付いていて、長さの違う針らしき物が二本、長い方が少しずつ動いていた。あれは確かに時計だ。だけど……。
「えっと、今は何時なんですか?」
「今か? 今は……朝の七時半くらいだな。それがどうかしたのか?」
「い、いえ。少し気になっただけです」
今、七時半? てことは、あの文字が数字なのか?
文字盤に書かれていたのは、私には読むことのできない記号だった。その数は十個。時計に書かれているから数字だと思うのだが、十文字すべてに見覚えがなかった。
おかしいな……私が知ってる数字と違う。どうしてだろう。
首を傾げながらも二人に続いていると、周りからの視線を感じた。その視線で、今私がフードを被っていないことに気付く。
「あっ……」
わ、忘れてた……。
急いでフードを被る。すると、前を行くアドレさんが振り返って、
「ん? なんでそんなフードを被るんだ?」
と聞いてきた。
「……見られるから、です」
少し下を向きながら言う。昨日も一昨日も歩いている時はいつもこうしていた。
「見られる? どうして?」
「えっと……目、とか」
みんながどうして私のことを見てくるのか、本当の理由は聞いてみないとわからない。だけど、この色の違う瞳もみられる原因の一つだと思う。自分でも珍しく、そして気持ち悪く思えてしまうのだから。
そう考えると少し落ち込む。
はぁ……私、どうしてこんな目をしてるんだろう。生まれつきってフィキさんは言っていたけど、私、生まれた時からこんな目を立ったのかな。思い出せないからわからないけど。
「目、ねぇ。お前の目、そんなに変か?」
トボトボと歩く私のことを見ようとしながら、アドレさんはそう言った。
「俺は結構いい感じだと思うけどな。見ようによっては可愛くも見えるし」
「え……? か、可愛い」
可愛い? 私が? 私の目が?
初めての経験だった。誰かに『可愛い』と言われるなんてこと。思わずフードを深く被り直す。
「可愛いなんて、そんな、嘘……」
「嘘じゃねえよ。なぁカイ?」
動揺した私の呟きに、彼は私をカイさんに振った。振られたカイさんは、
「……師匠には、そう思えるだけだろ」
と言い、歩く速度を速めた。まるで、これ以上話に加わりたくないというかのように。
あ……あの人は、この人とは違うんだな。あの人はきっと、私や他の人が抱いているのと同じ感想を抱いているのだろう。すなわち、『気持ち悪い』『気色悪い』といった感想を。
「ったく、なんだよあいつ」
アドレさんはそう言って、カイさんの後に続く。
「言い方って物があるだろ。なんだよ、俺にはそう思えるって」
……この人やっぱり、他の、普通の人とは違うな。
アドレさんの後ろ姿を見ながら思う。具体的に何が、というのはわからないが、何かが明らかに違う。そんなことを。
大通りを上に向かって歩き続けていると、さっきまで見ていた時計台の下のたどり着いた。
「おぉ~」
下から見上げると結構高い。多分、地上八階建てくらいはあるだろう。どうやって上るのかが気になる高さだ。
「凄い、ですね」
「ああ、そうだな。だが、ここからならもっと凄い物が見えるぞ」
私の言葉に頷いたアドレさんが、同じように塔を見上げながらそう言った。
「え? 何ですか?」
彼の方を見て問いかける私に、アドレさんはふっと笑って、親指で後ろを指差した。
「後ろを見てみろ」
後ろ……? 何かあるのかな?
言われた通りに振り向いた私の目に、今まで見たこともない光景が飛び込んできた。
「これは……うわぁ~!」
ここが少し高くなっているからなのか、さっきまで歩いてきた道がすべて見える。それどころか、この間見た灯台も、海も、港まで。
「す、凄い……!」
知らなかった。ここが、こんなに大きな町だったなんで……。
その建物の多さに驚いている私の耳に、アドレさんのとんでもない言葉が流れ込んできた。
「何驚いてんだ。こんなのまだ一部分だぞ?」
え? こ、これで一部? この町、かなり大きな町だったのか。
「これはちょうど、三分の一くらいだな。後、ここがこの町の中心だ」
「え、ここが、ですか?」
彼の言葉に、思わず足元を見る。
「ああ。この塔が中心になるように町ができている。だから、ここに町の主要な公共機関が集まってるんだ」
「へぇ、そうなんですか」
町も色々なことを考えて作られているんだなぁ。ここは文字通り町の中心で、行政的にも中心だという風になっているなんて。本当によく考えられてできている。
よくできた町の仕組みに感心していると、
「ああ、そうだそうだ。この大通りをまっすぐ進むと町の外に出られるぞ」
そう言って、アドレさんが町の説明を始めた。
「この町には門が三つ。南と、西と、北に一つずつある。この道に繋がってるのは南門で、俺達が入ってきたとこだ。後の二つは他の大通りと繋がっていて、それらはすべて港で合流する」
「他にもこんな所が?」
「そうだ。それぞれの道に店が沢山あって、奥にまで立ち並ぶ家や倉庫が路地を形成している。町がここまで大きくなってからは特に発展はしてないみたいだな。昔から変わらず、国一番の魚港だ」
「こ、ここが国一番?」
それって結構凄いことなんじゃないか? この国がどんなところなのかは知らないけど、私はそんな所にいたのか……。
「漁獲量の面で、な。貿易の港は別にある」
「そうですか……でも、それってとっても凄いことですよね?」
「まあな。それもこれもここが平和で、漁師が漁に集中できる環境があるからだ」
アドレさんの町についての説明が終わった。
ここがそんなに凄い所だったなんて知らなかった。でも、今日ここで聞けて良かったと思う。何も知らないままこれからを過ごすよりは、今のうちに聞けて。もっとも、こんなことを聞いたところで日々の生活は変わらないと思うけど。
知らなかったことを教えてもらってまた一つ賢くなった私に、アドレさんは、
「じゃ、そろそろ行こう」
と言って、ここから離れようとした。
「え、もう行くんですか?」
この景色を見られなくなるのが悲しくて、残念そうに告げる。
「大丈夫だ。ここに来ればまた見られるって。そんな顔するなよ」
そう言ってアドレさんは、私の肩に手を置いた。とても暖かい手だ。
「まだ一日は始まったばかりだ。お前は今日も、海を見ていた日のようにずっとここにいるつもりか?」
「そ、それは……」
「別に、この景色をずっと見ていることが悪い訳じゃない。だけどな」
アドレさんの顔を見上げる。彼は私の目をしっかりと見て言葉を続けた。
「お前が町を歩きたいって言ったんだぞ?」
「……そうでした」
自分でそうするって決めたんだった。そんな私に、この人達が一緒に来てくれるって言ってくれたんだ。
「案内、お願いしてもいいですか」
自分で決めたことを、今更覆す訳にはいかない。
そう思って、私も彼の目を見つめ返す。
「ああ、いいぞ。でも、俺はここに住んだことがないから、詳しいとこまではできんがな」
「それでもいいです、お願いします」
それから私は、彼らに連れられるまま大通りにあるお店を転々と回った。
食べ物を扱うお店を覗き、ちょっとした家具や小物を売っているお店、寝具専門店などに入った。そして今は、何かよくわからない占い店にいる。
三時間ほどかけて色々なお店を見て回ったが、どこのお店でもお金がないので何も買えなかった。
今いる占いのお店の妖しいお姉さんはそんなに私を占いたいのか、
「もう、お金がないのは仕方ないわねぇ。お姉さんといいことしてくれるって約束してくれるのならぁ、無料で占ってあげても、い、い、わ、よ?」
と、語尾にハートマークを付けながら私に伸ばしてきた。
私は顔を引きつらせながら、できるだけ丁寧な口調で断ると、逃げるようにそのお店を飛び出した。
あ、あれは、嫌すぎる。何なんだあの人は。何なんだいいことって。
店から出て煙たい店内の空気を吐き出し、外の新鮮な空気を吸い込もうとする。
「う、ケホッ、ケホッ……」
しかし、喉の辺りに煙の変な匂いが残って、少し咳き込んでしまった。
あの店の中では、よくわからないお香のような物が焚かれていて、よくわからない香りと煙が店内に充満していた。
そのせいなのか、中にいると少し変な気持ちになり、思わずあの店主さんの言うことを聞いてしまいそうになった。もしかしたら、何かおかしな成分が含まれていたのかもしれない。怖い。あの店怖い。もう行きたくない。
「あー、すまんな。変なとこに連れてきちまって」
私の後ろから、同じように店を飛び出してきたアドレさんが口元を押さえながらそう言った。
「い、いえ……私も少し、興味ありましたから」
占いに興味はあった。だけど、その値段は一万五千セルと到底払えそうになかったし、あの人にその値段分の何かをされてまで占ってもらいたいとは思えない。多分、占ってもらえるだけのお金があっても、ここで使うことはないだろう。
息を整えながら、外で待っていたカイさんの所に向かう。彼はあのお店に入る時、自分は行きたくないと言って他の所に行ってしまったのだった。今にして思えば、彼に付いて行っていた方がよかったと後悔している。
でも私は、あの人に少し苦手意識がある。だから多分、どっちにしてもあの人について行くことはなかっただろう。
あの人、いつも私のことをまともに見てくれないんだよな。何というか、目を合わせてくれない。話をしている時も私の顔を見ないで、どこか別の所を見ているし。あの人は私のことが嫌いなのだろうか。
そんなことを考えながらも、私は仲良くなりたいので、勇気を出して露店で食べ物を見ているカイさんに話しかけた。
「す、すみません、カイさん。待たせてしまって」
「……別に、問題ない」
彼は頑張って話しかけた私には目もくれず、何かのお肉の串焼きを三本買った。
え、それを今食べるのか? まだ朝からそんなに時間経ってないけど、大丈夫なのかな。
そう思って時計台の時計を見ると、短針と長針がちょうど一番上の記号の所で重なるところだった。
あれ、もう正午? もうお昼時なのか? なんだか時間経つのがやけに早い気がするけど……。
そんなことを考えている間に長針が少しずれる。
うーん……やっぱり、少し早い気がするな。どうしてだろう。
「……後」
カイさんの声が聞こえたので、そちらに視線を戻す。彼はまだ、買った串焼きに口を付けていなかった。
「俺のことは、カイでいい」
「え?」
「敬語も不要だ」
それだけ言って、串焼きを食べ始めるカイさん。
「え、でも……」
敬語は不要って……。
どう反応すればいいのかわからずに彼のことを見続けていると、何を勘違いしたのか、
「……ほら」
と言い、手に持っていた二本の串焼きを私に渡してきた。
「え、な、なんですか?」
「お前と師匠の分だ。食いたいんだろ」
「い、いえ、私は、別に……」
「いいから持ってけ」
強引に押し付けてくるカイさんの手から串焼きを受け取る。
わ、私の分って言われても……と、とりあえずアドレさんには渡さないと。
串を両手に持ってアドレ探す。
……いた。彼はさっきの占い店の派手な看板を見ていた。
「……百合の占い館、か」
「どうしたんですか?」
何かを呟いている。このお店の名前だろうか。
「うお、お前か。いや、別になんでもない」
「……そう、ですか」
気になるけど、今はこっちの方が先だ。質問したいのを我慢して、彼に串焼きを渡した。
「どうぞ」
「ん? どうしたんだ? これ」
「何か、カイさんからもらっちゃって……」
「カイから? なんでまた」
そう言いながらも串焼きを受け取るアドレさん。
「さ、さぁ?」
首を傾げてみせる。
私の方が気になっている。あの人は表情に乏しくて、何を考えているのかわからないから。
「まぁ、いいか。ちょうど昼だし、昼飯ってことで」
「そうですか」
やっぱり、もうお昼なのか。うーん、私の時間の感覚がおかしいのかな。どうしてもまだお昼な気がしない。でも、空を見ても確かに太陽は私達のほぼ真上に位置している。
はぁ……もう、私に原因があるってことでいいや。考えるのが面倒だし。そういうことにしておこう。いつもそうだし、今回もきっとそうだ。
「さ、お前も食え。昼飯だ」
「は、はい」
こんな道端で食べていいのかと思ったが、周りには同じような串焼きを食べながら歩いている人が結構いる。近くに片手で食べれる軽食を売るお店が多いからなのだろうか。
貰ってしまった物を返す訳にもいかなくて、しばらく串を見つめてどうしたものかと迷う。しかし、食べたいという欲求と美味しそうな匂いには勝てず、恐る恐る口を付けた。
後でこの分のお金を返して、お礼を言っておこう。そう思って。
「……はむ」
結構大きなお肉の端っこをちょっとだけ食べてみる。すると、一瞬にして口の中に肉の味が広がった。香辛料も何も使われていない、これぞ肉、という味が。
「……美味しい」
シンプルだが、それがいい。そう思わせる味だ。
「温かいうちに食べろよ。冷めると固くなっちまうからな」
「わかりました」
アドレさんに急かされつつ、もう一口食べる。続けて二口、三口。
お肉すべてを食べた後、串にくっついてしまっている残ったお肉も綺麗に食べようとすると、ふと足に何かを感じた。
「ん?」
気になって足元を見る。するとそこには、灰色の小さな、もわもわした何かがいた。
「にゃ~」
物欲しそうな声で鳴きながら、私の足にしがみついてくるその生き物は、愛らしい仕草で食べ物――私の持つ串焼きの残りをねだっていた。
「ね、猫?」
「みゃーん」
こ、これがほしい、のかな?
試しに串を動かして見ると、猫の視線も同じように動いた。間違いないようだ。
ど、どうしよう。これ、あげた方が良いのかな。でも、野良猫に餌を上げるのって、大丈夫なのかな。
迷いながらも、通行人の邪魔にならない場所まで移動する。そして周りをキョロキョロと見て、誰も見ていないことを確認してからしゃがみ込む。
「……ちょっとだけなら、大丈夫だよね」
そう自分に言い聞かせるように呟きながら、串をその猫の口元に差し出す。猫は一瞬確かめるように私と串とを交互に見た後、ゆっくりと串を舐め始めた。
その動作が可愛くて、ついついじっと見つめてしまう。
こういう動物の動きには、なんだかとても癒されるな。ああ、可愛い。愛らしい。抱きしめたい。モフモフしたい。足の裏の肉球をぷにぷにしたい……。
「にゃ~?」
気が付くと、猫は串に興味をなくし、私の顔を覗き込んでいた。見ると、串についていたお肉の残りは綺麗になくなっている。どうやら食べ終わったらしい。
でも猫は、まだ物欲しそうに鳴いている。ということはまさか、
「……も、もっと欲しいの?」
「みゃ~お」
猫の顎の下を掻きながらそう問うと、そうだそうだと言わんばかりに鳴いた。
ああ、可愛い。あげたい。この子にご飯あげたい、けど、あげれない。他に食べ物は持っていないし、買うお金も、多分足りない。さっきの串焼きの分だって返さないといけないから、もう新しい物を買う余裕もないだろう。
心苦しいけど、ここは諦めてもらわないと……。
「ご、ごめんね? もう私、食べ物は持ってないの」
顎を掻く手を止めて、猫に話しかける。言葉を理解できるのかはわからないけど、とりあえず声に出して伝えてみると、猫は急に、
「シャーッ!」
という警戒した声を出し、顔に飛びかかってきた。
「え、きゃ!」
突然のことで反応できなかった私の顔に伸びてくる鋭い爪。それが怖くて思わず目をつぶると、顔に鋭い痛みが走った。衝撃で後ろに倒れ込み、尻もちを着く。
「いったぁ……」
「おいおい、何やってんだ?」
そんなことをしている私に気付いた二人が、こちらにやって来た。
「あ、アドレさん……ちょっと、猫に引っかかれちゃいました……」
「猫? ああ、野良猫にちょっかい出したのか。そりゃあ引っかかれるわ。はっはっは」
「わ、笑わないでくださいよ……」
そう言いながら立ち上がろうとすると、アドレさんが手を出してきた。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
素直に彼の手を借りて立ち上がる。
「怪我とかしてないか?」
「えっと……顔が、少し痛いです」
左の目元から頬にかけてジンジンと痛む。そこをさすっていると、盛り上がって皮が剥けている部分が直線状に三、四本あることに気付いた。どうやらここを引っかかれたらしい。
「顔? ちょっと見せてみろ」
「え? ちょ、ちょっと待っ――」
アドレさんがいきなり顔を近づけてきたので、驚いて後ろに下がろうとする。だが、彼に頭を掴まれてしまい、大きくなる彼の顔から逃れられなかった。
「あー、こりゃあ痛ぇだろうな。傷は深くないから跡が残ることはねえだろうが、せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
「か、可愛いって、そんな、私は、そんなに……」
「ちょっと待ってろ」
顔が少し熱い。引っかかれたからなのか、男の人の顔がすぐ近くにあるからなのか、可愛いと言われたからなのかはわからないけど、多分赤くなっている。
わ、私が可愛いとか、そんな、さっきも言われたけど、そんな訳ないと思うけど、そんな、猫の方がよっぽど可愛いと思うけど、そんな、私は……。
「ほら」
「え? いつっ!」
そんな風に混乱した私の頬に、今度は冷たい何かが押し付けられた。水みたいなもので少し濡れているそれが引っかかれたところに染みて痛い。
「な、なにするんですかぁ」
涙声になりながら訴えてこの濡れた何かを剥がそうとするが、アドレさんに止められてしまう。
「これは傷によく効く薬草だ。体に悪い物とかじゃないから、大丈夫。痛みが消えるまでそのままでいろ」
「で、でも、こんなの放って置けばそのうち治りますって……」
「いいから我慢してろ。すぐによくなるから」
こんな物いらないという私に、アドレさんは強引に、その薬草とやらが剥がれないよう押し付けてきた。
うぅ……痛い、けど、我慢すれば、本当に痛くなくなるのか? ……信じて、みようかな。
そう考えて大人していると、しばらくして、本当に痛みが引いてきた。引っかかれた痛みも、水か何かがしみる痛みも、両方とも。
「どうだ? もう痛くないか?」
「は、はい……ど、どうしてこんなので痛みが取れるんですか?」
さっきアドレさんは薬草と言っていたけど、そんなただの草なんかですぐに痛くなくなるなんて信じられない。というか、ありえないよ。
そう思って聞いてみるが、彼は、
「言ったろ、薬草だって」
と、さも当然のように先ほどと同じことを答え、私の顔に張り付けていたその草を剥がした。
「よし、ちゃんと傷もなくなってるな」
「え?」
アドレさんの言葉に驚いて、もう一度頬を触ってみる。
「ほ、ほんとだ……」
さっき確認したばかりなのに、もう傷がなくなっている。
い、痛みだけじゃなくて、傷まで? す、凄い。なんだこれ、凄いぞ。こんなもの見たことないぞ。
「す、凄いですね! これ」
「は? そ、そう、だな……」
興奮した私の言葉に彼は少し引いていた。そして、その隣でカイさんが、
「……どこにでも生えてる物だぞ」
と呟いているのが聞こえた。
え、え? これが、どこにでも生えてるって? こんなに凄い物なのに、そこまで貴重な物じゃないのか?
彼のその言葉は、私の頭を疑問で一杯にさせた。
「そ、そうなんですか……あ、そうだ。あの、さっきの串焼のお金を渡したいんですけど……」
ひとまずわからないことは置いておいて、忘れないうちに先ほど貰った串の分のお金を返そうと思い、話を変えた。
だけどカイさんは、
「……金なんて要らん」
と、ぶっきらぼうに言い放ってそっぽを向いた。
「え、でも……」
お金は自分で払いたい。私がそう言う前に、彼は私のことを見もせずに、
「だいたい、お前の持ってる金では足りん」
と言った。
え、た、足りないの? あんな、調味料も使われていないお肉が十セル以上もするの? も、もしかしてとても高級な物だったりして……。
さっき自分が食べた物が何なのか気になって、恐る恐る値段を聞いてみる。
「い、いったい、いくらだったんですか」
「……一本十二セル」
あれ、そこまで高くない……? というか、たった二セル足りないだけなの?
あまりにも予想外の安さに、私は何も言うことができなかった。
とても高い訳でもなく、私の手持ちで買える値段でもない、十二セル。後にセル足りないというところが地味に悔しい。
「ま、本当に金は要らないんだよ。これくらいの出費は何も問題ないし」
「で、でも私、お二人の家族でも何でもないですし、養ってもらうようなことは、あまり……」
この二人にとっても、よくないのではないか。そんな思いをアドレさんにぶつけてみる。
「ふむ。養ってもらう、ねぇ」
彼は私の言葉を聞いて少し考えるように腕を組んだ。そして、
「家族以外が養ったらいけないのか?」
と言った。
「え、それは……」
「別にいいじゃないか。俺らがお前を養ったって。お前に必要なことだし、なにより、俺達がそうしたくてしてるんだ。それとも、お前は嫌なのか? 迷惑だって思ってるのか?」
「い、いえ! 迷惑だなんて、そんな……」
むしろありがたいくらいだというのに、どうしてそんなことを言うんだ。
この人達がいなかったら、私は今ここにいない。この人達は命の恩人だ。面倒を見てくれるのも嬉しい。だけど、それが二人にとって負担になっているのではないかと思っているだけだ。
私が首を振って否定すると、アドレさんは、
「だったら、いいじゃないか。俺達がお前の面倒を見ても」
そう言って、私の頭に手を乗せた。
「前に、俺達が普段何をしてるかってことを話したよな」
「は、はい、覚えてます、けど……」
監査騎士、だったっけ。国中を巡って、行く先々で問題を解決するって言う、お助け屋さんみたいな仕事のこと。
覚えているけど、それがどうかしたのか?
話の繋がりが見えなくて少し混乱しながらも頷くと、今度はカイさんが話し始めた。
「……お前はもう、俺達が解決しないといけない問題の一つってことだ」
「も、問題の一つ……」
何その言い方……。
「ああ。あの浜に倒れてるお前を見つけた時から、お前を助けることが俺達の仕事になったんだ」
私を助けることが、この人達の仕事……それは、えっと、つまり、この人達は私に、仕事をさせてくれって言ってるのか?
「カイの言う通りだ。仕事ってのは一応の建前だが、俺達はお前を助けたいと思ったからこうしてる。お前のために住む場所も飯も用意するし、仕事がしたいんなら見つけてきてもいい。とにかく俺達は、お前を助けたいんだ」
アドレさんはそう言って、私の持っていた串を取った。
「だから、俺らのことを少しは頼ってくれないか?」
「頼る……?」
「ああ。お前はできるだけ自分一人で何かをしたいと思っているみたいだが、そんなに深く考えなくてもいいんだ。一人だけじゃ絶対に解決できない何かに直面することがあるだろう。そんな時だけでもいいから頼ってくれよ。俺らは必ず、お前の期待に応えるから」
この二人を、頼る、か。確かに、アドレさんが言う通り、私はあまり、他人の力を借りようとはしない。だけど、この人達は頼って欲しかったのか。私に。
仕事だから、なんて言っていたけど、本当に私を助けたいという一心なのだろう。彼らの真剣そのものの顔がそう言っている。二人は本気で、私を助けてくれるつもりなのか。
でもそうなると、なおさら頼りたくなくなってしまう。遠慮してしまう。だけど……たまには頼っても、甘えても、いいのかもしれない。
「そう、ですね。わかりました」
「おう」
彼らの話に納得して、甘えたいときがあったら甘えさせてもらおうと決めた。できればそんなことはしたくないけど。
そんな話をしていると、ふと、昨日のフェニさんとのやり取りを思い出した。
そういえば、昨日もフェニさんに、名前の件で同じようなことを言われたな。いつでも、どんな時でも相談してくれと。
「ふ、ふふっ……」
「な、なんだ。なんで急に笑い出すんだ?」
「す、すみません……アドレさんが、昨日のフェニさんと同じことを言ったので……」
あの時と、今のアドレさんが言った、頼ってくれ、という話はあの時の話と全く同じだ。そのことがおかしくて、つい思い出し笑いをしてしまった。
「あいつと同じ……マジかよ」
アドレさんは信じられないというような表情で、深くため息をついた。
「嫌なんですか?」
「いいや……俺は別にいいんだが、俺を嫌うあいつが聞いたらなんていうかと思うと……はぁ」
ああ、確かにあの人は、なぜか知らないけどアドレさんのことが嫌いみたいだな。
アドレさんが落ち込む理由がわかって納得すると、彼は強い口調で私に言ってきた。
「今の、あいつの前では言うなよ。絶対に言うなよ」
「あ、わ、わかりました」
なぜだろう。そう言われると言いたくなってくる。少し意地悪な私が出てきて、帰ったら本当に言ってやろうかと思っていると、
「前来た時に、カイに『似た者同士』って言われて、一晩中喧嘩したんだよ……」
という、疲れたような彼の言葉でやめることにした。流石に、一晩中も喧嘩する二人は見たくないし、巻き込まれたくもない。
私達の話が一段落すると、時計台を見ていたカイさんがアドレさんに言った。
「師匠、そろそろ時間だ」
「ん? ああ、もう一時か。わかった」
二人はこの時間に、何か用事があるようだ。
アドレさんは持っていた串を近くの箱に入れた後、私に向かって
「俺ら、これから少し武具屋に用があるんだわ」
と言った。
「武具屋、ですか?」
「ああ。来る時に通った所なんだが」
そうなると、私とはここで別れなくちゃいけないのか。少し寂しいけど……最初からこうなるかもって言ってたし、仕方ないか。武具屋には行ってみたいけど。
彼の言葉が別れを意味していると思っていた私は、彼の次の言葉に驚いた。
「じゃ、行こうぜ」
「え? い、行くってどこに?」
「どこって、武具屋だよ」
え、そこで二人は用事があるんじゃ……。
困惑した私の手をアドレさんが掴んで引っ張ってきた。
「ほら、早く来い」
「え、その、えっと……」
わ、私も一緒に行くことになってたの?
私はいつの間にか、アドレさんに手を引かれるまま、その武具屋さんに向かっていた。




